66 安息を求めて
※文末にマップがあります。
「それで、逃げてきたってわけですか?」
面白がりながら、ソニアさんが言った。
黒のタンクトップに草色のズボン、頭をお団子に結っている。金ピカの柄がついたナイフを磨いており、店内に客の姿はない。
看板は入口横の板だけだし、商売の方は大丈夫なのか心配になったが、ここは支店なので問題ないとのことだった。南区の方に本店があり、そっちは工房と隣接している。わたしのオーダーメイド投剣も、ソニアさんの図案を元に工房が作ってくれたそうだ。
「……ブラック上司め」
涙ぐみながら、わたしは煮えている餡子をかきまわした。
店の奥にある炊事場で、狭いけど簡単な調理ができる設備が整っている。従業員が昼ご飯をつくるのに使うそうで、ソニアさんが快く貸してくれた。
鍋をのぞくと、おいしそうに餡子が炊けている。
おいしそうというか、餡子の匂いのついた空気がすでにおいしい。
アーカイブに入っていた餡子炊き動画を見て予習していたので、手間取ることなく餡子を炊くことができた。小豆は、皮が薄いので水に漬けておく必要はない。一回煮て、水を捨て、もう一回煮ながら少しずつ砂糖をくわえ、最後に塩でととのえれば完成である。
スプーンですくい、火傷に気をつけながら味見をする。
口に入れた瞬間、懐かしい味が舌の上に広がった。
甘くて、ほくほくして、ねっとりしている。
これが餡子でなかったら何なのかというほど、完全完璧に餡子である。
「……初めての餡子炊きて、完璧な餡子を炊いてしまった」
どうしよう。天才かもしれない。
全部食べてしまいたかったが、今のわたしは、餡子のおいしさを異世界に広めるという使命を帯びている。餡子のおいしさを広めることで、小豆をマイナー食材からメジャー食材に昇格させ、ひいては安定的に小豆を手に入れようという壮大な計画である。
鍋を火から下ろすと、買ってきたスポンジケーキの包みを開けた。短冊状にカットして、冷ました餡子を挟めば、シベリア風餡子サンドの完成である。
どら焼きでもよかったのだが、たっぷり餡子は初心者には難易度が高いと判断した。その点、シベリアなら餡子の厚みに調整がきく。正統派のシベリアは羊羹を使うが、そこまでやってられないので、今日は普通の餡子だ。半分はプレーンで、半分は砕いたクルミを混ぜてみた。ソニアさんの口に合うといいんだけど。
紅茶をいれていると、店のドアが開いて誰か入ってきた。
「いらっしゃいませー。あら、ミハイ様」
ソニアさんが言うのを聞いて、わたしは炊事場から顔を出した。
「あ、本当にミハイ君だ。久しぶりー」
被験者二号ゲットである。天才が炊いた餡子を喰らわせてやろう。
「お前、何やったんだよ?」
わたしを見るなり、嫌なことを言う。そういや、発着場で迷子になった時も、アーベルに言われて探しにきたんだっけ。
「……探してこいって言われた?」
「いや、見かけなかったか聞かれただけ」
「何だ。脅かさないでよ」
「知らねえよ。何したんだよ」
「それがさー、かくかくしかじか」
「お前……何言ってんだ」
「休憩中の札下げてきました。ニホンのお菓子楽しみです」
紅茶を用意し、できたてのシベリアをテーブルに置いた。
ひとつ食べてみる。シベリアを名乗るには餡子少なめだが、それでもスポンジの味に負けてない。クルミの香ばしさも、いい仕事をしていた。
「……泥でも挟まってんのか?」
「泥じゃないよ。ニホンの餡子だよ」
「これ、材料は何だよ?」
「小豆って豆。ちなみに砂糖で煮てある」
「マジかよ。頭イカれてんな」
「不思議ですねえ。初めて食べるのに、懐かしい味がします」
「ほっとする味だよね!」
「……こんなもん、よく食えるな」
「文句を言う子に、おやつは食べさせません!」
「あら残念。こんなにおいしいのに」
ソニアさんのひと言が効いたらしく、ミハイ君が餡子サンドに手をのばす。特に感想は言わなかったが、「まあ」みたいな顔をしてふた口目に行ったところを見ると、口に合ったようだ。今度、アンパン作ってあげよう。
「……シュルツにも、食べさせてあげたかったな」
「シュルツ、どうかしたのか?」
「急な用事で実家帰ったって」
「用事?」
「わかんない。アーベルが聞かなかったから」
「お前にも一言もなかったのか?」
「うん……たぶん、心配かけたくなかったんだと思う」
さんざん考えた末に、わたしはそう結論づけた。
それが一番ありそうなことだ。
シュルツの性格だと嘘も下手そうだし、理由を言って心配させるより、黙って出て行った方がいいと判断したのだろう。それはそれで、すごく寂しいんだけど。
「帰るならクビってアーベルが脅して、帰ったからクビだって。ひどくない?」
「相変わらず容赦ねえな」
「シュルツの実家って、どこにあるか知ってる?」
「ヤレン家ならケレースだな。シャムルドとの国境近くだ」
「シャムルドって?」
「お前……マジか……」
「だから、外国人なんだって」
しかし、毎回ドン引きされるのも辛くなってきた。
ちょっとは勉強した方がいいかもしれない。勉強か。嫌だなあ。
「地図を持ってきますね」
ソニアさんが立ち上がり、掛け軸みたいのを持って戻ってきた。
壁にあるフックに紐をかけ、丸まった布を伸ばすと地図が現れた。
「おおー」
ハリファール国は隣国と仲が悪く、詳細な地図は軍事機密にあたるので、持っているのは軍隊だけだ。ソニアさんが持ってきてくれた地図も、ハリファール北部を切り取ったもので、かなり簡略化されていた。
上に山脈らしいギザギザ線があり、ティグ山脈、ベル山脈とある。中央にハリファール、西隣がシャムルド、東隣上がガロリア、東隣下がセリーズ。ハリファールとガロリアの間には、ニルグの森が広がっている。ハリファール国内でいえば、中央に王都ハリファがあり、ダーファスは王都から見て左上だ。
「シャムルドとは仲いいの?」
「交易はある。仲いいってほどではない」
ミハイ君が言うのに、ソニアさんがうなずいた。
右隣二軒はオラついてるし、四方八方ギスギスしてんな。
「ここが、ケレースです」
ソニアさんが手を上げ、地図の一角を指で押さえた。ケレースという文字が小さく書かれている。ダーファスから離れている上、ふたつの山脈に挟まれて、見るからにど田舎っぽい
「シュルツは、遠いとこから来たんだね」
「いえ、それほど遠くないですよ」
「そうなの?」
「同じシェローレン領内ですからね」
よくわからないが、栃木も群馬も北関東みたいな感じだろうか。
わたしは、はっとしてソニアさんの顔を見た。
「ここからだと何日くらいかかる?」
「転送基地を経由して、五日といったところです」
「使わなかったら?」
「そうですね……十日以上かかると思います」
「ソニア、詳しいな」
「買い付けで、あちこち行きますからね」
ソニアさんが答えた。ベル山脈では鉱物がたくさん採れ、魔石がドロップされる魔物もいっぱいいるそうだ。それは魔境ではないだろうか。
「魔石を採るには、魔石の武器で魔物退治しなきゃいけないんだよね?」
「ええ、そうです」
「それって誰がしてるの?」
「狩猟の許可を得た民間人です」
「兵士はやらないんだ?」
「ええ。街や村が襲われないかぎり、まず出てきません」
イノシシやクマ狩る猟師がいて、人里に被害が出ると警察が出てきます。みたいなイメージをする。やっぱり田舎のようだ。
「地図って、どこに売ってるの?」
「こういうのですか?」
「もっと小さくて、冊子とか、畳んでおけるやつ」
「転送基地の近くで、日用品を売っている店なら置いていると思います」
「そっか。ありがと」
「うちの書斎にもあるけどな」
食後のミントを出しながら、ミハイ君が言う。談話室の本棚にはなかったけど、他の階ならあるんだろうか。でも、どうせ持ち出せるようなのはないだろう。
後片付けをしながら街道なんかの話を聞き、店を出たわたしは転送基地の方へ向かった。
買い物をしていたら、閉門時間ぎりぎりになってしまった。
柵を乗り越えるのは簡単だけど、たぶん魔法のセキュリティがかかっている。乗り越えた瞬間、警備の魔術師さんがすっとんでくるだろう。そういや、警備の魔術師さんに会ったことないんだけど、どんな人なんだろう。
ちらっと柵の方を見る。いや、絶対怒られるしやめておこう。
用心しながら廊下を進み、アーベルに出くわさずに自室に戻ることができた。
鍵かけても無駄なのは学習済みなので、ドアノブの下に椅子を挟んで簡単に開けられないようにする。アーベル対策を済ませてから、買ってきたものを寝台の上にならべた。
リュック、水筒、歩きやすいブーツ、防水加工されたフード付きマント。
折りたためる地図、蓋付き方位磁石。
クローゼットを開けると、着替えと父鍋も出してきた。
ニルグを出たときはミニマリストの鑑だったというのに、こうして見ると、ずいぶん物が増えた。ミリマリストの語感がかっこいいので、もう名乗れないのが残念だ。荷物をまとめてリュックに詰めると、クローゼットの隅に立てかけた。これでよし。
ふと机を見ると、わたし宛の手紙が届いていた。メイドさんが届けてくれたようだ。差出人は、係長ことバフェルさんである。
寝台に腰かけると、わたしは手紙を読み始めた。
係長へ手紙を出したのは、一ヶ月前のことだ。ニルグ砦の住所をシュルツに聞きに行ったところ、手紙はいいけどアーベルの正体や仕事内容を書いてはだめと言われたので、ダーファスがめっちゃ都会だとか、訓練がんばってるみたいなことを書いて送った。その返事である。
最初に、わたしを訪ねてきた者はいなかったと書いてあった。ニルグの森で、それらしき人を見たという情報もないという。
係長への手紙と一緒に、わたしを捜しに来た人がいたら渡して欲しいと、もう一通手紙を同封していた。誰かに奪われる可能性もあるから、そっちにも当たり障りのないことしか書いていない。イチカという名前を使っていること、アーベルという人の元で働いていること、アーベルは人間の皮を被った悪魔だけど、シュルツという先輩が超やさしくて魔法や武術を教わってることなんかを書いた。
がっかりしたが、気を取り直して続きを読んだ。
ルーミエがズタズタにした森は、王都からきた魔術師が治してくれたそうだ。仕事が忙しく、小隊長に戻りたいと愚痴ったところ、キースさんに全力で止められたと書いてある。キースさん、がんばれ。超がんばれ。
別の砦の隊員にポテトドーナツを振る舞ったところ、ぜひレシピを教えて欲しいと言われて教えてしまったが、かまわなかっただろうかと書いてあったので、すぐ返事を書くことにした。もちろんOKだ。あと、しばらくは手紙を受け取れないし、返事が書けないことも知らせておこう。
引き出しからレターセットを出すと、わたしは手紙の返事を書き始めた。




