65 図書の檻
わたしは、もう一度シュルツの部屋を探索することにした。
手紙か、メモか、何でもいいから残されていないかと思ったからだ。
机の引き出しを開け、カーテンの裏や、寝台の下ものぞいてみる。隅々まで探したが、メモどころか、チリひとつ落ちていない。出てったのは昨日の夜か、今日の朝早くだろうから、シュルツが自分で掃除していったに違いない。がっかりすると同時に、きれいすぎて感心した。隣のものぐさ太郎とは大違いである。
部屋の真ん中に立って、わたしは途方に暮れた。
手紙がないのはいいとして、急いでいたなら、忘れ物や不要品のひとつやふたつ残ってていいはずが、それすらない。それとも、朝にメイドさんがきて片付けてしまったのだろうか。でも、さすがに手紙までは捨てないよね?
「イチカ」
顔を上げると、開けっぱなしの扉の外にアーベルが立っていた。
白シャツにベスト、黒のズボンという簡単な装いで、格好からして今日は外出の予定はないようだ。
「ついてこい」
そう言うと、客室から出て行った。
さっき邪険に追い払ったばかりなのに、どういう風の吹き回しだろう。シュルツがいなくなって、さみしいのだろうか。きっとそうに違いない。しょうがないなあと思いながら、わたしはアーベルのあとを追った。
到着したのは、いつもの談話室だ。
壁は本棚で埋まり、広い部屋のあちこちにソファーセットが置かれている。
シェローレン屋敷は北と南に棟があって、南館は当代一家の住居、北館は来客その他が使うことになっている。わたしたちの他にも、親戚だが客だかよくわからない人たちが宿泊しているが、この談話室で姿を見たことはない。アーベルに遠慮して、他の階の談話室を使っているようだ。
客室をゴミ溜めにしているアーベルは、談話室の一角に巣をつくっていた。
壁際にあった書き物机を窓際に移動させ、たくさんの書類と本を持ち込んでいる。ここはメイドさん禁止にするわけにはいかないようで、机まわりはきれいに掃除され、足元にはゴミ箱が設置されていた。
「近いうちに、代わりの教師を見つける」
椅子に腰かけながら、アーベルが言った。
教師というのは、シュルツの代わりのということだろう。正直、気が進まない。
「気が早くない? すぐ戻ってくるかもしれないし」
「お前の意見など求めていない」
ぴしゃりと言う。可愛げがない。
「にしても、魔法の先生なんてすぐ見つかるの?」
「すぐには無理だろう」
「じゃあ、それまで自主練してるよ」
「――お前は、昼間は何をしているんだ?」
今気づいたといった様子で、アーベルが尋ねた。
まあ、シュルツに任せきりだったしね。
午前の訓練は、ずっと続けている。午後は、ばあちゃんがいたころはばあちゃんの護衛、ユリウスがいたころは軟禁部屋の見張りをしていたが、それ以降はフリーである。最近、何をしていたかと言えば――。
「庭の草むしりしたり、厩舎の掃除手伝ったり、木に引っかかった洗濯物とってきたり……ほら、わたしって魔法使えば色々できるからさ」
「要するに、暇を持て余しているわけか」
「暇じゃないよ。労働してるんだよ」
「では聞くが、お前の仕事とは何だ?」
何だろう? 首をかしげかけたが、凍てついた視線に気づいて頭を戻した。
やることないから、待機でいいんじゃないの?
実際、何の指示も出てないわけだし。
しかし、アーベルの様子からして説教する気満々のようだ。そうは行くか。
ヒントを探して視線をさ迷わせるが、答えはどこにも書いていない。
シェローレン屋敷をうろついていることを遊んでると仮定するなら、シュルツなら何て言うだろう。たぶん、遊んでないで――。
「……えと、魔法の修行をすること?」
長考したのちに言うと、アーベルがうなずいた。あってた!
「一秒でも早くレベルを上げろと言ったはずだ」
「ソウデスネ」
「草むしりや馬のエサやりは、お前の仕事ではない」
「ゴモットモ」
でも多少は魔法使ってるし、修行と言えなくもないと思うんだけど。
アーベルは白紙の紙を引き寄せると、一番の上に何かを書き付けた。紙をこちらに押しやる。何だろう?
「スタ……スタルロフト?」
A4サイズくらいの紙の一番上に、それだけ書いてある。
武器の名前? それとも地名だろうか?
「聞き覚えはないか?」
「さっぱり」
「では、調べろ」
「……調べろ?」
アーベルは、片手を上げると本棚の方を示した。
「ここにある書物から調べて、下に書いてこい」
「何のために?」
「お前の空っぽの頭に、少しでも常識を詰めこむためにだ」
「それはわたしの仕事ですか?」
「言ったはずだ。教師は近々見つける。それまで、お前の仕事はこれだ」
異世界なのに、宿題を出されてしまった。
多少賢くなったところでレベルが上がるわけじゃなし、これこそ魔法修業とは何の関係もない。腑に落ちなかったが、上司が仕事だと言うからには従うほかない。
とりま、わたしも自分の書斎をつくろう。
広い室内をうろうろし、アーベルの机から対角線で離れたソファーセットに目をつけた。ソファーをどかし、クッションを床に置いて、ローテーブルをちゃぶ台の代わりにする。書き物机から筆記道具をとってくると、宿題の紙と一緒にテーブルに置いた。さて。
ここが現代日本ならネット検索すれば一発だが、そんな文明の利器はこの世界に存在しない。アナログ検索するなら、普通に辞書か事典か。まずはそれを探そう。
わたしは壁に沿って歩きながら、辞書か事典を探した。
狭い背表紙に、横書きのタイトルが詰まっているので読みづらい。
午前中かかって確認したが、辞書のじの字も見つからなかった。百科事典っぽいのもない。いくつか手にとってみたが、いずれも、よくわからん歴史書とか、よくわからん哲学書とか、よくわからん詩集とかで、パラ見しただけで頭が痛くなるような代物ばかりだった。
「辞書貸してくれない?」
アーベルのとこに行って、聞いてみた。
書き物をしていたアーベルは、手を止めると机の上にあった本を渡してきた。新書サイズで、厚みは5センチくらい。しかし、ずいぶんあっさり貸してくれたな。
嫌な予感がしたので、その場で異世界文字のSを調べた。
ない。二度確かめたが、探している単語はなかった。
「百科事典ってない?」
「ないな」
顔も上げずに言う。
げんなりしながら、わたしはスタート地点に戻った。
ここにある書物で調べろと言ったからには、どっかにはあるはずだ。
その日は、一日本をめくるだけで過ごした。単語を探してパラ見しているだけだが、重い本を出して戻す作業だけでも、だいぶ疲れる。そして目が痛い。
時計を見ると、午後三時をすぎていた。そろそろ下校時間である。
音をたてないように移動し、ソファーの隙間からアーベルの様子をうかがう。
アーベルは眉間にしわを寄せ、紙にペンを走らせている。
あっちは社会人だから、たぶん五時までいるだろう。
アーベルが何をしているかと言えば、ゲオさんの代行的な仕事だという。
ゲオさんは、例の事件のあと、敷地内に潜んでいたところをとっ捕まり、涙ながらに悪事を告白したあと、ばあちゃんに許しを請うてくると言って王都へ行ってしまった。出てったあとで、領地での仕事を死ぬほどため込んでいたのが判明したが、どうも確信犯らしく王都から帰ってこない。それで、通信用の魔具を利用しつつ、アーベルがやれることだけ片付けている。という状況らしい。
それにしてもと、わたしは思う。
貴族って、もっとこう優雅な生活を送っているイメージだったけど、アーベルの生活は優雅とは程遠い。警邏隊に潜入して逃亡魔術師匿ったり、ばあちゃん守るために敵貴族とやり合ったり、ゲオさんが投げ出した仕事を押しつけられたり、なかなかハードな毎日を送っている。
性格が歪んでいるのも、たまりにたまったストレスが原因かもしれない。
そう考えると、少しだけ可哀想になってきた。
わたしの視線に気づいたらしく、アーベルが不機嫌な顔を上げた。
「何だ?」
「お茶もらってくるけど、飲む?」
「勝手にしろ」
仕事中はメイドさん立ち入り禁止にしているので、飲みたかったら自分で運んでくるしかない。わたしは立ち上がると、出口に向かった。ストレスフリーになったら、純白王子になるかもしれないし、今は我慢だ。
スタル何とかの単語を見つけたのは、二日後のことだった。
ハリファールの昔の王様で、賢君として有名だったそうだ。ふーん。その本にはそれ以上のことは書かれていなかったので、シリーズものの人物伝を探して詳細を調べるのに一日、レポートにまとめるのにもう一日かかった。五日がかりで仕上げた宿題を、わたしは意気揚々としてアーベルのところへ持って行った。しかし。
「――字が汚い」
一瞥しただけで、アーベルは紙を破り捨てた。
宿題は、もちろん日本語で書いた。字が汚く見えるのは、アーベルの「日本語を異世界語翻訳」能力がポンコツのせいで、わたしのせいではない。そう言いたかったが、日本語だの異世界語翻訳だの、説明しようがないし、言ったところで信じないだろう。わたしは、口をぱくぱくさせるしかなかった。
「書き直せ。それから」
三枚の紙を扇状に広げると、こっちに突き出す。
それぞれ、一番上のところに意味不明の単語が書き付けてある。まさか。
「追加だ。期限は三日」
わたしは口から魂を吐くと、その場にくずれ落ちた。




