閑話5 チャーリー、断罪される!
『星降る歯車亭』――終焉と転落のはじまり――
朝焼けが、アスティリア市街の石畳をゆっくりと照らし始めていた。
だが、その光の中に、《星降る歯車亭》の姿はもうなかった。
魔道具棚はすべて差し押さえられ、工房の機材も、書類も、図面も、跡形もなく消えていた。
ただ、がらんどうの店内に、チャーリーはひとり膝を抱えて座っていた。
「……夢なら、いいのに」
かつての輝きはもう、どこにもなかった。
父バートンは差し押さえの翌朝、無言で店を出ていった。行き先は知らない。ずっと無口だったが、最後の背中には、もう何もかも諦めたような、そんな空気があった。
そして――
「チャーリー。あんた、これからどうするの?」
母・コウージョが、冷たい目で見下ろしてきた。
「えっ……どうするって……ここを……」
「ここは、もう店じゃない。私も、今さらあんたと一緒に住むつもりはないわ」
その言葉は、ナイフみたいにチャーリーの心に突き刺さった。
「……母さん?」
「わたし、親戚を頼るわ。あんたは、せいぜい自分の尻ぬぐいを頑張ることね。じゃあね、チャーリー」
その日、彼は“家族”さえも失った。
***
三日後。
チャーリーは、アスティリア市の裏路地にいた。
住む家はない。泊まる宿の金もない。寝床は、雨よけのついた古い市場の倉庫の裏。
昼間は、安い日雇いの仕事を探し、夜はパンの耳と水だけの食事。
彼が《星降る歯車亭》の若店主だったなどと、今の彼を見て誰が思うだろうか。
「……これが、オレの今かよ」
ボロボロの靴。破れたシャツ。汚れた顔。
それでも、彼はまだ、生きていた。
ある日、かつての仕入れ先の商人に声をかけた。
「ラングさん! ちょっとだけ、時間もらえませんか……!」
「ああ?」
商人は、チャーリーの姿を見るなり顔をしかめた。
「なんだ、チャーリーじゃねぇか。まさか、まだ金の話か? おまえ、うちにもツケ残ってるんだぞ。金貨2枚分、忘れてないよな?」
「それは……あのときの在庫で……でも、今は仕事がなくて……」
「そうか。じゃあな」
ラングは、容赦なく背を向けた。
「ちょ、ちょっと! 待って……!」
チャーリーは地面に膝をついた。
「頼むよ……誰でもいいから、オレに、仕事を……!」
叫んでも、誰も振り返らなかった。
***
それから、さらに数日が過ぎた。
「おい、そこのアンタ、何してんだ。ここは物乞い禁止だぞ」
衛兵に追い払われ、パン屋の前から逃げる。
「触らないで! 服が汚れるでしょ!」
元・上客の令嬢に、吐き捨てるように言われる。
チャーリーは、どこへ行っても、もう“誰か”ではなかった。
名前を呼ばれることも、誰かに認められることも、なかった。
そんなある日。
小さな広場の片隅で、彼は風の噂を聞いた。
――ベル=グラン魔術学院で、銀髪の少女が話題になっている。
「……アテネ」
彼は、ひとり呟いた。
足元には、枯れた葉っぱと、石ころしかない。
でも、彼女は――あのとき、確かに自分と同じ場所から出発したはずだった。
いや、もっと下から、もっと不利な場所から。
なのに、今では空のずっと上で輝いている。
「……ちくしょう、オレは……」
チャーリーは、頭を抱えてうずくまった。
その姿を、誰も見ようとはしなかった。
***
その夜。
雨が降った。
屋根のない場所で、チャーリーは震えながら寝ていた。
空腹で、頭がぼうっとする。
そのとき、誰かの靴音が近づいてきた。
「……チャーリー?」
小さな声だった。
顔を上げると、そこにいたのは――チョコレだった。
赤髪をまとめ、上質なマントを羽織っている。付き添いの護衛までつけて。
「……おまえ、なんでここに……」
「父が、あなたが落ちぶれたって話を聞いてね。見にきたのよ」
チョコレの目は、どこか冷めていた。
「見ての通り、よ。あなたと結婚なんて、最初から間違いだったわ」
「……オレが……全部、間違ってた……」
チャーリーは、濡れた石畳の上で呟いた。
「ごめんな……全部、おまえのせいにして……全部、アテネを裏切ったせいだ……オレ……ほんと、最低だ」
そのとき、チョコレの顔に一瞬だけ、哀れみのようなものが浮かんだ。
「……アルトには、会わせないから」
「……ああ」
「でも、いつか本当に償いたいと思うなら――せめて、自分の足で立ちなさい」
そう言い残し、彼女は背を向けて去っていった。
チャーリーは、ひとり雨の中に残された。
体は冷たく、息は白い。
けれど、その瞳だけは、今までよりも少しだけ、まっすぐになっていた。
たとえ、どん底でも。
ここから、始めるしかないのだから。




