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79 金色の来訪者

※シュルツ視点の過去の話です。

「アーベル・エッベンだ。よろしく頼む」


 そう言うと、金色の髪をした美貌の青年は微笑んだ。


 整った顔に笑顔を浮かべているものの、冷ややかな気配を感じて、シュルツは警戒心を持った。何者だろう、上がよこした諜報官だろうか。と考える。そうであれば、人をあざむく術にも長けているだろう。しかし、この顔立ちは……。


 考えこんでいると、上官がわざとらしく咳払いをした。


 シュルツは、あわてて背筋を正した。


「エッベン様は数日間ここに滞在し、補給基地の視察をなされる。基地内をご案内さし上げ、聞かれたことには、正直に何でもお答えするように」

「……はあ。いえ、はい」

「快適に過ごされるよう、取り計らえ」

「承知しました」

「くれぐれも、ご不自由のないようにせよ」


 そう念押ししてから、上官は去って行った。


 王都からきた視察官をもてなせ。という意味だとシュルツは理解する。

 視察官というのは建前で、本当は監察官なのだろう。

 大方、膨らみ続ける経費に目をつけられたのだろうが、後ろ暗いことは何もない。前線から要求されるまま、要求通りの物資を送っているだけだ。そうかと言って、監察官を危険な前線送りにするわけにもいかない。ご機嫌を取り、不正などないことを納得させ、早々にお帰り願えということだ。

 

 シュルツは、紹介された視察官の方を見た。


 こちらの困惑をわかっているのかいないのか、涼しい顔で佇んでいる。

 

 青年とは初対面だ。しかし、青年の顔立ちには見覚えがあった。


 前当代イワノス・シェローレンと、その娘達を見たことが一度だけある。ほんの短い時だったが、整ったその容姿は忘れようもない。目の前にいるこの青年は、彼らの美点を結集したような顔立ちをしていた。――しかし、それにしては、エッベンという家名は聞いたこともない。親族であれば、家名には必ず“レン”がつくはずだし、直系の令嬢がエッベンという家に嫁いだという話も耳にしたことはない。ということは、婚外子か、それとも他人の空似だろうか。


 考えを巡らせていると、視察官が首をかしげた。


「俺の顔が何か?」


「いえ……すみません……」


 シュルツは詫びる。そういえば、まだ名乗ってもいないと気がついた。


「シュルツ・ヤレンです。物資庫の管理を任されています」

「ここは長いのかな?」

「配属されて半年になります」

「その前は?」

「エラム砦におりました」

「なるほど。前線帰りというわけか」


 ヤレンの名を聞いても、視察官の青年は無反応だった。


 ということは、俺の思い過ごしだったのだろう。拍子抜けしながら、シュルツは思った。考えてみれば、本家に近い血筋の者がこんな危険地帯に派遣されてくるはずもない。広い世の中だ。当代一家とよく似た人物と出会うこともあるだろう。


 シュルツは、視察官を連れて歩き出した。


 補給基地であるこのレーフ砦はタデル湖の西湖畔にあり、南湖畔にあるエラム砦に武器や食料などの物資を送っている。エラム砦は、隣国セリーズに近く、国境線を巡って日々争いが絶えない場所だ。


「過去の帳簿をご覧になりますか?」

「いや、いいよ」

「今日の所は、という意味でしょうか?」

「明日も、明後日も。必要ない」

「……はあ」

「どうせ、見られたくない物は、俺がくる前にどうにかしているだろ」

「……それを調査するのが、あなたの仕事では?」

「だとしても、倉庫番に指図されたくはないな」


 無邪気な笑顔を向けられて、シュルツは言葉に詰まった。

 間違ったことは言っていないはずだが、視察官の機嫌をそこねただろうか。

 焦りながら、口を開いた。


「では、基地内をご案内しましょうか」

「必要ない」

「……」

「君……ええと、何て名前だっけ?」

「シュルツです」

「君は君の仕事に戻ってくれていい」

「……はあ」

「俺はそれを見学する。君は仕事ができるし、俺も報告書が書ける」


 シュルツを指さし、己を指さし、良案だろうと微笑む。


「正直、こんな戦場近くに長居したくないんだよね」


 そう言うと、アーベルは肩をすくめた。


 ああ、そうですか。という言葉をシュルツは呑み込んだ。


 視察官に早く帰って欲しい基地側と、早く帰りたい視察官。利害は一致しているものの、良いか悪いかでいえば、完全に悪い。表沙汰にできない帳簿を隠していると、アーベルが決めてかかっているのも気になった。


 しかし、問題があっても調べないと言うからには、報告書には問題なしと書くだろう。むしろ、アーベルの機嫌をそこねた場合の方が、嘘の報告を上げられる可能性がある。何しろ、実際を調べる気がまったくないのだから。

 ここは、黙って言う通りにしていた方がいいだろう。

 シュルツは、アーベルの提案に乗ることにした。





 アーベルに言われるまま、シュルツは倉庫管理の仕事に戻った。


 物資倉庫は、湖畔に近い場所に並んでいる。


 街道から運び込まれた物資は一度倉庫に収められ、必要に応じて(はしけ)に乗せて南湖畔にあるエラム砦に届けられる。物量の取り決めは、中央とエラム砦の間でやりとりされるため、ここは単なる中継地点にすぎない。中抜きなどしようものなら、双方から苦情が飛んでくるだろう。不正などやりようがなかった。


「ここの兵は、君のような前線帰りばかりなのかな?」


 アーベルは倉庫の壁に寄りかかっている。目が合うと、顎で外を示した。


 シュルツは、椅子から腰を浮かせた。ちょうど定期便が届いた所であり、兵士達が物資を倉庫に運び込んでいる。兵達の足取りは重く、表情にも覇気はない。


「そういう者が多いです。名目上は、予備隊となっているので」

「緊急時にはエラム砦へ駆けつける?」

「その予定です」

「だが、戻る見込みはない。必要ともされていない」


 目の前に当人がいるというのに、はっきり言う。いっそ、すがすがしいなとシュルツは思う。視察官に気遣われても居心地の悪い思いをするだけだし、アーベルが口にしたのは誹謗中傷ではなく、単なる事実だ。

 

「不満を溜めているから、ああいうことになる」


 アーベルが示した方を見ると、数人の兵士が喧嘩を始めようとしていた。

 いや、すでに始めている。

 ひとりが殴られたのをきっかけに、たちまち乱闘に発展した。


 シュルツは立ち上がった。

 誰かが投げたじゃがいもが飛んできたので、受け止めて机に置いた。

 食べ物を粗末にしてはいけない。

 それに、アーベルに当たりでもしたら大事になる。


「――止めに入らなくてもいいのかな?」


「もう少しやらせておきます。息抜きも必要なので」


 シュルツが説明すると、アーベルは「なるほど」と呟いた。


 しばらくすると、兵士たちの動きが鈍くなってきた。怒りにかられて暴力を振るったものの、後悔して引き際を考え始めたようだ。


 頃合いだろう。そう判断して、シュルツは歩き出した。


 乱闘の中に割り込むと、組み付いている者達を引き剥がして地面にほうる。体当たりしてきた者の足を引っかけ、殴りかかってきた者の腕をひねり上げると、引き時を迷って棒立ちになっている者達に目を向けた。


「私闘の罰として、全員に艀の掃除を命じます」


 艀を引き上げ、底についた藻をこすり落とすのはかなりの重労働だ。兵士達は、一様に嫌そうな顔をするが、上官に口答えをすれば、それ以上の懲罰が待っている。のろのろ立ち上がると、自分の持ち場に帰って行った。


 戻ってきたシュルツを、アーベルはぞんざいな拍手で迎えた。


「見事だね。まるで寄宿舎の寮母のようだ」


 寮母と言えば女性のはずだが、男を投げ飛ばすほど腕の立つ女性が存在するのだろうか。疑問に思いながら、シュルツは詫びた。


「お見苦しいところをお見せしました」


 アーベルの言う通り、ここには前線から落ちこぼれた兵ばかりが集められている。レーフ砦に配属されるということは、臆病者、腰抜けの役立たずとの烙印を押されたに等しい。劣等感は兵士たちの誇りを失わせ、気分を腐らせる。乱闘騒ぎは日常茶飯事だった。


 アーベルは壁から背を離すと、出口の方に歩き出した。


「どちらへ?」


「飽きた。散歩に出てくる」


 ああ、そうですか。という言葉をシュルツはまたも呑み込んだ。


 仕事に戻ろうとすると、アーベルが振り向いた。


「まずいんじゃないのかな? 視察官が荒くれ兵に襲われたら」


 散歩の護衛をせよ、ということらしい。

 俺は仕事をしていていいはずでは、とシュルツは思ったが、口答えが許される相手ではない。帳簿を置くと、アーベルのあとを追った。


 艀の浮かぶ湖畔を、アーベルはゆっくり歩いて行く。

 タデル湖は広く、対岸はかすんで見えない。南湖畔にあるエラム砦へも、艀を引いてずいぶん歩かねばならなかった。


 アーベルのあとに続きながら、シュルツは周囲に気を配る。辺りに人の気配はない。荒くれ兵に襲われる心配はなさそうだ。


「ヤレンと言えば、ヤール渓谷一帯を領地にしている家だよね?」


 湖面の方を眺めながら、アーベルが尋ねた。


 名乗った時は無反応だったが、知っていたようだ。


「おっしゃる通りです」

「前の家長が領地を売り払ったせいで、困窮しているとか」

「売り払ってはいません」

「ああ、抵当に入れられただけだっけ」

「……」

「借金の代わりに。そして返す金に困っている」

「……それがなにか?」

「前線から追いやられて半年か。ご実家への送金は足りているのかな?」


 シュルツは困惑した。例の事件のことまで知っているらしい。だがあれは、降格処分ですでに決着がついている。半年もたってから再調査をするはずはないが、何か不審な点でも見つかったのだろうか。


 シュルツは、はっとして顔を上げた。


「物資の横流しをしていると、俺に疑いがかかっているんでしょうか?」


 そうだとすれば、監察官がやってきた理由もわかる。


 しかし、アーベルはあきれた様子で首を横に振った。


「そうだとして、わざわざ君に教えると思うかい?」

「では、どういう意図でおっしゃっておられるのですか」

「――たとえ魔術師であっても、あんな事件を起こしたとあっては君の出世は絶望的だ。自分でもわかっているんだろう? このままでは倉庫番で一生を終えることになるだろうと」

「俺に辞職せよと?」

「それが賢明な判断というものだ」

「上の意向ですか? あなたはそれを伝えに来たのですか?」

「いや、俺からの個人的な助言だ」

「……はあ」

「ここを辞めて、俺の下で働く気はないか?」

「……はあ?」

「給金は今の三倍は出そう。働き次第では、それ以上に」


 今の給金の三倍? 計算しかけてシュルツは頭を振った。

 そんなうまい話があるわけがない。

 あの事件のことを知っているなら、なおさらだ。


 詐欺だろうかと考える。儲け話を持ちかけておいて、逆に借金を背負わせる悪質な詐欺の話を聞いたことがある。しかし、中央からやってきた視察官なら、それなりの家柄のはずだ。借金を抱えた貧乏貴族を騙して、いったい何の得になるというのか。いや、そもそもこの人は本当に視察官なのだろうか。


「あなたは何者ですか? 俺に何をやらせるつもりですか?」


 アーベルは返事をしない。腕を組むと、薄く微笑んだ


「詮索は無用だ。断るというなら、それでもかまわないよ」


 引き受けないうちは、仕事内容を教えるつもりはないらしい。


 どう考えても、まともな仕事ではない。


 断ろうと口を開きかけ、三倍だという給金の額がちらついてシュルツは思いとどまる。母や、叔母や、ケレースの住民の顔が頭に浮かんだ。


 騙されているとしか思えないし、騙されていないにしても、何をやらされるかわかったものではない。でももし、給金の話が本当で、仕事も真っ当なものであったなら、このような好機は二度と巡ってこないだろう。――このアーベルという人物を、信じていいのだろうか。


「やるのか、やらないのか。どっちだ?」


 気持ちがゆらいだのを見透かしたように、アーベルが促す。

 シュルツは覚悟を決めた。

 大変な目に遭いそうだと予感しながら、「やります」と答えた。

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