82 遠国の少年
赤い瞳をした、大きな黒い獣が後ろ足で立っている。
クマというか、アライグマ。アライグマというか、タヌキ。
いや違う、何とかパンダってやつだ。何だっけ?
『アーイーチャーン』
『アーカイブ検索。レッサーパンダ科レッサーパンダに酷似』
『それだ!』
レッサーパンダは、白、黒、赤茶の三色毛皮だけど、この魔物は白黒の二色で、耳の内側、口周りとほっぺ、それから目の上にマロ眉的な白模様がついていて、ほかは真っ黒の毛皮をしている。くりくりの目はウィノと同じ赤色。電球を仕込んだみたいに、内側から怪しく光っている。言うまでもないが、もふもふのふわふわ、色んな意味で凶悪な、四頭身の魔物が不気味な様子で佇んでいた。
「――何てこった!」
「まだ子供のようですね。大きさはあれですが……」
シュルツは「うーん」みたいな顔をしている。魔物の全体像を見たのは、これが初めてのようだ。
「そうだ、ウィノはどこだろう……?」
空洞は広い。レッサーパンダ風の魔物は、お祭りのフワフワドームくらいの大きさだが、それが暴れられる余裕は十分にあった。天井には残雪のように白水晶のクラスターが生えていて、全体に明るい。床は岩がちで、さっき落ちたような亀裂が環状に広がっている。見た感じ、そんなに深くはなさそうだ。
「あ、いた」
ウィノは、ミハイ君と一緒にいた。何があったか知らないが、荷物みたいに小脇に抱えられている。小声で呼びかけると、亀裂を飛び越えてこっちにやってきた。
「お、シュルツじゃん」
「ミハイ、お久しぶりです。ご実家に連絡は?」
「してねえ」
「……勘弁してください」
「ミハイ君。ウィノ、どうしちゃったの?」
「突っ込んでって、吹っ飛ばされた」
「ええ……大丈夫?」
「魔族だしな。お前、もう勝手に動くんじゃねえぞ」
「うむ」
ミハイ君が、抱えていたウィノをおろした。ちょっと汚れているが、怪我はないようだ。自分の足で立つと、眉をよせて魔物の方を見た。
「……ラスムス」
では、あれが暴走ラスムス君で確定のようだ。元がどんなだか知らないけど、あんな萌え萌えの姿にされてしまうとは、魔力増強の薬ってすごいんだな。
「さっそくなんだけど、ラスムス君の弱点とか知らないかな?」
わたしは聞いた。成長しているというし、あの重量で歩き回られたら、いつ岩盤が崩れてきてもおかしくない。洞窟崩壊するとヘレーネさんたちが困るし、倒すなら早くやっちまった方がいいだろう。
「……じゃくてん」
「首落としたら呪い解放されるとか、背中のケーブル引っこ抜いたら活動停止するとか、何かないかな?」
「お前……何言ってんだ」
「まあまあ」
「……左手に」
「左手?」
「魔力を増幅させる腕輪をしておる」
「あれ? 飲み薬って話じゃなかったっけ?」
「飲み薬についておった。薬の効果が百倍? になる」
「んな、うさんくせえもん買うなよ!」
わたしではない。ミハイ君だ。
飲み薬と腕輪のセット販売だったらしい。ラスムス君助けたら、まず説教だな。
「シュルツ?」
「では、左前足を刈り取る方向で行きましょうか」
「そうだね」
「うむ」
「お前は大人しくしてろよ。次は助けねえからな」
「――すまぬの」
ウィノが素直にあやまった。今はぴんぴんしているが、結構危なかったのかもしれない。服装からして戦闘向きじゃないし、ミハイ君の言う通り、大人しくしていてもらった方がいいだろう。
シュルツの指示の元、わたしたちは各位置についた。
魔術師レベル的にはミハイ君のが上だから、シュルツの言うこと聞かないんじゃないかと心配だったが、素直に言うことを聞いているようだ。ユリウス戦でシュルツの霧化魔法見てるし、レベルや家柄どうこうより「俺より強い奴の言うことは聞く」主義なのかもしれない。
シュルツが決めた配置はこうだ。
炎系の攻撃魔法が使えるミハイ君がアタッカー、シュルツがブロッカーになって、ミハイ君を魔物の攻撃から守り、わたしはシューティングガード、遠距離からの後方支援である。
「――体よく追い払われた気がする」
<ソーンショット>は、飛距離が伸びるにつれ下降するので、わたしは空洞を見渡せる岩棚の上によじ登った。まあ、ふたりと比べてレベル低いし、しかたない。
<力の糸>を習得したおかげで、楽に岩棚に登ることができた。壁走りはまだできないが、足場が悪いとこでもがっちり固定できるのがありがたい。ポーチから投剣を出して地面にならべ、風球を四つ作って菱形に寄せる。これで準備完了。
床の亀裂を利用して、ミハイ君とシュルツが魔物に接近して行く。
編み目状になっているから、移動は楽そうだ。
魔物は洞窟の真ん中にいて、後ろ足で立ち上がっている。
目的の左前足は数メートルの高さにある。あれを斬るには、床に這いつくばらせないといけないけど、いったいどうする気だろう。
亀裂から出たふたりは、魔物の前後を囲んだ。
シュルツが前、ミハイ君が後ろだ。
獲物に気づいた魔物が、右前足を斜めに振り上げた。
立ったまま地面すれすれを横薙ぎし、シュルツを吹っ飛ばそうとする。シュルツは、避けずに剣で受け止めた。右手で柄を握り、左手は刃の平らなとこに置いている。フワフワドームと小学生くらいの体格差があるが、何とか止められていた。日頃の鍛錬の賜物だろう。
首をかしげた魔物が、右前足を引いた。片手では無理だと判断したようで、両前足を振り上げると、ばんざーいの形にしてから「えいっ」とばかりにシュルツの頭上に叩きつける。動作が可愛い。しかし、えぐい攻撃だ。
魔物の両前足が振り下ろされたが、シュルツの姿はすでにない。近くの亀裂にとびこんで、攻撃をやり過ごしたようだ。前屈みになった魔物は、いなくなった獲物を探してきょろきょろしている。
「――ミハイ!」
シュルツが声を上げる。
魔物の後ろにいたミハイ君が剣を抜くと、剣の刃に沿って炎が宿った。両手で柄をにぎると、目の前にある魔物の後ろ足を炎の剣でぶった斬る。
魔物が咆吼を上げた。
身体はラスムス君の魔力でできているようで、体液とかは出ない。足の裏から、しゅうしゅう黒い煙が上がっている。魔石の剣でもあんまり傷がつかないと言っていたけど、炎の剣での攻撃は有効のようだ。
――いかん、見学している場合じゃない。
わたしは、魔物の目を狙って<ソーンショット>を放った。
魔石の武器ではダメージが少ないらしいけど、目ん玉ならさすがに効くだろう。
前回の反省を踏まえ、投剣が下降することも計算に入れる。位置取りも完璧だし、思ったところに飛ぶが、的が小さいし、動くので狙いがつけづらい。何回か外して、まぐれで鼻先に一本刺さった。痛かったらしく、魔物が悲しげな声を上げる。ごめんな!
移動したミハイ君が、すでに一撃入れていた左足にサイドから剣を叩きこんだ。亀裂から出てきたシュルツがダメ押しの一撃を加えると、魔物の巨躯が横倒しになった。地響きがし、天井から白水晶がばらばら落ちてくる。わたしのとこは大丈夫だけど、中央付近は水晶直撃だ。大丈夫だろうか。
シュルツがミハイ君の背中を押し、岩の裂け目のなかに落とした。<青の盾>――たぶん4か5、を複数枚発生させると、裂け目の上にならべてガードする。その間も、シュルツの上に水晶の塊が降り注ぐが、<霧化>をかけているので体をすり抜けていた。
魔物は左側を下にして横向きに倒れており、左前足は今、地面の上にある。
真っ黒な前足にシュルツが剣を振り下ろしたが、刃は浅くしか入らない。やっぱり、炎の剣でないとダメージを与えられないようだ。でも、ミハイ君は生身だから、水晶の落下が収まるまでは裂け目から出てこられない。
わたしは、連続して<ソーンショット>を放った。
魔物の顔面に向かって、投剣をべしべし当てていく。威力弱いし、落ちてくる水晶に弾かれたりして刺さりもしない。でも、時間かせぎくらいにはなるだろう。
そうこうしている内に、水晶の落下が収まってきた。
しかし、魔物の方も回復しつつある。
右前足を上げて投剣から顔をかばいつつ、左前足を地面について起き上がろうとする。ここで立ち上がられたら、また最初からやり直しだ。支援を続けたかったが、並べていた投剣が尽きてしまった。残っているのは、腕当てに仕込んでいる数本だけだ。
どうしようと思っていると、シュルツが左前足の上に跳び乗るのが目に入った。剣を逆手に持ち替えると、柄を上にして振り上げ、勢いよく突き落とす。剣は見事に突き刺さり、魔物の足先を地面に縫い止めた。ナイス馬鹿力。
シュルツがどくと同時に、炎の剣を持ったミハイ君が飛び込んできた。
魔物が上体を起こしたが、縫い止められた足先は固定されている。ミハイ君が炎の剣で横薙ぎにすると、真っ黒な魔物の前足がオレンジ色の線で分断された。そのまま、ミハイ君は向こう側へと駆け抜ける。
魔物の巨躯が、前のめりになって倒れた。
足先だけを地面に残して、残りの身体が前にスライドする。
顔面から床に突っ込んだ魔物は、壊れた玩具みたいにばらばらになった。もふもふの耳、ふっくらほっぺ、つぶらな瞳、肉球のついた手足、魔物を形作っていた各パーツが、あっちこっちに転がって行く。玩具サイズなら何とも思わないけど、このサイズだとちょっとしたホラーだ。
「――ラスムス君は? どこ?」
岩棚から身を乗り出し、わたしは目を懲らした。
魔物の身体が魔力でできていたなら、中身がどっかにいるはずだ。
いた。魔物の胴体が割れた中から、人間らしきものが飛び出してくる。ごろごろと地面を転がり、岩の裂け目の手前で止まった。小学生くらいの黒髪の男の子だ。気を失っているようで、ぴくりとも動かない。
「――ラスムス!」
ウィノの声が聞こえ、見ると、岩陰から駆け出してくる姿が見えた。
声に反応したのか、ラスムス君が目を覚ました。少し頭を持ち上げると、視線を動かしてウィノの姿を探す。感動の再会――そう思ったのだが。
「バカ! 大人しくしてろ!」
ミハイ君が、叫ぶのが聞こえた。
そっちに目を向けたわたしは、ぎょっとなった。
バラバラになった魔物が、それでもまだ動いていたからだ。
地面に転がっていたパーツが、糸で引いたみたいに一箇所に集まって行く。何だかわからない真っ黒な塊になったかと思うと、飴細工みたいに左右にのびて長くなった。何あれ? イモムシ? ケムシ?
いや違う。真っ赤な目がピカッと光ったかと思うと、そこには大きな黒蛇が横たわっていた。鎌首をもたげると、細い舌を出し入れする。ミハイ君は、背を向けていて気づいていない。
「ミハイ君、後ろ!」
わたしが叫ぶと、ミハイ君がようやく気づいた。
振り向いたところに黒蛇が襲いかかり、わたしは思わず顔を背ける。
絶対喰われたと思ったが、こわごわ目を向けると、シュルツが身を盾にしてミハイ君を守っていた。シュルツの肩に、黒蛇の口ががっぷり噛みついている。
「ミハイ、ふたりを連れて出てください」
顔をしかめながら、シュルツが黒蛇の頭をつかんだ。目の色が赤いから<霧化>をかけている状態だけど、黒蛇止めるためにわざとスルーしてないようだ。
「ちょ……大丈夫かよ」
「死にはしません。急いで!」
「――わかった」
ミハイ君が剣を収めた。倒れているラスムス君を肩に担ぐと、走ってきたウィノをすれ違い様にピックアップする。亀裂を飛び越え、出口に向かって走った。




