76 湿原を渡って
三日目の夕方から、四日目の朝にかけて雨が降った。
わたしたちは、大きな木の下でマントにくるまって眠った。
翌朝、雨上がりの道をケレース目指して歩いた。
ここまでくると、案内版すらなくなる。地図とコンパスだけが頼りだが、右手にベル山脈が見えているので、よほどの方向音痴でなければ迷いようがない。
ケレースは、ハリファール国の北に位置している。
東にベル山脈、西にティグ山脈があり、その間にヤール大渓谷が広がっている。ヤレン家の家名はヤール大渓谷からとったもので、その領地は渓谷およびその出口一帯。ミハイ君が言うには、「沼と湿地ばかりの辺鄙な田舎」だそうだ。
雨で水浸しになった湿原は、キラキラ輝いていた。
あちこちにある水溜まりに空が映っていて、水のなかで雲が動いている。
たくさんの種類の鳥が、飛んだり、羽を休めたりしていた。
湿原のなかは歩けないので、山側の縁を歩いた。
堤防みたいな盛り土がしてあり、左側は湿原、右側が山脈の麓部分だ。
道は、進むにつれ左向きのカーブになって行く。
どんどん歩いて行くと、やがてケレースの街が見えてきた。
街は、湿原の上にぽっかり浮かんでいた。日本のお城みたいな石垣の土台があって、その上に茶色の建物が所狭しと並んでいる。堤防の道から街までは、桟橋みたいな長い石橋がかけてあった。
石橋の前で、ウィノが立ち止まった。
「ういは、人の多いところは好かぬ……」
例によってそう言う。
わたしは悩んだ。シュルツん家探したり、泊まる場所を確保するのに時間がかかるかもしれない。リーシュのように大勢の人間はいなさそうだし、できれば連れて行きたいが、嫌がってるのを無理強いするのはよくない。
悩んでいると、ミハイ君が口を開いた。
「この辺だと、もう盗賊もいねえだろ」
「迷子で通報とかされない?」
「……それは別にいいだろ」
「じゃあ、この辺で待っててくれる?」
「うむ」
「そうだ。友達の気配は?」
「近くにはおる。でも……」
「はっきりとはわからない?」
「うむ」
ウィノは、この辺りを探してみると言う。
見つかっても、見つからなくても、ここへ戻ってくると約束して、わたしたちはウィノと別れた。
石橋を渡って、ケレースの街に入った。
街と言うが、それほど広くない。リーシュの半分くらいだろうか。それでも、この地方の中心地なのだという。大通りの左右に、三階から四階立ての煉瓦の建物が所狭しと建っていて、窓辺にある鉢植えには沢山の花が咲いている。通りを歩いているのは住民ばかりのようで、物珍しそうな顔でこっちを見るものの、話しかけようとするとぴゃっと逃げて行く。よそ者を警戒しているのか、かなりの恥ずかしがりのようだ。
「ミハイ君は、シュルツの家の場所知ってる?」
「知らねえ」
「ここの地元民、何でこんな逃げるの?」
「お前の人相が悪いからじゃね」
黒ピアスのヤンキーに言われたかない。
でも、一理ある。そう思って、頭上に「にっこり」を浮かせてみたが、地元民の反応は同じだった。交番も観光案内所もなさそうだし、どうしたもんか。
「街の真ん中で、シュルツさんいますかーって叫んでみる?」
「やれよ。止めねえから」
「……どっちがやるか、コイントスで決めない?」
「ふざけんな」
「じゃあ、どうするの?」
「領主の家なんだから、普通は一番でかい家だろ」
面倒くさそうに言う。それを早く言ってよ。
わたしはケレースの街を見渡した。
街は平坦じゃない。北に向かうにつれ高くなっていて、中央の大通りは坂道になっている。坂道の突き当たりには、三階建ての大きな建物が建っていた。あれだろうか。
わたしたちは、シュルツの実家と思われる家の前に立った。
木と煉瓦でできていて、古いけど造りがしっかりしている。風格ある歴史的建造物といった感じだ。昔の市庁舎ですって言われたら納得だけど、個人の家には見えない。鎧戸が開いているから、誰かはいるようだ。
ノッカーがあったので、扉を叩いて待った。
しばらく待っていると、中から人が出てきた。
四十代くらいの女の人で、黒い髪に水色の目。「あら……」と何か言いかけたものの、ふと視線を下げると、わたしたちが腰に下げている剣に目を留めた。
――しまった。
当たり前に装備してたけど、善良な一般市民は長剣なんか下げてない。街の人がやたら逃げたのも、これが原因だったんだろう。人相の悪いよそ者が、剣持って街にいたら確かに怖い。わたしは、急いで頭上に「にっこり」を浮かせた。
「こんにちわ!」
「……こんにちわ。あなたたちは?」
「わたしたちは、シュルツさんの友達です。シュルツさんいらっしゃいますか?」
女の人が、はっとした表情をする。
身を翻すと、転げるようにして廊下の奥へ走って行った。
何事だろう? ミハイ君を見たけど、無言で首を横に振られた。
やがて、ガツン、ゴトン、と何かをぶつける音とともに、別の女の人が奥から出てきた。最初の女の人と同じくらいの年齢で、茶色の髪に琥珀色の目。右足に包帯を巻いており、片手に杖をつきながら高速でこっちに歩いてくる。
杖をついた女の人は、わたしたちを交互に見ると満面の笑みを浮かべた。
目をキラキラさせながら口を開く。
「で? どっちがシュルツのお嫁さんになるの?」
そうきたか。
このパターンは初めてだ。女子と見抜かれてわたしは嬉しいが、ミハイ君は屈辱だろう。横を見ると、ミハイ君はショックで固まっていた。が、すぐに立ち直ると、狂犬の顔になった。
「――誰が女だ! クソババア!」
ミハイ君が吠える。
わたしは、狂犬の肩をガシッとつかんだ。まあまあ。
「連れが失礼しました。わたしたちは、シュルツさんの仕事仲間です」
「仕事仲間?」
「そうです。これはミハイ君で、わたしはイチカといいます」
「本当に仕事仲間?」
「そうです」
「……本当の本当に?」
「本当の本当に」
「……そう……」
女の人は、すごくがっかりしている。
言動から察するに、シュルツのお母さんのようだ。年頃の息子に嫁がこないので、ちょっとがっついているのだろう。わたしはともかく、ミハイ君まで女子に見えるのはかなりの重症だ。
「――何だー、てっきりシュルツを取り合う三角関係だと思ったのに」
最初に出てきた女の人が、やってくると言った。どんな誤解だ。
「シュルツは、今ちょっと出かけてるの。わたしはイルゼ、シュルツの叔母。で、こっちは義理の姉の……」
「ヘレーネ・ヤレン。シュルツの母で、ヤレン家の家長です」
そう言うと、にっこり笑ってヘレーネさんは胸を張った。
わたしたちは、居間みたいなところに通された。
部屋の真ん中に煉瓦で囲った囲炉裏があり、回りに椅子が並べてある。座る前に、ポーションを出してヘレーネさんに渡した。ミハイ君が使った残りが、まだ半分残っている。
「飲みかけでごめんなさい」
「こんな高価なもの、いただいていいの?」
「上司から貰ったやつなんで」
「ありがたいわ。パン屋のご主人が、昨日から腰をやっちゃって困ってたの」
「パン屋さん?」
「義姉さん。義姉さんの足のためにいただいたのに、失礼でしょ」
「あ、ごめんなさい。他の人に使っても気を悪くしないかしら?」
「ヘレーネさんがそれでいいなら」
わたしは言った。
沢山あればもう一本渡すんだけど、残念ながら残り一本しかない。まだシュルツと会えてないし、今後必要になるかもしれない。
ヘレーネさんが明るく言った。
「わたしはいいの、杖ついてれば歩けるんだから。それより、街にひとつしかないパン屋さんが閉まってる方が大問題。本当に助かるわ」
ポーションを持ってイルゼさんが出ていき、すぐに手ぶらで戻ってきた。近所の誰かに、お使いを頼んだようだ。
わたしは、出されたハーブティーを飲んだ。苦甘くておいしい。
意外と平和だなと思う。シュルツが、クビ上等で帰らなければいけなかったような、重大事件が起こっている様子はない。ヘレーネさんの怪我が、大げさに伝わったとかだろうか。ありがちだけど、それならシュルツが飛び出して行ったのも納得できる。
「わざわざ、ダーファスからいらしてくれたの?」
ヘレーネさんが聞いてきた。
わたしが答えるより先に、ミハイ君が口を開いた。
「シュルツは、急用があって帰ったんだって聞いたけど」
「それで心配してきてくれたの?」
「こいつはそう。俺はついで」
「――あの、何かあったんですか?」
ヘレーネさんは黙る。イルゼさんと目を見交わしたあとで、口を開いた。
「夕方にはシュルツが帰ってくると思うから、その後でもいいかしら?」
「じゃあ、その時に」
「――で」
「で?」
「シュルツを待つなら泊まって行くでしょ? 泊まるわよね? ぜひ泊まって行ってちょうだい。ね?」
椅子から身を乗り出して、ヘレーネさんが言う。圧が強い。
わたしとミハイ君は、同時にうなずいていた。
イルゼさんが、ため息をついた。
「ごめんなさいね。義姉さん、いつもこんな感じだから」
夕方になると、イルゼさんの娘のコリンナさんと、コリンナさんの子供達がにぎやかしくやってきた。シュルツのお父さんはすでに他界していて、イルゼさんとコリンナさんの旦那さんは出稼ぎで不在。まとめてやった方が楽という理由で、夕食はみんなで集まってとるのだそうだ。
ヘレーネさんが子供達を見ている間に、イルゼさんとコリンナさんが夕食作りを始める。わたしは、お皿を並べたり、サラダ用の野菜をちぎったりして、お手伝いをした。そうしながら、ヤレン家の人々を観察する。イルゼさんとコリンナさんは黒髪だけど、コリンナさんの子供たちは青色の髪をしている。ヘレーネさんは茶髪だから、シュルツはお父さんに似たんだろう。
ミハイ君は小さな子供が苦手らしく、どっかに逃げていたが、料理ができあがるころにふらっと現れて食卓についた。ちゃっかりしてるなあと思ったが、考えて見ればミハイ君は本家の次男坊で、めちゃめちゃ接待される立場の人だ。なのに、家名を名乗らないとこを見ると、素性を知られたくないらしい。
「何だよ?」
「たんとお食べ」
「――? おお」
まあ、何も考えてない可能性が大だけど。
わたしたちは、ヤレン家の人々とにぎやかに食事をした。
食事を終え、夜になっても、シュルツは帰ってこなかった。




