78 渓谷に落ちる影
屋上には、沢山の鉢植えが置かれていた。漢方っぽい匂いがしているから、薬草園のようだ。ヘレーネさんは座って作業をしていたが、わたしたちの姿を見ると杖を取って立ち上がった。
「あら、みんなでどうしたの?」
わたしは口を開いた。
「あの、シュルツ……さんが、どこへ行ったのか教えてもらえませんか?」
実家からの手紙を受け取ったシュルツは、出てったらクビだとアーベルに言われたにもかかわらず、ダーファスを飛び出して実家に帰った。ということは、借金返済よりも重大な何かがケレースで起きたということだ。
よその家のことだし、立ち入ったことを聞くのは失礼かもしれないけど、シュルツは戻ってこないし、ヘレーネさんがウィノにしていた質問のことも気がかりだ。もたもたしていたら、手遅れにもなりかねない。
「そうね。シュルツが戻ってきたら話すという約束だったものね……」
「戻ってきませんけどね」
わたしが指摘すると、ヘレーネさんは片手を頬に当ててため息をついた。
「……こっちへ。座って話しましょ」
隅っこに休憩スペースがあったので、四人でそこに移動した。
ヘレーネさんが、わたしとミハイ君の顔を見る。
「魔術師ということは、あなたたちもシェローレンの家系なのかしら?」
「えっと……」
わたしはミハイ君の方を見た。本家の者ですって言うのかな。
「こいつは違う。俺はそう」
「家名をうかがってもいいかしら?」
「あー、言いたくない」
「では、お気持ちに甘えさせていただくわ。ありがとう」
そう言うと、ヘレーネさんはにっこりした。
ヤレン家は、シェローレン一族の末端だから格上の家がいっぱいある。でも、本人が名乗りたくないと言うなら、上下関係を気にする必要はない。それゆえの「ありがとう」だろう。
「大渓谷の奥に、ティグ山脈とベル山脈の境目があるのはご存じ?」
「地図でなら見ました」
「これは公にしていないのだけど、渓谷の突き当たりには洞窟があるの」
わたしはミハイ君を見た。ミハイ君は、無言で首を横に振る。知らんらしい。ということは、シェローレン一族でも一部の人間しか知らないということか。
「どうして秘密にしてるんですか?」
「危ないからよ。大昔には、山脈の向こう側まで通じていたらしいけど、今は途中で崩落して道がふさがっているの」
「どのくらいの広さなんですか?」
「入口から崩落部分まで約1キロ、横幅はもっとあるわ」
「おおー」
「距離なんか、どうやって測ったんだ?」
「何年もかけて調査したの」
「危ねえのに?」
さすが本家次男坊。鋭い。
痛いところを突いたらしく、ヘレーネさんはぎくっとする。はぐらかされるかなと思ったけど、肩をすくめると口を開いた。
「危険をおかしてでも、入る価値があったから。ええ、認めるわ」
「宝石が採れるとか?」
「おしい。採れるのは魔石よ」
「魔石って、魔物倒さないと手に入らないんじゃないんですか?」
「ええ、その通りよ。魔具の武器で倒した魔物からしか、魔石は手に入らない。でも、古い地層のなかには魔石が含まれていることがあるの。昔、誰かが魔具で魔物を倒して、魔石を取らずにそのままにしたのでしょうね」
「はえー」
「地層に鑑別器を向けて、反応が出たところを掘るの。長い年月掘り続けて、今はもう、ほとんど残っていないけど」
モンスターを倒さなくても魔石が手に入るなら、危険な洞窟でも入ろうって思うだろう。公表すると盗掘されるから、世間には秘密にして、シェローレンの身内だけでこっそり採掘していたらしい。
「そこで、何かあったんですか?」
ここで洞窟の話が出てきたってことは、十中八九シュルツはそこにいるんだろう。イルゼさんは山の中って言ってたけど、洞窟なら文字通り山の中だ。
「何かが、洞窟のなかに入り込んだようなの」
「……何か?」
「最初は魔物だと思った。迷い込んで、出られなくなったんだろうと思ったの。でも、罠をしかけても、魔物よけの煙を焚いても効果がなかった。だからシュルツを呼んだの」
「謎の生物を追い出してくれるように?」
「ええ。わずかに採れる魔石は、洞窟の深いところにあるの。あれが暴れるせいで、途中の道を塞がれると困ってしまうから」
「そんなに大きいんですか?」
「ええ」
「なのに魔物じゃない?」
「――それがね。魔物よけは効かなかったけど、魔物ではあるようなの」
「魔物のようで魔物じゃない魔物?」
「そう。二本足で立って、小屋くらい大きい」
「巨人ですか?」
「……わからない。はっきり見たわけではないから」
「うーん」
足の怪我は、魔物と遭遇したとき、驚いてゴキッとやってしまったのだそうだ。
魔石の採れる洞窟に謎の魔物が迷い込み、追い出そうとしたけど無理だった。普通の人では対処できないし、秘密の洞窟に傭兵を入れるわけにも行かない。それで、魔術師である一人息子を呼び寄せたってことのようだ。しかし、魔物よけが効かない謎の生物って、まさか……。
わたしは、ウィノに目を向けた。
話が退屈だったようで、うとうとしている。頭のてっぺんに、黄色い蝶々がとまっていた。いつからスリープしてたんだろう。可愛いからいいけど。
「ウィノ、聞いていい?」
「……うむ?」
「ラスムス君て、ウィノよりちょい大きいくらいって言ってたよね?」
「そうだの」
「魔力が暴走して、巨人になってるってことはない?」
「わからぬ」
「……なってないとは言えない?」
「姿を変えられる魔族もいる。ラスムスもそうなったのかもしれぬ」
「うーん」
「おい待て、いったい何の話だ?」
顔をしかめつつ、ミハイ君が聞いてきた。
そういや、この話してた時、いつも爆睡してたんだっけ。
詳しい話はヘレーネさんにもしてなかったので、わたしは事情を話した。
ラスムス君は、魔力の弱いウィノのために魔力を増幅させる薬を飲み、魔力が暴走して魔族の国を飛び出した。ウィノは、そんなラスムス君を連れ帰るべく、ひとりで人間の国へやってきたのだ。
「じゃあ、洞窟の魔物は、あなたのお友達かもしれないのね?」
「見ればわかる。見なければわからぬ」
「それもそうね……」
「ラスムスなら、ういがやっつける」
「……大丈夫?」
「どう考えても無理だろ」
「ういがやる。迷惑はかけられぬ」
ウィノには珍しく、キリッとした目で言う。ちっこいのに偉いなあ。
わたしは、ヘレーネさんに目を向けた。
「洞窟って、渓谷の奥まで行けば入口わかりますか?」
「行くつもりなの?」
「ラスムス君かもしれないし、シュルツのことも心配なので」
「……」
ヘレーネさんは、教えたもんかどうしようか迷っているようだ。だが、わたしたちが魔術師であることを思い出したのだろう。決意した表情で口を開いた。
「――ええ。盗掘よけの幻があるけど、ただの幻でしかないから」
「無視して通れと」
「わたしが一緒に行って案内するわ」
「突き当たりなんですよね? わたしたちだけで大丈夫です」
「でも……」
「ヘレーネさんは、安静にしててください」
治りかけの足を、またゴキッとやったら大変だ。
石橋の近くに船着き場があり、そこにある小船で渓谷の奥まで行けるそうだ。洞窟内ではコンパスは役にたたず、機密保持のために地図も作っていない。印をつけながら進むようにと白墨を渡された。
わたしたちは、小船に乗って渓谷の深部を目指した。
湿原というのは、要は水浸しの平原だ。
両側の山から雪解け水が流れてくるけど、土地がスポンジみたくなってるので、川にならずに水浸しになってしまう。ただ、中心に小船が通れるくらいの細い流れがあって、遡っていけば浅瀬に乗り上げずに渓谷の奥まで行くことができるとのことだ。
ミハイ君と交代で船を漕ぎ、やがて渓谷の突き当たりが見えてきた。
早朝でもないのに、ガスがかかって見通しが悪い。
これが盗掘よけの幻だろうか。
小船から降りたわたしたちは、岸に上がった。
シュルツが乗ってきたらしい小船が繋いである。本人の姿はない。
足元は砂地で、水を吸って湿っていた。周囲には靄が立ちこめていて、遠くの方で変な鳥の鳴き声がしている。――何とも言えない不気味な雰囲気だ。ここで生首と出くわしたら、わたしは失神してしまうだろう。
北に向かって進んで行くと、やがて渓谷のどん詰まりが現れた。
ヘレーネさんが言っていた、ベル山脈とティグ山脈の境目部分である。右側は煉瓦色、左側は灰色の岩壁が左右から迫り、真ん中でぎざぎざに噛み合って合体している。――で、洞窟はどこにあるんだろう?
「洞窟が、ない?」
「……ねえな」
見回してみるが、それらしき入口がどこにもない。
岩壁に手を当てると、ちゃんと感触があった。幻ではないようだ。
困惑していると、ウィノが岩壁に向かって歩き出した。ずんずん進んでいき、目の前に壁が迫ってきてもスピードを落とさない。そのまま岩壁のなかに消えて行った。
わたしとミハイ君は、頭上に「!?」マークを浮かせた。
理解できずに固まっていると、岩壁からウィノが頭を出した。
文字通り「頭」だけだ。
首から下は岩壁の中なので、金持ちの家にある鹿の剥製みたいになっている。
ウィノの生首が口を開いた。
「ここだけ空いておる」
「まじで?」
ウィノが頭を出してる辺りに移動する。そっと腕をのばすと、確かに岩壁を突き抜けた。わたしはびっくりした。すごくリアルなのに、本当に幻だ。
腕が通ったとこに、思い切って飛び込んでみた。
幻の向こうに出ると、人が通れる隙間だけ空けて、左右に石垣の壁が築かれていた。さっきわたしが触ったのは、これだったようだ。数メートルの道を通り抜け、壁を抜ける。そこにも靄がかかっていた。これは幻ではないようだ。
わたしは、きょろきょろした。ウィノがいない。
ミハイ君が追いついてくるのを待って、ウィノの名前を呼びながら先へ進んだ。進むにつれ靄が薄くなってくる。やがて、薄霧をまとって巨大な岩壁が立ち塞がっているのが見えてきた。
「わあ……」
ここが、本当の渓谷の突き当たりのようだ。
ダミーと同じように、それぞれ色の違う岩壁が、真ん中で稲妻形に噛み合っている。けど、その下に不気味な洞窟がぽっかり口を開けていた。横広がりの裂け目で、先の尖ったの岩が上下についているのが鮫の口っぽい。入ったが最後、ぱくっと閉じて喰われてしまいそうだ。
ウィノは洞窟の前に立っていた。振り向くと、神妙な顔をして口を開いた。
「――おる。ラスムスはこの中ぞ」




