92 王立図書館
数ページも行かない内に、わたしは中断を余儀なくされた。
さっきも言った通り、王立図書館はだだっ広い。だだっ広い上に、言語が一緒とはいえ、どうでもいい外国の本ばかりが置かれている「諸外国の本」の部屋である。わたしが来た時には誰もいなかったし、本を見つけて、閲覧用スペースに運んで来た時も誰もいなかった。
にもかかわらず、今、わたしの横にはひとりの女の子が座っている。
怖い話ではない。ある意味、怖い話だけど。
わたしが本を開いたタイミングで部屋に入ってきて、わたし以外誰もいない閲覧用テーブルの、なぜかわたしの真横の席にすとんと座った。そして、片手で頬杖をついてこっちをじっと見つめている。たぶん同い年くらいだろう。青がかった緑色の巻き毛に、琥珀色の目。貴族っぽいドレスを来て、ものすごい美人だ。いったい何目的なんだろう? 庶民がめずらしいのか?
触ったらいけない予感がしたので、調べ物を続けることにした。
時間ないし。ほっとけば、どっか行くだろう。
歴史書の最初の方をパラ見し、それからドラゴンの出てくる絵本でグラナティスの名前を探す。歴史書の方は収穫なし。絵本の方は、シェローレン屋敷にあったのと似たようなのを二冊見つけた。こっちには、ちゃんとガロリアの名前が出てくる。失意の少年は生き残った人々とガロリア国を建国し、求められて王様となりました。国は栄え、少年は末長く幸せに暮らしました。めでたしめでたし。
「――グラナティスは、どうなったんだろう?」
悪い怪獣は、ヒーローに倒されて死んでしまう。けど、世界を滅ぼしたグラナティスは誰にも退治されていない。仕事を終えたグラナティスは、どこへ行ってしまったんだろう? 自分の巣に帰ったんだろうか。でも巣ってどこだ? 考え込んでいると、すぐ近くで声がした。
「あなた、グラナティスのことが知りたいの?」
びくっとして、わたしは横を見た。
貴族の女の子が、瞬きもせずにわたしの顔を凝視している。
しまった。存在を忘れていた。
「あなたに聞いているのよ。答えなさいな」
わたしは、視線を泳がせた。こっから無視するのは、あきらかに感じが悪い。貴族だったら勉強いっぱいしてそうだし、ガロリアのことも知ってるかな。
「えと……うん」
「それは、ガロリアの建国のお話よ」
「らしいね」
「知ってるのに読んでたの? 何で?」
お嬢様だけあって、口調に圧がある。縦ロールだったらそれっぽいんだけど、残念ながらふわっとした感じの自由な巻き毛だ。
「友達の家に絵本があって、詳しい話が知りたくて」
「ガロリアの?」
「というより、グラナティスの」
「物好きな子ね」
「本当にいたら怖くない?」
「そんなの、嘘に決まってるじゃない」
「そうなの?」
「そうよ」
でも、少なくともグラナティスはここに実在している。
ハリファールの人では、やはり詳しいことはわからないようだ。
がっかりしていると、女の子が口を開いた。
「ガロリアって、すっごく古い国なのよ」
「そうなんだ」
「史実もおとぎ話もごっちゃにして、何が本当かわからなくなってるのね」
「想像力が豊かなんだね」
「それにしたって、世界を滅ぼすドラゴンだなんて」
「でも、ドラゴンはいるんでしょ?」
「ベル山脈の向こうにね」
「いるんだ」
「わたしは見たことないけど。あなたもないでしょう?」
「えと……うん」
自分以外の個体は、確かに見たことない。ミハイ君も魔族見たことなかったって言ってたし、人間界にはそうそう来ないようだ。それはそうとして。
「えっと……わたしに何か用?」
人気のない図書館の区画の、わたし以外に誰もいないテーブルで横に座ってくるぐらいだ。何か用があったに決まっている。
「あなた、シェローレンの警備兵でしょ」
「えっ、何で知ってるの?」
名乗ってもいないのに。
びっくりしていると、女の子が目線でわたしの服装を示した。そういや、ダミアンさんの護衛のふりするために、シェローレンの制服を着てたんだった。
「誰のお迎えかしらと思ってつけたのに、さぼり始めたから待つことにしたの」
さぼりではない。いや、道草食ってるんだからさぼりか。アーベルに知られたら、日給換算して今月の給料から引いておくからな、くらい言われかねない。
「誰のお迎えに来たの?」
「誰のお迎えでもないよ。空き時間っていうか……」
「でも、誰かの護衛ではあるんでしょ?」
「えっと」
「あなたの主人は誰?」
「ええっと」
「いいから、教えなさいよ」
アーベルの手下だけど、旅券は警備兵になっている。
じゃあ、アーベルの護衛でいいのか?
でもアーベルは、ゲオさんの養子になってシェローレン名乗ってるけど、公表はされていないと聞いた。シェローレン家の上の人と、あと、スパイ飼ってる一部の大貴族が知ってるくらいで非公開だったはずだ。わたしがバラすのはまずいだろう。
「……ごめん。教えるのはだめなんだ」
「あら、意外と真面目なのね」
「クビになって一文無しになっちゃう」
「さぼってるのに?」
「さぼりじゃないよ。空き時間だよ」
「じゃあ、またここにくる?」
「仕事があるから、わからない」
「そう……」
「ごめんね」
謝ったが、女の子は不満そうだ。テーブルに両手をつくと立ち上がった。
「わたし、行くわ!」
「あっ、うん」
「あなた、お名前は?」
「イチカ・オリベ」
「女の子よね? そんな格好してるけど」
「こんな格好だけど、そうだよ」
女の子は「ふーん」みたいな顔をしている。出口に向かうが、ちょっと行ったところで勢いよく振り向いた。高級そうなスカートが、ひらっとなる。
「わたしはココネアよ」
キリッとして言うと、今度こそ行ってしまった。騒がしい子だったなあ。
「そうだ、時間……」
懐中時計を確認する。待ち合わせの時間まで十五分を切っていた。
大急ぎで本を棚に戻し、十分前に部屋を出た。五分前には図書館の入口に着いたけど、すでにフロイさんがいた。様子見にくる暇がなかったけど、二時間ずっと待ってたんだったらどうしよう。
「寄り道してもらって、ありがとうございました」
「いいえ。わたしも楽しみましたから」
買い物袋を持ち上げて言う。途中で素敵な喫茶店を見つけたから、休憩して行きませんかと誘ってくれた。そういえば、少しお腹が減っていた。わたしの小腹の心配までしてくれるとは、さすがは、できた秘書のできた秘書さんだ。
転送基地を経由して、シェローレンが所有しているという浮島へ渡った。
基地から出ると、そこには高級そうな邸宅が建ち並んでいる。
生け垣があって、前庭があって、その奥に二、三階建ての邸宅がある。土地に限りがあるせいか、庭はどこも小規模だ。門から屋敷まで並木道が続いている、みたいな家はない。
わたしを屋敷の前まで送り届けると、フロイさんは帰って行った。
アーベルに会うと、飛行船で来たのがバレるので配慮してくれたようだ。ジルさんのお誘いだったと言えば怒られないだろうが、事前に渡されていた旅費は確実に取り上げられる。ずっと買いたいものがあって、家出した時に稼いだお金と合わせて、ようやくまとまった金額になった。取り上げられると、とても困る。
わたしは、目の前にある屋敷を見上げた。
住宅街の途中にある、小金持ちっぽい三階建てのお宅である。
よそん家と同じように、生け垣に囲まれ、ちょっとした前庭がある。開けっぱなしの門を通り、屋敷までの道を歩く。警備兵みたいのは特にいない。
ノッカーを鳴らして待っていると、扉が開いてメイドさんが現れた。
黒いロングスカートに、ひらひらの付いた白いエプロン。頭の上に、何か萌える感じの被り物をしている。髪はミルクティーみたいな白茶色で、細身だけど、背筋がぴっとして有能さが滲み出ている――ていうか、セラさんだ。萌えないメイド服から、萌えるメイド服にパワーアップしたセラさんである。
「セラさん!? セラさんだ!」
わたしが歓声を上げると、セラさんが嬉しそうに微笑んだ。
「イチカ様。お待ちしていました!」
セラさんに案内してもらって、家の中を進んだ。
シェローレン屋敷とは比べものにならないが、それでも結構なお屋敷である。
ゲオさんの別荘だそうだが、こないだの裏切り行為の埋め合わせで、無期限でばあちゃんに貸し出し中とのことだ。さすがにセラさんひとりで切り盛りできる広さではないため、他にも使用人さんが大勢いる。でも、セラさんはばあちゃん専属で変わりないとのことだ。幸せそうで何よりである。
「ワーリャ様。イチカ様がお着きになられました」
通されたのは、会議室みたいなとこだ。
中央に細長いテーブルがあって、高級そうな椅子がずらっと並べてある。食堂にも見えるけど、壁に広域地図が貼ってあるから、だったら会議室だろうという推理である。
「イチカ、よう来たなあ」
わたしは、声のした方を見た。ワーリャばあちゃんは、茶色の服を着て椅子の色と同化している。声をかけられなかったら、見逃していただろう。
「ワーリャばあちゃん、ひさしぶりー!」
手を振ったところで、ばあちゃんの向かい側に、誰かいるのに気がついた。
ばあちゃんの茶飲み友達だろうか。灰色の髪に薄茶色の目をした、六十代くらいの男の人で「おかえりなさいませ、お嬢様」みたいなセリフが似合いそうな、穏やかな顔つきの紳士である。というか、どこかで見た覚えがある。どこで見たんだっけ?




