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59 夜明けまでに

※シュルツ視点の話です。

「シュルツ、大丈夫? バーサク発動しなくてよかったね」


 イチカが走ってきて言った。

 

 返事をしようとしたシュルツは、イチカの方こそ大丈夫かと問いたい状態であることに気づいた。服はあちこち凍っているし、走ってくるときに脇腹を押さえていた気がする。大したことはないようだが、それでも怪我を負っているのは間違いない。


「イチカ、ポーションは?」


 聞くと、イチカは物入れから青色の小瓶を出した。

 封は開いているが、まだ半分残っている。


「はい、これ」

「イチカが飲むんですよ」

「えっ」


 シュルツが飲むものと思っていたのだろう。

 びっくりしたあと、げんなりした表情で手を下ろす。そ知らぬ顔で瓶を仕舞おうとしたので、その前にイチカの腕をつかんだ。


「怪我をしているでしょう」

「こんなん舐めとけば治るよ」

「犬猫じゃあるまいし、どうやって自分の脇腹を舐めるんですか?」

「柔軟体操をがんばる」

「……何でそこまで嫌がるんですか?」

「まずいから」

「痛いよりはいいでしょう」

「や、一晩寝れば治るし」

「いいから飲んでください」


 強く言うと、イチカは観念したようだ。

 瓶の蓋を開け、鼻をつまんでから一口呑み込む。手を離すと、ポーションのまずさにもだえ始めたが、薬が効いてくると不思議そうな顔をして脇腹に手を置いた。


「ふたりとも、まだ動けるな」


 アーベルがやってきて言った。ユリウスは傭兵に拘束され、外に連れ出されている。夜明けを待って、屋敷に連れて行くことになるだろう。


「最後の一人が残っている。シュルツは捜索、イチカは周辺を見回ってこい」

「アーベルは?」

「俺はここにいる」

「……」

「言いたいことがあるなら言ってみろ」

「……ありません」

「なら、行け」


 不満げな顔をしつつ、イチカはスロープの方へ歩いていく。

 途中で立ち止まると振り向いた。


「シュルツー、行かないのー?」


 外に出ると、シュルツは深呼吸をした。


 浮島の下であるが、ここも一応はダーファス市内である。

 店や宿屋が軒を連ね、広い道がのびている。

 イチカを見ると、島外が珍しいようできょろきょろしていた。


「基地から離れすぎてはいけませんよ」

「わかった」

「魔素は溜めてありますね?」

「んー……今からやる」

「異常を見つけたら、まずアーベルに報告。いいですね?」

「うん。シュルツも気をつけてね」


 そう言うと、イチカはぶらぶら歩いていく。

 ユリウスが捕まって、緊張感を失っているようだ。

 取り逃がした魔術師が近くにいるかもしれないのに、大丈夫だろうかとシュルツは心配になる。だが、ワーリャはすでにダーファスから旅立ったあとだ。こちらから手を出さない限り、戦闘になるようなことはないだろう。





 歩きながら、シュルツは魔素を引き寄せた。

 とりあえず、浮島と地上を結ぶゴンドラの駅から探すことにする。

 いったい何か起きたのか。

 考えるのはあとだが、考えずにはいられなかった。


 当初の計画では、ワーリャ・シェローレンの警護はシュルツの役目だった。

 馬車とゴンドラを乗り継いで南区基地へ移動し、そこから島外基地へ。アーベルと合流したのち、運河から船で王都へ向かう計画だ。アーベルは、事前に島外基地にて待機。ミハイは西区、イチカは北区の担当だ。イチカが北区なのは、何か起きた場合、すぐに屋敷へ戻れるようにである。


 馬車に乗り込んだとき、仮面の人物がワーリャであるか確認しなかった。

 尋ねる必要があるとは思わなかった。

 本人であると聞いていたし、本人であると思っていた。


 それが偽者であると気づいたのは、段差を越えるゴンドラの駅でのことだ。

 二十人ほどが乗れるゴンドラは、木製の客車に、鉄製の懸垂機がついている。懸垂機は上部でワイヤーに固定され、上下の駅に設置された魔具の滑車によってワイヤーが繰り出されゴンドラが移動する仕組みである。

 ゴンドラに乗りこもうとした時、誰もいないはずの構内で異音がした。

 ワーリャが小さく悲鳴を上げた。若い女の声だった。


「――ちょっと失礼します」


 断ってから、シュルツはワーリャだと思いこんでいた人物の仮面をとった。

 気のせいであってくれと願ったが、気のせいではなかった。

 白い髪は、染めたか作り物なのだろう。

 しわひとつない顔が、緊張で蒼白になっていた。


 シュルツは、気が遠のきかけた。


 護衛役同様、影武者役も傭兵から募ったはずだが、女は恐怖のあまり震え上がっている。身元は確かなはずだから、おそらく実戦経験が足りていない。シュルツは、自分も仮面を外すと、内心の動揺を隠して微笑んだ。


「大丈夫ですよ。身を低くして、けして声は出さないでください」


 女がうなずいたので、仮面をかぶせてゴンドラのなかへ押し込んだ。

 いつ本物と入れ替わったのか、そして本物はいったいどこにいるのか。

 本物の行方が気がかりだが、今は影武者を守らねばならない。


 先ほどの異音は、サラウースの魔術師だろうか。

 

 事前に教わっていた通り、シュルツは構内にある制御装置を作動させた。


 動き出したゴンドラに飛び乗る。

 扉から半分体を出し、周囲を確認した。

 魔術師らしき人影はない。

 また異音がした。

 シュルツは顔を上げた。屋根の上だ。走っている。


 扉の脇にある手摺りをつかみ、窓枠に足をかけて、シュルツはゴンドラの上によじ登った。シュルツが上がったと同時に、屋根から跳んだ魔術師が目の前に着地した。


 シュルツと同じくらいか、やや長身の男だ。

 黒い布で口元を覆っており、髪と目の色は暗い。

 シュルツがナイフを抜くと、魔術師も短剣を構えた。


 狭い足場の上で、しばらくやり合った。動く度に足元が揺れ、間に懸垂機をはさんでいるので、かなり動作が制限される。しかし、条件は相手も同じだ。

 霧化をかけるまでもないと、シュルツは判断した。

 短剣をかわし、足元を払うと魔術師が尻餅をついた。あわてて立ち上がろうとしたのだろう。手をつこうとしてバランスを崩し、向こう側に落ちた。


 ぎょっとして、シュルツは下をのぞいた。


 魔術師は、そこにいた。

 手を滑らせたのは、わざとそうしたようだ。

 ゴンドラの端に指をかけ、ぶら下がっている。

 足を引くと、客車の窓を蹴り割った。


 窓が割れると同時に、若い女の悲鳴が上がった。


 魔術師が舌打ちをし、ゴンドラの端からあっさり手を離した。跳躍か軽量の魔法を使ったようで、住宅の屋根に転がりながら着地する。追うかどうか、一瞬迷って、シュルツは見送ることにした。先ほどの行動からして、どうもやっかいな相手のようだ。深追いしたところで、簡単には見つからないだろう。


 下の駅に到着し、客車の扉を開けると、影武者の女が飛び出してきた。ガラスを浴びたようで、怪我を負っている。

 

「……すみません……すみません……でも、馬車に乗ってるだけでいいって……それでお金がもらえるって……」


 シュルツは眉をひそめた。計画では、ここにいるのは本物のワーリャ・シェローレンのはずだった。それとも、これもアーベルの作戦のうちなのだろうか。


「あなたは、ここにいてください」


 ポーションを渡しながら、シュルツは言った。

 敵に偽者と知られた以上、連れ回す意味はない。


「……あの、わたしの報酬は?」


「払います。大丈夫です」


 たぶんと心の中でつけくわえる。入れ違ったのはこの人のせいではないし、シェローレンなら、いくらでも払えるだろう。金と危険の心配がなくなると、女はいくらか落ち着いたようだった。


 乗り継ぎの馬車は、近くの厩舎に待たせていた。


 当初は南区の基地を経由する予定だったが、御者台に跳び乗ったシュルツは、島外行きのゴンドラの駅まで行くよう、御者に頼んだ。


 転送装置は、一度動かせば再使用までに十五分待たなければいけない。

 ミハイかイチカが本物を連れているとして、その十五分が命取りになる可能性もある。基地内で待つことも頭をよぎったが、左回り、右回りがある以上、誰かがくる可能性は二分の一になる。そうであれば、確実にアーベルがいる島外基地へ行った方がいい。

 

 しばらく行くと、浮島の下へ降りるゴンドラの駅が見えてきた。


 断崖を横断するゴンドラは斜めのワイヤーに吊されていたが、こちらは上下に動く。大きな滑車が島の外に向かって突き出し、箱型のゴンドラが吊されている。最低限の明かりだけで、人気もなくひっそりしていた。


 馬車が停まると、シュルツは御者台から降りた。

 吊してあったカンテラを拝借し、島の端に向かう。

 鉄柵を乗り越えると、向こうは断崖絶壁になっている。島外基地の周囲には街が広がっているが、ゴンドラの周囲は安全のために空き地になっている。覗きこむと、下は真っ暗だった。


 シュルツは、暗闇に向かってカンテラを落とした。

 三秒待ってから、自分も飛び降りる。

 落ちていく明かりを見つめながら、霧化の呪文を唱えた。


 先に落ちていたカンテラが、ガラスの砕ける音とともに、ぱっと燃え上がった。

 遅れて、シュルツは炎の上に着地する。

 爆発したように黒い霧が広がり、目の前が真っ暗になった。

 息が浅くなり、冷や汗が吹き出す。


 戻れと、シュルツは強く願った。人の姿に戻れ。


 霧が収束し、人の形になるとシュルツは息を吐いた。

 四つん這いになり、炎から這い出す。

 ひどい気分だった。非常時でなければ、絶対にやらなかっただろう。


 島外基地に飛び込んだシュルツは、待機していたアーベルに事情を話した。


「北区へ行きます」


 そう言ったが、アーベルに止められた。


「やめておけ。入れ違いになる」


 椅子に腰を下ろすと、アーベルは仮面をもてあそび始める。

 ここで待つつもりのようだ。

 屋敷を出てから一時間以上経っている。ミハイとイチカ、どちらかが本物を連れているとして、敵の魔術師とやり合っている最中だろう。


「――ですが」


 反論しかけた時、北区からの台座が光り始めた。

 シュルツは振り向いた。

 ユリウスと思われる銀髪の男が、イチカの上にのしかかっている。

 目にした瞬間、激しい怒りがこみ上げてきた。





 気づくと、地平線が明るくなっていた。


 カンテラの残骸を見下ろして、シュルツは顔をしかめた。


 非常時とはいえ、無茶をしすぎたと思う。体がバラバラになり、自分が自分でなくなるような感覚は、思い出すだけで背筋が寒くなる。先ほどは、自分の意思で元に戻れた。だが、次はと考える。また無事に戻ってこられるだろうか。あの時のように、手遅れの状態で目覚めるのではないだろうか。


 首を横に振ると、シュルツは踵を返した。


 取り逃がした魔術師を、見つけることはできなかった。

 気が重い。ため息が出た。

 敵を逃がした者に、アーベルは給金を支払う気になるだろうか。

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