責められる海斗
また出てきた、静音の元彼。今度はどんなめに合うことやら…。
責められる海斗
静音が、着替えを終えて、オーナー室に入ろうとすると、ドアが少し開いていて、中から男の人の声が聞こえてきた。
「あなたは何故今すぐ一之瀬の娘を娶ってしまわないんですか!」
「何もしていないわけではありません。きちんと手順を踏んでいるだけです」
「手順ですと? そんなものは必要ないはずだ! あなたが娘を娶ってしまえばそれで全てが納まる。諏皇の当主が望めば拒める者などいない」
「市川さん、それは遥か古の話だ。今の時代は、そうは行きませんよ」
「そんな事があるもんですか! 現に、花嫁候補の娘達はこぞって、あなたに身をささげてきた。あなたの意に沿う娘はいなかったようですが、そのことに不服を申し立てる者などいません」
もしかして、海斗が付き合ってきた人たちのことかなと、もやもやした気持ちが湧き上がるのを感じていた。
静音は、入るには入れず、かといって、無視も出来ない内容にただ其処に固まっているしか出来なかった。
「そういいながらも市川さん、あなたは不服があるから私の所にいらっしゃったのでは?」
海斗の冷ややかな声が聞こえた。
市川さんと言う人は、言葉をつまれせて、もごもごと何か言っている。
結婚はもう少し後でもなんて、安易に考えていたが、海斗にとっては、切羽詰った問題だったはずなのに、どうしてもっと、真剣に考えなかったんだろう。
海斗の優しさに甘えてばかりだった。
どうしよう…。私が、返事をしないから、海斗が攻められている。海斗は何も悪くないのに。
憤慨した様子で、どかどかと足音をさせて、市川氏が帰って行った後で、聞いてみる。
「ねえ、どうして私を歌姫にしようと思ったの? 歌姫と、花嫁って、両立できないじゃない」
「一番の理由は、一人でステージをこなすより、静音と一緒にやりたかった」
「海斗は、どうして、ピアノをえんそうするようになったの?」
「元々は、僕の母が、ディナーショーのピアニストだったんだ」
「お母さまが?」
「そう、それで、父に見初められて結婚したんだけど、僕は小さいころから母にピアノを習っていた。僕が十七歳になって、ホテルに出てきてからは、二人で一緒にピアノを弾いていたんだ」
「そうだったの…」
「母がなくなって、一人になったら、なんだか無性に寂しくてね、時雨や、ハリや、颪も巻き込んだけど、そうなるとやっぱりボーカルが欲しくなるだろ?」
「でも、私じゃなくても、子育てのいらない男の人だって良かったんじゃ」
「駄目だよ。静音が良かったんだ」
「私は、子供が出来たらできなくなるじゃない」
「うん、まあ、妊娠中は無理だけど、生まれたら出来るだろ。本格的な活動は少し先に伸びるけど、その間君にはバッチリレッスンをしてもらって、生まれてから再開してもいいしね」
「え! 子持ちの歌姫?」
「そうだけど、なんかその言い方は面白いね」
「静音、さっきの話を聞いていたんだろ? 別に無理することは無いよ。年寄り連中は、何時でも同じことを言う」
「それに、僕には静音がいてくれることで、今までの当主よりも時間に余裕ができたから、そんなに焦って結婚しなくても大丈夫だよ」
「余裕ができたって?」
「一ノ瀬の結婚相手がいない場合、いつ病にかかって死ぬかわからなったから、少しでも早く後継ぎを設けておかないといけなかったんだ」
「でも、僕は静音がいるから、死なない。皆それを知らないんだ。多分百歳近くまで生きると思うよ」
「そうなの?」
「本来、諏皇の当主は、病気にかからない。唯一弱いのはウイルスによる感染だけど、静音がいれば、それを防げるからね」
「じゃあ、結婚しなくてもいいの?」
「いいわけないだろ、僕は一日も早く静音と結婚したいと思っているよ」
「…どっちなのよ!」
「静音の気持ちが結婚したいと思うまで、焦らなくてもいいということだけど…でも、僕はそんなにはまてないよ」
「どうして?」
海斗は、静音をじっと見て、側に来ると、スルリと腰に手をまわして抱き寄せる。
「僕にいつまでも、キスだけで我慢しろというの?」
耳元で、ぼそりとつぶやいた。
静音は、海斗の色気にぞくりとして困るが、逃げたいとは思わなくなった。
「そ、それは…、もう少し我慢してくれると、…」
「だって、色々中途半端なままだし、まだ、ママを一人に…」
「あれ、結婚したらどうなるの? ママと暮らせなくなるみたいなこと、前言ってなかった?」
「静音は、子供が生まれるまで、イザナギの島で過ごすことになるね」
「諏皇の人間以外入れないところだよね」
「そう、僕と静音以外は入れない」
「も、もし、妊娠しなかったら、どうなるの?」
「その心配はないよ。イザナギの島には、必ず受精できる仕組みがあるから」
「そんな仕組みがあるの?」
静音は、驚くが、海斗は眉を寄せて付け加える。
「…静音、言っておくけど、やることはやるよ。体外受精とかじゃないからね」
分かってると、静音は頬を膨らませて、すねる。
「詳しく知りたければ探ってみる?」
海斗が、手を差し出してきた。静音は、知っておくべきだと思い、頷いて海斗の手を取る。
色々驚いたことがあった。
まず、イザナギの島と言うのはホテルの真ん前にあるが、異次元にあるようで、誰にも見えないし、行くことも出来ない島らしい。
そして、その島が認めた花嫁で無ければ、島に入ることも出来ないようだ。
その島に認められて、島に入れたとして、子供が生まれるまでは島から出ることが出来ない?
丸一年その島に閉じ込められるということだ。
大体結婚の流れはわかったが、かなり特殊な手はずが必要なようだった。
たった一人しか生まれない諏皇家の跡継ぎを残すことは、国の未来にも大きくかかわってくるようなことだと、静音は、戸惑う。
そして、自分が、逃げることのできない大きな存在だということに、さらに困惑している。
今まで、考えたこともなかった、平凡な自分が、果たさなくてはならない役目に、恐怖しかない。
海斗の肩に背負わされた重責、そして、その海斗のためにある、一ノ瀬の花嫁としての役目。
子供を産んだら、それで終わりということでもない。一生涯海斗を守って連れ添うということ。
それは、一生涯危険と隣り合わせの生活を送るということでもある。
もちろん、海斗も、皆も、全力で守ってくれるとは思う。
其れとは別に、静音自身も、海斗を守りたい気持ちはある。
頭の片隅に早くした方が、海斗の安全を守れるとは思っていた。
しかし、結婚すると、子供が生まれるまで、ママに会えなくなるらしい。
まだ、今の状態でママを独りぼっちにはできない。
文化祭のデート
考えがまとまらないまま日々は過ぎて行った。
中沢君と、事件のかかわりは、わからないままなのも気になるが、結婚のことも、考えずにはいられない。
きっと、海斗は始終責められているのだろう。其れも可哀想で何とかしてあげたい。かと言ってそんなに簡単に決断できるような問題ではない。
そして、静音の中でいつまでもくすぶったように晴れない気持ち。
一応、中沢君のことは、皐月ちゃんにくぎを刺しておいたが、私たちみたいな子供が、人殺しに加担するなんて、いくら何でも普通の常識では考えられない。
中沢君だって、そこまでおかしな人だったとは思えなかった。
中沢君て、普通の人だったよね…。あんな変質者みたいな男達の仲間?
平凡な高校生の彼しか思い浮かばなかった。
どっちにしろ、さすがにもう、中沢が現れることはないだろうと思っていた矢先の出来事だった。
静音がいつものように出勤するため、家を出ると、中沢が、足を引きずりながら現れた。
ホテルに行くと、海斗につかまるから、静音の家に来たようだ。
「中沢君!?」
静音は驚きとと戸惑いで固まる。
「ごめん静音。あの日待ち合わせの場所に行けなくて。来てくれたのか?」
中沢は、何も知らなかったように言う。
静音の頭の中は、大混乱だった。ずうずうしくも、白を切るつもり?
何をたくらんでいるの?
まだ、私を殺すつもり?
「俺、あの日、事故に会っちゃって、病院に入院してたんだ。静音の携帯番号知らないし、連絡できなくて、もし来てくれたなら待たせちゃったのかな? ごめん。怒ってる?」
あの事件に中沢君は関係していなかった?
SKYとの関係は?
しかし、中沢君が事故にあったというのは嘘ではないようだ。
彼の腕に巻かれたギブスや、引きずる足、顔にまだ残る傷跡が、痛々しくものがったている。
本当に、あの事件とは関係なかったの?
でも、中沢君のお父さんの会社の社員が、ホテルマリオンに爆弾を仕掛けようとしたことは事実だ。
けど、私を殺そうとした犯人たちとの関係はないみたいだし…。
あの犯人たちと中沢君が知り合いなんてあるのかな…?
「静音、俺さ、ギブス取れたら、大学の文化祭で、演奏するんだけど、静音見に来ないか? 高校の先輩もいっぱいいて、一緒にやるんだ」
吹奏楽部の先輩の演奏は、正直言ったら見に行きたい。
だが、ありえないと思いながらも、中沢君を信じる気にもなれなかった。
静音は、曖昧な返事をして、
「ごめん。いそぐから」
と言って、中沢を置き去りにしてホテルに向かった。
皆が集まる昼食の時に、静音は、今朝の出来事を話した。
「中沢が?」
時雨も、ハリも、呆れたように声をそろえて言った。
「事故に遭ったって? 本当なのか」
海斗が冷静に尋ねる。
「うん。怪我をしたのは本当みたい。顔に傷跡があったし、腕にギブスも」
「だからって、関係ないとは言えないわよ」
時雨は怒りをあらわにして、怒る。
「時雨落ち着け。まあ、中沢と、静音の先輩の演奏会は、別問題だろう」
「そんなの、罠を仕掛けて待ち構えているに決まってるわよ」
時雨は、断固として反対の姿勢だった。
「静音は、どうしたい? 吹奏楽部の演奏は見たい? 中沢なんかのためにしたいことを我慢する必要はないよ」
海斗は、冷静に言う。
「うん。見たいのは見たいけど、でも、中沢君は信用できないから怖い気はする」
静音は、素直な気持ちを話した。
「僕が付いていくから、中沢なんかに手は出させないよ」
「だ、駄目だよ、そんな危険なこと…。そこまでして見たいとは思わないから」
「うーん、でも、さすがにもう、うっとおしいから、この際やっちゃうのもいいかもね」
時雨は、物騒なことを言う。吃驚する静音に、反して、そこにいる面々は、時雨の意見に賛成のようだった。全員が頷いている。
え! どうして皆そんなに攻撃的なの?
普段から、強気だとは思っていたけど、何も自分から危険なことに飛び込まなくても…。
戸惑う静音に、海斗はにっこり笑う。
「せっかく向こうから招待してきてくれたんだ。色々手間が省けるし、僕も、これ以上静音にちょっかいかけられるのは我慢の限界だよ」
「そうよ、静音に危害を加えようとする奴なんてのさばらしておけないわ」
「そう、そう、俺がずたずたに切り刻んでやる」
「お、颪…本当にやらないでね…」
颪は、裏表がない分言ったことはそのままやりかねないから、静音はくぎを刺す。
「海斗様の命令がなければ、…やらない」
颪は不満そうにぼそりという。静音は、反射的に海斗の顔を見た。
「僕だって、むやみやたらに人を切り刻んだりしないよ。そこまでしたら一之瀬の叔父さんでも、さすがに隠し切れなくなるだろ」
なんだか、とっても黒い世界な気がして静音は、眉間にしわを寄せて海斗を見た。
「海斗様は、郷国の護り人なのです。正義に反することはなさいません」
ハリが、静音をなだめるように言う。
静音も、海斗が、人を殺めたりするとは思わないが、時々これでいいの?
と思うことがないわけでもない。しかし、基本は海斗を信じている。
そして、郷国の護り人の言葉が、ずしんと静音にのしかかった。
(わかってるよ、わかってる!)静音は、自分を落ち着かせるように心の中でなだめるように唱えた。
なんだか、大学の文化祭に行く話が、戦略会議みたいになってしまった。
とても疲れたが、結局のところ、静音は先輩たちの演奏を聞けることになって少し浮かれた。
海斗を人込みに連れ出すのは、気が引けるが、でも、仕事以外で出かけるのは久しぶりだった。
あんな事件もあったので、静音は、極力出かけないようにしていたからだ。
いつも、スーツ姿の海斗が、ラフな服装をするのは、初めて見る。
なんだか、別人みたいだと、少し照れる。
「静音、遅くなってごめん、時雨がいろいろ煩くて、服選びに時間が掛かった」
海斗は、慣れない服装に落ち着かない様子で、しきりに手を組んだり動かしている。
時雨がばっちりおしゃれをさせてくれたようで、もちろんまぶしいくらいに素敵だ!
午前中のレッスンを終わらせた後、私は、いつも通り水花さんが磨き上げてくれたので、私のほうも、ばっちりなはず…。
鏡の中の自分をとても気に入った。
せっかくなので、海斗と大学の構内を見て回った。
海斗も、私も、大学は初めて見るので、驚きの連続だった。
特に海斗は、学校に通った経験がないので、同世代の子たちや彼らが作る展示物などに興味津々だった。
しかし、海斗といると、皆の視線が痛い。
視線を集めずにはいられない人なのだろうと、諦めているが、かならず皆が振り返って、海斗をじっと見ていく。
海斗は、人込みを警戒して、私の手をぎゅっと握っているので、あまり話しかけられることはなかったが、それでも、私の存在を無視して話しかける子もいた。
海斗は、そんな子たちにチラリと一瞥して無視してしまうのだった。
呆然とするその子に、友達らしい子が、言っている。
「だからやめておきなよって、言ったでしょう。どう見たって彼女連れじゃん。あんなにしっかり手つないでるんだもの、ラブラブだよ」
ラブラブの言葉に思わず海斗を見ると、海斗の言葉が伝わってきた。
(友達の子よくわかってるじゃないか。僕は静音以外目に入らないよ)
少し気の毒に思いながらも、自分だったら絶対しないだろうなと、自業自得かなと静音は、無謀な行動の彼女たちを後目に見ていた。
仕掛けられた罠
演奏会の会場である講堂は、さすがに大学だけあって、立派な劇場のようだった。
舞台を中心に、座席が後ろに向かって高くなっている。
中に入っていくと、静音に気が付いた子たちが、一斉に静音を見る。
そして驚いたように集まってきた。思っていたよりも懐かしい顔がそろっていた。
懐かしい顔ぶれがぞろぞろ集まってくる。集まってくると、ほぼ全員いるのじゃないかと思うほどだった。後輩の姿もある。
「静音じゃない!」
「静音! 元気だった?」
皆口々に、声をかける。静音の心配をしてくれていたようだ。
卒業式の時の静音は、落ち込んでいてボロボロで、声もかけられる状態じゃなかった。
その状態が余りにも悲壮で、どう声をかけていいのかさえも分からず、皆黙って見守るしかなかった。
それが、今は元気そうで、すごく綺麗になって表れた。
その様子に、皆がほっとして声をかけてくれた。
「凄く綺麗になったね」
「元気そうだね」
静音も久々に会った、かつての吹奏楽部の仲間達の一人一人と言葉を交わしてうれしかった。
この中に皐月ちゃんはいない。前もって今日のことは話したが、皐月ちゃんが巻き込まれないように、今日はあきらめてもらった。
こんなにみんなが集まったのに申し訳ないと思ったが、皐月ちゃんの安全には変えられなかった。
講堂の入り口で皆に取り囲まれているが、そんな状態でも、海斗は静音の手を離さないから、皆の視線が海斗に集まる。
「静音、もしかして、海斗様じゃないの」
さすが、吹奏楽部の部員だ、海斗の顔を知っている子も多い。静音は顔を赤らめながら答える。
「そう、諏皇海斗さん。今日は一緒に見に来てくれたの」
「じゃあ、海斗様と婚約したって話は本当だったの?」
静音が、小さく頷くと、キャー!ッと歓声が上がる。ひがむような子は一人もいなくて皆がおめでとうと言ってくれた。
いくら素敵な人でも、諏皇海斗は雲の上の人で、遠い存在なのだった。
海斗は、軽く微笑んで、お辞儀をしたが、一言もしゃべらなかった。
話してしまえば、色々面倒なことを聞かれそうな気がしたからだ。
敵の手中にいるかもしれないのに、うっかりしたことは言えない。
この中にも、敵が潜んでいるかもしれなかった。
皆、遠慮がちに海斗を見るが声を掛けようとはしなかった。
海斗も、今日は静音の護衛のつもりでいるから、講堂の様子や、あちこちに目を光らせている。
海斗から感じるピリピリした、何となく近寄りがたい雰囲気を皆が感じ取ってくれたようだ。
さっきの無謀な子たちのような子は、この中にはいなかった。
開演の放送が入って、皆が、それぞれ席に着く。
幕が上がると、なかなか大きな楽団が編成されていて、見覚えのある先輩たちも何人かいた。
高校の時より、さらに高度な演奏は鳥肌が立つほど感動した。
しかし、その中に中沢の姿は見当たらなかった。
演奏するといっていたのに手の怪我が思わしくなかったのだろうか?
どっちにしろ、中沢の顔を見なくて済んでよかったと静音は思っていた。
海斗は、相変わらず静音の手を握って隣の席に座っている。
静音の気持ちが聞こえて笑っているようだった。
海斗も、演奏は好きなのだろう、だんだんと聞き入っているのがわかった。
静音も、久々に聞く沢山の楽器の壮大な演奏に思いきり浸った。
演奏が終わると、また皆が静音のところに集まってきて、先輩たちに挨拶に行こうと誘った。
皆、演奏のすばらしさに興奮して高揚した顔をしている。
なつかしい演奏会の後のこの感じに静音も久々に興奮していた。
海斗の顔を見ると、彼は初めて静音の手を放し、ここで待っているから行っておいでと言ってくれた。
静音が、皆と連れ立って控室に入っていくのを見送ってしばらくすると、海斗の前にジャンバー姿に、帽子を深くかぶったいかにも怪しい風の男が立ちはだかった。
海斗は、眉をひそめて男を見下ろしていると、男は、手紙を差し出した。
その手紙には、一之瀬の娘は預かった。諏皇海斗本人が一人で来るなら、娘は、危害を加えず返してやる。と書いてあった。
やっときたかと海斗は思う。
海斗は、手紙を持ってきた男をギロリと睨む。
男は、辺りをキョロキョロ見回して、落ち浮かない様子でついて来いと顔で合図した。
これが、罠であっても、ついて行くことにした。静音を捕らえたというのも、嘘だろう。
静音は、たった今大勢の仲間と控室に行ったばかりだ。
そんな中から静音を捕まえたなら大騒ぎになるはずだが、何も騒ぎは起こっていない。
このまま、罠にかかってやれば、犯人を捕まえられるかもしれないと、海斗は、男について行った。
大学とそう離れていないところに寂れたビルがあった。あるいは、大学の敷地内の研究室だろうか、その中に男は入っていく。
男は、ビルの一室のドアを開けこの中に入れという。
「静音は?」
「娘は、お前がここにおとなしく入ればすぐに解放してやる」
それだけ言うと逃げるように出て行こうとしている。
「待て!」
海斗は、男の手をつかんだ。
「な、なんだよ、俺に被害を加えたら女は助からないぞ」
男は、びくびくしながらわめくが、海斗は別に危害を加えようと思ったわけじゃない。
こんな所まで大人しく付いて来てそんなことをするくらいなら、最初からついてこない。
海斗は、男から情報を引き出すが、まったくの末端で、何も聞かされていない。
小遣い稼ぎに使い走りをしているだけで、今回も、静音のことさえ知らないようだ。
全く役に立たない。
静音は捕まってはいないだろうとは思うし、付き合ってやるのも面倒になるが、犯人に出てきてもらうために入ってやることにした。
今度こそは、しっぽだけでなく、せめて足くらいはつかんでやりたいと敵の罠の中に飛び込んでいく。
囚われの海斗
海斗が部屋の中に入ると同時にガシャンと音を立ててドアが閉まった。
暗い部屋は鎖が巻き付いた椅子がある。拷問室だろうか? と海斗は部屋の中を興味深く眺めた。
部屋の外で、男がお金を受け取っているようだ。
すぐにどこかに消えてしまった。
お金を渡していた男が、小窓から顔をのぞかせる。
思った通りの男だった。
ああ、やっぱり中沢か…。
こいつも尻尾とほぼ変わりはない気がする。と、海斗は少し落胆した。
もう少し、大物を期待していたが、まあ、中沢を始末すれば、静音にうっとおしく付きまとうハエを始末できるか…。
これで、中沢が黒なのは確定だ。気兼ねなく始末できるというわけだ。
海斗は、ニヤリと笑みを浮かべた。
そんな海斗に中沢は不安そうだったが、それでも、勝ち誇ったように言う。
「残念だったな。静音は、ここにはいないぜ」
そんな勝ち誇っていいセリフを言うのにも声がかすれている。
「それなら、何時までもここにいる必要はないな」
海斗は、いつでも出ていけるというような落ち着き払った声で言う。
「余裕ぶっているけど、あんたはここから出られないぜ。ここで死んでもらう」
「僕に危害を加えられるとでも思っているのか? おめでたい頭だ」
海斗は余裕の表情であざ笑うように言った。
「な、なに、船の中で何があったのか知らないが、あの時のようにいくと思ったら大間違いだぞ!」
全くコバエが、ブンブンと煩い。何をそんなにうろたえているのか、船の事件までかかわっていると暴露してしまうとは呆れる。
だが、いろいろ聞きだせるかもしれないと思う。
海斗は、中沢に鎌をかける。もっと、大物を引っ張り出したい。
「ゼウス様とやらが出てきて、僕を始末するとでもいうのか?」
「な、なんで、その名前を…」
中沢は、驚いている? まさか、本当に敵のボスは、ゼウスと名乗っているのか?
静音が言っていたように、宗教団体だろうか? もしくは僕のような力の持ち主の可能性はあるだろうか?
「ゼウスなんて、神の名を名乗るとはおこがましい奴だ。でも、所詮は平凡な人間だろう? 僕の相手じゃないね」
海斗は、わざと中沢を挑発してやる。
「ああ、そうだ、あの時は静音に危害を加えられそうになって、怒りが収まらなくて、やりすぎてしまったが、まあ、今回はそこまでやらなくても、どうせ、静音をとらえたというのも嘘だろう? 適当に終わらせてやるよ」
「お、お前、わかっていてついて来たのかよ」
「いくら何でもお粗末すぎるだろ。僕が静音の居場所を見失っているとでも思ったのか」
「…。」
確かにずさんな計画なのは、自分でもわかっていた。
父親から、諏皇には直接手を出すなとくぎを刺されていたが、一か八かやってみなければわからないと思っていた。
半分はうまくいくわけないと思いながら、気が進まなくても、中沢には、やるしかなかったから。
だが、いざやってみれば、諏皇はいとも簡単に罠にはまった。
諏皇を捕まえたのだ。ずさんな計画でもなんでも、勝ったのは自分だ。
後は、このまま毒ガスを流し込んで殺してしまえばいいだけだ。
これで静音を殺さなくても済むだろう。いくら別れていても、元カノを殺すのは目覚めが悪い気がする。
中沢は、病院に運び込まれた面々が、どれだけ悲惨な目にあっているのかを目の当たりにしていた。
手、足、を切断されていたり、真っ黒こげになって半狂乱で廃人のようになってしまった彼らに、いったい何があったのかまではわからなくても、恐怖は感じていた。
諏皇は、捕まることなど何の問題もないというのか?
今スグ殺してやるというのに。
いや、余裕そうに見せて虚勢を張っているだけだ。ここから逃げ出すことなど出来るはずないのだから。
そうおもいながらも、部屋に閉じ込めているにもかかわらず、目の前にいる、諏皇の当主が恐ろしかった。
だが、自分たちの主は特別だ! それを分からせてやりたくてわめくように言う。
「平凡な人間なんかじゃない! 神様の生まれ変わりなんだ。お前なんかのためにわざわざお出ましになるわけないさ。俺で十分だ! すぐにあの世に送ってやる」
そうだ、あの方に直接会ったことはないが、平凡な人間なんかじゃない! 諏皇も、何かしらの特別な力を持ってはいるようだが、あの方に太刀打ちできるほどの力がある人間がいるとは思えなかった。
それなのに、彼は、全く慌てる様子もなく、余裕の表情だ。
中沢は、自分のほうが、絶対有利な状況なのに、落ち着かない。なんなんだ! この余裕は!
中沢は、落ち着きなくボタンのスイッチを押す。この部屋に仕掛けてあった毒ガスが、部屋の中に噴出した。
静音の不安
静音は、皆で打ち上げに行こうと誘われ、海斗も一緒にと呼びに戻ってみると、さっきのところで待っていると言ったのにどこにも見当たらない。
色々探し回ってみるが、どこにもいなかった。
海斗がいない! 静音は焦る。怪しげな男についていくのを見たといわれて血の気が引くのを感じた。
そ、そうだ、颪を呼んでみよう。
確かフルートを吹けばすぐに来てくれるって言ってた。
静音は、先輩のフルートを借りて、颪に教わったフレーズを吹く。
颪が、すっと、静音の側に来て聞いた。静音は、急いで颪と廊下の隅に行って話す。
「俺を呼ぶなんて何があった?」
「颪、大変なの、海斗がいないの。もしかしたら、中沢君の仲間に捕まってひどい目にあっているかもしれない」
静音は、泣きそうになりながら、颪にすがる。
「大丈夫。何かあれば、海斗様が俺たちを呼ぶだろうし、まだ呼ばれてないから、ひどい目には合ってない」
颪は、静音をなだめながら、探る。
「わかった、この近くにいる。」
「え、どこ?」
「行ってみる。静音は、ここにいて。人の多いここの方が安全だから」
「う、うん…。海斗大丈夫だよね?」
静音は心配そうに尋ねる。
「大丈夫、海斗様は弱くない。我々が付いているし、命の危険があれば焔もいる」
「う、うん。わかった。ここで待ってる」
颪は、風となって、海斗が連れ込まれたビルに入っていくと、すぐに海斗のいる部屋に隙間から入り込んだ。
海斗は部屋の隅で口を押えしゃがみこんでいた。
「うわ、なんだこの嫌な臭い」
颪はそういうと風を巻き起こして、中沢のいるドアの足元から中の毒ガスを押し出してしまった。
海斗は、立ち上がって、ぷは! っと息をした。
足元から毒ガスが流れてきているとは知らない中沢は、思い切り毒ガスを吸い込んでその場に倒れた。
「海斗様、どうしてこんなとこにいる?」
颪は不思議そうに尋ねる。
「ああ、颪ありがとう。罠にはまってみた」
「それにしても、随分早かったな。今呼んだばかりだ」
「静音に呼び出されて、海斗様のところに来る途中だっだ」
「静音は、無事か?」
「大丈夫。静音は吹奏楽部のみんなといるように言ってきた」
ああ、やっぱり静音をとらえたというのは嘘だったなとホッとする。
「全く、海斗様は、静音が絡むとすぐにつられるんですから」
ドアの外から、時雨の呆れた様子の声が聞こえた。
「時雨か、早くドアを開けろ。静音の様子が気になる」
「静音は大丈夫ですよ。分身に見晴らせてます。もう直ぐ、ハリが警察を連れてきますから、海斗様はそれまでそこにいてください。颪も出てきて! しっかり証拠は残しておかないといけませんから」
「分身? 水花か? ばれないのか?」
「吹奏楽部の中に紛れ込ませたので、皆部員だと思っていますよ」
幸いと言っていいのか、中沢の吸い込んだ毒ガスは少量だったようで、警察に取り押さえられたところで意識を取り戻した。
いつも通り、なんとなくつじつまの合わない話ではあるが、警察も、いつものことで、あまり深く追求はしなかった。
普通に考えたら、毒ガスを仕掛けられた方の海斗が無事で、仕掛けた本人が毒ガスを吸い込んで倒れるなんてどう考えても変だろう。
そこは、誤って犯人が毒ガスを吸い込んでしまい、倒れたところに皆が駆け付け発見したという、なんとも間抜けな犯人ということになってしまった。
まあ、間抜けさは、あまり違いがないが、中沢は、殺人未遂、および前の船での事件の関係者ということで、逮捕された。
ホテルに戻って一通りの話を聞いた静音は中沢が仕組んだ事件だったと知り、少なからず、ショックを受けた。
海斗いわく、二度と娑婆に戻ってこられないように手配したそうだ。
何をしたのかはわからないが、とにかくこれで、中沢が静音の周りをうろつくことはないだろう。海斗は、内心うまくいったとほくそ笑んでいた。
「それで、海斗様、中沢が意識を取り戻してから、手をつかんでいたけど、何かわかりましたか?」
「静音が言っていた、ゼウスとかいう奴だが、中沢もあまり詳しくは知らないようだ。だが、超能力者ではあるらしい。物を動かしたり、集団催眠的なことをしているな」
「狙いは、なんなの?」
「…、この国を征服するつもりらしい…」
海斗は、口にするのも馬鹿らしいというように言った。
「今時そんなバカげたことを本気で考えているの?」
時雨が呆れたように言うが、ハリは、自分が言った通りだろうと、言わんばかりの顔だった。
「じゃあ、やっぱり事故でけがをしたというのも嘘だったんだよね?」
「いや、事故は本当だ」
「え?」
「ただ、中沢が事故にあったのは、船の事件が失敗に終わった後だ」
「…。どういうこと?」
「中沢は、静音を呼び出して拉致することは知っていた。だから、手紙だけ書いて待ち合わせの場所にはいかなかった」
「? ?」
「計画が失敗に終わった後で、まだ静音にかかわれる唯一の中沢に、つじつま合わせをする必要があった。組織は、中沢を呼び出して、事故を起こしたというわけだ」
「! …そんな、…」
静音は言葉が出なかった。馬鹿げてる!
「何も、命の危険がある事故まで起こさなくても、何か他に方法が…」
「静音の同情を買うにはいい方法だと思うわ」
時雨が、冷酷に言い放つ。
「中沢は、ただ、ホテルを乗っ取ればいいくらいにしか聞かされてないかったようだ。単に人質として、僕を誘い出す手段くらいに思っていたようで、静音の命が狙われているとまでは考えていなかったのだろう。実は、このホテルが、国を護るための要塞だということも知らなかった」
「それで、今回も私を攫ったふりをして、海斗をおびき出したの…」
「まあ、中沢のわずかな良心で、静音を巻き込みながらも、危害を加えずに、僕に直接仕掛けてきたというところだろう」
「でも、静音を殺したがっている組織の仲間だ」
颪がストレートに言葉を放った。
確かにどんなきれいごとを並べても、中沢君を敵認識しないわけにはいかない!
「敵のボスは、海斗様の存在を知っているということは、昔からのしがらみか何かありそうですね」
ハリの言葉には皆が頷いている。
「後で、先祖の記憶を探ってみよう」
海斗は神妙な様子で言う。
「それにしても、よく、中沢君と、あの船の事件を結びつけられたね。私、船からこっそり抜け出しちゃったのに」
「詳細はこうだ、中沢が静音を呼び出し拉致しようとたくらんで手紙を届けた。静音は、約束の場所で車に乗せられるが逃げ出し、知らせを聞いた我々が、車が、船の中に入り込むのを発見。急停車のタイヤの跡と船の中の車のタイヤを調べれば確認は取れる」
「え、逃げてすぐ車を追うなんて無理じゃない?」
「そんな細かいことには気を配らないのが、ここの常識よね」
時雨が、めちゃくちゃなことを言うが、皆が当然というように頷いている。
え、…それでいいの…。静音は、なんとなく腑に落ちない。
「中沢の手紙もあるし、中沢は、否定できないだろう」
「それはそうだけど…」
「ややこしいことは取り除いてわかりやすくしただけよ。事実をねじまげているわけじゃないわ」
時雨は、正しいことをしているというように言う。確かに事実をねじまげているわけじゃない。
「海斗様は、静音さんを、好奇の目にさらしたくなかったのですよ」
ハリの言葉に、静音は、頷く。
確かに、海斗は、私が暴行されそうになったなんてスキャンダルから守ってくれたのだろう。と、ありがたく思う。
あの船の中に、海斗と、一緒にいたなんてことがわかったら、色々な意味でヤバイと、静音はぞっとする。
海斗の秘密を守るためにもこれで良かったんだと改めて思った。
「これで、SKYと船会社がつながったわけですから、後は警察の仕事ですね」
「そうね。一先ず警察の活躍に期待しましょう」
相変わらずの精霊達でした。しかし、中沢、ちょろすぎる! もう少し頑張ってくれないと、海斗の怒る姿が見られないよ…。と言うわけで、優しいコメントを頂きたいなあと、よろしくお願いします。