83 限界と奮闘
ミハイ君たちの脱出を見届けてから、わたしは黒蛇に目を向けた。
レッサーパンダの時よりボリュームダウンしているが、それでもまだでかい。太い胴体はひと抱えほど、全長は綱引きのロープくらいはあるだろう。
「ラスムス君いないのに、どうして動いてるんだろう……」
魔物の身体は、ラスムス君の魔力でできていたはずだ。本体であるラスムス君がいなくなった今、魔物の体は中身を失った着ぐるみ、もしくは抜け殻でしかない。そのはずなのに、どうして動けているのか。
「あっ、シュルツが喰われる」
考えるのはあとだ。わたしは、剣を抜くと岩棚から飛び降りた。
わたしは、離れた所からシュルツに声をかけた。
「シュルツー、大丈夫?」
シュルツは肩を噛まれたまま、巻き付いた黒蛇に体を締め上げられていた。ミハイ君たちは脱出したし、もう捕まえてる必要はないはずだからガチで抜けられないようだ。
「……イチカ……逃げ…………」
声を出すのもやっという様子で、シュルツが言う。大丈夫ではなさそうだ。
「死にそうなのに、何言ってんだよ」
シュルツの霧化魔法は、自分の体を霧状に変え、あらゆる物理攻撃をスルーする。でもあの黒蛇は生物じゃなく、ラスムス君の魔力が凝り固まったものだ。霧化魔法は魔族の何たらと言っていたし、魔族の魔力でできた黒蛇とは相性が悪いのだろう。
わたしは剣を構えた。心の中でアイチャンに呼びかける。
『アーイーチャーン』
『アーカイブ検索。ボア科オオアナコンダに酷似』
『えっと、特殊魔法解放して欲しいんだけど』
『要求にお答えすることはできません』
『わたし、今からあそこに突っ込むよ?』
『……』
『信じている。アイチャンを』
キリッとして言った。アイチャンは無言だ。
今までの経験からして、生きるか死ぬかの大ピンチになると<白の衣>が解放されている。そして、解放するかどうかは、アイチャンが判定してるっぽいので軽くプレッシャーをかけてみた次第である。宿主であるわたしの死は、同時にアイチャンの死でもある。アイチャンだって、好んで死にたくはないだろう。あとは、信じて祈るしかない。
深呼吸をひとつして、わたしは黒蛇と対峙した。
「――きもい」
アナコンダらしいが、全身真っ黒で、模様みたいのが見当たらないのが救いだ。ウナギだと思えばウナギに見えないこともない。ウナギなら、まだ耐えられる。
「あれはウナギ、ウナギ、ウナギ……」
自己暗示をかけつつ、わたしはウナギに向かって走り出した。
ウナギの頭は、シュルツの肩に噛みついている。
にもかかわらず、別の頭が出てきて、わたしに襲いかかってきた。
えっと思いながら、わたしはそれを避ける。バックステップで離れながら確認するが、どうやら見間違いじゃない。ウナギの身体の両端に、それぞれ頭があるようだ。何それきもい。
シャッと飛んできたウナギ第二の頭をよけ、くねる胴体とすれ違う。
第二の頭が戻ってこないうちに、シュルツの体に巻きついている部分に一太刀入れてみた。炎の剣でないと無理――そう思ったが、ウナギの体がざっくり斬れた。あれ? わたしすごくない?
「……いや、中身がいなくなって、弱ってるだけか」
そうでなければ、あっさり攻撃が入るわけがない。
エネルギー源を失い、自己消滅しつつあるようだ。
なんか楽勝っぽいなと思いながら、わたしは剣を振りかぶる。
と、アイチャンの声が聞こえた。
『報告。特殊魔法の解放条件が満たされたました』
『え? ウナギ弱いのに?』
『術式解放。白の衣、使用可能です』
ちょっと脅かしすぎただろうか。
でも、解除してくれるってんだから、解除してもらおう。
魔素の残りは60パーセント。
わたしは、スキルツリーを開いた。<未分類/継承>のフォルダ内から、<白の衣>をフレーム内に移動させる。
『特殊魔法の術式を確認。緊急自動詠唱開始します』
しばらく待っていると、わたしのカラーリングが変わった。
服が白に、髪と爪は青くなる。剣の刃に顔を映すと、目の色も青くなっていた。前も思ったけど、完全に雪イチカである。いったい誰の趣味なんだろう。父か、ヤスか。たぶん父だな。
「……衣装もチェンジすればいいのに」
残念ながら、そこは変身前と変わらない。
意味もなく色が変わってるとは思えないから、たぶんバリアコーティング的なあれでこうなっているんだろう。もしや、ダイヤモンドコーティングか。
受注生産がとか言ってる場合じゃない。
ウナギ第二の頭が飛びかかってきた。動きが速い。ウナギの牙が腕をかすめたが、白の衣の効果で何の傷も負わなかった。ありがてえ。
戻ってきたウナギ第二の頭を、わたしはすれ違い様に切り落とす。
振り向いたところへ、弟の敵討ちとばかりに第一の頭が飛びかかってきた。
狙いを定めて剣を突き出し、第一の頭を串刺しにする。
貫かれた頭は、煙のようになって地面に落ちた。
両方の頭を失ったウナギの胴体も、しゅうしゅうと黒い煙を吹き出しながら形を失って行く。あとには、ビー玉くらいの大きさの玉が地面に散らばっていた。例の腕輪のパーツのようだ。つま先でつついても、何の反応もない。魔力が残っている様子もなかった。
倒れているシュルツの方を見る。肩に傷を負っているが、他に怪我はないようだ。ポーションが半分残っているから、目が覚めればすぐに治せる。
わたしは、ほっとしながら剣を収めた。
あらためて、カラーチェンジしている自分の身体を見下ろす。
次いつ解放されるかわからないし、魔素が切れる前に色々調べておこう。
わたしはスキルツリーを開いた。
白の衣が解放されている以外、特に変わったところはない。
じゃあ、この状態でも<火球>とか<青の盾>も使えるってことか。
などと考えていた時だ。
わたしは、何者かの攻撃を受けた。
白の衣で防御力爆上げ中だから、ダメージは負わない。
背中をどつかれ、吹っ飛ばされて、岩の裂け目に転がり落ちた。
何が起きた!?
飛び起きたわたしは、裂け目の端から顔を出した。
さっきまで立っていた場所に、抜き身の剣を下げたシュルツがいた。
肌が青白く、元は緑色の目が、カラコンでも入れたように赤い。霧化魔法を使う時は、いつもこんな見た目になるけど、いつもとは何かが違う。見た目だけじゃなく、中身もヤバくなっているようだ。全身から殺気を漂わせ、雑菌を発見した白血球のような尋常でない目つきをしていた。
「――これが噂のバーサクモードか」
たぶん、ウナギの魔物に噛まれたせいだろう。
霧化の制御ができなくなったようだ。
アイチャンが白の衣を解放してくれたわけである。やばいなー。
「シュルツー! おーい!」
名前を呼んでみるが、案の定、返事はない。
カッと目を見開くと、雑菌を発見した以下略の勢いでこっちに向かってきたので、わたしは急いで逃げた。
「魔素が尽きたら、元に戻るかなあ……」
裂け目の底を走りながら、対策を考える。
ただの霧化なら魔素切れで戻りそうだけど、ウナギが魔力注入とかやってたら簡単には戻らない可能性もある。わたしの方は、魔素の残り30パーセント。白の衣も解放されてることだし、魔素が切れる前にバーサクシュルツを一回だけどついてみよう。
「――殴ったら、正気に戻るかもしれないし」
岩壁に背中をつけ、シュルツの足音に耳を澄ました。
足音は上から聞こえる。わたしを探しているようだ。
シュルツが通り過ぎたところで、溝から飛び出して一撃くわえた。
わたしの剣が、シュルツの霧化した背中を通り抜ける。
忘れていた――わけではない。不意打ちに失敗しただけだ。
ミハイ君を庇うために、わざと噛まれたということは、霧化魔法はオートではなく、ある程度シュルツがマニュアル操作しているようだ。それが単純なオンオフか、部位ごとの透過かは不明だけど、どちらにせよ意識外からの攻撃なら有効になる可能性が高い。でも、シュルツってめちゃめちゃ警戒心強いんだよなあ……。
シュルツが反撃してきたのを、ぎりぎりで避けた。
白の衣発動中は防御力が爆上がりするけど、体重はいつも通りだから、力で押されると吹っ飛ばされる。それに、何度も攻撃を受けたら、バリアコーティングでもやばいかもしれない。
いったん離れよう。そう思ったが、暴走したシュルツの攻撃がすさまじく、距離をとる余裕がない。次々に剣を打ち込まれ、防ぐので精一杯だ。
防ぐというか、さっきから刃がばしばし当たっている。
生身だったらすでに死んでるなー、と考えながら、わたしはシュルツの剣を横に弾く。足元でパキッという音がし、見ると、白水晶が真っ二つに割れていた。さっき、上から落ちてきた白水晶の欠片のようだ。魔物が倒れた地響きで、小雨みたいに降ってたっけ。
「――ひらめいた!」
わたしは風球を四つ発生させた。シュルツの攻撃を避けつつ、剣を左手に持ち替えると、腕当てから投剣を引き抜く。風球を頭上に移動させると、投剣を投げて<ソーンショット>を撃った。
狙ったのは、真上にある白水晶のクラスターだ。
投剣が届いた瞬間、カシャンという音がして、水晶がぱらぱら落ちてきた。当たり所が悪かったようで、量が少ない。こんなんでは、シュルツの気を逸らせないだろう。
そう思ったが、バーサクシュルツが殺気立った目で上を見た。
攻撃を受けたと勘違いしているようだ。け……計画通り!
わたしは長剣から手を離すと、腕当てから投剣を引き抜いた。
細い柄を両手で握り、勢いをつけてシュルツの懐に飛び込む。
今度は手応えがあった。
バーサクシュルツが呻き声を上げ、顔をしかめて投剣の刺さった所に手をやる。めっちゃ痛かったようだ。ごめんな! でも、おかげで正気に戻りかけているようだ。殺気が薄れ、視線が左右に揺れている。
もう一押し、今度はぶん殴ってみるか。そう思った時だ。
『警告。使用中の魔法に対し、魔素量が不足しています』
アイチャンの声が聞こえた。
「えっ、今?」
まだあるだろうと思ったが、確認すると本当になかった。
残り1パーセントが、確認している間に0パーセントになる。
白の衣のカラーリングが一瞬で元に戻り、無敵モードが解除された。解除どころか、魔素がないから一個も魔法が使えない。ひ弱なただの一般人。シュルツのデコピンひとつで、一瞬であの世行きという状態だ。何と言うことだ。
あわあわしていると、上の方からメキッという音がした。
今度は何だ!
見上げると、巨大な水晶の塊が、わたし目がけて落ちてくるところだった。




