名無しの権兵衛様。
シンシャさんの健脚によりあっという間に人里が見える森の出口にたどり着いた。シンシャさんは疲れた。の一言で子猫に姿を変えて私の肩を占拠し寛いでいるのですが、ふわふわの毛皮が頬や耳をくすぐって…可愛らしくて降ろすに下ろせないのだから策士ですね。まぁ乗せて頂いていた身ですから元より否やはありません。
「悪目立ちしない場所で止まってくださってありがとうございます。」
手を伸ばしゆるゆると首元を撫でる。引っ掛かれるかな?と心配したが杞憂でした。控えめに鳴る喉の音と少しの振動が心地よく口角が上がってしまう。
灰色の壁が何処までも続いて此処からでは全容を把握できないけれど、どうやらかなり大きい都市のようだ。前人に倣い最後尾へ並べば、ちょうど商人らしき人が関税等の話をしている。少年が父とおぼしき男性の問題に答えて男性が解説を入れてくれるお陰でとてもわかりやすい。ふむふむ。門兵さんに銅貨五枚を渡すか身分証が必要なんですか。
「困りました。身分証も金銭も持ち合わせておりません。」
「…頭ン中でステータス開けぇ。持ち物に財布が入ってンだろぉ。」
私の独り言に合わせ小声で返事を下さったので言われるままにステータス、と声に出さずに念じるとVR眼鏡でもかけているかのように半透明のボードが浮かぶ。視線を動かせば肉球のアイコンがボードを滑り…ネコ推し凄いですね。可愛いので構わないけれど。下へ進めば確かに持ち物欄に『財布』と表示されていて選択すればスカートのポケットが少し膨らんで重みを感じる。取り出せば飴色の可愛らしいがま口財布が顔を出した。
「おや、気がつきませんでした。ありがとうございます。」
中身を確認すると四種類ほどの硬貨が数枚ずつ入っている。『銅貨』と言っていたから銅色の硬貨だろう。よかった六枚あるから足りそうだ。…シンシャさんも『一人』に含まれるかが問題だが。
「リンデルへようこそ。見ない顔だな…観光かい?」
ガッチリと鎧を着込んだ男性が訝しげにこちらを…というよりはシンシャさんをみている。愛らしい子猫を肩に乗せていたら目立ちますものね。シンシャさん本人(本猫?)は我関せずで寝ていらっしゃるけれど。
「はじめまして、佐々良と申します。恥ずかしながら田舎の出でして、身分証となるものを作りたく…。」
深々頭を下げて御挨拶したのち門兵さんにしっかり目を合わせて眉根を下げる。そのままゆるく笑むと困り顔の出来上がりだ。低姿勢が予想外だったのか門兵さんは面食らったように動きを止めると、ボリボリと首の後ろを掻いた。
「お、おお?そうか。なら冒険者ギルドに行くといいぞ。街に入って大通りをまっすぐ行けばすぐにわかる。それから今払った税はギルドカードを提示すれば返却されるからな。忘れずに来いよ?」
「それはそれは、ご丁寧にありがとうございます。助かりました。」
手を合わせて大袈裟に安堵の息を着くと、門兵さんもゆるく笑み気を付けてな。と声をかけてくださった。それに軽く頭を下げお礼を言い、無事街に入ることが出来た。はぁ…一先ずは第一試練クリアですかね。暫く道なりに大通りを歩いていると、もぞりと肩のシンシャさんがみじろいだ。
「何が『人畜無害』だ。とんだ狸がよぉ。」
「無駄な諍いを避ける処世術ですよ。」
ふん、と首に鼻息が当たって思わず笑うとチッと不愉快そうに舌打ちされてしまって。
「気に触りましたか?すみません。」
「…早くギルドに行け。」
私の謝罪は流されてしまったようだ。かしこまりました。とご機嫌斜めな子猫に返しつつ、門兵さんに教えて頂いた冒険者ギルドとやらを目指す。地面が打ち固められているのか歩きやすく中々幅がありますね…両端には隙間なく店舗が並び、まれに十字路に差し掛かれば一本隣の道は荷馬車か馬車しか走っていない。なるほど。歩行者と車で分かれているんですか。
「おい馬鹿、前見やがれぇ!」
ドンッ
「わッ、」
「おっと、」
シンシャさんのネコパンチを頬に受けた次の瞬間、勢いよく何かにぶつかった。ああ、やってしまった。おのぼりさんよろしくあたりに気を取られて前方不注意でした。臀部の痛みを覚悟して思わず目を閉じたけれど、いつまでたっても痛みが来ない。…おや?
「…ごめんね。怪我はないかな?」
「………、も、もうしわけありません、大丈夫です。」
するりと顎を撫でられた感触がしてそっと目を開くと、麗しいご尊顔が至近距離にあって思考が停止してしまった。金糸の髪に空色の瞳、象牙の肌とはいったいどこの世界線の王子様なのか。いかん、息も止まってた。慌てて呼吸を再開しつつ男性を見るとどうやらぶつかったと同時に抱き留められたようだ。背中に回された腕や腰を掴まれている感触に、羞恥よりスカートに乗っかっている腹肉を今からひっこめても見栄を張れるかどうかに思考が飛んでしまう。
いや、ひっこめてもこの方の腕にかかる重量は変わらないんですがね…。
「良かった。美しいお嬢さんに、傷でもついたら大事だからね。」
「…、ご迷惑をおかけしまして…、ええと、」
一先ず距離を置いて体勢を立て直しお礼を言いたいのに、背に回る腕もなぜか顎に添えられている手も一向に離れて行かない。あと、顔が近い。パーソナルスペースバグってるんですかね。どうしたものかと眉間に皺が寄りかけて、王子(仮)の視線が上を向いた。
「いたたたっ!」
「ウ゛ゥウ゛ウ゛ウ゛…」
頭上に感じる重みとチクチクと針で刺されているような痛みに頭を抱えると両手にふかふかの感触が。いつの間にかシンシャさんが肩から移動していらっしゃった。
「わ、え?シンシャさんどうしたんですか、」
いやいや、爪がッ爪が頭皮にダメージを与えているんですが?!子猫様から現在進行形でシャーッ!と威嚇音が聞こえる…何故そんなに怒髪天なんですか。爪だけはしまってくださいません?
「ふふ、僕が君に触れているのが気に入らないのかな?」
慌てている私とは反対に微笑まし気に言うと王子(仮)の手がぱっと離れて、触れていないことをアピールするかのようにひらひらと揺らしている。それでもなお低く唸り続けるシンシャさんをみて楽しそうに肩を竦めていて。
「あの、ぶつかってしまってすみませんでした。それから、支えてくださってありがとうございます。」
「…君の…いや、僕も前をきちんと見ていなかったからね。お互い様だ。」
怒れる子猫と笑う王子(仮)に挟まれるという如何ともし難い空気を打破すべく謝罪とお礼に頭を下げれば、頭上のシンシャさんも唸るのをやめて肩に移って来た。フンス、と荒く吐かれた鼻息で耳がくすぐったい。一瞬なにか言いかけた王子(仮)が綺麗に笑って言い直してくるのだからわざわざ聞き返すつもりはないです。
「それじゃあ、僕はこれで。」
「はい、ありがとうございました。」
爽やかに手を振り去っていく王子(仮)の姿が人混みに紛れるまでぼんやり見送っているとプニッと頬が柔らかい物に押された。
「なんれふかひんひゃはん。」
「あんなひょろっちい雄に逆上せてんじゃねぇ。」
「ええ…?」
ぐりぐりと押されるまま吐き捨てられた言葉に困惑する。私が王子(仮)に見とれていたと思ったんでしょうか…?それで怒っていらっしゃる?首を捻っているとバシバシと鞭のような尻尾が背中を叩いてきて思わず悲鳴が出た。
「チッ」
舌打ちするシンシャさんは矜持の高い方だからか同性をみる目がとても厳しいのですかね…。
「ご心配なさらずとも、シンシャさんの方が男前ですよ。」
「フン、当たり前だろぉ。」
なんとか取り繕うと尻尾でパシ、と軽く叩かれましたが、持ち直してくれたようで。何様俺様お猫様は気難しいですねぇ。
そもそも男前とイケメンではジャンルが違いますしね、とは言わずなんとか宥めギルドへ入るとワッと喧騒に包まれ折角撫で下ろした胸が驚きのあまり跳ねたのでした。