閑話1 トミー編 レオナルドからの依頼
―― 煌めく研究所と、秘められた真実(続) ――
翌朝。雲ひとつない快晴の空の下、ベル=グラン魔術学院の奥、白い石造りの建物――グラン魔道具研究所の二階にある私室兼執務室に、レオナルドは静かに座っていた。
机の上には、例の古布の写しと、昨日までにまとめた調査資料。そして、魔道具の部品をしまい込んだ黒革の箱。
彼は窓の外に目をやり、そよぐ風に揺れる樹々の緑を眺めながら、深く息を吐いた。
そこへ――
「よう、レオナルド。なんだか、ずいぶん真剣な顔してるじゃねぇか」
扉もノックせず、気軽に声をかけながら入ってきたのは、冒険者ギルドでも名の知られた男、トミー=クルールだった。
肩まで伸びたくせ毛の金髪、鋭くも人懐こい青い目。革のジャケットにブーツ、腰には手入れの行き届いた剣を提げている。かつて一緒に遺跡探索をしたこともある、数少ないレオナルドの“友人”であり、“腕利きの調査屋”でもある男だ。
「来てくれて助かる。……急ぎ、頼みたい調査があるんだ」
「へぇ。お前がそんな顔するなんて、ただ事じゃなさそうだな。で、何を調べりゃいいんだ?」
レオナルドはうなずき、静かに口を開いた。
「アテネ=グレイという名の女性を……今から二十年前、王都にいた侍女の記録を調べてほしい。王宮――それも、アンジェリーナ元王妃に仕えていたとされる女性だ」
「ふむ……アテネ=グレイ、ね。二十年前となると、もう記録も限られてる頃か。で? その人が今どうしてるかを調べろって?」
「いや……彼女自身は、すでに消息を絶っている」
「……失踪か?」
「正確には、王宮を突然辞めて、その直後に姿を消したとされている。だが……実はその数日後、アスティリアの古い孤児院の前に、ひとりの赤ん坊が置かれていた。小さな籠の中に、“アテネ=グレイ”と刺繍された毛布にくるまれて……」
トミーが目を細め、腕を組む。
「……その赤ん坊が、今のお前の研究所にいるあの子か?」
レオナルドは頷いた。
「名付けたのは孤児院の方だ。“布に刺繍されていたから”という理由で、そのまま、アテネ=グレイと」
「なるほどな。つまり、血縁の可能性があるってことか。だが、やけに慎重だな? その子自身に話せば、何かわかるんじゃねぇか?」
「……それは避けたい。今はまだ、彼女自身に迷惑をかけたくないんだ。どんな過去があったとしても、アテネはアテネであって、それ以上でも以下でもない。ただ――」
レオナルドは視線を伏せ、続ける。
「彼女の魔力量は異常だ。あれほどの力を持つ平民が、偶然に生まれるとは考えにくい。しかも、驕らず、素直で、真っ直ぐで……彼女は、そういう子なんだ」
「……お前にしては、ずいぶん情が入ってんな」
「否定はしない。だがこれは私情だけじゃない。仮に、彼女の出自が高貴なものであった場合――特に、結婚すら許されぬような“相手”の子だったとしたら……事件性を疑わざるを得ない」
「ほう。たとえば?」
「たとえば……相手が、既に妻子のある身分の高い人物だった場合。あるいは、王族の血筋に連なる者だった場合。結婚が許されぬ相手の子を身籠もり、追われるように王宮を去った――それが、アテネ=グレイという侍女の過去なのではないかと」
「……だとすりゃ、確かにヤバい案件だな。そんな事実が明るみに出りゃ、どこかの家がひっくり返るかもしれねぇ」
トミーは少し口を歪めて笑いながら、腰の革袋から金貨の袋を受け取る。
「で、報酬は?」
「前金で金貨十枚。残りは調査の結果に応じて。……高い依頼だが、それだけ慎重にやってほしい」
「……了解。まずは、グレイ伯爵家に接触してみる。血筋に特徴があれば、なにか繋がるかもしれねぇし、二十年前を知る古株の侍女にも当たってみよう。情報屋にも手を回す」
立ち上がるトミーの動きは軽く、だが目には真剣な光が宿っていた。
「念のため聞くが……この調査、“命の危険”は?」
「あるかもしれない」
レオナルドの言葉に、トミーは少し口を尖らせたあと、肩をすくめた。
「……ま、今さらびびる歳でもねぇしな。王族絡みは厄介だが、面白そうでもある。情報が入ったら、またここに来る」
「ああ。頼んだ」
レオナルドが手を差し出すと、トミーは力強く握手を交わし、にっと笑った。
「しっかし、あの子が“いけない恋の果て”の生まれだったら……ロマンチックすぎて笑えるな」
「……笑いごとではない」
「いや、そういう真面目なとこが、お前らしいんだよ」
冗談を言いながら、トミーは研究室をあとにした。
扉が閉まったあと、レオナルドは机に戻り、しばらく動かなかった。
彼の胸には、名もなき侍女と、今ここにいる少女の運命が、ゆるやかに重なってゆく感覚があった。
その繋がりの先に、何があるのか。
あの日の布。アテネ=グレイという名前。抱かれずに捨てられたはずの命が、今、静かに新たな意味を帯びていく。
――そして、風がそっとカーテンを揺らす。
新たな真実の扉が、今、ゆっくりと開かれようとしていた。




