第15話 アテネ、ミコノス島での生活を楽しむ
―― ミコノス島の青い風――
港に吹く潮風は、王都のものより少しだけ、やわらかく、ぬくもりを帯びていた。
エリーゲ海に浮かぶ小さな島――ミコノス。そこは白い壁と青い屋根の家々が並ぶ、どこかおとぎ話のような風景が広がる場所だった。
「うわあ……すっごく綺麗……!」
アテネ=グレイは、スーツケースを引いたまま、思わず港の先に広がる街を見上げてつぶやいた。海はどこまでも透き通っていて、青と白のコントラストがまるで絵画のようだった。
そして。
「アテネちゃーん! こっちよ!」
手を振って駆けてきたのは、青い髪を後ろでまとめた、しっかり者の雰囲気を持つ女性だった。その隣には、ちょこちょことついてくる小さな二人の子ども――女の子と男の子がいる。
「こんにちは。あなたが……ダイアナさん?」
「そう、ダイアナ=オルビスよ。ようこそミコノス島へ。そして、こっちは娘のサーラと、息子のジン。二人とも、アテネお姉ちゃんにごあいさつして?」
「こんにちはーっ!」
「……ジン、こんにちは……」
元気なサーラと、ちょっと恥ずかしがり屋なジンに笑顔を向けて、アテネは優しくしゃがみこんだ。
「アテネです。よろしくね、サーラちゃん、ジンくん」
――ああ、なんだか懐かしい。この感じ。孤児院で小さい子たちと遊んでいた頃を思い出す。
温かい空気の中で、アテネの心も自然とほぐれていった。
◇ ◇ ◇
ダイアナが暮らす家は、魔道具研究所を兼ねた二階建ての白い建物だった。外観こそ可愛らしいが、中に入れば工具や部品、魔力計測装置などが所狭しと並び、魔道具好きにはたまらない空間だった。
「ここが研究所……すごい……!」
「まぁ、ほとんど田舎の魔道具屋みたいなものだけどね。王都の最先端には敵わないわ。でも、島の人たちの役に立つことを第一に考えて作ってるの」
棚には、《潮風除けの護符》や《塩分計測棒》、《漁網強化クリスタル》といった、島ならではの実用的な魔道具が並んでいた。
「これ、全部ダイアナさんが……?」
「ええ。昔は王都のグラン魔道具研究所にいたの。でも、親の看病のために島に戻ってきて……それで、困っていたところをレオナルド=フォン=クロイツベルグという学生時代からの知人に出資してもらって、この研究所を作ったのよ」
「え? それってクロイツベルグ公爵家のレオナルドさんですか?……」
「そうよ、あなたも知っているの?」
「ルームメイトの叔父様です」
どこか嬉しそうに語るダイアナの横顔に、アテネは小さく頷いた。
「レオナルドはね、昔から研究に関しては手厳しかったの。でも、試験の成績では一度だけ、私が彼を上回ったことがあるのよ」
「えっ、ほんとですか!?」
「ふふ、ほんと。あのときの顔、今でも忘れられないわ」
ダイアナは、学生時代の思い出を懐かしそうに語りながら、作業用の白衣を羽織った。
「さて、そろそろ始めましょうか。今日は、港近くの塩田の制御魔道具の点検と調整があるの。アテネ、できる?」
「はいっ! 任せてください!」
胸を張って答えるアテネに、ダイアナは微笑んだ。
「いい返事。じゃあ、子どもたちは留守番……って言いたいところだけど、サーラはどうせついてくるわね?」
「うん! お姉ちゃんと行くー!」
◇ ◇ ◇
島での生活は、忙しくて、楽しくて、あっという間に時間が過ぎていった。
朝は海辺の魔道具の修理。昼は研究所での調整作業。そして夜は、オルビス家の食卓で、島の野菜や魚をふんだんに使った料理を食べながら、子どもたちと笑い合う。
「アテネお姉ちゃん、お魚の魔道具って作れる?」
「うーん、泳ぐ魔道具とかなら作れそうかな。でも、食べられたら困るよね~」
「アハハッ、たしかに!」
サーラの声にジンも笑い、ダイアナもにっこりと頷いた。
「あなた、本当に子どもたちとよく合うわね。学院でも、子守りしてた?」
「ちっちゃい子たちの面倒を見るの、わたし、けっこう得意なんです」
素直にそう言うアテネに、ダイアナは静かに目を細めた。
「そう……あのね、アテネ。わたし、思うの。魔道具って、“人の暮らしをちょっとだけ楽にするもの”であるべきだって」
「……はい」
「あなたの目、すごくまっすぐ。もし、どんなにすごい技術を持っていても、それが誰かのためじゃなかったら、虚しいだけ。だから、あなたは――きっと、良い魔道具師になれる」
ぽん、と頭を撫でられて、アテネは恥ずかしそうに笑った。
「……がんばります!」
◇ ◇ ◇
そしてある日。
午前の作業を終え、アテネが港近くで涼んでいると、漁船の帰りらしい男性が声をかけてきた。
「君がアテネちゃんかい? 俺はマイケル。ダイアナの旦那だ」
黒髪をざっくりと結んだたくましい男性。潮風と陽に焼けたその姿は、まさに“海の男”だった。
「いつも妻と子どもたちがお世話になってるって聞いたよ。ありがとうな」
「いえ……こちらこそ、すごく楽しい夏を過ごさせてもらってます」
アテネは、自然と笑みがこぼれた。
――本当に、来てよかった。
パトラやカテリー二と過ごす夏も素敵だっただろう。でも、ここでしか得られない出会いや経験が、今の自分を、もっと成長させてくれる。
◇ ◇ ◇
その夜。
アテネは、研究所の裏手に広がる小さな丘に一人で登った。
見下ろす町には、ランプの灯りがぽつぽつと揺れ、星空が鏡のような海に映っていた。
「おじいさま……ありがとう。ちゃんと、来てよかったって思える夏になりそうです」
そっと手紙を取り出し、胸元に押し当てる。
――これは、特別な夏だ。
そう思える理由が、今のアテネには、いくつもあった。
新しい出会い、島の人々の笑顔、そして――
「……この気持ち、きっと魔道具に変えられる」
アテネはそっと笑った。
風が、銀色の髪をなでた。
ミコノスの夜は、今日も優しく、あたたかかった。




