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80 地の底で

※シュルツ視点の話です。

 シュルツは目を開けた。

 目を開けたはずなのに、視界が暗い。後頭部がズキズキと痛んだ。


「痛てて……」


 痛む箇所に手をやるとコブができていた。ポーションがあればすぐに治せるが、残念ながら持っていない。支給されていた分は、ダーファスを出る前にアーベルに返却してきていた。周囲を手探りする。ごつごつした岩が指に触れ、顔を上げると岩の裂け目から光が射しているのが目に入った。


「そうか、あそこから落ちて……」


 少しの間、意識を失っていたようだ。


 昔の夢を見ていたような気がするが、よく思い出せない。気分がいいとは言えないので、いい夢ではなかったようだ。無理に思い出さない方がいいだろう。


 立ち上がろうとすると、左足に痛みが走った。

 シュルツは呻いた。

 ゆっくり息を吐き、歯を食いしばりながら立ち上がる。靴を脱いで確かめると、ひどく腫れているが、骨が折れている様子はない。あの高さから岩の上に落ちて、コブと打撲で済んだのは運が良い。


 シュルツは顔を上げた。息をひそめて耳を澄ます。


 重い足音が、ゆっくり移動している音が聞こえた。


 あれが近くにいるうちは、下手に動かない方がいいだろう。


 確認すると、魔素の量が残りわずかしかない。

 <霧化>魔法を発動させたとして数秒ともたないだろう。周囲を見回すが、一粒の魔素さえ漂っていない。魔素は生命エネルギーの残滓であり、生物らしい生物もいない洞窟の奥では、魔素がないのも当たり前だった。


 魔素を持っていたところで、じきに消滅してしまう。それなら、足の治癒に使ってしまった方がいいだろう。


 シュルツは腕を上げると、目の前に魔導書を出現させた。宿主である魔術師にだけ見える幻で、他人の目には映らない。現実には存在していないので、暗闇の中でも問題なく文字を読むことができた。


 目次を開くと、そこには黒と青で書かれた文字が並んでいる。

 黒い文字は習得済みの魔法、青い文字は未習得の魔法。

 所々空白になっているのは、今のレベルでは開示されない未知の魔法だ。


 シュルツは、目次を目で追った。ポーションにばかり頼っていたせいで、回復系魔法は青文字ばかりが並んでいる。


 目次にある<部分治癒3>に指で触れると、紙が動いて該当のページが開いた。青色の文字で、<部分治癒3>の説明と呪文が書かれている。ページの上に手を置くと、頭の中に呪文が浮かんできた。ほっとしながら呪文を唱え、足の怪我を癒やすのに使う。しかし、魔法レベル自体が低いので完全には治らない。魔素が切れるまでかけ続けたが、痛みがマシになった程度だった。


 魔導書をめくっていて、ふと、イチカのことを思い出した。


「――魔導書に名前か」


 魔導書には、使用者に対する補助として疑似人格による助言機能がついている。しかし、教えられる知識は初級レベルのものなので、大抵の魔術師はレベル10に達したところで、その機能を停止させる。


 しかしイチカは、石から星に昇級したにもかかわらず、今もその機能を有効にしている。有効にしていると言うか、魔導書に名前をつけ、そこに友人でもいるかのごとく会話をしている。普通の魔術師であれば、とっくに黙らせていると教えたところ、ショックを受けた顔をされた。事実を知ってどうするのかと見守っていたが、翌日、真剣な顔をして切り出された。


「わたしは、アイチャンとのおしゃべりを続けようと思います」

「そうですか」

「思うんだけど」

「はい」

「皆、もっと魔導書とおしゃべりするべきだと思う」

「でも、大したことは言わないでしょう」

「確かに――いやいや、魔素不足とか教えてくれるじゃん」

「それは自分で把握してください」

「経験値不足は?」

「呪文が頭に入るかどうかで判断できます」

「……き、緊急時の自動詠唱」

「登録しておけば勝手に発動するので、話す必要はないです」

「ぐぬぬ」

「やめろとは言いません。ですが、そういうものだと知っておいてください」


 黙っていた方が、よかっただろうか。シュルツは少し後悔した。


 だが、いつかは知ることだし、知るなら早い方がいい。その上で魔導書の助言機能を停止させないとイチカが決めたのなら、シュルツとしては何も言うことはない。――とても奇妙だとは思うが。


 魔導書を消すと、シュルツは笑みを浮かべた。


 こんな地の底にいて身動きもとれないというのに、イチカのことを考えると気分が明るくなる。今頃は、ダーファスで何をしているのだろう。アーベルを怒らせるようなことを、していなければいいのだが……。





「二本足で立って、足には鋭い爪があったの」


 怪我した足を休ませながら、ヘレーネが言ったのは一昨日のことだ。


 ダーファスへ届いた手紙には、怪我のことは書かれていなかった。なぜ知らせなかったのかとシュルツが聞くと「こんなものは寝ていれば治る」とヘレーネが言い、横にいたイルゼが「だったら、動き回らないでじっとしてて」と苦情を言った。杖をつきながら歩きまわるので、邪魔でしかたがないそうだ。


「大きさは? どれくらいでしたか?」

「船着き小屋を越すくらいかしら」

「洞窟の入口は俺の背でぎりぎりです。どうやって入ったんでしょう?」

「それが不思議なのよね……」

「義姉さんの勘違いなんじゃないの?」

「そんなことはないわ、ちゃんと見たもの。こんなだったのよ。こーんな!」

「はいはい」

「とりあえず、明日にも様子を見に行ってきます」

「迷子にならないようにね」

「大丈夫よ、シュルツは。遭難するの得意だもの」

「それもそうね」

 

 そう言うと、ヘレーネとイルゼはからから笑った。


 シュルツは何も言い返せない。


 あの洞窟には、子供のころから幾度となく遭難の憂き目に遭わされている。

 コンパスは役に立たず、どこもかしこも似たような景色ばかり。地形が頭に入っていれば迷わないと皆は言うが、シュルツの目には景色が全部同じに見える。ならばと白墨で印をつけようとしたところ、盗掘者の道案内になるからだめだと言われた。これで迷うなという方が、無理な話だ。とりあえず、水と食料は、数日分持って行こうと心に決めた。





 裂け目のなかを、シュルツは端から端まで歩いた。

 往復するのに、五分とかからない。傾斜のついた箇所を見つけたので、登ってみたところ、魔物の足音が聞こえてきたので裂け目の底へ引き返した。


 もう一度、今度は注意深く裂け目を往復する。


 しかし、他に登れそうな場所も、別の裂け目へ続く横道も見つからなかった。


「――逃げ場なしか」


 目を閉じると、指先で鼻根を揉んだ。


 やはり、あれがどこかへ行くのを待つしかないようだ。


 やっかいな魔物だった。


 魔物ではあるようだが、見たこともない形状をし、その上、聞いていたより身体が大きい。短期間で一気に成長したようだ。この洞窟にエサとなるような生き物はいないはずだが、いったい何を糧として育っているのだろう。疑問に思い、干し肉を撒いてみたが、案の定、見向きもされなかった。普通の魔物のように、獲物を捕食するのではないようだ。


 いったん出直そうと、出口を探していたところ、魔物がふいに姿を見せた。

 巨大な足に踏まれかけ、飛び退いたところに裂け目が口を開けていた。――転落し、さっきまで意識を失っていた。今度こそ遭難すまいと思ったが、結局、母と叔母の予想通りになってしまった。しかし、断じて得意としているわけではない。


 岩壁に背をあずけ、シュルツは体を休めた。


 どれくらい時間がすぎたのか、物音を耳にしてシュルツは目を開けた。


 人間の足音のようだが、ケレースの者であるはずがない。洞窟の存在を知る者はわずかで、その者たちも母から魔物の存在を伝えられている。助けがきたにしては、まだ日が浅い。遭難すると決めてかかっていたのだから、最低でも三日は様子を見るはずだ。いったい何者だろう、とシュルツは考える。あの魔物に関係がある人物だろうか。


 シュルツは、音を立てないようにして斜面を登った。


 魔物の気配が消えている。休んでいる間に、どこかへ行ったようだ。


 足音が近づいてくる。かちゃかちゃいう音は、武器の留め具のものだろう。


「――うわっ」


 傾斜を登りきる前に、上から誰かが落ちてきた。


 不意をついた攻撃――ではなく、裂け目に気づかずに足を踏み外したようだ。


 落ちてきた人影を、シュルツはとっさに受け止めた。軽い、小さい。子供か女性だとわかったので、両腕をまわして抱き取った。足の怪我のせいで踏ん張りがきかず、登ってきた斜面を転げ落ちる。底まで転がりきって、ようやく止まった。


「痛てて……」


 シュルツは呻いた。コブのできている箇所を、またぶつけてしまった。

 地面に仰向けに倒れ、落ちてきた人物は体の上にいる。怪我はないようで、ひょいと顔を上げると、のんきな声を上げた。


「ああ、びっくりした!」


 シュルツは、驚いて目を開いた。

 この辺りは裂け目が広く、光が入るのでその顔がよく見えた。桃色の長い髪に、薄紫の目。中性的で愛嬌のある顔が、シュルツを見るなり笑顔になった。


「――イチカ!?」


「よお!」


 シュルツは、ぽかんとした。

 ダーファスにいるはずのイチカが、なぜ、こんなところにいるのか。


「……あの」

「落とし穴にでも落ちたのかと思った。シュルツいてよかったー」

「あの……どうしてここに?」

「それは話すと長くなる」

「……はあ」

「ミハイ君もいるんだよ。今どこにいるか知らないけど」


 身を起こしかけたイチカは、ふと何かに気づいた顔をする。不思議そうな表情で視線を下げると、シュルツの胸板を手のひらで叩いた。


「ここ、鉄板でも入れてるの?」


 体の上に乗っかったまま、平然として尋ねてくる。

 シュルツは、顔が熱くなるのを感じた。


「――入れてません! 早く降りてください!」

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