67 逃亡する魔女
シェローレン屋敷の朝は早い。
従業員の大半が街からの通いで、六時の開門を待って庭師さんやらメイドさんやらが出勤してくる。ジルさんたち当代一家の起床はもっと遅いけど、厨房からはパンの焼ける匂いがし、庭の花園では、玄関や食堂を飾るための花を庭師さんが切っている。メイドさんたちは、朝の清掃を始めていた。
窓から離れたわたしは、リュックを背負うと部屋を出た。
人気のない廊下を進み、談話室に行くと扉を薄く開ける。誰もいないのを確認してから、部屋に入った。
アーベルの机に近づくと、用意していたメモを書類の上に置いた。
文面はこうだ。
【 シュルツが心配なので、様子を見てきます。探さないでください。イチカ 】
心配――は、しないだろうが、ミハイ君が捜索に駆り出されると気の毒だ。
あとは、激怒したアーベルがわたしの正体をバラさないかだが、戻ってくる可能性があるうちは黙っててくれるだろう。……黙っててくれるよね?
「うーん」
メモを読み返す。ちょっと、言葉足らずすぎるだろうか。
わたしは、椅子に腰かけるとインク瓶の蓋を開けた。
下に“追伸”と書いて「おみやげ買って帰ってくるね」という文言を添えてみる。
これなら、裏切ったんじゃないってわかるはずだ。あと「宿題やってなくてゴメン」と、ゴメンなさいの顔も描いとこう。――何か汚くなってしまった。ゴミと間違えられないように、“重要”って書いて丸つけよう。あっ、線が歪んじゃった。
「……まあ、いいか」
どうせ、速攻でゴミ箱行きだろう。
書き置きの出来映えに満足したわたしは、インクの蓋を閉めると席を立った。
係長宛の手紙をメイドさんに託してから、厨房に行く。焼きたてパンと燻製肉をゲットすると、油紙につつんでリュックにしまった。それとは別に朝食用のパンをもらい、もぐもぐしながら門の方へ向かう。
使用人用の門で許可証を出したが、普通に通ることができた。
歩きながら、振り返って背後を確認する。
誰かが追ってくる様子も、尾行がついている様子もない。
前を向いたわたしは、うれしくなって走り出した。――自由だ!
最初の街につくと、木陰に入って地図を広げた。
転送基地を乗り継いで、北へ移動した地点である。
支給されていた転送基地のパスは、残念ながらダーファス市内限定だった。しょうがないので自腹を切って切符を購入したところ、合計で七千円くらいかかった。結構お高い。
ここから北へ移動したところにリーシュという街があり、その街には、さらに北へ向かう転送基地があるそうだ。ソニアさん情報によれば、半日も歩けば着くそうなので、今日の目標は、リーシュに到着することとする。先へ進むか、一泊するかは着いてから決めればいい。
「……実は、ひとり旅ってしたことないんだよね」
ホテルとか民宿に行って「泊めてください」とか言ったことない。未成年でも泊めてくれるだろうか。身分証持ってないけど、見せろって言われたらどうしよう。――やばい、今になって緊張してきた。
有名おつかいソングの幻聴が聞こえてきて、わたしは泣きたくなった。
今ならまだ間に合う。
戻って、アーベルにあやまり倒せば許してもらえるだろう。
でも勉強やらされるし、やった宿題を破り捨てられる無限地獄が待っている。
わたしは涙を拭いた。
――いやだ。勉強したくない。
「アイチャンがいるし!」
『魔法を使用しますか?』
「がんばれイチカって言って?」
『がんばれイチカ』
「よっしゃ、きばって家出するぞ!」
『よっしゃ』
日が高くなるにつれて、街道を行く人の数が増えてきた。
街道と言っても、時折、リーシュ(←)と書いた看板が立っているだけで、道自体はごく普通の道である。煉瓦が敷いてあるわけでも、道端にお花が植わっているわけでもない。それどころか、馬や荷馬車が行き来しているので道はボコボコだ。
両側は地平線まで畑が広がり、時々、ちっちゃい村か集落みたいのが点在している。林の中を通る道の途中で、脇道に逸れる人の流れについて行ってみると、水の湧いている泉があった。わたしは、ひと休みすることにした。
「今、どの辺りなんだろう……」
半日というのが、だいたい五、六時間だとして、前の街を出たのが八時くらいだから、遅くとも二時にはリーシュに到着できるはずだ。
わたしは懐中時計を取り出した。
時刻は十時半。昼食には早いけど、たくさん歩いてお腹が減っていた。リュックからパンと燻製肉を出すと、地図を見ながら食べ始めた。今からこれでは、リーシュに着くころに、また腹ペコになっているだろう。街に着いたら、名物的なのを探して食べよう。楽しみだなー。
黙々と歩き、昼過ぎにはリーシュの街に着くことができた。
<跳躍>の魔法を使えばもっと早く着けたけど、シュルツから注意されたように、魔術師だとバレると、暗がりに連れ込まれて魔導書をカツアゲされる危険がある。ダーファス市内ならともかく、ここでは目立つことは避けた方がいいだろう。
街の向こうには、険しそうな山が覆い被さるようにして聳えていた。ベル山脈に連なるルブロという名前の山で、リーシュにある転送基地は山の向こう側へ行くためのものだそうだ。
転送基地へ行ってみると、入口が閉まっていた。
時刻表みたいのが貼り出してあり、それによると偶数日の午前中しかやっていないようだ。僻地の路線バスが、一日二本みたいな感じだろう。ソニアさん情報になかったけど、当たり前すぎて言い忘れたんだろうか。今日は奇数日だから、明日の朝には出発できる。
まずは、心配の種である宿屋を探そう。
看板を確認しながら歩いて行き、わたしは最初に見つけた宿屋に突撃した。
「あんた狩猟者?」
わたしの腰に吊った剣を見て、宿屋の主人が聞いてきた。
「しゅりょうしゃ?」
「魔石目当てに、魔物狩りする連中のことさ」
「ああ!」
「違うのか? その剣は?」
「ええと、ダーファスで貴族の私兵してたんだけど、傭兵に転職しようかなって」
「狩猟者に転職しろよ。稼げるぜ」
タメ口だが、親切な人ではあるようだ。
わたしは、転職希望のふりを続けることにした。
「狩猟者って、どうすればなれるの?」
「登録所がダーファスにある。そこで狩猟許可をとればいい」
「それがないと狩猟できないの?」
「狩猟はできるが、魔石を買い取ってもらえない」
「往復する交通費がないんだけど……」
「なら簡単だ。許可証持ってる奴に交渉して、狩りの仲間にくわわればいい。分け前はそれなりだが、すっからかんよりいいだろ」
「それって合法なの?」
「知らんが、みんなやってることだ」
ゆるいなあ。言うこと信じて、捕まったらどうしよう。
一泊したいと言うと、前払いでベッドをひとつ貸してもらえた。
ひと部屋ではない。相部屋のベッドをひとつである。
行ってみると、部屋の三方に二段ベッドが置かれていて、プライバシー保護のためのカーテンがついていた。テレビで見た寝台列車のようで、わくわくする。
貴重品は持って出ろと言われたので、剣と財布を持ち、父鍋は布でくるんで肩から斜めがけにした。魔術師でないと魔具とわからないらしいが、万が一ということもある。持ち歩いた方が安全だろう。
「――狩猟者を目指すなら、広場に組合所があるから話を聞くといい」
宿屋を出ようとすると、店主がそう声をかけてきた。
目指す気はないが、旅費がなくなったらバイトの必要が出てくるかもしれない。
聞いといて損はないし、行くだけ行ってみるか。
広場に行くと、組合所とやらを探した。
酒場っぽい外観の建物に看板が出ており、扉をくぐると冒険者ギルドっぽい内装が目に入った。カウンターにお姉さんがいて、壁の掲示板には紙がベタベタ貼ってある。右側の壁にウエスタン風のスイングドアがあり、同じ建物内にある酒場と繋がっていた。真っ昼間だというのに、ダメな大人が数人飲んだくれている。……あれが狩猟者だろうか。
わたしは、掲示板を見に行った。
ゲームだとここに依頼書が貼り出してあるんだけど、予想に反して依頼書は一枚もない。魔物の出没情報とか、宿屋の主人が言ってたような「一緒に戦う仲間募集中!」みたいなのが大半だ。あと、「酒場にあった忘れ物の剣を預かっています」という不名誉なお知らせもあった。商売道具!
カウンターがすくのを待って、お姉さんに話を聞いてみた。
やっぱり、ダーファスで許可証をとった方がいいと言われ、「交通費がないのでしたら、剣を担保に借金ができますよ?」と笑顔で言われて震え上がった。許可証自体は誰でも取得できるけど、何かやらかしたら即没収&ブラックリスト入りするので、ご注意をとのことだ。わたしは、お姉さんにお礼を言うと組合所を出た。
お腹減ったから、どこかでおいしいものでも食べよう。
宿もとれたし、ひとり旅楽勝だな。
などと、思いながら歩いていた時だ。
道の真ん中に人垣ができていて、はやし立てるような声がしていた。
大道芸でもやってるのかと思ってのぞいたが、どうやら喧嘩らしい。
チンピラみたいな三人組を相手に、一人の少年がストリートファイトの真っ最中である。いい勝負になっているようで、野次馬たちが「いいぞ、兄ちゃん!」みたいな声援を送っていた。
オレンジ頭の後ろ姿に既視感を感じたが、ここにいるはずのない人だし、たぶんわたしの気のせいだろう。




