閑話7 チャーリー、さらに一年後
『星降る歯車亭』――未来の灯り――
あの日から、もう一年が過ぎた。
チャーリーは今、小さな工具箱を抱えて街を歩いていた。服は清潔に洗濯され、背筋はまっすぐ伸びている。かつての浮かれた笑顔は消え、代わりに穏やかで静かな表情が顔に浮かんでいた。
今日も仕事帰りの足で、北端の家へ向かう。
そこには――チョコレと、息子のアルトが待っている。
***
「パパー!」
家の前で、アルトが小さな腕を広げて駆けてくる。
「ただいま。今日はちゃんと手洗ったか?」
「うん! ちゃんとやった!」
チャーリーは息子を抱き上げると、嬉しそうに頷いた。
ドアの奥からチョコレが顔を出す。
「おかえり。今日は少し早いのね?」
「うん。実はね……二人に話したいことがあるんだ」
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食卓には、温かいスープとパンが並んでいた。
チョコレは椅子に腰かけながら、チャーリーの目を見つめた。
「それで? 話って何?」
チャーリーは、一呼吸おいてから言った。
「……もう一度、店をやりたいんだ。今度は、ちゃんと。奢らずに、逃げずに、嘘をつかずに」
チョコレの手がピクリと止まる。
「また“歯車亭”みたいな?」
「ううん、違う。“前みたいな”じゃなくて、今の自分でやりたいんだ」
チャーリーは、胸ポケットから小さな紙束を取り出した。設計図、資金計画、店舗候補地のメモ……手書きでびっしりと書かれていた。
「……半年かけて準備した。修理屋の親方も応援してくれてる。“あんたなら、今度は大丈夫だ”って」
チョコレはその紙束を手に取り、黙って目を通した。
「……これ、本当に全部……?」
「うん。チョコレ……一緒にやってほしい。無理は言わない。返事はいつでもいい。でも……」
チャーリーはゆっくり言った。
「家族でやりたいんだ。今度こそ、本当に“あたたかい場所”を作りたい」
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数日後。
チョコレは、古びたバッグを肩にかけて言った。
「内装、手伝うわ。アルトも連れて行くけどいい?」
その一言に、チャーリーは深く深く頷いた。
***
店の名前は、迷った末に《灯り屋ルミナ》とした。
「星」でも「歯車」でもなく、もっと身近で、誰の手にも届くような温かさを込めた名前。
商品は、生活用の小さな魔導具。ランタン、湯沸かし器、音楽箱、携帯風炉。派手さはないけれど、どれも使いやすく、壊れてもすぐ直せる。
チョコレは会計と接客を担当。元々しっかり者で、人当たりも柔らかい。近所の子どもにも人気が出た。
アルトはというと、すっかり“看板息子”だ。
「これ、パパがつくったの!」
と自慢げに言っては、小さな手でランタンのスイッチを入れて見せる。
***
開店から三ヶ月。
最初は客足もまばらだったが、ひとつ、またひとつと「長持ちする」「あったかい」「ちゃんと説明してくれる」と評判が広がっていった。
ある日、一人の老婆が言った。
「うちの孫が、ここの音楽箱で毎晩眠るのよ。ありがとうねぇ」
チャーリーは、驚いた顔をしながら、深く頭を下げた。
「こちらこそ、ありがとうございます。何か不具合があれば、いつでも直します」
***
夜。閉店後、三人で食卓を囲む。
「今日、あのおばあちゃんが来てくれた。お礼まで言われちゃった」
「それ、すごいね!」
「うん。でも……なんか不思議だな」
「なにが?」
「昔は“俺が一番すごい店だ”って思ってたけど、今は“あの人が喜んでくれたらそれでいい”って思える」
チョコレは微笑みながら、そっと言った。
「それが、“店を持つ”ってことなんじゃない?」
チャーリーは、スプーンを置いて小さく頷いた。
「……あのとき全部失ってよかった。じゃなきゃ、今の幸せに気づけなかった」
アルトがパンを口にくわえながら笑った。
「でもパパ、お金ぜんぜんなかったら、ママにおこられるでしょ」
「うっ……それは、そうだな」
家族の笑い声が、部屋に優しく響いた。
***
後日、《灯り屋ルミナ》には小さな看板が増えた。
「こわれたら、持ってきてください。
また、灯りをともします」
その文字を見て、チョコレがぽつりと言った。
「私たちも……そんなふうに修理できたんだね」
チャーリーは、彼女の手をそっと握った。
「うん。壊れて、傷ついて、それでも……灯りをともせるんだ。何度でも」
街には今日も、星は見えない。
けれど、《灯り屋ルミナ》の窓には、いつもあたたかい光が灯っている。
それはもう、“誰かのためだけのもの”じゃない。
家族のため。
過去を背負った自分のため。
そして、これから出会う誰かの、暗がりを照らすため。
チャーリーの新しい物語は、ここからも続いていく。




