プロローグ~三人の女性
連載一回目です。今回は主人公と三人の女性の関係を説明します。次回からは主人公が三人の女性の誰を選ぶかによって分岐するパラレルワールドを描きます。
わたしはこの物語の主人公ではない。そもそも人間ですらない。神と呼んでもらってもあながち間違いではない。わたしは下界の森羅万象すべてに精通している。だが干渉はしない。ただ、眺めているだけだ。ここではある悩める男に注目し、その独白に耳を傾ける事にしよう。
ーぼくは映画制作会社に勤めるしがないADである。監督には怒鳴られ、男優には使用人の如くこき使われ、気難しい女優のご機嫌を取らされる毎日である。そんなぼくが社長に呼び出されたのだから、嬉しいどころか、悪い予感しかしないのが当然である。
社長はいつになく上機嫌でバイプをふかしながらぼくにコーヒーをすすめてくれた。
「わが社はG社との興行戦争に打ち勝った。今やわが社にライバルはいない。今後、さらなる発展を遂げるだろう。君にもなおいっそうの活躍を期待する。その為にも、日頃の健康管理にはくれぐれも気をつけて欲しい。ときに君の健康を気づかってくれる人がまわりに誰かいるかね?」
競争に打ち勝ったというより、相手が勝手に自滅しただけである。ライバルのG社はカリスマプロデューサー狩野恭介の率いる会社である。狩野は飛ぶ鳥を落とす勢いで大ヒット作を連発し時代の寵児と呼ばれていた。だが、調子に乗って大金をかけた映画が大コケし大きな負債を負った。今は借金取りから逃げまわって行方がわからなくなっているらしい。
「いえ、残念ながら」
壁時計の重厚な音がただっびろい部屋に鳴りひびく。
「君もいつまでも若くはない。そろそろ身を固めたらどうだ。男たるもの家庭を持たなければ、一人前とは言えんぞ。実は先日のパーティーでうちの娘が君の事をいたく気にいった様子でね。娘ももう年頃だ。こういった話は早いほうが良いと思って来てもらった次第だ」
社長はそう言って写真を机に置いた。社長の三女のトミ子だ。長女と次女は女優である母親に似てたいそうな美人だが、この三女は気の毒なくらい容姿に恵まれていなかった。母親が違うとのもっぱらの噂である。
「トミ子さんの事は存じております。素敵なお嬢さんですね。ありがたいお話ですが、急な事なので気持ちの整理がまだついておりません。少し考えるお時間をいただけませんか」
確かにパーティーではトミ子と話をしたが、ほんの挨拶程度で会話が弾んだ訳ではない。婚期が遅れた娘をぼくと無理矢理くっつけようとしているとしか思えなかった。
「もちろん、即答して欲しいとは思ってはおらんよ。だが、君にとって悪い話ではないはずだ。急かさないのでゆっくり考えてみてくれたまえ。良い返事を期待しているよ」
社長令嬢と結婚して一生安泰に暮らす。確かに悪い話ではないのかもしれない。女性は容姿がすべてではない。でも、ぼくには意中の人がいた。
ぼくはもともと脚本家志望で、ひそかに作品を執筆していた。だが、原稿を持ち込んだのは自分の会社ではなくD社だった。それには理由があった。
D社は決して大手ではないが質の高い作品で数々の賞を受賞し興行的にも成功している業界から一目置かれる存在である。
亜希子はD社の制作責任者だった。彼女は道行く人が誰もが振り返る、高嶺の花と呼ぶのがふさわしい美しい女性だった。
彼女を目当てに原稿を持ち込むライターも少なくなくぼくもそんななかの一人だった。
だが、綺麗な花にはトゲがある。彼女の作品に対する批評は容赦なく、それは時にぼくのプライドをズタズタに傷つけた。
「あなたの脚本は筆で描いた絵のようなものよ。わたし達が欲しいのは作品を創る為の緻密な設計図なの。いったい何年この業界にいるの?ご不満なら他をあたる事ね」
亜希子は厳しい言葉で何度も脚本を突き返した。
もちろん、彼女は美人なだけではなく作品を見抜く目も確かだった。彼女の関わった作品がいくつも大ヒットしている。ぼくは何度も脚本を書きなおし、あと一歩で完成するところまでこぎつけた。
ある日、亜希子はぼくを食事に誘ってくれた。
給仕がグラスになみなみとワインを注ぐ。ぼくは亜希子の胸元の開いた大胆な赤いドレスを見ているだけですでに酔ってしまいそうだった。
「驚いたよ。君が食事に誘ってくれるなんて。もちろんめちゃくちゃ嬉しいけど、いったいどういう風のふきまわしなんだい?」
亜希子にまわりの視線が注がれているのがわかる。堂々たる美しさだ。
「いつも厳しい事ばかり言ってるから今日はその罪滅ぼしよ。たまには息抜きも必要だわ。それに聞いておきたい事があるの。あなたの脚本は完成すればとても素晴らしいものになるわ。これを他社に持っていけばもっと高く買ってくれるはずよ。うちは小さな会社だからそんなにお金は出せないけど、それでもいいの?」
亜希子がワイングラスに細い指を絡ませ、口許に運ぶ。ひとつひとつの仕草に気品が溢れている。
「なんだ、そんな事か。ぼくにはまだ何の実績もない。ギャラが安くて当然だ。それに君のアドバイスがあったからこそ脚本をここまで仕上げる事ができた。他社に原稿を持ち込むなんて考えた事もない。これからもずっと二人三脚でやっていきたい。君にどんなにお尻を叩かれようともね。それに、ぼくは君の事をずっと・・ずっと」
ぼくは酔いがまわり危うく亜希子に告白してしまいそうになった。彼女はそんなぼくの気持ちを押しとどめるように言った。
「その先はまだ言わないで。何事にも順番があるわ。焦らずに今は作品を完成させる事だけに気持ちを集中して。ひとつだけ言っておくわ。あなたには才能がある。わたしはその才能をもっともっと伸ばしてあげたいの」
彼女を狙っているライバルは多いだろう。だが、ぼくは負けない。この作品を成功させ、必ずや彼女のハートを射止めてみせる。そう心に強く誓った。
ぼくは数日後、大道具を担当している佳苗に呼び出された。目の細いパッとしない女だ。
「妊娠してるだって?」
ぼくは佳苗に突然告げられた。それはめでたいが、それがぼくとなんの関係があるのだろう。
「先日のパーティーの後、一緒にホテルに行ったでしょう?その時出来ちゃったみたいなの」
ぼくは言葉を失った。確かに、この前の打ち上げの後、酔った勢いで二人でホテルに行った。
だが、佳苗が飲み足りないと言うのでつき合っただけで、下心があった訳ではない。それに部屋に入るなりぼくはベッドにダイブしてそのまま朝まで寝ていたはずだ。
「ええ、そうよ。でもあなたはその後、いきなり起きあがってわたしを押し倒したの。わたしも抵抗したけど力では敵わなかったわ。事が終わるとあなたはまたすぐに眠ってしまったわ」
まさに寝耳に水だった。
「申し訳ないけど全然覚えてない。本当にぼくなのか?他に心あたりはないのか?君の言った通りなら責任は取るし、出来るだけの事はさせてもらうつもりだけど」
「勘違いしないで。あなたに迷惑をかけるつもりはないわ。ホテルに誘ったのは私だから。ただ、この事を知っておいてもらいたかったの。認知してくれとは言わないし、お金も要求しないわ」
佳苗は本当に妊娠していた。だが相手の事は誰にも言わなかったし、あれ以来ぼくに連絡してくる事もなかった。ぼくは安心するとともに、本当にこれで良いのかと良心が咎める気持ちになった。
ぼくは街の喧騒を離れ、人気のない公園へ向かった。薄暗いベンチに腰かけタバコを取りだす。
公園には先客がいた。草むらの段ボールの中からホームレスがぼくのほうを見ている。ぼくはかまわずタバコに火をつけた。
ぼくはこのホームレスを心底羨ましいと思った。この男は今夜の食事と寝どこさえ確保できれば、将来の事など何も思い悩む必要がないのだ。
ぼくは三人の女性の誰を選ぶべきか考えてみた。もちろんぼくの意中の人は亜希子だ。だが、冷静に考えてみると彼女はぼく自身にではなく、ぼくの作品に興味を示しているように思える。ぼくの才能が枯渇すればあっさり棄てられてしまうのではないか。トミ子と結婚すれば上流階級の仲間入りだ。一生贅沢が出来るだろう。佳苗の事も本当にこのままで良いのだろうか。男としてきちんと責任を取るべきではないのか。
このままではいつまでたっても結論が出ないのはわかっていた。それで、いっその事あみだくじで決めてしまうことにした。
あみだくじで女性を選ぶとはなんと不謹慎な、と思われるかもしれない。でも、ぼくはもう冷静な判断が出来ないほど追い詰められていたのである。
ぼくはカバンから封筒を取りだし、ペンであみだを書いた。この線の一本、一本でぼくの人生が大きく変わってしまうのである。あみだが完成すると最後に三人の女性の名前を書き、折り目を入れた。
ぼくは覚悟をきめ、あみだをペンでたどった。すぐに結論は出た。トミ子だ。もうあれこれ悩む必要はない。あとは自分の選んだ道を信じて突き進むだけだ。
さきほどのホームレスがまだこちらを見ている。縄ばりを荒らされたとでも言いたいのだろうか。気味が悪くなってぼくはタバコの火をもみ消すと足ばやに公園をあとにした。
続く
次回からパラレルワールドに突入します。毎日更新する予定です。宜しくお願いします。