蔓の恩返し
天候不順で不作になったとか、稼ぎ頭が害獣にやられてしまったとか、不幸は突然に降って来る。
他にもいろんな理由で、農民の生活は苦しくなるもんだ。
そんな貧しい農民の子に生まれた俺は、乳離れするとすぐ、口減らしのために領主に売られた。
といっても、奴隷になったわけじゃない。
領主の元に集まった子供は、孤児院で生活しながら基礎教育を受ける。
生活をする中で、仕事の適性を判別してもらえるから生き延びるチャンスはむしろ増えるわけ。
もちろん、自分の子は自分で育てたいと踏ん張る親もいる。
だがうちの親は無理せず、子供の命が延びるほうに賭けたんだ。
産んでくれてありがとうと殊更、親に感謝することは無いが、かといって恨みもない。
生みの親は俺を売って、その金で少し生活が楽になった。
俺は生きる場所を得た。
それで、お互いの関係はチャラだ。
独り立ちしても、親に会いに行くこともない。
領主様が俺の親代わり。それで充分だった。
というわけで、適性を見定めてもらった結果、俺は狩人に向いていた。
だが、残念なことに、この領内、そこまで害獣は多くない。
バッサバッサと倒しまくって、よくやったと褒めてもらえるような状況ではないのだ。
それで、俺は近隣の害獣を狩るかたわら、森の番人も任された。
倒木を片付けて人の通る道を確保したり、雨の少ない時期に火事が起こらないよう見回ったりと、それなりに仕事はある。
ある年のことだ。その日は空気がとても乾燥していた。
このところ逃げられていた大きめの害獣を倒した俺は、森の入り口近くにある住処の小屋に帰るところだった。
ふと、煙の臭いを嗅いだ気がした。
見回すと、木立の奥にかすかに白いものが見えた。
慌てて、道なき森に踏み込む。
すると、やはり火が熾きかけていた。
陽の光が集中した一か所が熱を帯びている。
「水場が遠い」
今から近くの水場へ走り、水を汲んで戻って来るには時間がかかる。
その間にも火が熾ってしまうかもしれない。
「そうだ」
ここまで担いできた獲物があるじゃないか!
デカいイノシシを、この枯草の上に落とせば、しばらくは抑えられるだろう。
俺はイノシシをどさりと落とし、更に周囲を見回す。
他に煙が立っている場所は無い。
「よし!」
気合を入れて、手近な水場へ急ぐ。
こういう時のために、水場には大きめの手桶を置いている。
ずっと放置すれば朽ちてしまうが、どうせ、森はいつも見回るのだ。
時折確認して、修理したり新しいものと交換したりしている。
手桶二つに、水をたっぷり入れて戻った。
イノシシの上に周囲に、何往復もして水をまく。
「明日あたり、雨が来るといいんだが」
これでいいだろうと、水まきを終える。
森は、その辺りだけ、息を吹き返したように見えた。
「毛皮は残念だったけど、まあ森が燃えたらそれどころじゃないからな」
惜しげなく落としてしまったイノシシは、わき腹がしっかり燻されていた。
火は見えなかったが、温度はそれなりだったということだろう。
小屋に戻って、イノシシを解体する。
久々の大物だったので、毛皮が無事なら領主様に贈ろうと思っていた。
別に献上品を求められることはないのだが、こうして仕事をもらって、一人で食っていけている。
ちょっとした感謝の気持ちは、出来る時に表したいじゃないか。
「また、次の機会もあるだろうさ」
使えない部分を埋めて、手を合わせた。
コイツを退治しに行ったおかげで、火事を防げたようなもんだ。
それに、しばらく肉にありつける。ありがたしありがたし。
翌朝のことだった。
明け方から雨が降り出した。
今のところ、しとしとと小降り。
今日は、火事予防の見回りは要らなそうだ。
昨日は大物の狩りと水汲み作業でよく働いたので、今日は休むことにした。
雨の日の森は薄暗い。二度寝をしようかと考えていると、扉が叩かれる。
ここは滅多に来客が無い。悪い知らせじゃないといいが。
「はい、どちらさま?」
一応、用心に固い木材で作った杖を握り、そっと扉を開ける。
そこに居たのは、儚げな美女。
「……」
「えーと、なにかご用で?」
彼女は無言のまま、バスケットを差し出した。
中には、森で採れる木の実果物がぎっしり。
森で採れることは知っているが、人間には見つけにくいような珍しいものもある。
「これを俺に?」
美女は無言のまま、ニコニコと頷いた。
「ありがとう。あの、よかったら」
……雨降りだし、狭い小屋だが、中でお茶でもと言いかけたのだ。
しかし、わずかに視線を下に落とした隙に彼女は消えていた。
「あれ?」
不思議に思ったが、どこの誰ともわからない。
あたりに気配も無いので、追いかけようもなかった。
扉を閉めて、窓際で貰ったものをよく調べると、自分には少々過ぎたものであるような気がした。
夕方、雨が止んだので、籠を持って領主様を訪ねる。
「……ほう、そんなことが」
「ええ、あの女性は誰だったんでしょう?
どうして、俺にこんな貴重な果物をくれたんでしょうか?」
「多分な、森の精霊みたいなものじゃないかな?」
「森の精霊?」
「ああ、あそこは特別に古い森だから、あまり人を入れずに、お前に任せているんだ。
俺の先祖が残した記録でも、たまに、人ではない不思議なものに会ったことが書かれている」
「そうなんですか?」
「精霊にとってよほど嬉しいことでもなければ、会えるものじゃないらしいぞ。
おそらく、お前が森の火事を防いだから、礼に来たのだろう」
「大イノシシの皮は台無しにしちゃいましたが」
「構わん構わん。それと、この果物、俺が貰っていいのか?」
「あまり食べ付けないものは味が分かりそうも無くて」
「そうか。では有難くいただいておくよ。
かわりと言っちゃなんだが、厨房に言っておくから、帰りに弁当をもらっていけ」
「それは嬉しいです。ありがとうございます」
普段は自給自足で、他人の作ったものを食べる機会が少ない。
領主館の食堂の飯は美味いので、非常にありがたい。
その後、領主館の文官室で必要な報告を二、三してから厨房へ向かった。
何人もの料理人の中には、一緒に基礎教育を受けた同期の人間もいる。
「あ、久しぶりだね! 領主様から頼まれたお弁当、出来てるよ」
小柄ながらてきぱきと働く女性。
同期の彼女が、領主様に渡した籠に弁当を入れて差し出してくれた。
「あと、日持ちのするソーセージとビスケットも入れてある。
どんな手柄を立てたの? 領主様がうんとサービスしてやれって言ってた」
「昨日、かなり乾燥してて森で火事が起きそうだったんだけど、なんとかその前に抑えることが出来たんだ」
「そりゃ、お手柄! そうだ、今度あたしの休みの日に、ハーブ採りに行きたいんだけどいいかな?」
「ああ、先に日を教えてくれれば大丈夫」
「よかった! じゃあ、お願いね」
約束の日。
彼女が欲しいと言うハーブは、奇しくも、あの火事が起こりそうになったあたりに生えていた。
「あ、ここ」
「どうかした?」
「この前、火事がおきかけたところなんだ」
「そうなんだ。
今はむしろ、この辺のほうが潤ってるような」
「本当だ」
確かに、ここだけが少しひんやりするぐらいだ。
「あれ?」
「ん?」
ふと見上げると、太い木の幹に蔓草が巻き付いていた。
この前は、無かった気がする。
その蔓草だけが目立って瑞々しいので、見たら記憶に残っているはず。
じっと見ていると、蔓草の葉から霧状の水が空中に噴射されている。
「わ、すごい。これなら火事の心配がほとんど無いんじゃない?」
そういえば、森の中で、こんなふうに妙に潤っている場所をいくつか見たことがある。
しかも、水場が近くに無い場所ばかりだから不思議に思ったものだ。
一連の話を彼女にすると、ちょっと考え込んだ後で推論を話してくれた。
「森の精霊さんは、きっといつも頑張って火事を防いでいるんだと思う」
「うん」
「で、たまたま手が回らなかった時に、あなたが火事を防いでくれたから、とても感謝したんじゃないかな?」
森は広い。一度に何か所も温度が上がった場所があれば、間に合わない可能性も確かにありそうだ。
「そうなのかな?」
瑞々しい蔓草を見上げて言うと、まるで肯定するかのようにワサワサと葉が揺れた。
「そうか。お互い大事な森だもんな。これからも、一緒に頑張ろう」
すると、それに答えるように霧が濃くなったように見えた。
採取を終えて小屋に戻ると、彼女が不満げな顔をしていた。
「え? なんか、忘れたものあった?」
「いや、そうじゃなくて。……森の精霊さんて美女?」
「あ、うん。一目見ただけだけど、なかなかの美人だった、かな?」
「そっか。ねえ、今度、あたしの作った試作品の料理でお弁当作って来るから食べてくれる?」
「え? それは大歓迎だけど」
「よし、負けないぞ!」
「ん?」
「何でもない。今日はありがとう。またね」
「ああ、気を付けて帰れよ」
なんだか気合の入った彼女の後姿。
思い出してみれば森の精霊さんは、確かに美人だったのだ。
だが、全身緑色。凡人の俺の守備範囲を大いに外れる。
差別するつもりは無いが、仮に嫁に来られても、お引き取り願うしかない。
来ないだろうけど。
その後、厨房勤めの彼女は、休みのたびに気合の入った弁当を持参して訪れるようになり、やがて、俺たちは、そういうことになった。
領主様に報告すると、とても喜んでくださった。
彼女は忙しい時だけ厨房を手伝いに行くようになり、その他は、森の小屋の近くにハーブ畑を作って、領主館に納める仕事を始めた。
小屋はさすがに改築が必要になった。
すぐに子供も出来たし、皆で住むには少々狭い。
間引いてもいい木材を切り出し、自分で建てることにする。
妻は妻で忙しいので、ほぼ一人作業。
木材の積み上げなんかは少々苦労する。
時間がかかるのを見かねたのか、森の精霊さんが手伝いに来てくれた。
相変わらずの美人だが、前に見た時とは違って男性の姿。
「もしかして、森の精霊さんって性別は無いの?」
「植物由来だから、動物的な性別は無いのかもな」
彼女と、そんな会話をしていると森の精霊さんはニコリと笑った。
「あー、やきもち妬いて損した!」
「え?」
「なんでもない。それにしても、イケメンだね、精霊さん」
「おいおい!」
その後も時々、顔を出してくれた精霊さん。
気まぐれに、美女だったりイケメンだったり。
その姿は、我が家の代わり映えしない日常の中で、いいスパイスになってくれたのだった。