第7話 アテネ、レオナルド叔父様に出会う
――学院見学の客人――
入学から一か月が経とうとしていた。
まだ慣れないことは多かったが、それでもアテネ=グレイは、寮での暮らしや授業に少しずつ馴染みつつあった。魔道具の基礎演習では、小さな失敗のたびにくじけそうになったが、それでも毎晩ノートをめくりながら、自分なりの努力を続けていた。
そんなある日の午後、共用スペースで紅茶を淹れていたカテリー二が、ふと声をかけてきた。
「ねえ、アテネ。ちょっと頼みごとしてもいいかしら?」
「えっ、なんでしょう?」
ティーカップを持った手を止めて、アテネはきょとんとする。
カテリー二は琥珀の瞳を少しだけそらし、テーブルに砂糖を落としながら言った。
「叔父様が、明日学院を見学したいって言ってて。付き添いをお願いできないかしら」
「えっ、わたしが……ですか? でも、カテリー二さんの叔父様なんですよね? それなら、ご自身で案内された方が……」
「ううん、ダメなのよ。叔父様って、ちょっと変人で。魔道具の話しかしないの。私、どうも苦手で……」
「でも、私なんかより、血縁のあるカテリー二さんの方が……」
アテネが控えめに断ろうとすると、カテリー二はにこりと微笑みながら、静かに決定打を放った。
「この前、銀貨貸してあげたでしょ? あれ、今ここで返してもらうわ」
「うっ……」
たしかに、数日前、寮の自販魔具が銀貨しか受け付けず、お腹をすかせていたアテネは、カテリー二に助けてもらった。その時の一枚。
「その代わり、叔父の案内をしてくれたら、報酬として銀貨は返さなくていいわ。さらに、お礼に一枚つけるわ」
「え、それなら、はい、わかりました……がんばってご案内します……」
「ありがとう。叔父様、意外と話しやすいから安心していいわよ」
そう言って紅茶を差し出すカテリー二の表情は、どこか楽しげだった。
そして翌日――
学院の正門前。アテネは緊張した面持ちで立っていた。
カテリー二の“公爵家の叔父”といえば、きっと立派な馬車で現れるに違いない。たとえば、金の装飾が施された車体に、白馬が二頭、それを護衛する騎士団――そんな光景を想像していた。
ところが。
石畳の坂をゆっくりと登ってきたのは、なんと――乗り合い馬車だった。
しかも他に乗客が数人乗っており、日除けも古びて、軋む音を立てながら止まった。
え? あれ?
アテネが困惑していると、その馬車から一人の男性が降りてきた。
背が高く、すらりとした体格。金色の髪を軽く後ろで束ね、上質な紺の外套に魔術具の装飾がさりげなく光っている。笑みを浮かべたその顔立ちは、どこかカテリー二に似ていた。
「は、はじめまして、アテネ=グレイです。今日はカテリー二さんが急用のためわたしがご案内を……」
「君が……アテネ=グレイくんか?」
アテネが緊張気味に頭を下げると、レオナルドは目を少し見開き、そして微笑んだ。
「ふむ。想像より……ずっと可愛らしい子だ」
「え? わたしのこと、ご存じなんですか?」
素朴な疑問を口にすると、レオナルドは少しだけ口元を歪め、目を逸らした。
「いや……カテリー二から、よく聞いているよ。君と仲良くしてもらって、本当に感謝している」
「い、いえ! 私こそ、たくさん助けてもらってばかりで……」
どこか含みのある微笑みを浮かべながら、レオナルドはアテネの頭を軽く撫でた。
「さあ、それじゃあ案内をお願いできるかな。ちょうど今日は、研究所から抜け出して気分転換に来たんだ」
「は、はいっ! あの、まずは校舎から……!」
アテネは学院の大理石の回廊を歩きながら、レオナルドに丁寧に説明を加えていった。講義棟、実習室、食堂、寮棟――貴族の令嬢が集う場所に、自分が案内しているという現実が、どこか夢のようだった。
やがてカフェテリアに差しかかると、レオナルドが言った。
「案内の礼に、少しご馳走させてくれないか?」
「えっ、でも……!」
「断る理由がないだろう? 昼食を食べそこねてしまってね」
それなら、とアテネは笑顔で頷いた。
二人で選んだのは、学院名物の焼き菓子と、甘いフルーツタルト。貴族用の席に腰かけながら、アテネは目を輝かせた。
「わあ……こんなに甘いもの、一度に食べるの初めてです……! 幸せ……!」
「ふふ、そうか。君は……いや、なんでもない。楽しんでくれて何よりだ」
ふと目が合い、レオナルドもまた、柔らかな微笑を浮かべた。
そして話題は自然と、魔道具へと移っていった。
「アテネくんは、どんな分野に興味があるんだい?」
「えっと……細工系の魔道具とか、自動転写装置とか……あとは、まだ実現されてないけど、空中浮遊系とか!」
語るうちに、アテネの声が弾む。その目の輝きに、レオナルドも感心したように頷いた。
「素晴らしい着眼点だ。魔道具の世界は、夢と技術の交差点だからね。よければ、研究所にも一度見学に来るといい」
「えっ、ほんとですか!?」
「もちろんだとも。困ったことがあれば、いつでも相談してくれたまえ。君にはその資格がある」
“資格がある”――
その一言の意味を、アテネは深く考えなかった。ただ、温かく、信頼を寄せてくれる大人の言葉として、胸にしまった。
そして、レオナルドは午後の陽射しの中、再び乗り合い馬車に乗って去っていった。
「変わった人だなぁ……でも、すごく素敵な人だった」
帰り道、アテネはそう呟きながら、校舎へと戻っていく。
その夜。
ランタンの明かりの下、アテネはベッドの上でそっと一通の手紙を書いていた。
――宛先は、入学を援助してくれている、まだ見たことがない方。貴族院で後見人のおじいさまである。約束通り毎週、手紙を送ることになっている。
親愛なるおじいさまへ
今日は、カテリー二さんの叔父様が学院に来られました。
お名前は、レオナルド=フォン=クロイツベルグ様。とても優しくて、でも不思議な雰囲気の方でした。
貴族なのに、とても気さくで、私にも丁寧に接してくださって……魔道具の話でも、すっかり盛り上がってしまいました。
研究所にも興味が湧いてきて、いつか見学できたらいいな、なんて。
少しずつだけど、私はここで頑張れそうです。
きっと、何かが始まってる――そんな予感がしています。
手紙を封筒にしまいながら、アテネはそっと窓の外を見上げた。
学院の尖塔が、月明かりに照らされて白く輝いている。
(がんばるよ、おじいさま)
銀の髪が揺れた。静かな夜風の中で、アテネ=グレイの小さな決意が、またひとつ芽吹いていた。




