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60 敗者と勝者

 シェローレン屋敷に戻ったのは、早朝のことだ。

 

 最後の一人を捕まえていないけど、ばあちゃんを単独で追うことはないとユリウスが請け合ったので、捜索は打ち切っている。ユリウスは魔法封じの魔具をつけられ、部下二名と客室に軟禁された。わたしとシュルツで見張りをするそうだが、逃亡したところで、今からばあちゃんを追うのは不可能だし、形だけそうする感じらしい。


 妨害が失敗したわけだけど、ユリウスに落ち込んでいる様子はなかった。


 きっと、上司が寛大で、失敗してもパワハラとかないせいだろう。ユリウス自身がばあちゃんに恨みがあるわけでなし、それなら負けても余裕でいられる。それがホワイト貴族だからなのか、後継者候補であるユリウスが特別あつかいなのかはわからない。ホワイトなら、ぜひとも転職をお願いしたいと思う。力をつけて、アーベル相手にざまぁをしたい。今のとこ、返り討ちに遭うイメージしかできないけど。


 廊下を歩きながら、わたしはあくびをした。


 ひと晩中働いて、さすがに疲れた。

 昼から軟禁部屋の見張りをしろと言われてるし、それまで寝ないと体が持たない。シェローレンのブラックっぷりを、どこかに訴えられないだろうか。


 ばあちゃんの部屋の前を通りかかると、扉が薄く開いていた。

 わたしは、隙間から室内を覗いた。

 部屋には、まだばあちゃんの荷物が残っている。旅行鞄に詰めこんで、あとは王都へ送るだけになっているが、その前にストーカーに荒らされたりしたら大変だ。


 こちらに背を向けて、窓際に誰かが立っていた。

 背格好と、白っぽい金髪からしてジルムンドさんのようだ。

 朝っぱらに、こんなところで何をやってるんだろう?


 ゲオさんでないならいいや。


 立ち去ろうとしたところ、ジルさんが振り向いて、バッチリ目が合った。


「君は確か……」


「おはようございます。ジルムンド様!」


 覗き見していたと思われるのもあれなので、わたしは扉を開けた。

 そしてすぐに閉めにかかる。

 

「お邪魔しましたー」


「待ちなさい」


 予想外に待てがかかった。

 わたしは、しぶしぶ扉を開けた。

 突っ立っていると、ジルさんがこっちにこいと手招きした。


 しばらくの間、窓辺に並んで庭を眺めた。


 早起きして教室に行ったら、担任の先生がいたみたいな気まずさを感じる。いや、ジルさんの立場的には校長先生か。校長先生みたいな雲の上の人が、一介の生徒に何の用があるというのだろう。


「……お母様は、街を出られたかね?」


 そわそわしながらジルさんが聞いてきた。

 それが知りたくて、ここで待っていたようだ。


「はい。ばあ……ワーリャ様は、今頃王都へ向かっている途中です」

「サラウースの者は?」

「ひとり逃がしました。でもボスは押さえたので大丈夫です」

「そうか……」


 ジルさんは、がっかりしているようだ。

 まあ、反対してたし当然だよね。

 こっそり見ていると、ジルさんが眉を上げた。


「薄情だと思うかね?」


 割ととっつきやすい人のようだ。わたしは首を横に振った。


「やめさせたいなら、いくらでも方法はあったのに、ジルさ――ジルムンド様は、やめろって命令しなかったし、アーベルの妨害もしませんでした。それって、ワーリャ様の自由にさせてあげたってことですよね?」

「妨害したいのは、山々だったがね」

「何でやらなったんですが?」

「簡単な話だ。わたしは、お母様に嫌われるのが怖いのだよ」

「んー、なるほど?」

「そうは言っても、ことはお母様のご健康にかかわる。嫌われ、憎まれようが、止めるべきだと一度は決めた。……だが、言えなかった。お母様に憎まれるだろうと考えると、どうしても言えなかったのだ」

「だから、ワーリャ様の勝ち?」


 召喚状を手渡す時、ジルさんは「あなたの勝ちです」と口にした。

 ジルさんが当代として止めるか、息子としてばあちゃんのわがままを聞くか、ばあちゃんは賭けをしたのだ。そしてジルさんが負け、ばあちゃんが勝った。


 ジルさんは、悲しそうな顔をしている。


「そうだ。わたしは負けたのだ。あの時、勇気を出して止めていればと、後悔する日がきっとくるだろう。――いや、くるに決まっている」

「ちょっと心配のしすぎでは?」

「そうかな? そうだな……」

「本人の気持ちが一番だと思います」

「そう割り切れたらいいのだがね」


 また沈黙が落ちた。


 気まずい。


「ときに――」

「えっ? はい」

「ミハイの魔術の腕はどうだね?」

「どうだね?」

「教師をつけていたが、言うことを聞かないと、さじを投げられて何年もたつ。ミハイが今、どの程度の魔術を使えるようになったのか、わたしは知らないのだ」

「ええと、警邏隊の隊長さんと同じ魔法を使ってたから、結構すごいと思います」

「……そうかね」


 ジルさんは、憂鬱そうだ。

 息子の魔法が褒められたら、普通は嬉しいものじゃないだろうか。


「ミハイが、怪我をして帰ってくることがたまにあってね」

「ヤンキー……じゃない、男の子だし喧嘩くらいするのでは?」

「人前で魔術を使わないだけの分別はあるようだが、その分別を失ったときのことを考えると……そのうち、人でも殺してくるのではないかと心配でね」


 強けりゃ強いで、被害者の心配をしないといけない。

 父親としては複雑な心境のようだ。

 ミハイ君、ガラは悪いけどやさしいし、やり過ぎることはないと思うけど、そう言ったところで、この心配症おじさんは安心しないだろう。わたしは、ちょっと考えてから答えた。


「まあ、殺されてくるよりはいいんじゃないですか?」


 わたしが言うと、ジルさんはため息をついた。





 目が冴えてしまったので、朝風呂を浴びることにした。


 風呂の容器は、ドラゴンスープにジャストサイズの半円の陶器である。


 厨房の外に廃棄品を捨てる箱があり、端が欠けていたこいつを拾ってきた。直せば使えそうなものも多く、実際、従業員さんが再利用するために持って行ったりするらしい。念のため、コックさんに貰っていいか聞くと、いっぱいあるからいいよとのことだった。さすがは大貴族の厨房である。


 暖炉で湯を沸かし、適温にしてから器にそそいだ。


 七分目くらいにして、入ったときに溢れないようにするのがコツである。


 仕上げに、花瓶に挿して保存していた花とハーブをお湯に浮かべる。これは、庭師さんの許可を得て採ってきている。お礼に草むしりを手伝ったら、とても感謝された。ウィンウィンというやつだ。


 窓辺に腰かけ、わたしは転化の魔法を解いた。


 下は裏庭の森で、ここは三階なので端に行かなければ外からは見えない。

 森の向こうは浮島の端っこで、地面は遠くかすんでいる。

 特大の望遠鏡でもないかぎり、誰かに見られる心配はなかった。


「ああ、ごくらく、ごくらく」


 熱い湯に浸かると、思わず声が出た。

 温まったハーブから、良い香りがしてくる。

 お風呂って、何でこんなに気持ちがいいんだろう。

 ほんの数時間前に、氷魔法で死にかけていたのが夢のようだ。


 くつろいでいると、扉にノックの音がした。

 部屋の扉にはスライド錠がついており、もちろん忘れず閉めている。これが鍵穴式のやつなら、合鍵を警戒して、着替え中とかの返事をするのだが、スライド錠は室内からでないと開けられない。朝っぱらだし、返事がなければ、寝てると思って出直してくるだろう。


 器のふちに頭をのせ、わたしは安心して目を閉じた。


 だが、しかし。


 カチッという音がして、わたしは目を開けた。


 まさかと思いながら扉を見ると、スライド錠がひとりでに回転し、横に動いて行くところだった。えっと思う。この部屋、幽霊でもいるの?

 いやいやいや。

 どう考えても、誰かが魔法を使ってるに決まっている。


 ユリウスが闇討ちに来たのか? それとも逃亡用の人質にでもするつもりか?


 扉の位置から出窓は丸見えだから、今からでは隠れることもできない。

 風呂に沈んで息を止めるか? 

 でもわたし、体毛真っ赤だから、絶対、何だこれってなるしな。

 「にゃー」って言っとけば、何だスコティッシュホールドかって思わないかな?

 ……思わないだろうな。どうしよう困ったな。

 

 あわあわしていると、開いた扉から、すらっとした人影が入ってきた。

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