閑話6 その後のチャーリー
『星降る歯車亭』――赦しの扉――
雨が上がった翌朝、チャーリーは瓦礫の陰で目を覚ました。
顔は泥だらけ、喉はからから、胃は空っぽだった。
だが、今までと少し違っていた。
胸の奥に、ほんの少しだけ――火のような感覚があった。
(……まだ、生きてる)
それは、呪いの言葉ではなかった。
チョコレが言い残した、あの一言が胸に焼き付いていた。
――いつか本当に償いたいと思うなら、せめて自分の足で立ちなさい。
その言葉に応えるには、まず働かなければならない。
***
チャーリーは、市場の外れにある小さな修理屋の戸を叩いた。
「なんでもやります。掃除でも、荷運びでも、言ってくれれば……」
店主は無愛想な目で彼を見たが、ふとため息をついた。
「雑用ならやらせてやる。ただし、文句言うな。金も出さねぇ」
「はい。ありがとうございます」
それが、チャーリーの“更生”の第一歩だった。
最初の数日は、工具すら触らせてもらえなかった。
廃材の分別、床の掃除、錆びたネジの磨き。手のひらはすぐに真っ赤に腫れた。
だが、彼は一言も文句を言わなかった。
“これが償いの始まりなら、なんだってやる”。
一ヶ月が過ぎたころ、チャーリーの手は傷だらけになっていた。けれど、その分だけ動きが正確になっていた。
ある日、店主がふと言った。
「お前、前に魔道具屋だったって本当か?」
「はい。あんなふうに潰しましたが……少しは覚えてます」
「よし。じゃあ、こいつ、直してみろ」
そうして渡されたのは、古びた携帯ランタンだった。
魔力線が切れ、導管も焦げている。
チャーリーは黙って工具を手に取り、修理を始めた。
かつてなら感覚任せで組み立てたが、今は違う。
“目で見て、確かめて、ゆっくりと”。
30分後、ランタンはぽっと灯った。
「……よし、合格だ。少しずつ任せてやる」
店主のその一言が、チャーリーの心を震わせた。
「ありがとうございます……!」
***
それから数ヶ月。小さな仕事を積み重ね、ようやくわずかな給金を得られるようになった。
安宿の一室に住み、粗末な食事をしながらも、チャーリーは本を読み、技術を学び直した。
《星降る歯車亭》の頃、慢心して見ようともしなかった基礎知識を、今は貪るように吸収していた。
夜、ひとりランタンの灯りの下で、古びた家族写真を見つめることもあった。
そこには、まだ幼いアルトを抱きしめるチョコレと、自分の笑顔があった。
「……オレは、あのとき、すべてを壊した」
裏切ったのは、自分自身だけじゃない。
信じてくれた家族を、笑ってくれた小さな手を、自分は――踏みにじった。
「だから……会おう。逃げずに、ちゃんと謝ろう」
そう決めた夜、チャーリーは生まれ変わったような顔をしていた。
***
数日後、チャーリーは花束を片手に、街の北端――チョコレが身を寄せているという親戚の家を訪ねた。
深呼吸をして、扉をノックする。
しばらくして、ドアが開いた。
「……あなた、まさか……」
そこにいたのは、変わらぬ凛とした顔立ちのチョコレだった。
髪はきちんとまとめられ、腕には小さな男の子が抱かれていた。
アルトだった。もうすぐ五歳。すっかり大きくなっていた。
「チョコレ……会いに来た」
チャーリーは深く頭を下げた。
「本当に、本当にすまなかった。あのとき、自分がどれだけ愚かだったか、ようやく気づいた」
「……ずいぶん、顔が変わったわね」
チョコレは、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「もう、あなたとは夫婦でもなんでもない。でも……何をしに来たの?」
「アルトに会いたい。抱きしめて謝りたい。もし許されるなら、少しでも、父親として……」
「父親?」
チョコレは、しばらく沈黙していた。
アルトは、チャーリーの姿を見てきょとんとしていたが、やがて、ぽつりと言った。
「この人……だれ?」
その言葉は、ナイフのように胸に刺さった。
「……パパだよ」
チョコレの声に、チャーリーは驚いた。
「……この人は、アルトの本当のお父さん。でも、しばらくいなかったの。悪いことをして、いろんな人を傷つけたから」
アルトはじっとチャーリーを見つめた。
「パパ、……わるいひと?」
「……そうだ。パパは悪い人だった。でも、もう一度、ちゃんとやり直したいと思ってる」
そう言って、チャーリーはしゃがみこみ、そっと花束を渡した。
「これは、アルトとママに。……会ってくれて、ありがとう」
立ち去ろうとしたそのとき。
「……待って」
チョコレの声が背中を止めた。
「一度きりよ。今度また傷つけたら、本当に終わり。……でも、アルトには、“父親”が必要なの」
チャーリーは、振り返りながら小さく頷いた。
涙が、静かに頬を流れた。
***
それから、少しずつチャーリーは「父」としての時間を取り戻していった。
週に一度、アルトと公園で遊ぶ。
小さな木馬を作ってあげる。
チョコレとは距離を保ちつつも、ぎこちなく会話を重ねた。
ある日、アルトが言った。
「パパのつくったランタン、あったかいね」
その言葉だけで、チャーリーの胸はいっぱいになった。
過去は変えられない。
でも、未来は――作り直せる。
***
夜の街を歩きながら、チャーリーは空を見上げた。
《星降る歯車亭》はもうない。
けれど、そこに宿っていた“ものづくりの魂”は、今も彼の中に息づいている。
「もう一度、自分の力で……家族のために、作りたいな」
その小さな願いは、確かに彼の胸の奥で灯っていた。
どんなに時間がかかってもいい。
今度こそ、“ちゃんとした男”になりたい。
星の見えない夜でも、歩みは止めない。
それが、彼の「更生」だった。




