中沢の手紙
海斗、大爆発です。やっちゃえー!
中沢の手紙
中沢くんは、あんなにしつこく言い寄ってきてたのに、ぱたりと姿を見なくなった。
どうやら、怒った海斗にこっぴどくやられたらしい。
警備を呼んでとらえさせ,警察に突き出したようだ。
そこまでしなくてもと、呆れるが、はっきり言って中沢の顔を見なくて済むのは良かったと思う。
申し訳なく思いながらも、海斗に感謝もしている。
静音が家に帰り、いつものように郵便受けを覗くと、静音宛の手紙が入っていた。
不審な手紙に、いやな予感がした。
もしかしたら…。
思った通り、直接ポストに投函されたような手紙は、開けてみると、中沢からだった。
一気に気持ちが重くなる。
どうしても、ゆっくり静音と話しがしたい。今日の六時、みらい港公園まで来てほしい。静音が来てくれるまで、何時間でも待っている。
その内容の手紙に静音はあきれた。何故まだこんなに関わってこようとするのだろう。
中沢と付き合っていたころ、父が亡くなっただけでも、ショックで沈んでいた静音に、慰めの言葉をかけてくれると思っていた中沢から、顔を見るなり、いきなり別れを切り出された。
「静音の親父さん、借金残して亡くなったんだろ。これから、親父さんの借金かかえて、大学にも行けずに貧しい暮らししかできない静音じゃ、俺の足手まといになるだけだし、側にいられるのは迷惑なんだよ」
「…」
「社長令嬢でなくなった、静音にはもう、興味がない。自分とはレベルが合わないから付き合えない」
という、酷い言葉だった。
あの時、社長令嬢と言う肩書がなければ、自分にはまるで価値がないのだと思い知らされた。完全に光を失い暗闇に落ちた。
あんあにひどい言葉で傷つけて捨てたのに、今更惜しくなったとでもいうのだろうか?
ずいぶん勝手で、私の気持ちを勘違いしている。
今の静音は、おまけつきで無くても、静音自身が好きなのだと、海斗に言ってもらえて、あの時のトラウマは消えた。
そして、すでに中沢のことは、思い出しもしなくなっていた。
この間のことで懲りたのじゃないのだろうか?
まだ私が、中沢くんに未練があるとでも思っているようで気分が悪い。
なんだか、むかむかと腹が立ってきた。
はっきり言わないと分からないのだろうか?
公園までは、十分も掛からない。直ぐ側だ。 静音はため息をつく。
もう、中沢に振り回されたくない。未練があるなんて、これっぽちも思ってほしくない!
今は、海斗が好きだとはっきり分かってしまったから、海斗の側にいると、約束した。
腹立ちまぎれに、はっきり決着をつけてやると決意した。
今は、海斗が好きで、中沢君のことは何とも思っていないから、新しい彼女と仲良くやって、二度と私にかかわらないで! そうはっきり言えたらどんなにすっきりするだろう。
本当に、顔も見たくないほど嫌いだと心底思った。
既に、六時を過ぎている。静音は、急いで家をでると、みらい港公園に向かった。
太陽は沈んでしまったが、まだ暗いというほどではなかった。
家を出て左に海を見ながら、遊歩道を歩く。ホテルを通り過ぎると、公園が直ぐ近くに見えてくる。
入り口にいると書いてあったのに、中沢の姿は見えなかった。
奥の方にいるのかと、公園の中に踏み込んだ時だった。
後ろから来た車が、キキーと急停止をして横付されたかと思うと、後部座席から降りてきた男にいきなり車の中に引き込まれてしまった。
「何をするんですか! おろしてください!」
静音は何が起こったのか理解できないまま吃驚して叫んだ。
しかし、両脇から、男二人が羽交い絞めにして身動きが取れない。
な、何? もしかして中沢君が私を攫ったの? どうしてそんなことを?
「あなた達は誰? 如何してこんな事をするの!」
静音が、隣の男を睨み付けると、男は、ニヤリと笑って、静音の顎を掴んで値踏みするように、ジロジロと見る。
不快感に鳥肌が立つ。
「諏皇の殿が御執心というだけあって、なかなか美人だ。たっぷりいたぶってから、海に沈めてやろう」
静音は、血の気が引くのを感じた。中沢君がこんなことが出来るはずなかった。
もっと、大きな組織ぐるみで、しかも人違いとかじゃなくて、自分が狙われたんだ。
逃げないと殺される!
男たちは焦ってもがく静音を、羽交い絞めにして手足も動かすことはできない。
口にテープを付けられ、声を出すこともできなくされてしまった。
誰か助けて、車の窓から望みをかけて外を見るが、誰もいなかった。
こんなことで、私は死ぬのだろうか?
地獄の底に連れて行こうとしている車の窓から、公園の並木道を見つめる。
誰もいない…。絶望に押しつぶされた。
車は、まっすぐに港に向かっていた。
港に付くと、まるで、待ち構えていたようにそのまま桟橋につけられた船の中に入り込んでいく。
ブレーキを踏むこともなくスムーズに船の中に入り込む様子にぞっとする。
これは計画的に仕組まれた誘拐なのだと、船の中のがらんとした駐車場に代わった、車の窓から見える外の景色に静音は悟った。
車を止めると、男たちの手で、乱暴に車から引きずり降ろされ、船室の一つに放り込まれた。
幸い手を拘束されていなかったので、自分でテープを外した。
後から4~5人の男たちが、どかどかと入ってくる。
怖い! 逃げ道も、助けも無い。このまま、男達に乱暴されて死ぬのだろうか?
海斗! ごめんなさい。約束したけど、側にいられない! やっと、心を開放できた静音の心に海斗への愛しさがこみあげてくる。
もう会えないのだと思うと切なくて苦しい。
こみ上げる涙を必死にこらえた。
弱みは見られたくない。気持ちだけは負けたくなかった。
乱暴される前に自分で死ななければきっと耐えられない。
静音は、死を覚悟するしかなかった。
ママ、一人にしてごめんなさい!
あやしい貿易船
ホテルマリオンでは、ハリが、海斗に沖合での問題を報告に来ていた。
ハリは、少し神妙な顔で言った
「新たな問題が起こっています」
「まだ、何かあるのか?」
「沖合いに、大量の魚の死骸が浮かんでいるのが発見されました」
「魚の死骸? 原因は何だ?」
「海の中に、汚染物質の入ったドラム缶が沈められています」
「やっかいだな。引き上げ作業を至急手配しろ。時雨とハリで、海水と海底の浄化にあたってくれ」
「はい。一之瀬会長も、死んだ魚の回収に手を尽くしてくれています」
「そうか、近海への影響は、免れそうか?」
「最小限にとどめるようにしますが、まったくないというわけにはいかないと思います」
「時雨と、ハリの活躍に頼るしかないな」
「しかし、誰が、何のためにそんな事をしたのかだが。颪、何か情報はないか」
「うん、ある。昨日着いた貿易船から、汚染物質と、同じ匂いがする。それと、先代を犯したウィルスを蔓延させてる。海斗様、貿易船に近づいてはいけない」
「静音が、本当に抗体を持っているかが、解るな。抗体を貰った僕は、安全と言うわけだ」
「海斗様、ついに静音と結ばれちゃった?」
「キスしただけだ。解っているくせに聞くな」
海斗は不満そうに時雨をにらむ。
「それだけですか…?」
「十分だろ! 時雨も、ハリも、早く行け! 緊急事態なんだぞ」
「行ってきます」
時雨とハリが出かけて直ぐだった。電話のベルが鳴った。フロントからだ。海斗は受話器をとる。
真一が、至急会いたいという知らせを聞いて海斗は、いやな予感に襲われた。
真一が会いに来たということは、静音の身に何かあったのかもしれない。
とっさにそんな気がして血の気が引く。
急いでロビーに駆けつけると、青くなった真一が、息を切らせて立ち尽くしていた。
彼の話によれば、真一が、静音の家に行くと、愛美が、静音が直ぐ帰ると出て行ったきり帰ってこないと心配していた。
出かける前に手紙を見ていたといっていたので、静音の部屋を見るとそれらしき手紙が残っていた。
悪いと思いながらも、手紙を確認すると、みらい港公園に呼び出されたらしいと分かり、行って見たが、静音の姿が見当たらない。
公園の入り口辺りに急停車をしたらしい、タイヤのあとを見て、嫌な予感がして、海斗の所に来たのだという。
「颪、静音の居場所を探ってくれ」
「はい…」
颪は、風を使い静音の気配を探る。
「港の、船の中」
「何だって、例の貿易船か?」
「うん。そう」
「真一、叔父の功治さんに話して、海上自衛隊を動かしてもらってくれ。不法投棄をした船の校則をしてほしい。それと、ドラム缶の回収も頼む」
「解りました」
「僕は、一足先に静音を取り戻しに行く。愛美さんには、心配しないように旨く話して置いてくれ」
「あまり、無茶はしないでくださいよ」
「何かあったら、後の処理は頼むよ」
「…は、了解しました」
真一は苦笑いをして出かけていった。
海斗と、颪が港に着くと、船は既に碇を揚げ、出航間際のようだった。
今にも出て行こうと汽笛を鳴らしていた。まずい! 静音がつれて行かれてしまう!
行かせてたまるか! 静音を失うことなど考えられない。
何としてでも、船を止めてやる! 気持ちはあせる。
やっと心が通い合えたばかりだ。静音を思うと愛しくて胸がうずく。
やっと、安心させられたと思ったのもつかの間。もう、こんな事になるなんて悔しくて情けない気持ちで一杯だった。
静音を傷つけられたらと思うと怖い。心臓が、きりきりときしむように痛い。静音が、どんなに大切な存在なのかを思い知らされる。
助けが来るのを待ってはいられない。今直ぐ助けなければ! 助けられるのは自分しかいない!
海斗は、決意を決める。
敵の巣窟だろうと、乗り込んでやる。これが、罠だろうとかまわない。
「颪、僕を船に運んでくれ」
「海斗様、危険。もしもの事があれば、島は護るものを失う」
「颪、僕は大丈夫だ、さっき話しただろ、静音に、免疫を貰った。それより、静音がいそうな場所はどっちだ?」
颪は、あきらめたように風を呼び寄せる。
海斗を巻き上げるように強い風が吹き抜けて行ったかと思うと、ふわりと船に飛び乗っていた。
「下の中央から、静音の匂いがする」
「乗組員の気配は?」
「操舵室と、船底に集まっている。今、甲板に上がってきてる」
敵は、すでに海斗が船に侵入したことを察知したのか? 中々やるじゃないか。
まあ、陰からこっそり乗り込まずに、急いでいたから、堂々と看板の上に飛び乗ったのだからばれても当たり前か?
敵も、そこまで間抜けでもなかったようだ。
だが、海斗は、そんなことはどうでもよかった。やりあうことは初めから決めていた。
こっそり行って静音だけ助けて終わりとするには、海斗の腹の虫がおさまらなかった。
二度とこんなことを企んだりしないように徹底的につぶすつもりだった。
ある程度抵抗してもらわないと、つぶすことが出来ない。
海斗は、物陰に隠れながら、下へ向かう階段を探す。
「出来れば、こんな目立つところでは鉢合せしたくないものだが…」
「それは、難しい」
数人の男達が、こちらに向かってくる。
*-*
静音が放り込まれた部屋は、狭くて唯一つあるだけのベッドが、部屋の大部分を占領していた。
五人もの男達に取り囲まれ、泣き喚きそうだった。
でも、でも、落ち着くのよ。
泣いたって助けてくれるわけ無い。
こんな処で犯されて、殺されるなんて絶対にいやだ。
どうすれば? そうだ! とにかく時間稼ぎ!
「私は如何して殺されなければならないのか教えて。訳も解らず殺されるなんて納得できないわ! このままじゃ、海のそこから化けて出てきてやるから!」
静音は気丈に、男たちを睨み付けて叫んだ。
「なかなか気の強い娘だな」
一人の男が、ニヤリと笑い、上着をぬぎながら静音のほうへ近づいてくる。
い、いやだ! 近づかないで!
泣きそうだ。こぼれそうな涙を必死にこらえながら後ずさった。
しかし、それをさえぎったものは、最悪だった。
ベッドにぶつかり、それ以上逃げられなかった。
もう、だめかもしれない! どうやって死んだらいいだろうか?
「いいだろう、教えてやろう」
男は、ベッドに腰掛ける。
静音は、あわててベッドの一番端まで逃げたが、壁にぶつかってそれ以上は何処にも逃げ道はなかった。
所詮逃げられやしないと、思っているからか、男は余裕の態度で、今直ぐに捕まえようとはしなかった。
静音は、部屋の中を見回す。
どうやって、死んだらいいだろうか。
素早く頭の中をめぐらすが、何も無い部屋だ。
海斗に会いたい。
彼の側に行きたい。
でも、もう海斗を見ることは出来ないんだと思うと涙がこぼれそうだった。
しかし、此処で泣くわけに行かない。
泣いたら負けだ。
たとえ死んでも、気持ちだけは負けたくない。
部屋の中を見回す静音にかまわず、男は言葉を続ける。
「俺たちは、ホテルマリオンを手に入れたいのさ」
静音にとっては、意外な言葉だった。
「だって、この船は貿易船でしょう?」
「そうだ、船は何でも運べる。そして、ホテルマリオンは、拠点にするには最適な条件を兼ね備えている」
拠点と言うことは密輸でもする気なのだろうか?
諏皇家は、郷国の護り人としての任務がある。ホテルマリオンは、表向きはホテルだが、本来の役目は国を守るために城砦なのである。
諏皇は、国を守る拠点となる島の護り手だと言っていた。
現在の諏皇家の当主は海斗だ。問題が起きた時には、海斗が処理しなければならない。
こんなところで殺されるわけにいかない! 諏皇家の花嫁なら、もっと色々聞きださなければ。
静音は、頭を切り替える。
静音のピンチ
「俺たちって?」
「俺の裏には、偉大なお方が率いる組織がある。俺は、その方の命令で動いている」
「そんな事を私に話していいの?」
「お前は、どうせ直ぐに死ぬ。本当のことを知って死にたいと言ったお前の、最後の願いだから教えてやってる」
静音は、顔を引きつらせる。本当に殺されてしまうのか…? そう思うと、余計に死にたくない。
海斗に、危機を知らせないと大変だ。危険に巻き込まれようとしてる。何とかして助けたい。
「そう、それなら、偉大なお方って誰?」
「偉大なる全能の神の力を受け継がれた方、ゼウス様だ」
ゼウス…? 本当の名前はやっぱり教えてくれないらしい…。
「…あなた、麻薬でもやってるの」
「ふん、平凡な人間には、信じられないか? ま、あの方にお目にかかれずに死ぬお前には、関係ないだろう」
「そ、その人が如何して私を殺さなければならないのよ」
男はニヤリと笑って、静音のほうへ近づこうとする。
静音は、あせりながら、壁にめり込むほどに背中をつける。しかし、それ以上はどうしても逃げられそうもない。
その手の指一本でも、触られるのは、虫唾が走るほど嫌だ。
「お前は、一之瀬の女なんだろう?」
「え!」
「諏皇の殿が、大層可愛がっているそうじゃないか」
男がじりじりと詰め寄ってくると、周りを取り囲む男達は、ぎらぎらした目をして覗き込もうと近寄ってきた。
静音は、逃げ場を失って動けない。こ、怖い! 身体が凍りつきそうにこわばっていくのが分かる。
「諏皇の男は、一之瀬の女を娶る。昔からそうだ。そうしないと、早死にするらしい。現に先代、その前も早死にしている」
「そんなの、迷信よ!」
「迷信でも何でも良い。邪魔になるものは早いうちに取り除いておくに限る」
「でも、私を殺したって、ホテルマリオンは、手に入らないわよ」
「どうかな、やり方しだいだろ。たとえばだ、執心のあんたが、体中傷だらけにされて全裸で海に沈められていた。なんてことを知ったら、激怒するだろう。大勢の男の精子塗れにして、体中に、男達の痕跡の残る傷やらつけて、ついでに、その両方の乳首を切り取ってもいいな。俺のコレクションにしてやるよ。息のあるまま密封して、放り投げてやるよ」
周りの男達が、ドッと笑い声を上げる。静音を怖がらせて面白がっているのだ。
悔しくて、歯を食いしばって震える体を抑え込もうと頑張った。
「変体だわ!」
静音は顔を引きつらせながらも、気丈に男をにらみつけて言い放つ。
しかし、男たちはそんな言葉には動じるはずもなく、かえって喜ばせてしまったようだった。
悔しい! こいつらの思惑通りに怖がらされているなんて!
実際に怖くてどんなに力を入れたも、震えを抑えることができずにいた。
でも負けたくない!
獲物を目の前に、目をぎらぎらさせて今にも、襲い掛かってきそうな男たちに怯えた姿を見せたくない。
静音は、あまりにも恐ろしい、自分の身に起こるであろう出来事に、震えながらも、それでも、男から目を離さなかった。
気が狂いそうなくらい怖い。
でも、あきらめたら負ける気がして、じっと、男を見据える。
「若い彼は、暴走するに違いない。冷静さを失った者は隙が出来易い。ホテルマリオンを手放す状況に追い込んでやる」
「彼は、そんな愚かな人間じゃないわ!」
「ふん、死んでしまっては成り行きを見せてやれないのが残念だ。しかし、殺すには惜しい女だ」
男は、静音の側まで来ると、腕を掴んで頬に手を伸ばして撫でる。
全身を寒気が走る。ぶわっと、鳥肌が立った。
「嫌!」
静音はその手を払おうとするが、掴まれて、そのままベッドに押し倒される。強い力で押さえつけられ少しも動けない。
もう、逃げられない。どうせ殺されるなら自分で死ぬ。でも、海斗に危険を伝えられずに死ねない! やっぱり逃げなきゃだめだ!
何か無いか必死で探す。ふと、ポケットに硬い物が、携帯だ!
「お前、もしかしてまだ、処女か? 諏皇の殿は、結婚するまで女に手を出さないらしいからな。たっぷり、皆で可愛がって男を教えてやる」
男が、静音の上にのしかかってくる。
「いや!」
夢中でポケットの携帯を掴むと男の眉間の辺りを殴りつけた。
「いて!」
その時、時雨から貰った携帯ストラップが男の眉間と携帯の間にぶつかって割れたかと思うと、突然ストラップから、氷の矢が四方八方に飛び散った。
矢は、容赦なく男達に突き刺さり、直撃を受けた男たちはうずくまってうなっている。
何が起こったのか突然男の拘束から解放された静音は、訳も分からないまま周りを見回した。
男達は、皆うずくまっている。
助かったのだろうか?
何でもいい、とにかく逃げるなら今しかない! そう悟った静音は、静音の上にのしかかっている男を両足で蹴り飛ばすと、ドアを開けて部屋から逃げ出した。
海斗の怒り、焔を目覚めさせる
階段までの距離は、わずかだ。
一か八か、海斗は、中央の階段へ向かって駆け出していった。
しかし、案の定気付かれたようだ。
一斉に、男達が駆け寄って来た。
「海斗様、もう、ここで遣り合うしかない」
颪は、心なしか楽しそうに言う。
しかし、よく見ると、様子が少しおかしい。
殺気立って海斗を囲みこんで、じわじわと詰め寄ってくる男達は、皆赤い顔をしてふら付いている。
これが、颪が言っていたウィルスが蔓延している状態か…。
おそらく、先代を犯したウィルスということは、インフルエンザか何かが、船員に広がっているのだろう。
海斗は、ほんの少し恐怖を感じたが、どうしても、静音をなくすわけにはいかなかった。病気の巣窟だろうと行くしかない!
「諏皇だぞ! 捕まえろ! ボスへの手土産だ!」
「やれやれ…。僕は暴力は好きじゃないんだけどな」
海斗は、まったく怯んだ様子もなくぼやいた。
「それは、信憑性にかける。最初から暴力振るう気だった」
敵の代わりに颪が突っ込みを入れる。
「そうだけど、好き、嫌いは別だ…」
海斗の言葉が終わらないうちに、体格の良い大男が、海斗に向かって殴りかかってくる。
海斗は、すっと、体を交わして、男の手を掴んで、膝蹴りを入れると、男は、膝を付いてうずくまった。
其の隙に、いっきに階段を駆け下りた。
だが、下でも男達が待ち受けていた。
「逃がすな! 捕まえろ!」
男達が、口々に叫ぶ。いくら病人と言っても、火事場の馬鹿力という言葉もあるし、全員が病人というわけでもなさそうだ。
結構な数がいる。
侮れないし、海斗は、静音のことを考えると、気が気ではなかった。
一刻も早くけりをつけて静音を見つけなければならない。
「なかなか、厳しい数だね。やるしかないか!」
海斗は、すっと、表情を変える。この国を代々守りぬいた郷国の護り人としての、威厳に満ちた凛とした顔だった。
「颪、風の剣になれ!」
海斗は、右手を上げて颪に命じる。
「はい、海斗様」
颪の、銀色の髪が、スルスルと伸びると、銀色に輝く剣が、海斗の手に握られていた。
「言っておくけど、この剣は、打ち身とか出来ないからね。申し訳ないが、手か、足か、切らせてもらうよ」
海斗は、一歩踏み出しながらいう。
男たちは突然現れた長剣に驚き、おののいた。
キラリと光る長剣に恐れ、男達は、じりじりと後ずさる。
だが、その中でも腕に自信のありそうな大男が思い切ったように飛び掛った、次の瞬間あたりに血が飛び散った。
海斗が、動いたようには見えなかった。
残像に実態が重なった様な一瞬の出来事。それくらい素早い動きだった。髪の毛だけが、少し揺れていた。
誰も、風の剣の威力は知らなかっただろう。
始めて見る威力と、使い手の素早い動きに、男たちは驚愕の表情で身動きもできずにいた。
とびかかった男だけが、うめき声えを上げて腕を押さえている。
当たりは一面血だらけで、其の足元には、落ちた腕が転がり、男は噴出す血を必死で抑えよとしていた。
海斗が、ゆっくりと歩き出すと、一瞬の出来事を目の当たりにして、既に戦う状態ではなくなっていた男達は顔を引きつらせ、慌てて後ずさった。
だが、其のとき今の出来事を知らない後ろから来た別の数人が、襲い掛かった。
海斗の目が、獲物を見定めてきらりと光る。
またもや、ほんの数秒風が、動いたような気がした瞬間、男達は、足を失って床に転げ、気が狂ったように落ちた足をつかんで何かを叫んでいた。
「悪いね。片足にしたかったんだけど、一振りで、切れてしまって」
海斗は、冷酷に微笑む。
「うわああ。」
一人が、堪らなくなったように逃げ出すと、男たちはまるで、クモの子を散らすように、我先にと逃げ出してしまった。
海斗は、静音を探して急ぐ。
手当たりしだいにドアをぶち破っていく。
客室なのだろう、どこも、ベッドの置かれた寝室だった。
海斗はあせる。
剣の姿から人に戻った颪が、海斗に場所を教えた。
「海斗様そこじゃない、移動している。北側の端の部屋だ」
*-*
静音は後ろを何度も振り返りながら、必死で走る。
人のいなそうな部屋に逃げ込んで、ドアに鍵を掛けるが、このままでは、見つかるのは、時間の問題だ。
窓の外を見ると、船は既に動き出している。
絶望的だった。
誰も助けに来てはくれない。
もう、殺されるしかないのなら、乱暴される前に自分で死んだ方がましだ。
でも、せめて海斗に危険を知らせたい。何か方法はないのだろうか。
しかし、さっきと同じ何も無い部屋だ。
小さな部屋には、ベッドが一つと、机と椅子。それだけだった。
机の引き出しも空で、何も無い。
どうしよう。
近くの部屋のドアが、蹴破られているような音がしている。
きっと、自分を探しているのだ。
早く何とかしなければ、あせるほど、何も考えられない。
一段と、大きな音がする。
隣の部屋だ。
次は、この部屋に来る。隠れる場所など無い。
今度こそだめかもしれない…。
ベッドの下など無駄な抵抗だろう。部屋の中で、立ち尽くすしか術がなかった。
部屋の隅に頭を抱えてしゃがみこんでドアが蹴破られる音に身をすくめながら、海斗! 心の中で叫んだ。
ドアが、大きな音と共に開け放たれ、男達がなだれ込んでくると思いきや、部屋に飛び込んで来たのは、今助けを呼んだ、諏皇海斗その人だった。
「静音!」
海斗は、静音に気付くとほっと、安堵の色を見せ駆け寄る。
力が抜けてしまって、立ち上がることもできない静音を抱きしめた。
「静音、何処も怪我は無い?」
海斗の香りが、ふわりと静音を包む。
海斗の腕だ! 手も、広い胸も、海斗だ。
彼の温もりを感じてやっと助かった事を理解すると体が震えだす。
「…」
「良かった。無事で」
「…」
ガクガク震えて、旨く言葉が出てこない。
力が抜けて、動く事も出来ない。
大粒の涙をぽろぽろとこぼし、震えながら泣きじゃくり、何度も海斗の名を呼ぶ。
たまらなく愛しくて強く抱きしめる。
しかし、このままゆっくりはしていられない。
船は、既に動き始めている。
真一が、うまくやってくれれば、船を止める事はできるかもしれないが、船の停止命令が出れば、船を調べられるだろう。
船の中に長居はしたくない。
静音が、乱暴されたかもしれないなんて疑いの目で見られ、取り調べを受けることなど許せるわけがなかった。
静音を連れて船を下りなければ。
思い出したように、静音は、泣きじゃくりながらも、海斗を見上げ、必死で危機を海斗に伝えようとする。
「海斗、早く逃げよう! あの人達の目的は、ホテルマリオンを手に入れる事だって言ってた。あなたを翻弄してホテルを奪うんだって…、だから、こんな処にいたら、何をされるか解らない!」
静音はまだ、振るえの止まらない体で、涙をぽろぽろこぼしながらも、必死に言う。
海斗は、静音の頬に手をふれる。
静音に、起こった事が、次々と伝わってくる。
静音が、どんなに心細く、恐ろしさに耐えていたかを思い知らされ、怒りに体が震える。
自ら死を選ぶほどの決意をさせたのかと思うと、海斗は、堪らなく辛くなる。静音にこんな思いをさせてしまった。
一刻でも早く静音を安心できる場所に連れて行かなければ。
「静音、そうだね、こんな処に長居は無用だ」
海斗が、静音を抱き上げようとすると、
「大丈夫! 歩ける!」
静音は、気丈に立ち上がって見せた。
海斗は、その様子に感心する。さっきまで、立っていられないほど震えていたのに。自分で歩こうとするなんて。
静音の手を引いて、部屋を出ると、静音を襲った男達に出くわした。
男は、氷の矢を食らって、顔中傷だらけで血を流していた。まるで化て出た幽霊のような顔になっている。
それでも、船の中は自分のテリトリーだからか、強気な態度だった。
「これは、諏皇の殿ではないですか。恋人を連れ戻しに来られたのですかな。さすがに、素早いお方だ」
彼の姿に、静音はおびえて硬直する。
静音をいたぶって殺すと言った、恐ろしい男の言葉が頭に蘇る。
こんなに大勢の男達に囲まれたら、海斗だって何をされるかわからない。
それは、同時に、海斗にも伝わっていた。
彼の怒りに火を付けたのは、間違いなかったようだ。
海斗の顔色が変わる。
静音を後ろに隠して、男を冷たく見据える。
「なるほど、ふざけた事をもくろんでくれたようだ。それが、どんな結果をもたらすのか、身を持って教えてやろう」
海斗は、低い声でうなるようにつぶやくと、ゆっくり男に近寄っていく。
海斗の顔から感情が消えた。
感情の無い顔は、彼の美しさをひときわ浮き立たせる。
まるで彫刻のような冷酷無比な無表情だった。
この状態が、何を意味するのか、静音にはわからなかったが、ただならぬ雰囲気に訳も分からず見守るしかなかった。
次の瞬間、突然炎が巻き起こり、海斗は、全身に炎をまとった。
「!」
何? 何が起こったの? 静音は言葉も出なく固まる。
男たちは、海斗のことを多少は知っているふうだったが、海斗にこんな力があるとは思いもしなかったのだろう。
さっきまで強気だった男達だが、突然の炎にうろたえ始める。
身の危険を感じたのだろう腰が引けている。
一人が、逃げようと後ろへ走り始めた。
次の瞬間、その炎は瞬く間に男たちに襲い掛かった。
「うわあ! た、助けてくれ!」
逃げても追いかけてくる炎に、逃げ惑う男たちが次々と炎の餌食になり、炎に包まれ、慌てふためき、悲鳴を上げながら、床を転がる。
あたりは火の海となり、男達を燃やし尽くそうとしていた。
静音は、驚いて悲鳴を上げた。
颪が、側に来て静音の腕を引いてそこから少し離した。
「静音、こっちへ、海斗様の怒りが、火の精霊を目覚めさせた」
「え? どういうこと」
「海斗様は、元々四大精霊の加護を持っている。水と、大地と、風の力は、解放されて、俺達三人は、側で自由に動けるけど、一番危険な火の精霊は、海斗様の中にいる。海斗様の怒りが、火の精霊を目覚めさせ、解放された」
「海斗は、火傷をしないの? 炎を、自在に使えるってこと?」
静音は、さっきから海斗が焼け死んでしまうのではないかと、気が気ではなかった。
一先ず、海斗は大丈夫なようだと安心する。
「そう。でも、一度目覚めてしまうと再び眠らせるのは、難しい」
「海斗が、もとに戻らないかもしれないってこと?」
海斗が、もとに戻らないなんてことになったらどうなるの? 考えただけでも恐ろしい。
それでも今は、離れて様子を見守るしかない。
海斗が、すっと手を上げると、炎は海斗の手に戻ってきた。
炎に包まれ床を転がっていた男たちから、すっと、炎が消えた。
男たちは、服も、髪の毛も焼かれ真っ黒に煤けて蹲っていたが、炎が消えたのに気付くと、おそるおそる、怯えた顔で海斗を見上げた。
海斗の周りを炎が揺らめきたっているが、海斗自身は、平気らしい。
そこは、よかったとホッとするが、まだ何も解決していない。
静音は、はらはらしながら事態を見守っていた。
海斗の声が、炎を揺らめかせながら響く。
「これで、海に沈めてもらえると思っていないだろうね。静音にしようとした、辱めも、体中の傷も、まだ終わっていない」
男たちの体から、焼け焦げた服がはらはらと落ちて、ほぼ全裸で真っ黒に煤けた顔を、恐怖で引つらせ海斗を見上げている。
海斗の怒りは、収まる気配がない。
ほっておいたら、海斗が人を殺してしまうかもしれない。
怖くなった。私のせいで犯罪を犯してほしくない!
静音は、堪らなくなって、炎に包まれた彼に無我夢中でしがみ付いた。
当然、静音も一緒に炎に包まれてしまう。
「海斗お願い! もうやめて! 早く此処から逃げよう」
「嫌だ! 君を、辱めようとした男だ。許せない」
感情の無い顔で振り返った海斗の瞳の奥には、赤い光りがゆらめいて見えた。
何の感情も見えなくて、いつもの優しい笑顔はどこにもない。
心が折れそうになるくらい怖い。
「海斗だめ! 私を見て!」
それでも静音は、炎に撒かれながら、海斗にしがみ付いた手に力をこめた。
彼は、ぼんやりとつぶやく。
「静音…」
「海斗、私、何にもされてない。人を殺めてはだめ! お願い! 私の為に過ちを犯さないで!」
炎にまかれていることは怖い! けれど、其れよりも大切な海斗が、取り返しのつかない過ちを犯してしまうことの方が怖かった。
目をぎゅっと、閉じて静音は、震える体で、必死に海斗にしがみつく。
海斗の手が、そっと、静音の頬に触れる。
「海斗?」
静音は恐る恐るそっと目を開けて海斗を見た。
少しずつ、彼の顔に、感情が戻ってきていた。
気が付くといつの間にか、炎は消えていた。
静音の必死の願いに、彼の瞳の奥の赤い光が消えていく。
焔を封印できたのだ。
静音はほっとしてその場に座り込んだ。
いや、まだほっとしている場合ではない。
真っ黒こげの男たちは、炎に包まれたのがよほど恐ろしかったのだろう、その場に蹲ったまま呆けたように動かない。
冷静さを取り戻した海斗は、静音を抱き起し、颪のほうに振り返る。
「颪、状況を教えてくれ」
彼の呼びかけに、銀色の髪の精霊が姿を現す。
「海上自衛隊が出動しています。船は強行突破の構えで、止まる様子はありません」
颪は淡々と状況を説明する。
郷国の護り人は、健在でした。良かった。しかし、静音よく頑張った。怖かっただろう。どうか皆さま静音にねぎらいの言葉をかけてあげてください。 …コメントいただけると静音が喜ぶと思います…。