七夕祭りの夜
平和な日常に、サプライズ!
七夕祭りの夜
何時ものように花壇の水やりを終えて、皆でレッスン室に入ってくと海斗はすでにピアノの前に座って自分のレッスンを終わらせていたようだった。
今日は、皆で合同練習の日だ。ハリ、時雨、颪、皆が揃っている。
初日に、逃げ出した静音だったが、今はもう怖くない。皆との一体感を味わってからは、皆揃うのが嬉しいし、楽しみだ。
海斗は、静音たちが一緒に来ることはわかっていたのだろう。待ち構えたように言った。
「今日から、七夕祭りの練習を始める」
「七夕祭りをやるの?」
「そう、展望レストランで、星空の夕べと題して、七夕にちなんだ曲を演奏するんだ」
海斗が、説明してくれる。
「わあー、楽しみ」
静音は、もう、客席で聞く気満々ではしゃぐ。
「楽器も、時雨がバイオリンで、颪はフルートをやるんだよ」
「わー、フルート! いいな。颪はフルートできるんだね。私教わりたいな」
学生のころ大好きだったフルートの話を聞いてつい、ポロリと口をついてしまった。
もう、フルートなんて高価な楽器を手にすることはないのに…と、恥ずかしくなる。
「静音は、高校の吹奏楽部で、フルートをやっていたんだね」
「うん。そう…。フルート、もう、なくなっちゃったんだけどね」
静音は、少し寂しそうに言う。
家が差し押さえになった時に、その対象になってしまった。
パパが無理して、高いフルートを買ってくれたのが、逆に差し押さえの対象になる結果になってしまったのだ。
「あ、そのフルート、この間、競売に掛けられていて、取り戻しておいたよ」
海斗が、思いもかけないことを言う。
「え?」
「颪が調整して置いたから、颪?」
「うん、今日渡せる。今、持ってくる」
「パパが買ってくれたあの、フルート?」
静音は、信じられない気持ちで確認する。
「そう、差し押さえは、止められなくてごめん。でも、大事な物は少しづつ取り戻してあげるよ」
「…フルート、戻ってくるの? 」
思いがけない知らせに、静音は言葉を詰まらせる。
まるで、亡き父が戻ってくると知らされたような気がした。うれしくて、こみ上げる涙をとめることができなかった。
今となってなっては、形見のようなものだ。
しばらくして、戻ってきた颪から、懐かしいフルートを受け取る。
ずっと大事に使っていた、懐かしいケースを手に取り、抱きしめるように腕に抱える。
「ありがとう。颪」
「ありがとう。海斗」
静音の目から大粒の涙があふれてこぼれた。
静音は、早速ケースを開けると、颪が手入れしてくれたのだろう、静音が使っていたころより、ピカピカに輝いていた。
「静音が使っていたまま、誰も使ってないと思うよ。誰にも触らせず、直ぐに競売に掛けられるように、手を回しておいたからね」
海斗は、又、裏で権力を行使したらしい。申し訳ないと思いながらも、それでも嬉しい。
「静音、試してみたら?」
時雨に促されて、フルートを組み立てて吹いてみる。
すごく調子がいい。前よりも、いい音がでる。
「すごい! 颪、どうやったの? すごくいい音がでるよ」
颪は、満足そうに得意顔でうなずく。
それから静音は、時々颪の時間がある時に、フルートの指導を受けた。
「すごいよ、颪、今まで出なかった音も出るようになった」
「静音、そのフレーズを忘れないで。静音がその音を出したら、日本のどこにいても、静音の居場所がわかるから、もし、遠くにいてもきっと助けに行ける」
「え! 颪、フルートを吹けばどこにいても来てくれるの?」
「そう。海斗様の力の及ぶ範囲ならどこにいても聞こえる」
「力の及ぶ範囲?」
「うん。この町の中くらいなら何処でも探せるけど、それ以上離れたら、分からなくなる。けど、この音を吹けば見つけられる」
「そ、そっか…」
七夕祭りの今日、静音は、仕事の後で、母と待ち合わせて、ディナーショーを見る予定だ。
何時ものように着替えに部屋に行くと、水花が待ち構えていた。あっという間に着飾らされた。
おかげで、レストランの前で待ち合わせた母は大喜びだった。
「静音、綺麗ね。いいわ! ステキ!」
「う、うん、着替えに部屋に行ったら、あっという間に変身させられちゃったの」
「ああ、水花さんね。氷堂さん…、時雨さんの妹さんの」
「妹さんというより、分身かなあ」
「おう、分身ね。すごい!」
母には、精霊たちの事を少し話した。最初は驚いていたが、直ぐに受け入れてくれて、今は、こののりだ。さすがは、ママという感じだった。
二人の席は、フロアの真ん中辺りだった。
食事が終ったころに、ライトが落とされて、室内が暗くなる。
いよいよ始まるのだ。
静音も、愛美も、ワクワクしながらステージを見つめる。
突然暗闇の中にピアノの音が響いた。あ、海斗だ! 静音は其れだけでドキドキする。
次の瞬間スポットライトが、ピアノの前に座る海斗を照らし出すと、会場から一斉に拍手がわきあがった。
白い指が鍵盤の上を踊る。
何時もより少し真剣な横顔がりりしく見える。
演奏はとてもすばらしく、うっとりと聞き入って、あっという間に時間が過ぎていった。
前半は、海斗のソロ演奏で、途中から、皆が加わっての演奏になった。
そろそろ、終盤と言うころに、時雨が客席に下りてくる。
「今日は、お客様にも参加していただこうかしら…」
客席を、見回しながらぐるりと一周する。静音は、なんだか嫌な予感がしていた。まさか…。
しかし、案の定、時雨は、静音たちのテーブルの前に来ると、静音に向かって、手を差し出した。
うそ! そんな話聞いてないよ。静音は、慌てて首を振るが、時雨は、かまわず静音の手を取って、舞台の上に引っ張り上げる。
静音は、マイクを渡され戸惑い気味に海斗を見ると、彼は笑いながら頷いて曲を奏で始める。
この曲は、曲調にあわせる練習だといって、いろんなテンポで練習させられた。まさか、このためだったのかと、静音は唖然とするが、もう、やるしかない。
ピアノは、ゆっくりテンポだ。静音は、大きく息を吸い込んで、丁寧に優しく歌い始めた。
スポットが、静音を照らすと、一斉にみんなの視線が集まるのを感じる。鳥肌が立った。
時雨のバイオリンと、颪のフルートが、静音の歌声に合わせて、流れるように綺麗なメロディを奏でる。
客席に静音の声が響き渡る。客席は、シンと静まって静音の声に耳を傾けていた。優しく響くその歌声は、人々の心に届いているのだろうか?
間奏の間にテンポが変わっていく。ピアノは、弾けるように、転がるような軽快な音で、静音を誘う。
静音も、それに答えるように、明るく楽しく歌う。
客席からは、手拍子がおこっていた。静音の声は、人々に受け入れられたようだ。
時雨が、楽しそうに踊りだすから、静音もつられて踊る。ドラムが、軽快なリズムを刻んでいる。颪もつられて、静音と踊る。
いつの間にか、海斗の側に連れてこられていた。
まさかと思っていたが、海斗が突然立ち上がって、静音の手から、マイクを取り上げると、静音の手を取って、踊りだす。
客席から、大きな、悲鳴に近い歓声が上がった。
演奏中に海斗がピアノから離れて踊るなんて、おそらく初めてのことだ。
燕尾服のすそを翻して、静音を腕に抱えて何度も回る。
静音のドレスのすそが、綺麗に翻って。舞踏会のお姫様になったみたいだ。
客席から、拍手喝采が巻き起こっている。
客席の前が少し広いと思っていたのは、このためだったのかと、少しあきれながらも、まるで、地に足が着いていないかのように、体がふわふわ浮いているみたいに軽くて楽しい。
ダンスを終えて席に戻ると、興奮した顔で笑う愛美の姿があった。
誇らしく思っているというように一生懸命に拍手していた。
ディナーショーは、今までにないほどの盛り上がりを見せて幕を閉じた。
祭りの夜のデート
興奮した人々が、口々に海斗の話をしているのが聞こえる。
ディナーショーの後、海斗は静音を連れて夜の街へ繰り出す。
今日は花火大会が催される日だ。
母に、行ってきてもいいかと尋ねると、喜んで送り出してくれた。
寮は直ぐ近くだが、時雨が、母を家まで送ってくれるといった。
「海斗、大丈夫なの? こんな人ごみの中に出てきて」
「静音がいるから、問題ないだろ。心配だったら、一分おきにキスして」
「この間、二~三日大丈夫って、言ったじゃない?」
静音は、眉を寄せてこんなところで駄目だからねと、言うように海斗を見る。
「あれは、先祖の記憶だから、古いデータだよ。今は当時より沢山のウィルスが出回ってるから、用心した方が良いだろ」
彼はしれっと、そんなことを言う。
「そ、それは…」
「そんなわけで、」
海斗は、キスしそうになるから、静音は慌てる。
「だ、ダメだよ。こんな人の多い所で」
「じゃ、人気の無い所に行こうか」
「なんか、それ、怪しい人みた…」
静音がそう言い掛けた時、
「あれ、静音? 静音じゃない?」
横の方から、声がして、女の子がかけよってきていきなり抱き付いた。
「ああ、やっぱり、静音だ!」
「皐月ちゃん…?」
「もう、どうしてたのよ! 連絡もくれないで、携帯は通じなくなってるし、家は引き払ってるし、心配してたんだから!」
そういえば、携帯は、ボーとしていて、ポケットに入れたまま洗濯機でまわして壊してしまった。
その後、別に無くてもいいやと思って携帯を持っていなかったが、何時でも連絡できるようにと、海斗が新しい携帯を持たせてくれた。
「ごめんね。前の携帯壊しちゃって、連絡しようと思ってたんだけど、色々あって、もう少し落ち着いたら、きちんと話そうと思ってたの」
「静音~、良いんだよ。…辛かったんだよね。でも、元気そうでよかった」
皐月は、静音にしがみ付いて泣いていた。
「ありがとう。皐月ちゃん。私、今はホテルマリオンで働いてるの。家も、ホテルの寮に入れてもらって、ママと暮らしてる」
皐月は、その名前を聞くと、涙も吹き飛んだように驚きの声を上げた。
「ホテルマリオン? あの、憧れの海斗様のいる?」
「え? ええ、そう」
静音は、チラリと海斗を見る。彼は苦笑いをしていた。
「ええ、本当? 海斗様に会ったりした?」
「あ、あの、紹介するね」
静音は、海斗の方を振り向く。彼は、少し照れたようにはにかみながら、静音の横に立つ。
「ホテルマリオンのオーナーの諏皇海斗さん。私は、彼の秘書をしてるの」
「始めまして、木内皐月さんですね。噂は、静音からかねがね聞いています」
「え! ええ?」
今の今まで、静音しか目に入っていなかった皐月は、驚いて目を見開いたまま固まった。
何々と、皐月の友達が集まってくる。誰? すごい綺麗な人! と、口々に囁く友達につつかれて、皐月はやっと我に帰る。
「これからは、色々お付き合いもあると思うので、よろしく」
海斗は、うろたえる皐月に、手を差し出す。
皐月は、反射的に手を出して、海斗と握手をしていた。
静音は、海斗が、皐月を探っているのだと気が付いて、思わず声を上げた。
「海斗!」
その声は、皐月の友達に聞かれてしまったようで、彼女たちがどよめく。
「え! 海斗って、ホテルマリオンのピアニストの海斗様?」
静音は、慌てて口を押さえるが。もう遅い。
我先にと、女の子達が、海斗の周りに群がる。
海斗は、そんな女の子達には気にも止めず、皐月の手を握ったまま話をしていた。
挨拶が終わったのを見て、彼女たちが皐月にせっつく。
「ねえねえ、紹介して」
皐月は、戸惑いながら、静音に目をやり紹介する。
「私の高校からの親友で、一之瀬静音さんよ。それと…」
「僕は、静音の婚約者です」
海斗が、皐月の言葉をさえぎって言う。
「え! 婚約?」
「では、僕たちは、これで失礼します。どうぞ、花火大会を楽しんでいってください」
またまたビックリする皐月たちに、海斗は、にこやかに会釈をして、静音の肩を抱いてその場を去った。
「ごめんね。皐月ちゃん、後で連絡するから。ゆっくり話そう」
静音は、振り向いて、皐月に手を振りながら約束する。
「うん、落ち着いたら電話して、待ってるから。ずっと、待ってるから!」
皐月も、名残惜しそうに手を振る。
人込みからだいぶ離れたところまできて、静音は、海斗に尋ねる。
「海斗、皐月ちゃんのこと、調べたの?」
「うん、これからも君の側にいる可能性のある人間だから、確かめておきたかったんだ」
海斗は、少し困り顔で、静音を見る。
「…余計な事をして怒ってる?」
「ううん…。私の事心配してくれてるのは、分かってるから。それに皐月ちゃんが私をうらぎることなんてあるわけないし」
「そうだね、彼女は、純粋に静音の心配をしていたよ。心配して、家にも何度も行ったり、あちこち探したりしてくれてたみたいだ」
「そうか、心配掛けちゃったんだ…」
「静音は、辛い顔見せたくなかったんだろ?」
「うん、皐月ちゃん、感がいいからごまかせなくて、直ぐばれちゃうんだよね」
「…、いい友達だね」
「うん…、そうなんだけど、私、皐月ちゃんの友達として相応しいのかな? なんて考えちゃって、余計に連絡出来なかったんだ…」
中沢に会った時も、高卒で大学にも行かずに働いてる自分をさげすまされた。父も、家も失くして何も無い自分が、皐月ちゃんの側にいれば、皐月ちゃんは気にしなくても、きっと、周りからは白い目で見られる。
「静音、来年大学を受けなおす事もできるよ。僕が援助する」
「海斗、…ありがとう。でも、今は、ホテルのこともっと、勉強したい。そして、海斗の役に立ちたいの。それに、歌も。歌姫としての役割を果たせたら、私は、自分に誇りを持って生きていけると思うの。今日は、すごく楽しかった。あんなふうにお客様に喜んでもらえるなんて、すごく幸せ」
「今は、大学に行くよりも、もっと、大切な物を見つけたから、大丈夫。ちゃんと、皐月ちゃんに話せる」
海斗は、嬉しそうに静音を見つめていたが、引き寄せて抱きしめる。
「好きだよ。少しも離したくないくらい」
「海斗、ダメだよ。人に見られる」
「見られてもかまわないだろ」
「だって、海斗は、有名人だから、後で何か言われたら恥ずかしい」
「じゃあ、やっぱり人のいないところに行こうか」
「もう、花火見に着たんじゃないの」
「そうだけど。静音と二人きりになりたかった」
「何時も二人でいるじゃない」
「仕事中と、レッスンだろ。もっとゆっくり静音に触りたい。恋人としてのスキンシップが足りない」
「さ、さわ…」
静音は、真っ赤に成って固まる。
楽しい夏の思い出を上書きして、親友との再会も、少しづつ前に進めている静音でした。
…コメントいただけると嬉しいです…。