第14話 アテネ、ミコノス島を目指す
―― 夏休みの始まりと、届いた手紙 ――
期末試験の結果も出そろい、ベル=グラン魔術学院の校舎には、いつもより軽やかな空気が流れていた。
石畳の廊下を駆け抜ける生徒たちの足取りも、どこか浮き立っている。そろそろ、夏休みがやってくる。
そんな中、アテネ=グレイもまた、心がはずむのを止められなかった。
「ふふ……ふふふ……」
寮の自室でスーツケースを開けながら、アテネは小さく鼻歌を歌っていた。シーツの上には麦わら帽子、水辺用のサンダル、涼しげなワンピース。そして、魔道具いじりのための工具一式。
準備は完璧。
あとは夏休みになったら、パトラの別荘へ出かけるだけ!
――の、はずだった。
部屋のドアをノックする音がしたのは、ちょうどそのときだった。
「アテネ=グレイさん。お手紙が届いています」
「えっ、あ、はい!」
慌ててドアを開けると、学院の事務官が封筒を差し出した。
表には、アテネがよく知っている筆跡でこう書かれていた。
アテネへ
ミハイル・グレイより
「おじいさまから……!」
アテネはわくわくしながら封を切った。
その瞬間――彼女の表情が、少しずつ曇っていく。
───
親愛なるアテネへ
期末試験、おつかれさまでした。魔道具学で学年一位になったと知り、とても誇らしく思っています。
君が、好きなことに向かって努力している姿は、誰よりも輝いて見えます。
……さて、本題に入ります。
君が夏にパトラ=イラクリオン嬢の別荘へ行くつもりでいることは、学院からの報告で知っています。
しかし、今回はその計画を取りやめていただきたい。
理由は二つ。
一つ、最近イラクリオン家周辺では騎士団の動きが活発化しており、貴族関係者の動向が注目されている。万が一を避けるため、君がそこへ出入りするのは賢明ではない。
二つ、私の友人である魔道具研究者オルビスが、現在ミコノス島にて人助けの活動を行っている。
魔道具の知識に長けた助手を探しており、君にぜひ手伝ってほしいとの依頼が来ている。
自然豊かな島で、魔道具の修理と設置を通して多くを学べるはずだ。
君には、どんなときでも「人のために魔道具を使える人間であってほしい」。
これは私の願いでもあり、君の才能に対する信頼の証でもある。
楽しみにしていたところ申し訳ないが、出発は夏休み初日。
港の第七桟橋から、迎えの船が出る予定だ。
君の無事と、学び多き夏になることを祈っている。
愛をこめて
ミハイル・グレイ
───
「……なんで……」
ぽつりとアテネはつぶやいた。
パトラと一緒に行けるって、あんなに楽しみにしていたのに。
湖を見ながら魔道具のアイデアを語り合って、カテリー二とお茶を飲んで、涼しい風に吹かれながら本を読むはずだったのに。
胸の奥が、ぎゅうっと苦しくなった。
「うう……おじいさまの、バカぁ……」
けれど、ミハイル・グレイは、会ったことはないが、アテネにとって後見人であり、学院に行く学費を援助してもらっているのだ。逆らうことなどできなかった。
アテネは意を決して、翌日、パトラのもとへ向かった。
教室には、いつも通り涼しい顔のパトラがいた。窓際でカテリー二と談笑している。
「パトラさん……あの、ちょっといいですか?」
「どうしたの、アテネ?」
「その……夏休みのこと、なんですけど……」
アテネは深呼吸してから、ゆっくりと話し始めた。
「おじいさまから手紙が来て……パトラさんの別荘に行くの、やめなさいって……」
「……そう。理由は聞いても?」
「ミコノス島ってところで、魔道具の修理をしてきてほしいって言われて……」
話しながら、アテネは下を向いていた。
きっとがっかりされる。迷惑って思われるかも。
でも――
「そう。大変ね、アテネ」
「……えっ?」
顔を上げると、パトラはいつもと変わらない柔らかな微笑みを浮かべていた。
「おじいさま、あなたのことすごく信頼してるのね」
「う、うん……でも、本当は……行きたかった……」
アテネの瞳に、うっすらと涙がにじんでいた。
それを見たパトラは、そっとアテネの肩に手を置いた。
「また、いつでも機会はあるわ。今度は秋にでも、こっそり遊びに来なさい。カテリー二にも声をかけて」
「うん……ありがとう……!」
アテネの目から、ぽろりと涙がこぼれた。
その隣で、カテリー二がそっとハンカチを差し出す。
「あなたって本当に感情が顔に出るわね。でも、ミコノス島も素敵な場所よ。わたしの家の別荘もあるから、機会があったら一緒に行きましょう。白い町並みに青い海、まるで宝石みたいだったわ」
「……うん、がんばる。ちゃんと、魔道具のこと、勉強してくる!」
* * *
そして、夏休み初日。
アテネは学院の寮を出て、王都の港へ向かった。
港ではすでに、小型の白い船が待っていた。帆には「ミコノス行き」と書かれた旗がはためいている。
重たいスーツケースを引きずって歩きながら、アテネは空を見上げた。
「……よーしっ。泣いてたまるかーっ!」
銀色の髪が、夏の風に揺れた。
――これは、たぶん、きっと特別な夏になる。
そう思いながら、アテネ=グレイは港をあとにした。
行き先は、ミコノス島。
その先で待つのは、出会いか、それとも新しい魔道具か。
少女の夏が、いま静かに始まった。