64 意趣返しの朝
翌朝、わたしは肩を落としながら森の空き地へ向かった。
というのも、厨房の使用を断られたせいである。
小豆を炊くから道具とコンロを貸し欲しいとお願いしに行ったところ、「神聖な厨房で、得体の知れない食材を煮るのは許さん」みたいなことを丁寧に告げられ、追い出された。
思い返してみれば、実家の城もニルグの砦も、厨房というよりは合宿所の台所みたいな感じだった。実家のコックさんは魔術師と兼業だったし、ニルグの砦は素人平隊員が交替で調理をしていた。忙しい時間帯でなければ誰でも調理場を使ってよく、それを当たり前と思っていたが、シェローレンの厨房は、ガチのコックさんが仕切っているガチの厨房である。素人の小娘に、簡単に調理場を使わせてくれるわけがなかった。
「――ミハイ君は、どこにもいないし」
ばあちゃん家の台所を貸りられないかと考えたが、合鍵持ってそうなミハイ君と出会えない。放蕩息子だけあって、あんまり屋敷に帰ってこないようだ。ばあちゃんの留守宅にも足を運んでみたけど、人がいる気配はなかった。ミハイ君はミハイ君で、自分の隠れ家を持っているようだ。
あと台所を貸してくれそうな人といえば、ゼインさんとソニアさんくらいか。ゼインさんとこは門番がいるし、そこを突破できたとして、発着場の厨房貸してくれとは頼みづらい。となると、あとはソニアさんしかいない。客の立場を利用するようで気が引けるけど、選択の余地がないし、次の休みに頼みに行ってみよう。
考えながら歩いていたら、五分ばかり遅刻していた。
シュルツは、もういて待っているだろう。
そう思ったのだが。
「あれ? いない?」
運動場を見回すが、師匠の姿がどこにもない。
急な仕事で出かける時はドアにメモが挟んであるけど、今日はなかった。
ということは、普通に寝坊か。
らしくないけど、シュルツだって人間だ。たまには寝坊もするだろう。
「――起こしに行こう」
わたしは、うきうきしながら屋敷に足を向けた。
運が良ければ、シュルツの腹筋が見られるかもしれない。
あの乙女男子ときたら、ガードが固いので、汗をかいたから上半身脱ぐとか、うっかり女子の前で着替え始めるとか、そういうハプニングがひとつも起きない。どうしても見たいわけではないけど、見れないと思うと見たくなる。それが人間というものだ。
わたしは、シュルツの部屋がある客室に入った。
広い居間があり、浴室とお手洗いは共同。反対側に、三つの寝室が並んでいて、奥からゲオさん、アーベル、シュルツの順で使っている。ゲオさんは出てったから今はふたりしかいない。掃除が行き届いた居間には、誰の姿もなかった。
シュルツの部屋の前に行って、軽く扉をノックした。
十秒待ったが、返答はない。
ドアノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。
「――お邪魔します」
ドアを薄く開け、室内をのぞいた。
わたしの部屋より、だいぶ広い。わたしのとこは、使用人の控え室みたいな小部屋だけど、ここはちゃんとした客室だからだろう。書き物机、クローゼット、大きな寝台がある。寝台は空っぽで、誰の姿もなかった。
「――寝坊じゃなかったのか」
がっかりしながら扉を閉めようとして、わたしはふと手を止めた。
何かおかしい。
ちょっと悩んでから、思い切って部屋に入った。
部屋を見渡したわたしは、すぐに違和感の正体に気づいた。
本人どころか、シュルツの私物が何もない。
寝台は整えられているし、書き物机にも、ベッド脇のテーブルにも何も置かれていない。クローゼットを開けると、やっぱり中はからっぽだった。服も靴も、それ以外のものも何もない。いくらミニマリストでも、クローゼットが空というのはありえない。わたしの知らない間に、別の部屋に引っ越したようだ。
わたしは、シュルツの部屋を出た。
隣の部屋の前に立つと、ごくりと唾を飲んだ。
以前のわたしなら、ここで引き返していただろう。
だがしかし、こないだ堂々と風呂をのぞかれた恨みを、わたしは、まだ晴らしていない。年頃の乙女が、すっぱだかの入浴姿を見られたのだ。アーベルの寝顔か、寝起き姿のひとつやふたつ、拝ませてもらわなければ腹の虫が治まらない。
どきどきしながら、ドアノブに手をかける。けして下心があるわけではない。
「――何をしている」
「うわあああああ」
わたしは悲鳴を上げた。
振り向くと、濡れた髪を垂らしたアーベルが立っていた。
半袖のシャツにズボン姿で、全体にしっとりしているところを見ると、風呂から出たばかりのようだ。服を着ているにもかかわらず、色気がすごい。男なのに!
「何か用か?」
「……ちょっと待って、心臓が痛い」
わたしはタイムをかけた。不意を突かれたのと、風呂上がりのアーベルのダブルパンチで心臓がバクバク言っている。深呼吸をし、アーベルにされた嫌がらせの数々を思い出すと、冷静さが戻ってきた。よし、これで普通にしゃべれる。
「シュルツがいないんだけど、どこ行ったか知らない?」
アーベルなら、引っ越し先を知っているはずだ。
昨日は何も言ってなかったから、移動したのは、昨日の夜か、今日の朝のことだろう。夜なら寝坊の可能性があるし、朝ならバタバタして訓練の時間を忘れている可能性がある。それか、ちょっと遅れただけで、今頃運動場にいるのだろうか。
「シュルツなら、暇を出した」
身振りでどけと示しながら、アーベルが言った。
「……休暇とったってこと?」
困惑しながら、わたしは脇に避けた。
「そっちの暇ではない」
「そっちじゃない暇とは?」
「辞めさせた方のだ」
「は?」
アーベルは部屋に入ると、バタンとドアを閉めた。
わたしは突っ立っていたが、我に返るとドアを開けて部屋に入った。
「辞めさせたって、どういうこと!?」
アーベルは窓辺に立ち、タオルで頭を拭いている。
日光を浴びた金髪がキラキラして、そこだけ少女漫画みたいになっている。
てか、部屋が汚い。
寝台に服は脱ぎっぱなし、机の上は書類だらけ、床には酒瓶やらグラスやらがごろごろ置いてある。さてはメイドさん入れてないな。
「勝手に入ってくるな」
「アーベルだってわたしの風呂のぞいたんだから、お互い様でしょ」
「お前と俺では、私生活の価値が違う」
「確かに。いや、そうじゃなくて」
混乱しながら、わたしは置いといてのジェスチャーをした。
「シュルツ、クビにしたってこと?」
「そう言っている」
「いつ? 何で? どうして?」
わたしは、はっとした。
まさか、ユリウスのとこに行ったんだろうか。
一瞬頭をよぎったが、考えてみれば、赤の他人のわたしと違って、シュルツはアーベルの遠縁だ。いくら分家の分家の分家でも、本家を裏切るはずがない。
「……心当たりでもあるのか?」
「いや、ないけど」
アーベルは、目を細くしてわたしを見ている。冷や汗が出た。
「まあいい。昨日の夜、シュルツに手紙が届いた」
「シュルツに? 誰から?」
「家からだと言っていた。急いで帰る用事ができたと」
「……何かあったのかな」
「さあな」
「さあなって、聞かなかったの?」
「聞く必要はない」
興味なさげにアーベルが言う。椅子の背にタオルを投げると、ヘアブラシをとって髪を整え始めた。
「――職を失ってもいいのなら、家でもどこでも好きなところへ行けと言った。その上で行くと答えたから、勝手にしろと言った」
わたしは唖然とした。つまり、急用で実家に帰りたいと言うのをアーベルが許さなくて、だからシュルツは辞めて出て行くしかなかったってことか。絵に描いたようなブラック企業あるあるだ。
「用が済んだら出て行け」
クローゼットを開けながら、アーベルが言った。
「シュルツ戻ってきたら、また雇ってくれるよね?」
「さあな」
「だって急用なんだよ? しょうがないじゃん」
「必要なときにいない者など、何の役にも立たん」
「今は仕事もないし、暇でしょ」
「待機するのも仕事の内だ」
わたしは口を開きかけ、何も言えずにまた閉じた。
アーベルはこう言っているが、フリーの魔術師がそうそういるはずもない。
人外生物のわたしを雇っているくらいだ。戻ってきさえすれば、シュルツの再雇用は可能だろう。まあ、逆立ちで庭一周してこいくらいは言われそうだけど。
アーベルが服を脱ぎ始めたので、わたしはあわてて部屋を出た。
ハプニング的なあれで見るのはセーフだけど、出て行けと言われたのに居座って見物するのは何か違う気がする。てか、まだいるのに脱ぐなよ。
それより、今はシュルツのことだ。
急用とはいえ、わたしに一言もないなんてシュルツらしくない。
実家で、いったい何があったんだろう。




