51 元老院選挙
ワーリャばあちゃんを間に挟んで、ジルさんゲオさん兄弟が長椅子に座っている。わたしとシュルツは、アーベルが座る椅子の後ろに立っていた。
全員の視線が、テーブルの上に置かれた鏡に向いている。
装飾の縁取りがある楕円形の鏡で、木製のスタンドに斜めに設置されている。鏡にはワーリャばあちゃんの顔が映っていたが、その像がゆらいだかと思うと、突然、男の人の顔が現れた。この部屋には存在しない、知らない人の顔である。事前に通信用の魔具であると知らされていなければ、わたしは悲鳴を上げていただろう。
『開票が終わり、ワーリャ様に決定いたしました』
男の人が告げたのは、王都で行われた選挙結果の速報である。
複数名の候補者のなかから、王様を含めた重臣、現会員の人たちが投票し、元老院にくわわる新たな会員を選ぶ。予想通り、ワーリャばあちゃんが選ばれたらしい。
召喚状を持った使者が、二日後にダーファスへやってくる。
そこから、三日以内に王都へ行かなければ辞退したものと見なされる。
鏡の像が消えると、ジルさんが深く息をついた。
「――お母様、お願いします。ご辞退ください」
「ママ。こいつの言うことなんて、聞くことないよ」
ばあちゃんが椅子から立ち上がる。振り向くと、ふたりの息子の顔を交互に見た。
「辞退するつもりなら、わしの名が出た時点でそうしておる」
「お母様……」
「じゃが、ジルよ。シェローレンの当代は、お前じゃ。お前が辞退せよと命じるのであれば、わしはそれに従う。イワノスの元へ行き、今後いっさい表舞台には出てこん。使者殿が到着するまでに、よく考えておいで」
ジルさんは口を開いたが、何も言わずにうつむいた。その様子を、ゲオさんがニヤニヤしながら見ている。
ばあちゃんが、ゲオさんに目を向けた。
「ゲオよ」
「何だい? ママ」
「お前だとでシェローレンを名乗る以上、ジルの後継者候補だ。いい加減、仲違いをやめてジルを支えておやり」
「でも、ママ」
「でもはなしだ。老い先短い年寄りの願いを叶えておくれゴホゴホ」
口元にこぶしを当てると、わざとらしく咳をする。
ゲオさんが、蒼白になって立ち上がった。
「老い先短いなんて……ママは、まだまだ長生きするよ!」
「それは、お前の心がけ次第じゃ。こうも心労が多くては、ゴホゴホ、健康に悪くてかなわん、ゴホゴホ」
「わかった。わかったから!」
「ほほ、聞いたかジル? ゲオは今から心を入れ替えるそうだ」
「……はあ」
「ジル兄さん! 色々あったけど、今から仲良くしようね!」
やけっぱちになってゲオさんが叫ぶ。ジルさんはついてけてないし、ワーリャばあちゃんはご機嫌だし、コミュニケーションがまったくとれていない。
アーベルが立ち上がり、よそいきの笑顔を浮かべた。
「警護の計画を練るので、我々は失礼させていただきます」
アーベルが退出するのに、わたしとシュルツも従った。
「アーベル、あのさ……」
「ここでは言うな。誰の耳があるかわからん」
ぴしゃりと言う。
わたしは、ぎょっとして辺りを見た。廊下に人影はない。人がいたとしても、それはシェローレン家の客か使用人のはずだ。てことは。
「えっ、スパイがいるってこと?」
「当たり前だ」
そうか、当たり前か。
わたしは口を閉じた。貴族ってこわい。
「ジルさんが辞退しろって命令したらやめるって、ばあちゃん本気かな?」
扉を閉めてから、わたしは聞いた。
場所は、前にも使ったホテルラウンジ風の談話室である。
ソファーでミハイ君が寝ているが、他に人の姿はない。
「さあな」
「さあなって……」
「俺たちは、すべきことを進めるだけだ」
「でも、ジルさんがやめろって言ったら中止なんだよね?」
「言わせなければいい。それはワーリャがやるだろう」
「あー、うん」
今のとこ、ジルさんは辞退の“お願い”しかしていない。でも、それが“命令”になったら、ばあちゃんは“命令”に従うと言った。
言わせない算段が、ばあちゃんにはあるのかな。
少なくとも、アーベルはばあちゃんに任せる方針のようだ。
部屋の真ん中に移動してから、アーベルが振り向いた。
「送り込んでいた間者から、知らせが届いた」
「わあ……さらっと言ったね」
「常識だ」
当たり前みたいな顔して言う。そうか、常識か。
「サラウースが派遣した魔術師は四名。今は、それ以上のことはわからない」
「魔術師の数が同じですね。偶然とは思えません」
「腹立たしいことにな」
「レベルいくつの人なのか、見当もつかないの?」
「そう言っている」
「向こうは、当代さんが指揮してんだよね?」
「ああ」
「てことは、めちゃめちゃ強い魔術師が四人もくるの?」
アーベルは答えない。シュルツが口を開いた。
「――強い魔法を使うには、多くの魔素を必要とします。ですが、浮島であるダーファスは魔素が薄い。ここに四人の流星を派遣したとしても、魔素の食い合いになって上位の魔法を使うことができず、能力に見合った働きはできないでしょう」
「つまり?」
「流星が来るとしても、おそらくはひとり」
めちゃめちゃ強いのは一名、他三名はザコってことか。
なんとかなる……のか?
「ともかく、魔術師の数を合わせてくるあたり、完全に舐められている。だが、魔術師の詳細がわからないのは向こうも同じだ。それを利用して作戦を立てる」
「魔術師レベルって、戦えばすぐバレるんじゃないの?」
「頭を使ってバレないようにしろ」
「――ええ」
流星ということは、最低でもレベル50以上ということだ。
対して、わたしのレベルは10である。
ルーミエの時は一対三だからどうにかなったが、一対一なら秒でやられていただろう。小細工したところで、どうにかなるものではないと思うんだけど。
「イチカ、剛腕2は習得できましたか?」
シュルツが聞いた。
経験値が溜まり次第、<剛腕2>を習得するよう言われている。訓練の前後に試すのを日課にしていたが、今朝もアイチャンに拒否られていた。
「今朝もやったけど、だめだった」
「そうですか」
「うーん」みたいな顔でシュルツが言う。
毎日シュルツと訓練してるし、少しは経験値が上がっていてもおかしくないと思うんだけど、<剛腕2>ってそんなに経験値を食うのだろうか。
アーベルが近づいてきて、わたしを見下ろした。
「実戦でないと、レベルが上がらないのか?」
「知らないよ。アイチャンも教えてくれないし」
「明日、習得できたとしても、慣らす時間がないか……」
「剛腕の力が上がるだけでしょ? 使えるよ?」
「だとしても、予測不能なものを組み込みたくはない」
「ならしかたないね」
「魔導書の目次に、青の盾というのがあるだろう。それを試してみろ」
「? わかった」
取れない魔法より、取れる魔法を取って、二日間練習させる気のようだ。
経験値がもったいない気もするが、時間ないし、しかたないだろう。
みんなが使っている魔導書は、書籍の形をしている。解放された魔法は目次に青文字で表示され、そのページを開くと魔法の解説と呪文が載っている。らしい。わたしの魔導書はゲーム仕様に魔改造されているので、表示はスキルツリーだ。
ウィンドウを開き、スキルツリーを確認する。
解放済みの魔法は、まだまだ少ない。
<青の盾1>を見つけたので、フレームに入れる。
経験値をクリアしたようで、頭に呪文が浮かんできた。
「おおー」
わたしは、感動の声を上げた。
詠唱を終えた途端、コースターくらいの大きさの青い円盤が出現したからだ。
蛍光ブルーで、○のなかに◇の模様が入った昔のお金風デザインである。
線と線の間は透明で、指でつつくとガラスみたいになっていた。
わたしは震えた。
光ってるし、具現化してるし、念願の魔法っぽい魔法である。やったぜ。
「で? これってどういう魔法なの?」
わくわくしながら聞いた。
魔法だし、ただのオシャレコースターなわけはない。
攻撃がきたら大きな盾に変わるとか、受けた攻撃をまるっとやり返すとかだろう。秘密道具みたいでかっこいい!
アーベルが手を上げた。
剛腕の呪文を唱えてから、青の盾にデコピンをする。
コースター状の魔法にヒビが入り、それから砕け散った。魔素でできているのでゴミは出ない。バリバリに砕け散って、すうっと消える。それだけだ。
わたしは、きょとん顔になった。
「これは……いったい……」
「見ての通りだ」
「見ての通りとは?」
「物理攻撃を一度だけ防ぐ」
「魔法の盾が出現するとか、攻撃を跳ね返すとかは?」
「ない。見ての通りだ」
わたしは無言になった。
もっかい呪文を唱え、青いコースターを出してみる。
「ちっさ! ねえ、ちっさいよね?」
このくだり、<火球1>の時にもやったよなと思いながら、わたしは訴えた。
頭すらガードできない、手のひらサイズで何が盾か!
シュルツが、まあまあみたいに手を上げた。
「レベルを上げれば、大きさも強度も増しますから」
「そっか! そうだよね!」
わたしは、新たに解放された<青の盾2>をフレームに入れた。しかし。
『使用する魔法に対し経験値が不足しています』
アイチャンの無情な声が響く。
もっとも、アイチャンの声が聞こえるのは宿主であるわたしだけだ。
「経験値、もうないって……」
報告すると、アーベルに頭をつかまれた。
こめかみに指がめりこんでくる感触に、背筋が凍り付く。
あれ、この人さっき剛腕の魔法かけてなかったっけ、と思い出す。
剛腕かけっぱでアイアンクローとかされたら、死んでしまうよ?
「――勝手に魔法を増やすなと言っているだろう」
アイアンクローが炸裂し、わたしは悲鳴を上げた。




