若き精霊使い
封印の核を護った戦いから数日が経った。
蓮の傷は順調に回復していたが、精霊との連結に必要な魂の揺らぎは、今も彼の中で微かに残っていた。
「……もう少しで、次の精霊とも繋がれる気がする」
木漏れ日の下、森の大樹に寄りかかりながら蓮がつぶやく。
傍らで、フィノが尾をふさふさと揺らしていた。
『次に目覚めるのは風の精霊王か水の大巫女か……いや、芽吹きの子かもしれん』
「芽吹き?」
『精霊の中でも特に純粋な存在。若く、好奇心旺盛で、感情に影響されやすい。鍵であるお前との相性次第では、協力的になるかもな』
そのとき、森の奥からバサリ、と枝を揺らす音がした。
蓮が顔を向けると、そこには小柄な影――エルフの少女が立っていた。
「っ……! あなたが、蓮様ですかっ!?」
ぱっと目を輝かせて近づいてきた少女は、薄緑の長髪を二つに結び、瞳もまた澄んだ若草色。年の頃は十代半ばほどだろうか。
「え、あ……そうだけど」
戸惑う蓮に、少女はぺこりと頭を下げた。
「イーリス・ティリナと申しますっ! エルセリア様に憧れて、精霊術の修行をしています!」
元気でまっすぐなその声に、蓮は思わず微笑んだ。
「よろしく。君は……この森に住んでるの?」
「はいっ! 長老セリオン様の弟子です!」
その名に、蓮は思い当たる。エルセリアの祖父にして、精霊の守護者の一人。蓮を最初に調和の鍵として導いた人物だ。
「エルセリアさんとは……知り合い?」
「もちろんですっ! 私は子どもの頃からエルセリア様に憧れていて……今もずっとお慕いしています!」
瞳を輝かせながら語るイーリスの姿に、蓮はどこか懐かしさを覚えた。
だが次の瞬間、彼女の視線が真剣さを帯びる。
「……それで。どうなんですか?」
「え?」
「エルセリア様と、どういう関係なんですか!? まさか……まさかもう、手とか、握ったりとか、顔とか近づけたりとか、してませんよねっ!?」
「……してる」
「なんですってぇぇぇぇ!?」
イーリスが真っ赤になって叫ぶと、蓮は慌てて手を振った。
「ち、違う! 戦闘中とかそういう流れで! そういう意味じゃなくて!」
「でも顔は近づけたって言いましたよね!? それって! それって――!」
大混乱するイーリスに、ようやく後ろから静かな声が飛ぶ。
「イーリス。落ち着きなさい」
「エルセリア様っ!?」
振り返ると、森の木陰からエルセリアが歩いてきていた。その表情は変わらず静かだが、どこか少しだけ呆れたようでもある。
「あなた、また蓮を問い詰めてたのね」
「ち、違いますっ! ちょっと確認を……! その、先輩として、はいっ!」
「……本当に、手がかかるわね」
小さくため息をつきつつも、エルセリアの瞳はどこか柔らかかった。蓮には、それがわかった。
「エルセリアさん。彼女、君の弟子なんだ?」
「ええ。私が森に戻ってきてからは、時々精霊術を教えていたの。才能はあるけど、まだ感情に流されやすいのが難点ね」
「聞こえてますぅー!」
イーリスがむくれ顔で叫ぶが、エルセリアはさらりと受け流す。
「その情熱、少しは見習ってもいいかもね」
「え、俺が?」
「あなた、恋愛にも精霊にも不器用なくせに、そういう真っ直ぐな言葉はすぐ出てくるから……ずるいわ」
冗談めかして言われた言葉に、蓮は少しだけ頬を赤らめた。
「ずるいって……」
イーリスがそのやり取りを見て、ぷくっと頬を膨らませる。
「うぅぅ……でも、でも、私も負けませんからねっ! 次の精霊試練、絶対私が先に見つけてみせますから!」
そう宣言すると、くるりと踵を返し、森の奥へと駆けていった。
残された蓮とエルセリアは、苦笑を交わす。
「元気な子だな……」
「でも、放っておけないでしょ?」
「……うん。なんだか君に似てる気がする」
その一言に、エルセリアは微かに笑った。
「私があんなに騒がしかったら、森から追い出されてるわよ」
蓮もつられて笑った。その笑いの中に、次の戦いへの決意と、仲間たちへの信頼が確かに芽生えていた。
森は、静かに風のざわめきを伝えていた――
日が傾き、森に夕光が差し込むころ。
イーリスは、精霊の気配をたどって森の中を進んでいた。
「絶対に……私が次の精霊を見つけてみせるんだから……っ!」
小さな拳を握りしめ、必死に草をかき分ける。彼女は確かに若く未熟だが、その情熱は本物だった。
風の流れが変わる。ふと、肌に柔らかな光が触れた。
「……この感じ……精霊の気配?」
その先――ぽっかりと開けた森の空間に、小さな泉があった。水面は静かで、空のオレンジを映しながら微かに揺れている。
泉の中心に、光の粒が集まっていた。
「……芽吹きの子……?」
光の中心には、小さな少女のような精霊がいた。青緑の髪に、花の飾り。瞳は透明で、無垢な好奇心が宿っていた。
精霊は、イーリスの姿を見るなり、ふわりと宙に浮かび、興味深そうに彼女の周りをくるくると回る。
『なぁに? あなた、誰? どうしてここに来たの?』
「私はイーリス。エルセリア様の弟子で、精霊術の修行中!」
『エルセリアって……あの、綺麗でつんとしたお姉さん?』
「そ、そう! 私、あの方みたいになりたいのっ!」
『ふーん。あなた、わたしと遊んでくれる? 退屈してたのー』
「えっ……ええと……遊ぶ?」
『ねぇねぇ、好きなものなに? 甘いもの? 光るもの? それとも……』
次の瞬間、泉の周りに無数の花が一斉に咲き誇った。
「すご……っ! これ全部、あなたの力……?」
『うんっ。わたし、芽吹かせるのが好きなの。あなたも芽吹くかなぁ?』
「……私は、もっと強くなりたいの。みんなを守れるくらいに。蓮さんや、エルセリア様みたいに――」
言葉に乗せた想いが、泉に溶け込む。
すると、精霊の瞳がきらりと輝いた。
『じゃあ、芽吹かせてあげるよ。あなたの中の本当の気持ち』
「……本当の、気持ち?」
『嘘はダメー。大好きな人がいるなら、ちゃんと自分で気づかないと』
その言葉とともに、精霊が指先でイーリスの胸元に触れる。
その瞬間――彼女の中で何かがはじけた。
胸の奥、見て見ぬふりをしてきた気持ち。
エルセリアへの憧れ――それだけではない。
蓮へのまっすぐな視線。守られたいだけじゃない。認められたい。見ていてほしい。隣に、いてほしい――
「……ああ、私……」
『ね? 芽吹いたでしょ?』
精霊が、にこっと笑う。
イーリスは、自分の頬が熱くなるのを感じていた。
でも不思議と、嫌な感じはなかった。
自分の気持ちに素直になれたこと――それが、少しだけ誇らしかった。
「ありがとう、精霊さん……私、もう逃げない。ちゃんと向き合う」
『じゃあ、契約する? あなたとなら、楽しい気がする!』
「……うん!」
イーリスが手を伸ばすと、精霊の光がふわりとその手に包まれた。
契約は、完了した。
その夜。
蓮とエルセリアのもとへ、イーリスが駆けてきた。
「エルセリア様っ! 蓮さんっ!」
「どうしたの、そんなに急いで……」
イーリスの背後には、ふわふわと浮かぶ精霊の姿。
「っ……これは!」
エルセリアが驚きの声を漏らす。
「はいっ、私、芽吹きの精霊と契約しましたっ!」
その報告に、蓮も目を見張った。
「ほんとに……君が?」
「えへへ……私、ちょっとだけ、勇気出したんです」
イーリスが微笑む。その笑顔は、どこか大人びて見えた。
「この精霊さん、わがままだけど……すごく優しいんですよ」
『わがままって言ったー! でも褒められたから許すー!』
精霊がくるくると飛び回り、イーリスの肩に収まる。
蓮とエルセリアは、顔を見合わせ、自然と笑みを浮かべた。
新たな精霊が加わったことで、彼らの力は確かに増していた。
しかし、それは同時に――封印の裂け目が広がりつつあるということでもあった。
夜の空に、かすかな亀裂が浮かんでいる。
それに気づいたのは、セリオンだった。
「……封印の限界が近い。ザイヴァルドが、本格的に動き出すな」
静かに語られたその言葉が、次なる運命を予感させる。
だが、それでも。
希望は確かに、芽吹いた。