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封印の中心と過去の影

 調和の泉での試練と戦いを終えた翌朝。蓮は目を覚ました瞬間、腕の痛みを感じて顔をしかめた。だが、昨日のような鈍い痛みではない。傷は既にエルセリアの癒しの術と精霊の加護でかなり回復していた。


「……生きてるって、こういう感覚なんだな」


 思わずそう呟くと、傍らで眠っていた白い毛玉――フィノが目を開け、あくび混じりに返事した。


『生きてる自覚があるなら、まず朝食でも食べるといい。お前、人間は空腹に弱いだろう?』


「確かにな……」


 蓮が笑うと、ちょうどそこへエルセリアが現れた。彼女は簡素な木の器にパンと木の実のスープを運んできて、黙って差し出す。


「ありがとう。昨日は……その、助けてくれて」


「礼なら、精霊たちに言って。私は何もしていない」


 そう言いながらも、エルセリアの声はどこか柔らかかった。かつての冷ややかさは、もうそこにはない。


 森の奥、さらに深く――それが次の目的地だった。


 封印の中心にある精霊の核へと向かう道は、常人では辿れない結界に守られている。だが、蓮が四大精霊との共鳴を果たした今、その門が開かれる。


「核はこの森の心臓部。精霊と世界の秩序が集まる場所よ。あなたが、鍵としてどれだけの素質を持っているか、そこではっきりする」


「……行こう。覚悟はできてる」


 蓮とエルセリア、そしてフィノは、再び森を歩き始めた。


 


 ――数時間後。


 三人は、深き木々に囲まれた空間に立っていた。中心には、巨大な石碑が浮かび、その周囲を八つの光が回っている。


「これが……封印の核……!」


 蓮が呟いたとき、突然――空間が歪んだ。


 不意に、蓮の胸が締めつけられるような痛みに襲われた。精霊の力が軋み、四方の光が揺らぎ始める。


『これは……過去を見せている。お前の記憶、いや、この世界の記憶を』


 フィノの声が遠くに聞こえる中、蓮の意識は吸い込まれるように光の渦へと沈んでいった――


 


 ――気づけば、蓮は誰かの視点にいた。


 高い塔から見下ろす森。彼の腕には紋章があり、周囲には精霊たちが集っている。


 だが、それは蓮ではない。彼が見ているのは、かつてこの世界で封印の儀を行った、初代の鍵の記憶だった。


『世界を護るには犠牲が要る』


 その人物は、そうつぶやき、仲間たちとともに巨大な魔族を封印していく。


 彼の隣には、一人のエルフの女性がいた。銀の髪、淡い緑の瞳。その姿は――まさに、エルセリアに酷似していた。


 ――いや、あれは……


『……エルセリア?』


 蓮がその名を呼んだ瞬間、映像は唐突に砕けた。


 目を開くと、そこは再び封印の核の前だった。


「見たのね……この場所に眠る記憶を」


 エルセリアの声が、どこか震えていた。


「エルセリア……あれは君……なのか?」


「……いいえ、違うわ。でも、私の祖先よ。私の血筋には、初代の封印に関わった調律者がいた。だから私は、精霊と深く結びついている」


 蓮は息をのむ。


 エルセリアがこの森を出なかった理由。人を寄せつけず、恋愛に心を閉ざしていた理由。それは、ただの喪失や長寿ゆえの諦観ではなかった。


「私はずっと……鍵と共にある者として生きてきた。恋や絆に溺れれば、また喪うと知っていたから。……でも、あなたと出会って……少しずつ、変わってしまったのよ」


 風が、彼女の銀髪を揺らした。


 その横顔は、どこまでも寂しげで、どこまでも誇り高かった。


「……俺は、もう逃げない。だから――もう一度、聞かせてほしい。君の本当の気持ちを」


 その問いに、エルセリアは微笑まず、けれど真っ直ぐ蓮を見つめた。


「それは、すべてが終わったあとに……もし、生きていたら」


 そう言って、彼女は歩き出した。


 封印の核の光が、彼女の背に静かに降り注ぐ。


 


 蓮はその背を見つめながら、心に誓った。


 ――必ず、生きてこの戦いを終える。


 そして、彼女と共にその先を見るのだと。




 封印の核を前に、蓮は未だ心を静めきれずにいた。あの記憶――過去の鍵とエルセリアに酷似した女性の姿。それは単なる幻影ではない。封印の力そのものが持つ記憶だ。


「俺が鍵として選ばれた理由……あの人と何か関係が?」


「直接の血の繋がりは、ないでしょう。でも、心の質は似ていたのかもしれないわ」


 エルセリアが、森の風に溶けるように話す。


「心の質?」


「封印に必要なのは、強さじゃない。調和という力よ。争いを鎮め、精霊をつなぎ、人と人を結ぶ力。それは、生まれつき誰もが持っているわけじゃない」


 蓮は自分の胸に手を置いた。自分が人を助けたいと思う心――それが、鍵としての本質なら、あの選ばれた理由にも納得がいく。


 だが同時に、胸に重くのしかかる感情もあった。


「あの時……見たんだ。エルセリアに似た人が、鍵と一緒に戦ってた。でも……最後に彼は封印に飲み込まれて……」


 エルセリアのまなざしが揺れる。その瞳の奥に宿る、深い悲しみと覚悟――それは、過去の喪失を知る者だけが持つ色。


「私の祖先は、封印と引き換えに彼を喪ったわ。だから私は誓ったの。鍵に恋をしない。そうすれば、もう誰も失わなくて済むと」


 その言葉に、蓮の胸が痛む。


「でも……君は、俺を助けてくれた。あの日、泉で俺の前に立ってくれたよな?」


 エルセリアは、ふっと目を伏せた。


「……あの時、あなたの姿が……あまりに似ていたの。彼に。まっすぐで、危うくて、放っておけない人だった。私……気づいてたの。もう、とっくに……あなたに心を奪われてたって」


 蓮は一歩、彼女に近づいた。


 手を伸ばせば、触れられそうな距離。けれど、その距離はまだ埋めてはならない。今はまだ、想いを育てるときだと、本能が告げていた。


「エルセリア。俺は、鍵として戦うよ。でもそれは、ただ封印を守るためじゃない。君と……未来を生きるためだ」


 エルセリアの瞳が、ほんのわずかに潤んだ。


「……バカね。ほんとに、あなたって……」


 その声に、かすかな笑みが混じっていた。


 だが次の瞬間、封印の核が淡い悲鳴のような音を発した。


「……! また、封印が揺れてる!」


 四方の精霊光が軋み、空間が震え出す。瘴気――それはもはや漏れているという次元ではなかった。裂け目が、強制的に開かれようとしている。


『ザイヴァルドの力が本格的に目覚めようとしている。おそらく、次の影はもっと強い』


 フィノが警告を発した直後、森の奥から耳を裂くような咆哮が響いた。


「来るわ……!」


 木々を薙ぎ倒し、巨大な影が現れる。二本角に覆われた魔獣型の魔族。その目は理性の欠片もなく、ただ力のみを求める者のそれだった。


「蓮、封印の核を守って! ここが崩されれば、精霊との繋がりが断たれる!」


「任せて!」


 蓮が走り出す。足元に風をまとわせ、身軽に跳躍しながら、精霊の加護を展開する。


「火よ、我が剣となれ!」


 蓮の右手に火の精霊が宿り、燃え上がる剣が生まれる。その光が魔族の脚を斬り裂く。


 だが、魔族は怯まない。瘴気をまとった触手のような腕を広げ、蓮に向けて振り下ろす。


「っ――!」


 寸前でフィノが盾となり、風の障壁を展開する。


『早く終わらせろ、蓮! このままじゃ俺たちが消耗するだけだ!』


「わかってる!」


 蓮の背後では、エルセリアが矢を構えていた。風をまとったその矢は、魔族の視界を狙い撃つ。


「蓮、今よ!」


 その声に応じ、蓮が跳躍する。


「四精霊の力、俺に集え――!」


 空中で四つの精霊が再び集結し、蓮の体を光で包む。火、水、風、土。すべてが調和し一つの光となる。


「精霊連鎖陣――解放!」


 その声とともに、光の奔流が魔族を貫いた。


 ――爆音。そして、静寂。


 魔族の影は、四散しながら消えていった。


 


 封印の核は、静かに光を取り戻していた。


 蓮はその場に膝をつき、深く息を吐く。生きている。心臓が確かに鼓動している。


 エルセリアが、そっと彼の隣に立った。


「よくやったわ。あなたが……鍵で本当によかった」


「まだ……まだ終わってない。俺たちの戦いは、これからだ」


「ええ。だから……生きて、必ずその先を見ましょう」


 二人は見つめ合い、そして――短くうなずき合った。


 新たな試練は、もう始まっていた。


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