06 ドラゴンの日常
ふたりの魔女は、競ってわたしの世話を焼いた。
焼いて、焼いて、焼きまくった。
入浴と食事は朝夕の二回。午後にはティータイムとお昼寝タイムがあり、その間に一時間のお散歩タイムがある。
だが、お散歩するのはわたしではない。
何を言っているのかわからないと思うが、心配はいらない。
わたしも、わけがわからないのだから。
レイルもしくはミリーが、「グラナ様、お散歩に参りましょう」と言う。
笑顔でわたしを抱き上げると、贈答品の果物を入れるような立派な籐カゴにわたしを入れ、城内をぐるっと一周してから中庭に移動する。カゴのなかで十分間の日光浴をし、それが終わると、また城内を一周して部屋に戻る。
おわかりいただけただろうか?
このお散歩タイムの間、わたしの歩数はゼロだ。
グラナのお散歩タイムではない。
ミリーとレイルの、グラナ様連れ回しタイムである。
一時間おきにブラッシングされ、「かわいい」を連呼される。
ナプキンを畳んだだけで、天才だと褒められる。
ひとりで行動することは許されず、二十四時間どちらかひとりが必ず監視についている。そんな、金持ちの家のトイプードルのような生活が続くこと五日目。
わたしは、とうとう爆発した。
「外に出たい! 外に出たい! 新鮮な山の空気を吸いに行きたい!」
部屋を訪ねてきた父に、わたしは声を大にして訴えた。
「魔法も教えてくれるって言ったのに! パパのうそつき!」
床に転がり、キーっとなってわめく。
半分は演技だが、半分は本気だ、
トイプー生活もそうだが、他にも色々限界だった。
最初の夜以来、父は書斎にこもって何かしており、たまにしか顔を見せにきてくれない。邪魔しに行ってもいいと言われていたが、行ったら行ったで、助手のジャハリさんが「早く帰ってくれ」と視線で懇願してくるため、長居はできなかった。わたしがいると、父が仕事をしなくなるせいである。
ミリーとレイルのことは好きだが、父の代わりにはならない。
近くにいながら、一緒にいられないのはやはりさびしかった。
「グラナ、今は冬だ。外は寒いし、孵化したばかりのお前を外に出すのは心配だ」
おろおろしながら父が言う。
ミリーとレイルも、青ざめた顔でこくこくうなずいている。
みんなの困っている姿を見て、わたしは胸が痛んだ。
しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
「じゃあ、せめて約束した魔法を教えて」
「それは、まだグラナには早いんじゃないかと……」
「パパ」
「はい」
「パパはわたしにうそをついたの?」
「いや、いつかは……」
「今がいい。今教えてくれないなら、わたしは家出をする。書き置きひとつ残して旅に出る。パパの知らないどこかで、自由と魔法の知識を手に入れてくる」
父はうつむき、肩を震わせている。
何だかわからないが、山ほど仕事を抱え、父が大変なのは理解している。
でも、わたしだってトイプー生活に疲れ果てている。
父にねだった魔法を覚えれば、今より自由な生活が送れるはずだ。
何せこの身体ときたら、翼があっても飛べもせず、ひとりで部屋のドアを開けることすらできないのだから。
うつむいていた父が顔を上げた。
泣いていたようで、目がキラキラしている。
しかし表情は明るい。
長い刑期を終えて、刑務所の門の前で青空を見上げた殺し屋のようだ。
「……これが娘の反抗期というものか。生まれてからほんの数日で反抗期を迎えるとは、さすがわたしのグラナ。すばらしい成長速度だ。今夜はお祝いをしなくては」
「いや、そういうのはいいから」
「グラナは、丸焼きにするなら鳥と豚と羊、どれが好きかな?」
「どれも欲しくない」
父はしゅんとしたものの、すぐに気を取り直した。
「よし、今から魔法修行を始めよう」
「わーい」
しかし。
「ダメです」
中庭で修行を始めようとしたところ、ジャハリさんがすっとんできた。
砂色の髪にやぶにらみの目、頬には古い刃物傷。
一般人に見えないのは、殺し屋顔の父と一緒にいるせいばかりではない。類は友を呼ぶとはよく言ったもので、わたしは心のなかで彼のことをヤスと呼んでいた。
「なんで?」
「なぜだ?」
わたしと父は同時に尋ねた。ヤスがため息をつく。
「魔法修行を始めるのは結構です。ですが、ここではやめてください」
「お前に指図されるいわれはない」
「――頭の中身を、どこぞへ置き忘れてきたんですか?」
「お前の方こそ、主人に対する礼儀をどこへ置いてきた?」
ミリーとレイルが、はらはらしながら見守っている。
わたしは小声で尋ねた。
「あのふたりって、仲悪いの?」
「いいえ。ジャハリさんが、アントラ様に噛みついているのを初めて見ました」
「普段は、もっと存在感薄いのにね」
「最近のアントラ様ちょっとおかしいし、我慢の限界かしら……」
「え、パパのあれっていつもじゃないの?」
「ちがいますよー」
「グラナ様がお生まれになって、浮かれっぱなしなんですよー」
思い返せば、父がおかしくなったのは、わたしが「パパ」と呼びかけて以降のような気がしないでもない。父のなかで眠っていた何かのスイッチを、わたしがオンにしてしまったのだろう。オフにする方法はわからない。
父が、訴えるように両腕を広げた。
「父と娘が仲良く魔法修行をすることの、何がいけないと言うんだ?」
「やめろとは言っていません。ですが……」
「仕事はちゃんとしている!」
「それもわかっています。ですが……」
「じゃあ何だ? 嫉妬か?」
「嫉妬ではありません。それより……」
「グラナがわたしに懐いていることに嫉妬しているんだ!」
「人の話を最後まで聞きなさい!」
両目をカッと見開いて、ヤスが一喝した。
ミリーとレイルが、怯えた様子で身を寄せ合う。
父は平気なようだが、さすがにそれ以上口答えはしない。深呼吸をしてから腕を下ろした。
「……わかった。聞こう」
「いいですか、お身体が小さくとも、グラナ様は炎竜です」
「……ああ」
「力の制御をあやまれば、何が起きるかわかりません」
「危険がないようわたしが見ている」
「それから、城の結界を強化すると決めたのをお忘れですか? 周辺の魔素をむやみに消費されると困るんですよ」
「それは……」
「やるなら離れたところでやってください。誰にも迷惑がかからず、少々地形を変えても大丈夫な所で。少なくとも、グラナ様がご自分の力を制御できるほど上達するまでは」
ヤスの言葉を聞いて、わたしはがっかりし、そして喜んだ。
がっかりしたのは、今日魔法を覚えるのが無理そうなせい。
喜んだのは、城の外に出られるとわかったからだ。
「じゃあ。お弁当持ってお出かけしようよ」
うきうきしながら、わたしは提案した。
地上から山頂を目指すのはしんどそうだが、幸い、ここは山の上の方だ。
ちょっと昇れば、登頂完了である。
山頂で雲海を見下ろしながらのおにぎり……はないだろうから、サンドイッチを食べたら最高においしいだろう。
「朝出発して、暗くなるまでに戻ればいいんだよね?」
「できれば、二時間程度で帰ってきていただきたいです」
「そんな短い時間で魔法って覚えられるものなの?」
「いいえ。ですが長時間城を空けられるのは困ります。短時間で数日にわけていただきたいのです。中止が一番ありがたいですが、聞かないでしょうし」
「やった。ヤスありがとう!」
「……誰かとお間違えでは?」
そんなわけで、翌日からわたしの魔法修行が始まる運びとなった。
部屋に戻ったわたしは、ミリーとレイルにサンドイッチのお弁当をリクエストした。厨房の準備もあるだろうし、早めにお願いした方がいいと思ったからである。
ところが。
「……サンドイッチ?」
「薄切りのパンに、薄切りのお野菜?」
困惑&困惑である。
わたしは、ふたりにサンドッチの作り方を説明した。
話しながら、そういや、この世界って四角い食パンがないんだったと思い出す。
ドイツ系のでかいパンはあるから、あれを薄切りにしてもらおう。
マヨネーズが欲しいところだが、残念ながら作り方を知らない。酢と卵と油でできているのは知ってるが、ただ混ぜただけじゃ乳化しないとかなんとか。
代わりに、ポテトチップスの作り方をふたりに伝えた。
「スライサー……はないだろうから、野菜の皮むき器ってあるかな?」
「皮むき器ならありますよ」
「それでじゃがいもを葉っぱくらいの薄さにけずって、油で揚げるの」
「フライドポテトと同じですね」
「そうそう。焦がさないようにカラッと揚げて、仕上げにお塩を振るの」
知識としては知っていても、実際に作ったことはないので自信はない。
ふたりは例のこよりを取り出し、負けたミリーが厨房にわたしのリクエストを伝えに行った。あとはコックさんにお任せである。