93 湖上の館
「……あっ、密輸人のおじさんだ!」
思い出した。ダーファスに到着した日、飛行船の発着場でアーベルから魔導書を受け取っていた謎のおじさんだ。じゃあ、怪しい部下の人もいるのかと会議室を見回すと、壁を背にして黒服さんが立っているのを見つけた。開けたドアで隠れていたので、気づかなかった。黒服さんは、怖い顔をしてこっちを睨んでいる。何だろう?
謎のおじさんが、わたしに向かって微笑んだ。
「こんにちわ、お嬢さん」
「こんにちわ」
「密輸人というのは、魔導書の話かな?」
しまった。心の声を口に出していたようだ。偉い人だったらどうしよう。
助けを求めてセラさんを見ると、小声で教えてくれた。
「あちらは、サレンス・メル・ハリファール殿下です」
「ああ、ハリファー……」
「サレンス殿下です」
「……ル」
「国王様の叔父君にあたられる方です」
「――偉い人じゃん!」
「とてもとても偉い方です」
セラさんが強調して言う。セラさん自身は、ばあちゃん至上主義の人なので、緊張している様子はまったくない。メンタル強くてうらやましい。
「なんじゃ、会ったことがあったのか」
ばあちゃんが、サレンスさんに向かってタメ口で聞いた。仲良しなんだろうか。
「一度、発着場ですれ違ったことがあってね」
サレンスさんが、こっちも気楽な感じで答える。仲良しみたいだ。
「ほれ、立っとらんでこっちにおいで」
「……お邪魔します」
えらいとこに来てしまった。
ばあちゃんとサレンスさんが向かい合って座っているので、わたしはお誕生日席についた。セラさんがお茶を出してくれたので、落ち着くために一口飲む。高級茶葉を使ったお茶が美味い。
サレンスさんが、身を乗り出した。
「ハリファは初めてかな?」
「えっと……はい。すごく大きくて、綺麗なところでびっくりしました」
「綺麗だと思うかね?」
「はい。青い湖の上に、たくさん島が浮いてるとことか」
「気に入ってもらえて何よりだ」
「あの湖って、泳げるんですか?」
「残念ながら禁止だ。船もいけない」
「えっ、船もだめなんですか?」
「そうだよ。警備上の理由からね」
自由にすると、浮島に鉤縄引っかけて忍び込み放題になるからだそうだ。湖に浮いているのは基本的に警備艇だけで、民間の船はどんな理由があろうと侵入禁止。飛行船と同じあつかいである。わたしは、がっかりした。
「じゃあ、魚釣りもできないですね」
「いや、湖畔から釣り糸を垂らすことはできる」
「へえー」
「釣りが好きなのかな?」
「ゲー……じゃない、人が釣り上げてるのを見てるのは好きです」
「はは、物好きだね」
「おじさ……殿下も釣りをするんですか?」
「ああ、釣りはいい。糸を垂らしている間、無心でいられる」
リ○ンの生み出した文化の極みだよ、とか言い出しそうだ。髪の毛灰色だし。わたしは、ゲームのなかで釣りしてる間、おやつ食べたりしてたな。
などと喋っていると、控えていたセラさんがハッとして顔を上げた。きょろきょろしたあと、置いてあった膝かけを手に取り、飲み終わっていたばあちゃんのカップを下げる。膝かけとカップを給仕用ワゴンの下に仕舞うと、扉を閉めた。いったいどうした?
会議室の扉が開き、アーベルとゲオさんが入ってきた。こいつか。
ゲオさんは、ばあちゃんを見ると顔を輝かせる。何気ない様子で部屋を見回したあと、しゅんとなって肩を落とした。何をするつもりだったか想像もしたくないが、セラさんが勝利したようだ。
「イチカ。もう着いていたのか」
ばあちゃんとサレンスさんに挨拶したあとで、アーベルが言った。お偉いさんがいるから、態度はよそ行きだ。わたしに向かって、にっこり微笑む。
「殿下に、失礼なことを言っていないよね?」
「えへ」
残念だったな。手遅れだ。
わたしの愛想笑いを見て、アーベルの目に殺意が宿る。しかし、制裁はあとだと思いとどまったようで、サレンスさんの方を向いた。
「無礼があったようなので、お詫びいたします」
「知らなかったのだ。しかたがない」
「……何を言いました?」
「まあ、秘密ということにしておこう」
サレンスさんが、こっちを見て微笑む。密輸人呼ばわりしたことを、黙っててくれるようだ。さすがは偉い王族の人。器のでかさがアーベルの比ではない。
「えと……じゃあ、わたしはこれで失礼します」
ばあちゃんとサレンスさんは、この二人を待っていた様子だ。シュルツもいないし、護衛は必要ないらしいので、わたしはお暇することにした。
「殿下。お話しできて楽しかったです」
「ああ。また、おじさんの話につき合ってくれると、わたしも嬉しい」
おじさんと言いかけたのを、しっかり聞いていたようだ。
言い訳をさせてもらえば、それっぽい顔とか態度をしてるならともかく、どう見ても普通のおじさんなのだからしょうがない。顎ヒゲ生やすとか、髪の毛三色に染めるとか、それっぽい見た目にイメチェンしてくれないだろうか。
わたしは、見知らぬ邸宅の廊下をぶらぶら進んだ。
セラさんがいないので、右も左もわからない。
探検がてら歩きまわってみようか。
でも、ゲオさんの別荘とはいえ、よそん家を勝手に歩きまわるのはまずいか。他にも使用人さんがいるらしいけど、どこにいるんだろう。玄関に戻れば、誰かいるかな。
きょろきょろしながら、前に現れた柱を無意識によける。
よけた途端、大きな影とぶつかった。
「前を見て歩かないと、危ないですよ」
わたしの肩をつかんでシュルツが言った。歩いてきた様子がないから、ぶつかってくるなと思いながら見ていたようだ。お茶持ったメイドさんだったら、大惨事になるところだった。気をつけよう。
「シュルツ、ひさしぶりー」
わたしは、シュルツを見上げた。
離れていたのは数日だけど、その前にシュルツの失踪とかあったりしたので、姿を見るとほっとした。もう二度と、パワハラ王子とふたりきりなんて目には遭いたくない。
シュルツが微笑んだ。
「早かったですね」
「ジルさんのコネで、飛行船乗せてもらっちゃった」
「そうだったんですか」
「アーベルには内緒にしてくれる?」
「まあ、聞かれなければ、ですね」
「やった!」
「サレンス殿下に失礼なことを言いませんでしたか?」
「もうアーベルに聞かれた」
「そうですか。で?」
「たぶん締められると思うから、シュルツまで怒らないで」
「……何を言ったんですか」
「だって、密輸人だと思ってたから」
シュルツが、頭が痛いという風に額に手をやった。
「それはさすがに……」
「わたしも悪いけど、でも、教えなかったアーベルも悪いでしょ?」
あの時、アーベルは何て言ってたっけ。確か、お前たちは知らなくていいとか、お前たちからは絶対に話しかけるなとか、あと興味を持つなだっけ。でも向こうから話しかけてきたんだから、どうしようもない。不可抗力というやつだ。
「着いたら、教えるつもりでいたんだと思いますよ」
わたしが予想外に早く来たから、教える暇がなかったということらしい。
「アーベルとシュルツは、ここに住んでるんだよね?」
わたしは聞いた。セラさんがいてびっくりしたけど、教えられた住所はここだし、フロイさんも連れてきてくれたから、間違いないはずだ。
「例によって客室ですが」
「わたしも?」
「ええ。空いてる部屋なら、どこでも使っていいそうですよ」
「……ゲオルグさんいたけど、ずっといるの?」
「いえ。今日にも領地に戻られるそうです」
それなら安心だ。
客室は二階の奥だというので、シュルツに案内してもらった。
歩きながら、図書館に行ったことは黙っていよう。と考える。
普段本なんか読まないわたしが図書館に行ったなんて言ったら、何をしに? って聞かれるだろうし、聞かれてもエゴサしたことは絶対に話せない。シュルツは、わたしの正体がドラゴンだと知っている。でも、わたしがグラナティスという名前の破壊竜だとは知らない。ガロリアのことを勉強した人でないとグラナティスのことを知らないみたいだし、シュルツが知らないなら、知らないままでいて欲しい。
「どうかしましたか?」
「何も。わたし、お風呂がある部屋がいい」
客室はひとつずつ内装が違っていて、わたしは端っこの部屋に決めた。
壁紙は白と金で、結構広くて、浴室も付いている。部屋の半分が島の外に突き出ているので、出窓のすぐ下は湖になっていた。遠くの方に湖畔の街が見えていて、景色を遮るような浮島はない。
滞在部屋を決めてから、シュルツと屋敷のなかを見て回った。
一階には、会議室と食堂、多目的ホールみたいなとこがあり、二階は表側がばあちゃんの住居、裏側に客室が並んでいる。本当は二階が客室、三階が家主の住居だけど、ばあちゃんが二階の半分を住居にしてしまったので、三階は無人だそうだ。
ひと通り見て回ったあとで、客室が並んだ真ん中にある、ホテルラウンジのような場所に移動した。ソファーセットと暖炉があり、大きな窓からは青い湖と湖畔の街が見渡せた。
「訓練ってどこでやるの?」
ひと休みしたあとで、ふと思いついて聞いた。
ダーファスでは裏庭の森でやってたけど、ここの家に裏庭はない。表庭は通りから丸見えだから、近所の人に「ごせいが出ますね」とか声かけられそうだけど、あそこでやるのかな?
シュルツが天井を見上げた。
「屋上があるそうなので、見に行ってみましょうか」




