07 ドラゴンのお勉強
待ちに待った翌朝。
まだ薄暗い中を、わたしたち一行はひっそりと城を出た。
父、ヤス、ミリー、レイル。護衛四名、コックさん兼、荷物持ち四名。
総勢十二名の団体様である。
初めての遠足が何事もなく終わればそれでよし。
事故でもあれば、たぶん次はない。
「問題を起こすんじゃねえ」というヤスからの無言の圧力は、わたしよりも父に向けられていた。生まれて数日のわたしが未熟なのは、しかたがない。その代わり、保護者は保護者らしくしっかりしろと言うことだ。
その父はと言えば、目の下に濃い隈をつくり、足取りはふらついている。娘とのお出かけが楽しみなあまり、昨夜は一睡もできなかったそうだ。ヤスの気持ちもわかろうと言うものである。
「たまには外の空気を吸うのもいいものだな」
わたしを肩に乗せ、よれよれの父が言う。
「そうだね。晴れてよかったね」
「雨でも吹雪でも、グラナさえいればわたしはそれで幸せだ」
「次は遠足じゃなくて旅行へ行こうよ」
「グラナはどこへ行きたい?」
「そうだなあ……温泉入りたいなあ」
「長いこと氷漬けになっていたからな。可哀想に……」
「覚えてないけど、そうなのかな」
「よーし。グラナのためにでっかい温泉見つけてやるぞ!」
などとキャッキャッしているのを、ヤスが何か言いたそうな顔で見てくる。
ミリーとレイルは、わたしを取られてさみしそうだ。あとでフォローを入れておこう。
一行は山の稜線上を、もくもくと歩き続けた。
山の上と言っても、三角にとがっているのではない。
跳び箱の上のようなと言えばいいのだろうか、山頂に平たい土地が波打って続いており、途中にちょっとした坂や谷がある。地面にはうっすら雪が積もっていて、空気は乾いて涼しい。わたしは竜肌なのであまり感じないが、父やみんなは厚手のマントを着ていた。
一時間ほど歩いたところで、父が足をとめた。
「よし、この辺りがいいだろう」
山の切れ目にある崖の上だ。
跳び箱の端っこであり、下は断崖絶壁になっている。
谷の向こうには、風光明媚な高い山が聳えていた。
コックさんたちが、あわただしく朝食の準備を開始した。
組み立て式のテーブルが設置され、包丁やまな板、塊のパンやハムが荷物から出される。たき火がおこされ、鍋を吊すための三脚が設置された。
今から、ここでサンドイッチを作るらしい。
この山頂で、油を沸かしてポテトチップを揚げるらしい。
携帯食であると伝えたはずだが、冷めた料理は出せねえという職人魂なのだろう。知ってたら揚げ物なんかリクエストしなかったのに。ごめんな。
コックさんたちが朝食を作っている間に、父の魔法講義が行われた。
その内容は初心者向けた。
「簡単に言えば、魔法というのは、魔素を燃やして様々な現象を起こすことだ」
「ふむふむ」
「魔法には物質に作用するものと、精神に作用するものがある」
「ほお」
「物質魔法は誰でも行えるが、精神魔法を行えるのは“流星”以上の魔術師だけだ」
「先生!」
「なんだいグラナ」
「流星って何ですか?」
「いい質問だ! よくぞそこに気がついた!」
一緒に聴講しているミリーとレイルまでもが、「グラナ様すごい!」とか持ち上げてくる。わたしは得意になりかけたが、ヤスの凍てついた視線に気づいてはっとした。
この三人の保護者は、本当にどうしようもなくわたしに甘い。
話半分、いや百分の一くらいで聞いておかないと恥をさらすことになる。
わたしは心のなかでヤスに感謝した。
わたしが世間の常識を知ることができるのも、ヤスのおかげだ。
「流星というのは、魔術師の等級のひとつだ。“石”は見習い、“星”は半人前、“流星”は一人前、“明星”は秀才、“月”は天才。ちなみにわたしは、月よりさらに上のクラスである“太陽”の称号を得ている」
ドヤ顔で言うが、いまいちそのスゴさがわからない。
将棋の昇段で考えてみる。
石は素人、星はアマチュア、流星はプロ。
明星は、竜王や棋聖。
月は、永世竜王、永世棋聖。
太陽の魔術師がこれより上なら、永世七冠といったところか。
父が鬼畜眼鏡クラスというなら、それはそれはスゴいと思う。
「ミリーとレイルは?」
「わたしたちは、ふたりとも流星の3です」
「さん?」
「流星のなかに等級があるんです。星もそうです」
「星は1級から8級まで、流星は1級から3級までです」
「今は流星の3に甘んじていますが、最終的には明星を目指していますよ!」
父が魔法講義に話を戻す。
「魔素は生物から発生するエネルギーで、いたるところに漂っている。人間も魔素を生み出しているが、魔法に使用するには量が足りない。魔法を使う場合は、周辺の魔素を集める必要がある。魔素をより早く、より多く収集する力は、魔法をいかに使うかと同じくらい大切なことだ。よく覚えておきなさい」
「はーい」
「魔術師同士の争いにおいては、魔法の撃ち合いの裏で、周辺魔素の奪い合いが必ず行われる。その場の魔素が空になると、元に戻るのに丸一日かかる。己の魔素がつきた状態で、相手に魔素が残っていれば、裸で敵前に立っているのも同じことだ。だから、周辺の魔素量には常に気を配っておかなければならない」
「魔素って、何かに溜めておくことはできないの?」
「いい質問だ!」
「グラナ様、すごい!」
「グラナ様、かしこい!」
「天才だ。これぞ魔術の申し子だ!」
「そういうのはもういいから」
「わたしにはわかる。グラナには本当に才能がある」
「もういいって言ったよね?」
ヤスが、痛々しいものを見るような目で父を見ている。
部下に哀れまれる父は見たくない。
何より、わたし自身がうっとおしくなってきた。
わたしは心を鬼にすると言った。
「いちいち褒められると気が散るから、質問したことだけ答えてよ」
「……グラナがそう言うなら」
父はすごく悲しそうだ。
自分の言葉を撤回したいのを、わたしはぐっとこらえる。
これも父の威厳を保つためである。
「魔素を宝石や容器のなかに保管する方法は、たしかにある。だが、溜めておける量は微々たるもので、その用途も限られている」
「人間の体にも?」
「生物の体は魔素を発生させるだけで、吸収するようにはできていない」
「じゃあ魔素を集めるって、手元に置いておく感じ? 雪玉みたいに?」
「さすがわたしのグラナ。この短時間でそこまで理解するとは……」
父は涙ぐんだが、褒めるなと言われたことを思い出したらしく、ぐっと唇を引き結んだ。がんばれ父。
「雪というのは非常に良いたとえだ」
「えへへ」
「雪と同じように、集めた魔素も時間の経過とともに失われてしまう。ゆえに魔法を使う場合は、そのたびごとに魔素を集める必要がある」
「人間は、どうやっても大量の魔素を生み出すことはできないの?」
「できない。己でコントロールできるものではないし、発生する仕組みもわかっていない。だが、ひとつだけ例外を上げるとすれば……」
「すれば?」
「近くで誰かが死ねば、それなりの量の魔素が放出される」
「……うわあ」
「ちなみに、十人分の死体で大魔法がひとつ撃てる」
「死体を材料みたいに言わないで!」
このタイミングで、食事の準備ができたとの声がかかった。
組み立て式の簡易テーブルに、真っ白なクロスがかけられていた。
大皿がならべられ、サンドイッチとポテトチップが皿からはみ出さんばかりに盛られている。各人の席には取り皿とワイングラス、ナイフとフォークがセットされていた。携帯食って言ったんだけどなあ……。
みんなは、折りたたみ椅子に座っている。
わたし用の椅子は当然ないので、父の皿の横に陣取った。
父の右隣にヤスが座り、左隣にミリーとレイルが同時にすべりこんでくる。ふたりの間に火花が散り、あっ、こよりの出番だ。と思ったが、さすがに父の前ではまずいようで、視線で語り合った末、レイルが父の隣に腰をおろした。
今のわたしの体には、普通のサンドイッチでもお布団サイズだ。
巨大サンドイッチにかぶりつくのは、それはそれで楽しそうだが、レイルがサンドイッチを小さく切り分けてくれたので、大人しくそれをいただいた。
黒パンのサンドイッチは、具材が新鮮なおかげでマヨネーズがなくても十分においしく、揚げたてパリパリのポテトチップも、芋本来の甘さと塩のしょっぱさが絶妙でとてもおいしい。コックさんのアレンジで、ハーブや香辛料が振りかけてあるものもあり、さすがは職人と感心した。
次は何をリクエストしよう。
城の食事にミルクアイスがあったから、バニラに似た香料はあるはずだ。
なら、何ができるだろう。
プリン、スフレ、ホットケーキ、どら焼き……はあんこがないから無理か。小豆っぽい豆を知らないか、今度コックさんに聞いてみよう。
もぐもぐしながら、わたしは父の講義を思い返した。
この世界での魔素は、ゲームで言う魂吸収みたいなもののようだ。
倒した敵から発生するエネルギーを吸収し、それで魔法を使ったり、レベルアップができたりする仕組みである。ゲームだと大量のエネルギーを蓄えたアイテムや植物なんかが配置されてるけど、この世界にそういうのはないらしい。
魔法の準備段階で手元に留めておけるが、長期の保持は不可。
かめは○波は確か体内エネルギーだった気がするから、元○玉のイメージか。
わたしの頭では、雪玉で想像しておくのがベストだろう。