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魔族の気配と封印の兆し

 それは、ひどく冷たい風だった。


 深夜、銀の森の空気は静まり返っていた。だがその中で、木々がわずかにざわめいていた。風に混じって、異質な気が流れ込んでいた。


 それは、エルフたちが最も忌み嫌うもの――魔族の瘴気。


 ――同じころ、蓮はふたたび夢を見ていた。


 黒い霧の中、赤い瞳がこちらをじっと見つめている。声なき声が、胸の奥を叩く。


『目覚めよ、鍵よ。お前の存在が、封印の歪みを加速させる』


「……だれだ……」


『我は眠る者。我は目覚めを望む者。我が封印を越えんとする者』


 声と同時に、胸の中がきしむように痛んだ。


 ――そして、蓮は跳ね起きる。


「っ……はぁ、はぁ……」


 額には冷たい汗。隣ではフィノが心配そうに見上げていた。


『夢を見たな。おそらく、向こう側の気配を感じたんだ』


「向こう側……って、まさか……ザイヴァルド?」


『封印された魔族の長。その瘴気が、わずかに漏れ始めてる。封印が完全でない以上、こういう反応は避けられない』


「じゃあ、俺が鍵になったから、その力に反応して……」


『封印は均衡だ。力を加えれば揺らぐ。お前が精霊と契約を果たした今、ザイヴァルドは確実にお前を認識した』


 フィノの声はいつになく真剣だった。


 蓮は胸を押さえながら、昨夜エルセリアが言った言葉を思い出す。


 ――「封印は弱まりつつある。だから、あなたが必要だった」


 ならばこれは、始まりにすぎない。


「……エルセリアに、話さなきゃ」


 そうつぶやいた時、ちょうど扉の外から声がした。


「起きているのなら、少し時間をもらえるかしら」


 エルセリアの声だった。


 蓮が扉を開けると、彼女は月明かりの中に静かに立っていた。その顔はどこか張りつめていた。


「森の奥で、異常な気配が観測された。封印の境界に、何か……変化が起きているの」


「もしかして、それって……魔族の?」


「可能性はあるわ。だから、今から封印の境界へ行く。あなたも来て」


「……分かった」


 すでに、彼は覚悟を決めていた。


 この世界を守ると。彼女のそばにいると。


 たとえ、それが危険の始まりであっても。




 封印の境界線――それは森のさらに奥、霧深い断崖の先にあった。


 古の魔法で描かれた紋章が刻まれた大地。その中心に、赤黒く脈動する裂け目のような影が広がっている。


「ここが……ザイヴァルドを封印している場所……?」


「正確には、ザイヴァルドの瘴核の封印。魂と力の本体は、さらに奥に縛られている。でも……感じる? この空気の歪み」


 蓮は肌を刺すような寒気に思わず身をすくめた。


「これ、魔族の……?」


「ええ。かすかだけど、動いている。まるでこちらの存在を探っているかのように」


 エルセリアは手を差し出し、紋章の縁に触れる。その瞬間、光が波のように走り、裂け目がかすかに震えた。


「――ダメ。封印の波長が、わずかにずれてる」


「どうすれば……」


「調和の鍵である、あなたの力で、封印を調律することができるかもしれない。試してみて」


「……やってみるよ」


 蓮は紋章の上に立ち、両手を広げた。胸の奥に眠る精霊の力を感じながら、心の中で静かに祈る。


(封じろ……ここが、崩れないように……!)


 その瞬間、体内に風、水、火、土の力が巡った。光が指先から走り、紋章に触れる。


 ――ズンッ!


 大地が脈動し、瘴気が一瞬だけ引いた。


「いまの成功……?」


「いいえ……」


 エルセリアの声は硬かった。


「一時的な調律には成功したけど、瘴気の反応が強すぎる。封印の奥で、何かが目覚めようとしている」


 蓮は拳を握った。


 そして、言った。


「だったら――目覚める前に、止めればいい」


 その言葉に、エルセリアは目を見開いた。


「あなた……」


「俺がこの世界に来た意味が、本当にそれなら。今度こそ、逃げない。俺が鍵なんだろ?」


 言葉の端々には、確かな決意があった。


 エルセリアはしばらく沈黙したあと、わずかに微笑んだ。


「……分かったわ。一緒に戦いましょう、蓮」




 封印の境界を後にした蓮とエルセリアは、森を抜けて帰路についていた。だが、その空気は重く、緊張感に満ちていた。


「……エルセリア」


「なに?」


「俺の力って、本当に足りてるのかな。封印は少しだけ安定したけど……あれじゃ本格的に目覚めた時、歯が立たない気がして」


 問いかける蓮の声には、焦りと不安が混じっていた。精霊との契約は果たした。封印の調律も一応はできた。でも、それだけじゃ足りない。そんな確信があった。


 エルセリアは歩みを止め、振り返る。


「あなたは、まだ自分の中にある調和の意味を、完全には理解していない。けれど、それでいい」


「……いいのか?」


「ええ。鍵とは、ただ力を持っているだけの存在じゃないわ。世界と、人と、精霊と――つながり、響き合う意志が必要なの。あなたがそれを学ぶ過程こそが、封印の力を育てるのよ」


 エルセリアの言葉はいつも理知的で、厳しく、それでも温かい。


「……ありがとう」


「礼を言うには早いわよ。これから、もっと厳しい現実が待ってる」


 そう言って微笑む彼女の表情に、蓮の胸が少しだけ温かくなった。


 


 帰還した後、セリオン長老が二人を迎えた。


「封印の変化は確認した。ザイヴァルドの瘴気は、確かに動き出しておる」


 静かながらも重々しい声だった。


「鍵として目覚めた蓮の存在が、魔の瘴気を刺激してしまったのですか?」


「可能性は高い。しかし、それは避けられぬ定め。逆に言えば、今こそ正面から封印を見つめ直す時でもある」


 セリオンは杖を握り、ゆっくりと蓮に向き直る。


「蓮よ。お主は確かに、調和の鍵としての資質を持っておる。しかし、未熟だ。ゆえに――お主に、精霊訓練を施したい」


「精霊訓練……?」


「精霊との共鳴を深め、その力を自在に引き出す術じゃ。かつての封印の鍵も、これを経て真の力を手に入れた」


 蓮は一瞬ためらった。だが、胸に宿ったあの熱が背中を押した。


「……やります。お願いします」


「よい覚悟じゃ」


 セリオンはわずかに微笑み頷く。


「明日から始める。この森の深奥に、精霊の波長が最も強い修練場がある。エルセリア、お前も同行しなさい」


「……分かりました」


 そうして、蓮の新たな修練の日々が始まることが決まった。


 


 その夜――。


 蓮は一人、森の小道を歩いていた。フィノは眠っており、エルセリアも自室で休んでいる。


 ふと、足元の草が夜露に濡れて、星の光を反射していた。蓮は空を仰ぎ、深く息を吐く。


「本当に、俺でいいのか……」


 自問に答える者はいない。だが、そっと風が頬をなでた。


 ――それはまるで、見えない誰かが背中を押してくれるようだった。


 そのときだった。


「迷っているの?」


 振り返ると、木陰にエルセリアが立っていた。いつの間に……


「……ちょっとだけ。怖いっていうより、なんか、実感がないんだ。俺がこの世界を救うとか、封印とか、重すぎて」


「当然よ。私だって、あなたに最初からすべてを背負わせるつもりはない」


 彼女はそっと近づき、蓮の隣に立つ。


「でも、あなたがあの瘴気にひるまず、封印に立ち向かったとき――ほんの少し、信じられたの」


「……何を?」


「あなたが、誰かのために動ける人だってこと」


 月明かりの下で、エルセリアの金色の髪が静かに揺れた。その横顔には、かすかな安らぎと、どこか遠い過去を見つめるような寂しさが宿っていた。


「……エルセリアは、怖くないのか。ザイヴァルドが復活したら、また大勢が……」


「怖いわよ。でも、私は――一度、何もできなかった」


 その言葉に、蓮ははっとする。


「誰か、大切な人を……?」


「ええ。昔、私はまだ若くて、ただ側にいたいって思っただけだった。でも、その人は戦いの中で……」


 エルセリアの声がかすかに震える。


「だから私は、もう同じ後悔をしたくないの。あなたにも、失ってほしくない」


 その言葉は、まっすぐに蓮の心に届いた。


「……絶対、負けない。守るよ、エルセリア」


 彼女は一瞬、驚いたように蓮を見た。


 けれど次の瞬間、静かに微笑んだ。


「――期待してるわ、鍵の人」


 その言葉とともに、二人の間にあった距離が、ほんの少しだけ縮まった。


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