09 ドラゴンの午後
あれほどヤスに怒られたのに、父は頑として謝罪も反省もしなかった。
死人が出たわけでもなし、多少地形が変わったくらいで文句を言うな。
愛する娘が初めての魔素収集で、あれだけのことをして見せた。
その見物料なら安いくらいだ。
わたしなら、代償に命を失っても笑って許したね。
以上が、父の言い分である。
考えてみれば、世界の滅亡を願っている父だ。
そしてヤスは、その一味の仲間である。
ちょっと山が削れて、ちょっと命が危険になったくらい、世界の滅亡とくらべればささいな出来事だろう。それを口やかましく、ガタガタ言うヤスの方がおかしいのではないか、と時間が経つにつれわたしも思うようになった。
いや、だめだ。
ヤスの言葉を疑ってはいけない。
ヤスを否定したら、わたしは世間の非常識になってしまう。
「百点満点の課題で、うっかり千点とっちゃっただけじゃないですか」
白のセーターに黒いレギンス姿のミリーが言った。
服装からして非番のようだが、当たり前のようにここにいる。
ちなみに、わたしの部屋のクローゼットはふたりの服でいっぱいだった。
「ミリーの言う通りです。お気になさることはありません」
勤務中のレイルは、いつものローブ姿だ。
ここの人たちは勤務中は地味なローブ姿だが、勤務時間外の服装は自由なルールだ。非番の魔術師が、ラフな格好で城内をうろついているのはよく見かける光景である。
「でも、みんなに大ケガさせるとこだったんだよ?」
「ケガなんかしません」
「でも、危なかったじゃん」
「しません。こちとら流星の3ですよ」
「そこらのひよっこ魔術師とは格がちがうのですよ」
「だから、グラナ様は安心して暴れてくださってかまわないんですよ」
力強くふたりが言うが、その言葉を鵜呑みにはできない。
窓の外を眺めつつ、ゲームで言うと今はどういう状態なんだろう。と考える。
チュートリアルの途中であることは間違いない。
ただ、わたしは前プレイヤー(?)のステータスの一部を引き継いでいる。
MP(?)がとんでもなく高い。
しかし、スキルを洗い替えされたので魔法はいっさい使えない。
MPはマックス値だけど「魔法スキル0」という、宝の持ち腐れ状態である。
「炎竜って、何て残念な生き物なんだろう……」
「グラナ様?」
「グラナ様は残念なんかじゃないですよ?」
そこへ扉にノックの音がした。
あらわれたのは意外な人物だ。
やぶにらみの目に、頬には古い刃物傷。
ヤスのご登場である。
「ちょっとグラナ様を貸してもらうよ」
ヤスは父の助手であり、組織のなかではふたりの先輩に当たる。
しかし、簡単に引き渡すようなミリー&レイルではない。
ふたりは、ヤスの前に立ち塞がった。
「わたしたちはグラナ様のお世話係兼、護衛です!」
「いくらジャハリさんの要求でも、グラナ様を連れ出すことは許可できません!」
「そうです! 絶対に許可できません!」
「……それなら一緒にきてかまわないから」
うぜえという顔でヤスが言う。
「どっちでもいいから、グラナ様を中庭まで連れてきてくれ」
そう言うと、さっさっと出て行ってしまった。
「わたし、ボコられるのかなあ……」
「そんなことはさせません!」
険しい表情をしてレイルが言った。
いつもの籐カゴで、中庭まで運んでもらった。
中庭の隅に大きな木があり、その下でヤスが待っていた。
木陰に敷物を広げ、あぐらをかいて座っている。
「しばらく、魔法の教師はわたしがいたします」
「パパは? いいって言ったの?」
「説得しました。さあ、そこに座ってください」
向かい合って座ると、ヤスが魔素を見えるようにしてくれた。
中庭の魔素量は多くない。空を見ると、ベールのようなものが城を覆っているのが見えた。魔法障壁が張られているのは知っていたが、目で見るのは初めてだ。城内や庭で寒い思いをしなくて済むのも、この魔法障壁のおかげである。
ヤスが呪文を唱え、敷物を覆うように半球の障壁を張った。
そうしてから、手の上に一粒の魔素を浮かばせた。
「では、これを引き寄せてみてください」
わたしは、障壁の外にいるミリーとレイルの方を見た。
ふたりが「ファイト!」という風に拳を上げるのを見て、うなずいた。
わたしは怖々、魔素の粒を引き寄せた。
遠足の時とは違い、一粒だけなので集中しやすい。
魔素の粒がふわふわ漂ってきて、目の前で静止した。
それ以上増えないし、爆発もしない。
わたしは、ほっとした。
「結構です。ではもう一度」
そう言うと、ヤスは自分の方に魔素を引き戻した。
魔素のキャッチボールをしばらく続け、慣れてくると、一粒の魔素を留めたまま、新たな粒をキャッチボールするよう要求された。それが二個に増え、三個に増え、十個まで増えるとさすがに辛くなってきた。
なかなか難しかったが、やっている内にコツをつかんできた。
体が覚える、というのだろうか。
魔素を引く、魔素を留めるということが、感覚的にわかってきた。
「しばらくは、こうして魔素をあつかう訓練をしましょう」
障壁を消して、ヤスが言った。
わたしは悲しくなった。
中庭で訓練ということは、遠足はしばらくおあずけということだ。
あんな大事故を起こしたのだから、当たり前か。
「ヤ……ジャハリさん。ご指導ありがとうございました」
お礼を言って、頭を下げる。
ヤスは奇妙なものを見る目でわたしを見たが、同じように頭を下げた。
「アントラ様でなく、ご不満でしょうが、辛抱してください」
「不満はないよ。パパは大好きだけど、イカれてるのもわかってる」
「――アントラ様は偉大な魔術師です。ですが、天才であるがゆえに指導をするには向いておりません。魔法学はともかく、実技に関しては、何の努力もせずやってこられたようで、魔法に触れたことのない者の教師役としては最悪の人物です」
「最悪は言い過ぎじゃない?」
「わたしから指導を受けたと知れば、泣くか怒るかすると思うので、アントラ様には内密にお願いします。ミリーとレイルに手伝ってもらったと答えてください」
「ん? パパの許可はとったみたいなこと言ってなかった?」
指摘すると、ヤスは遠い目をして空を見上げた。
「説得はしました。受け入れられませんでしたが」
「ああ……」
説得しました。(納得させたとは言ってない)
ミリーとレイルが、顔を寄せてひそひそしている。
告げ口しないように、あとで言い含めておこう。
父を裏切るようで心苦しいが、大惨事を笑って許すイカれた父だ。言う通りにしていたら、そのうち死人が出るだろう。そうかと言って、魔法が上手くならなければ、父に失望されてしまう。それは何よりダメなことだ。
わたしは、ヤスの考えに乗ることにした。
翌日から、午後の一時間をヤス相手に訓練をして過ごした。
この時間は父のお昼寝タイムだから、バレる心配がないらしい。
中庭の一角に障壁を張り、そのなかで魔素のキャッチボールを繰り返した。
「魔素ってどのくらいの量、手元に置いておけるの?」
魔素の粒を引き寄せながら、わたしは聞いた。
「それは魔術師のレベルによって違います」
「流星とか明星とかいうやつ?」
「そうです」
「ふーん。……魔素を確保していられる時間も?」
魔素は雪玉のようなものらしい。
一時的に持っていることはできるが、時間が経つとなくなってしまう。
「いいえ。確保しておけるのは、共通して数時間が限度です。場所にもよりますが、一時間で半減、二時間で消滅と覚えておくといいでしょう」
「魔素が二時間で消えるなら、魔法の維持も二時間が限度なの?」
空を見上げながら聞いた。
城を囲んでいる障壁は、二十四時間稼働している。
数時間おきに魔法をかけ直さないといけないなら、係の人は大変だろう。
「あの障壁には、周囲の魔素をとりこむ魔法がかかっています」
「オートなんだ? すごいね」
「魔法自体に維持の仕組みがあるものは、周囲の魔素がなくならない限り維持されます。ですが、アントラ様がやってみせたような竜巻や炎を出すといった魔法は、魔術師の魔素が切れると同時に消滅します」
「魔素を切らさなければ、魔法もずっと出していられる?」
「おっしゃる通りです」
「じゃあ、魔法を使いながら、魔素も集めなきゃいけないの?」
魔素は、魔法を使うためのエネルギー源だ。魔法を使うには魔素を消費するが、魔法を維持するためには使った分の魔素を補給しなくてはいけない。それを、どのタイミングでやっているんだろうという疑問である。
「いいえ。たいていの魔術師は、魔法を使う準備段階として魔素を蓄え、その蓄えのなかで魔法を使用します」
「たくわえ?」
「そうです。体に触れた魔素は、体の表面を覆うように広がり、自身の発している魔素と同化して、外からは見えなくなります。ですので――」
ヤスが、数個の魔素を引き寄せる。
手の上で上下させると、肌に触れた魔素は消えて見えなくなり、浮上するとまた見えるようになった。体に触れていれば、気づかれずに魔素を持っていられるようだ。
「このようにして、魔素を持っているのが普通です」
「その状態で魔法使えるの?」
「もちろんです」
「じゃあ、パパが魔素玉作ってたのは?」
「グラナ様に魔法の仕組みを見せるためです。それに、アントラ様は一瞬で魔素を集められますが、通常の魔術師は、もっとずっと時間がかかります」
わたしはミリーとレイルの方を見た。
ふたりがにっこりし、目を閉じると、体から魔素がふわっと浮き上がった。蓄えていた魔素を放出して見せてくれたようだ。今度、溜めるところも見せてもらおう。
蓄えた魔素量が、イコールMPの残量と考えていいようだ。
MPの残量がゼロになると魔法が使えなくなり、その上、MPは時間の経過とともに減っていく。一時間で半減、二時間で消滅。だから、その前に魔素を集め直さないといけない。ちょっと難易度高いなあ。
「じゃあさ、魔法使い同士が戦うときは、敵の魔術師が、どのくらい魔素を持ってるかわからない状態で戦うの?」
「やむを得ない場合はそうなります」
「やむを得てる場合は?」
「周辺の魔素量、魔術師のレベル、魔法の使用量などから計算する方法もあります。極端な話になりますが、魔素が少ない地域なら、どんなにレベルの高い魔術師でも魔素をあまり持っていないことが推察されます」
「やむを得てない時は、先に魔素が切れた方が負けってこと?」
「力が拮抗していれば、そうなります。相手より先に魔素が切れた場合、逃げることもできなくなりますから、撤退の見極めは非常に重要なことです」
わたしは運動会の玉入れ競技を想像した。
地面に転がっているお手玉を力づくで奪い合い、味方チームのカゴに、敵チームより多くの玉を集めた方が勝ちという、子供には少々過酷な競技である。あれ? 赤白でわかれるんだっけ?
多くの魔素を集めた方が、相手よりも多く魔法が使える。
でも相手がどれくらいの魔素を持っているかは、状況などから推測するしかない。これはまあ、ゲームなんかでも同じだ。ボスのステータスは見えないから、回復アイテムを消費しつつ、いつ終わるのかとハラハラするしかない。
ヤスとの訓練は続き、遠足の許可が出たのは十日後のことだった。