閑話2 トミー編 グレイ伯爵領の秘密
―― 消えた令嬢と隠された事故 ――
トミー=クルールは、ベル=グランの研究所を出たあと、すぐに馬を手配し、一路グレイ伯爵領へと向かった。王都から北東へと三日。丘と森が広がる静かな地――そこが、魔力に優れた家系として知られる「グレイ伯爵家」の領地だった。
着いた日の夕方。トミーはまず、町の中心にある古びた石造りの酒場「赤い狐亭」へと入った。床はギシギシと音を立て、木の柱には時代の古さを感じさせるキズがいくつも走っていた。
店内は夕方のにぎわいで、仕事帰りの男たちがビールを手に笑い合っていた。そんな中、トミーは隅の丸テーブルに座る、やせた中年の男に声をかけた。
「よぉ、ハンクス。久しぶりだな」
声をかけられた男は、少しだけ目を見開いたあと、ニヤリと笑った。
「……なんだ、トミーじゃねぇか。こんなとこまで何しに来た?」
「ちょっと調べたいことがあってな。いい酒が飲めそうな場所を探してたら、ここがいいって聞いてな」
冗談めかして言いながら、トミーは椅子を引いて腰を下ろす。そして、しばらく他愛ない話をしたあと、さりげなく本題に入った。
「なあ、ハンクス。アテネ=グレイって名前に心当たりは?」
ハンクスの表情が、ピタリと止まった。
「アテネ……って、もしかして……グレイ伯爵家の娘さんのことか?」
トミーは少し驚いたふりをしてから、うなずいた。
「ああ、たぶんその子だ。実は昔な、王宮で少しだけ世話になったんだ。もう二十年も前の話だけど。こっちに来る用があって、ふと思い出してさ。元気にやってるなら、それでいい。もし困ってるなら、ちょっと助けになれればと思ってね」
作り話だと気づかれぬよう、あくまで「昔の知り合い」を装って言うと、ハンクスは苦い顔をして、ビールを一口飲んだ。
「……お前、それ、絶対に他で言うなよ」
「ん? なんで?」
「……アテネ=グレイはな、もうこの世にいない。18年くらい前に、馬車の事故で死んだんだよ」
トミーは、驚いたように目を細めた。
「……馬車の事故、ね」
「表じゃな、ただの事故ってことになってる。山道で馬が暴れて、崖から落ちたって話だ。だがな――変なんだよ。遺体はほとんど見つからなかったし、事故の詳しい話も一切、領民の耳には入ってこなかった」
酒場のざわめきとは別に、二人のテーブルだけが妙に静かだった。
「裏で、なんか動いてたのか?」
「間違いない。あの頃、伯爵家のまわりに、見たこともない黒服の男たちが何人も出入りしてた。町の役人も黙りこくってた。おかしいと思った奴もいたが、誰も口にしなかった。なにより……」
ハンクスは小さく声を落とした。
「グレイ伯爵家を黙らせるほどの“力”が、その事故を消したんだ。事故のあと、屋敷の中はまったく別の空気になったし、家令も使用人も、全部入れ替えられてた」
「……怖いな、それ」
「怖いだろ? トミー、お前、死ぬなよ」
冗談交じりに言うその言葉が、妙に重く響いた。
それから数日、トミーはグレイ伯爵領に滞在し、あちこちの村を歩いてみた。名を明かさず、あくまで旅人として振る舞いながら、領民や古い商人、寺院の記録係などにさりげなく話を聞いて回った。
だが、二十年前のアテネ=グレイを知っている者は、誰もいなかった。
「そんな名前の娘さんがいたような気もするが……今の伯爵様のご家族とは関係なかったような」
「昔の使用人? ああ、今いる人たちは全員、五年前くらいから来た者ばかりでねぇ」
返ってくる言葉は、どれも曖昧だった。
そう、今の「グレイ伯爵」は、当時とは別の血筋の者が継いでいたのだ。
前任の伯爵家は、事故のあとに公的な理由で爵位を返上。表向きは「跡継ぎがいなかった」とされ、分家筋から新たな当主が立てられたらしい。
――すべてが、変わっていた。
まるで、誰かが“過去を消した”かのように。
滞在を終え、宿の部屋に戻ったトミーは、小さなランプの灯の下、報告書のメモをまとめた。
『アテネ=グレイは、18年前、馬車事故により死亡。ただし詳細は不明。』
『当時のグレイ伯爵家関係者はすべて入れ替わっており、現当主は血縁関係なし。』
『事故の直後、異常な情報の遮断と人員の交代あり。』
『隠蔽の可能性が高い。』
そして最後に、彼は静かに書き足した。
『……“事故”ではなく、“消された”可能性も。』
ペンを置き、トミーはランプの灯を見つめた。
アテネという少女の過去。その名のもとに隠された真実が、少しずつ姿を現しはじめていた。
だが、その真実に触れる者が、無事でいられる保証は――どこにもなかった。
 




