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81 渓谷の魔物

 シュルツの体脂肪率は、たぶん15パーセント以下だろう。


 そのアスリート体型の男は、真っ赤な顔をして横を向いている。

 これ、普通は逆じゃないのかな。わたしが赤面して「きゃあ」とか言いながら、離れるやつじゃないのかな。今からでもやってみるか。いや、恥ずかしいからやめておこう。


 わたしがどくと、シュルツが起き上がった。頭の後ろに手をやり、ちょっと顔をしかめる。落ちた時にぶつけたらしい。シュルツを助けにきたはずが、早々に怪我をさせてしまった。次は、ちゃんと下見て歩こう。


 わたしはポーチを開けて、ポーションの小瓶を出した。


「これ、使って」

「……いいんですか」

「うん。シュルツに渡そうと思って持ってきたんだ」

「俺のために、わざわざ……」

「怪我させて、ごめんね」

「いえ、今ので負った怪我ではありませんよ」

 

 ポーションを受け取ったシュルツは、大事そうに半分飲んだ。頭を振り、立ち上がるとその場で屈伸を始める。頭以外にも、どっか怪我してたようだ。


 身体チェックをしているシュルツを、わたしは体育座りで見守った。


 ダーファスから消えて以来だから、およそ二週間ぶりの再会である。

 遭難していた割には小綺麗な様子で、髪がぼさぼさとか無精髭がのびてるとかもない。昨日はビジホに泊まりましたが、何か? みたいな様子だ。さては、遭難するのわかってて、お泊まりセットを持ってきていたな。


「シュルツは、こんなとこで何してたの?」


 わたしは、幅三メートルほどの岩の裂け目を見回した。わたしは気づかずに落ちただけだけど、シュルツはそんなアホなことにはならないだろう。


「むしろ、俺が聞きたいです」

「記憶喪失?」

「イチカが、ここにいる理由をです」

「ああ、そっちか」

「アーベルの許可はとってきているんですか?」

「えへ」

「……」

「行き先は書き残してきたよ。ミハイ君は、完全なる失踪だけど」


 シュルツは、「やっちまったな」みたいな表情で額に手を当てた。それがわたしのことか、ミハイ君のことかは怖くて聞けない。何にせよ、今となってはすべてが手遅れだ。


「それは、あとで話すとして……」


 わたしは、置いといてのジェスチャーをした。


「シュルツは魔物の姿って見た?」

「シルエットと足元だけですが」

「普通の魔物じゃない?」

「ええ。形状は熊に似ていますが……とにかく普通ではない。撒き餌は食べないし、魔物よけの煙も効かない。魔石の武器でも大した傷はつけられませんでした」

「……うーん、やっぱりか」

「何か心当たりが?」

「それがさあ」


 わたしは、ここまでの事情を手短に説明した。


 ソニアさんの依頼で盗賊のアジトへ忍び込み、そこで囚われていたウィノと出会った。ウィノは魔族で、いなくなったラスムス君――魔力を増幅させる薬を飲んでおかしくなった――を追って人間の国にきた。ウィノには、ラスムス君の居場所を探知できる能力があり、この洞窟のなかにいると言った。以上のことから、洞窟の魔物はラスムス君の変わり果てた姿だと見て間違いない。


「魔族ですか……倒す方法は聞きましたか?」

「そういや聞いてない」

「では、そのウィノという魔族を早く見つけた方がいいですね」

「そうだね」

「どうしてはぐれたんですか?」

「ええと……気づいたら、またウィノがいなくなってて、手分けして捜そうぜってミハイ君が言って、ここ広いしその方が早いよねって別れた」 

「……」

「反省は、している」


 シュルツは、めっちゃ説教したそうな顔をしている。でも、そんな時間はないと判断したようで、息をついてから口を開いた。


「イチカ、魔素の残りは?」

「えと、残り半分くらい」

「跳躍か剛腕をかけているなら、今すぐ解除してください」

「? わかった」

「洞窟内の魔素が薄いのは気づいていますか?」

「そういえば、ぜんぜん魔素ないね」

「たまに吹きだまりのような場所があるだけで、ほとんど魔素はありません。基本的に、洞窟内で魔素の補充はできないと考えてください」

「え、やばくない?」

「やばいです」

「シュルツの魔素は?」

「残念ながら空です。いったん外に出たいのです……が……」


 語尾が消え入ってるのは、遭難中だからだろう。しょうがねえなあ。


「……シュルツって、子供のころからここにきてんだよね?」

「そうですね」

「それなのに遭難したの?」

「そっ、遭難したわけではありません」


 昨日は夕食に帰ってこなかったくせに。と思ったが、指摘するのはやめておく。

 「たぶん遭難するから泊まりになる」って言っといてくれれば、心配せずに済んだのに、誰に対する強がりなんだろう。もしや言霊信仰だろうか。遭難しないって言ったら、遭難しないと信じてるんだろうか、こんなに遭難してるのに。


「えっと、言いにくいんだけど」


「はい」


「ここ、入口のめっちゃ近くです」


 洞窟入って、まだそんな進んでない。白墨で印つけてきたから、逆向きに進めば初心者のわたしでも入口に戻れる。シュルツはショックを受けて……いない。外に出られるとわかって、ほっとしている様子だ。やっぱり遭難してたんじゃないか。





 魔素をフルチャージしてから、ウィノを捜すべく洞窟内に戻った。

 ミハイ君も白墨を持っているはずだが、目印は見当たらない。すごくちっちゃく描いたか、迷子上等で印つけてないんだろう。


「ラスムス君の近くに行けば、ウィノに会えると思うんだよね」


 ウィノには、ラスムス君の居場所がわかる能力がある。通路が多くて見通しがきくし、シュルツ並の方向音痴でないのなら近くまで行ってそうだ。無茶してなきゃいいけど。


 それにしても。


「洞窟の中なのに、明るいよね」


 岩の間に乳白色の水晶が生えていて、それが白く発光している。水晶の有無によって明るい所と暗い所があり、地下鉄のトンネルにでも迷い込んだ気分だ。空間的には、もっと広くて、高速道路のトンネルくらいの高さと広さがあった。


「白水晶のおかげですね」

「持って帰ったら蝋燭の代わりに使える?」

「使えません」

「何で?」

「外気に触れると、光を失うからです」

「そっか」


 高く売れそうと思ったのだが、簡単にはいかないようだ。考えてみれば、お金になるならヤレン家が放置しておくはずもなかった。


「イチカ、止まってください」


 シュルツが言い、言葉だけでなくわたしの腕をつかんだ。警戒するが、周囲に敵らしき姿はない。手を離したシュルツは、地面を指さした。


 足元を見る。そこには、巨大な獣の足跡がついていた。


 洞窟の床面は、岩剥き出しのとこと、たまった砂が堆積してるとこがある。ここらは土がちになっていて、その上に、例の魔物のものらしき巨大な肉球の跡がついていた。熊に似てるというだけあって、犬猫とは形が違う。引くほどでかいが、それでも肉球は肉球だ。


「――かわいい」


「え? 獣の足跡ですよ?」


 シュルツは困惑している。女子力をどこへやった。


「足跡がどうかした?」


 聞くと、ちょっと待ってくださいと言ってシュルツは膝をついた。


「……これは、最近のものです」

「何でわかるの?」

「短期間で成長しているんですよ」

「わーお」


 あらためて足跡を観察してみる。


 でかい。盗賊のアジトにいたグリフォンより、数倍でかい感じだ。グリフォンがライオンの三倍くらいだったから、それよりでかいとなると、ライオンの六倍? 十二倍くらいか。ライオンがピラミッドを組んでるとこを想像して、わたしはほっこりした。いや、ほっこりしている場合じゃない。 


 大きな足跡の周りには、成長前のものらしい小さい足跡もついている。


 わたしは顔を上げた。どの足跡も向きが全部同じで、逆向きのものはひとつもない。ということは、魔物の巡回ルートだということだ。わたしが言うと、シュルツもうなずいた


「足跡をたどってみましょう」


 シュルツが先に進み、わたしは周囲を警戒しつつあとに続く。

 しばらく歩いたが、魔物らしい気配はない。

 わたしたちの足音だけが、薄暗い洞窟内に響いている。


「シュルツは、ケレースに来てからずっと何してたの?」


 敵の気配もないので、疑問に思っていたことを聞いた。


 わたしがダーファスを出たのは、シュルツが消えてから六日後のことだ。さらにソニアさんの依頼で二日使っているから、わたしよりずっと早くケレースに着いていたはずだ。それなのに、シュルツが洞窟探査に出かけたのは昨日の朝だという。それまで、いったい何をしていたんだろうという疑問である。


「一昨日の夕方に到着して、昨日の朝からここにいますが?」


「ん? ダーファス出てから十日以上経ってるよね?」


「転送基地を使わず、歩いてきたので」


 何で? という言葉を、わたしは呑み込んだ。

 お金がなかったからに決まっている。


 北部行きの長距離転送は、一回飛ぶのに数千円とられる。ケレースに着くまでに交通費だけで一万円以上かかっていた。片道一万円の出費は痛い。言ってくれれば貸したのに。てかアーベル、退職金くらい渡してやれ!


 ダーファスに向かって怨念を飛ばしていると、突然、足元に揺れを感じた。

 地震かと思ったが、それにしては揺れ方が小刻みだ。まるで大きな生き物が歩いているかのように。


「急ぎましょう」


 シュルツが駆け出し、わたしも続いた。


 通路の先にあった空洞に入る。そこに、異形の魔物の姿を見つけた。


「――あれは」


 わたしは驚愕した。見覚えがある。名前が出てこない!

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