48 紫眼の魔女
※シュルツ視点の話です。
青い顔をしたイチカが、廊下をふらふら歩いてくる。
シュルツは、驚いて足を止めた。
「イチカ、どこか具合でも悪いんですか?」
昼間は元気そうに見えたが、屋敷に戻ってから悪いものでも食べたのかと心配になる。ミハイの嗜好品を好奇心から口に入れていたし、ありえない話ではない。
「どうもこうも、かくかくしかじか……」
「かく……何ですか?」
「ゲオルグさんの、どれだけママを愛してるか自慢を二時間半聞かされた」
「ははあ」
「二時間半しゃべって、続きはまた今度とか言うんだよ?」
「よく我慢しましたね……」
「ちょいちょいジルさんの悪口はさんでくるし、あの人性格悪いよ!」
「イチカ、声をおさえて」
「性格悪いと言えば、アーベルが部屋に鍵かけて逃げたんだよ? ひどくない?」
「……よほど嫌だったんでしょうね」
ヤレン家はシェローレン一族ではあるものの、話にならないほどの末端だ。シュルツがシェローレン屋敷にきたのも今回が初めてのことであり、当代とその兄弟についても噂程度のことしか知らない。
噂によれば、ゲオルグは変わり者であるという。
三度結婚し、三度離縁されている。
原因はゲオルグの女遊びだと聞いていたが、イチカの話からすると、それ以外にも問題のある人物であるらしい。イチカが犠牲になったということは、今後、シュルツの身に降りかかってくる可能性は充分にある。母親自慢くらいなら聞いてもいいと思うが、さすがに二時間半は辛いだろうか。
「そうだ。時計のネジの巻き方、教えて」
さっそく持ち歩いているようで、ポケットをさぐりながらイチカが言う。
シュルツは困った。子供はもう寝る時間だ。
「今日は遅いので明日にしませんか?」
提案すると、イチカは考える風に斜め上を見た。
今の時刻を思い出しているようだ。
「そうだね。まだお風呂も入ってないし」
うなずくと、懐中時計をポケットに戻した。
不可解なところも多いが、物分かりのいい素直な子である。
わがままを言わず、傲慢なところが少しもない。貴族の箱入り娘で、父親に甘やかされて育ったという生い立ちからすれば、驚くべきことだ。時に無謀であり、大胆であり、他者のために働くことを惜しまない。
ニルグの砦でもそうだ。
隊がトレントに襲われた時、皆を逃がすためにひとりで奮闘したという。
キースたちの危険を知ったときには、当たり前のように駆けつけた。
あなたの手に負える相手じゃない。
そう止めたシュルツに対し、イチカはあっけらかんとして返したものだ。
「平隊員の人たちは、魔法使えないし。わたしでもいないよりマシでしょ」
「一応副長さんだし。副長には副長の責任があるんだよ」
ほんの数日前、成り行きで副長に収まっただけの少女がそう言うのである。
その勇気に感心する一方で、少しは自重して欲しいとシュルツは思う。
イチカの身に何かあれば、悲しむのはイチカの家族だ。
「シュルツ? どうかした?」
目の前で手を振られ、シュルツは我に返った。
「すみません。少しぼんやりしていたようです」
「大丈夫?」
「ええ、今日は早めに寝ることにします」
「それがいいよ」
「時計のことですが、明日、朝食を済ませてからやりましょう」
「うん。約束ね」
「おやすみさない」
「おやすみ、シュルツ」
イチカは、軽い足取りで去って行く。小声で「お風呂、お風呂」と節をつけて歌う声が聞こえた。女性は入浴好きなものだが、イチカは特に入浴が好きなようだ。飛行船に乗っていたときも、風呂がないことをしきりに嘆いていた。
「――飛行船か」
昨日のことを思い出すと、肝が冷えた。
アーベルと別れたあと、降ろされた荷物を確認し、屋敷まで運ぶ手配をした。一時間後、待ち合わせた場所に戻ると、そこにはアーベルが立っているだけだった。
「あのバカは、時間も守れないのか」
不機嫌な様子で、アーベルが言った。
「その辺を探してきます」
「いや、いい」
「いいって……」
「自力で屋敷まで来るだろう。本物のバカでなければな」
「イチカにとって、ここは異国ですよ?」
「言葉が通じないわけではない」
そう言うと、さっさと行ってしまう。
あとを追いつつ、シュルツは祈るような思いでイチカの姿を探した。
しかし、どこにも姿はない。どこへ行ってしまったのだろう。
発着場の門の前には、迎えの馬車が到着していた。オレンジ色の髪をした少年が馬車にもたれて立っており、アーベルに気づくと身を起こした。
「捕まったんだって? 何やってんだよ」
「もっと面白い話をしてやろうか?」
「何だよ?」
「ルーミエは魔術師であることをやめた。その上、ルーミエが傷を負わせた樹木の治療費を俺が負担せねばならないそうだ」
「なんだそりゃ」
「ニルグまで行って費やした時間が、すべて無駄だ。笑えるだろう?」
「……いや、笑えないけど」
「笑え。すぐに後悔させてやる」
オレンジ髪の少年は、頬を引きつらせている。
助けに入りたいところだが、今はそれどころではない。シュルツはもう一度辺りを見回し、それからアーベルに顔を向けた。
「やはり、置いてきぼりにはできません。先に行ってください」
アーベルはため息をつく。腕を組むとシュルツを見た。
「それで? 行方知れずがふたりに増えるわけか」
「おっ、俺は迷子にはなりません」
「今までダーファスにきたことは?」
「……一度だけ」
「シェローレンの屋敷の場所は? 街の地図は?」
「……わかりません……ありません」
「無能だな」
「……すみません」
「ミハイ、ひとつ簡単な仕事を任せたい」
ミハイと呼ばれた少年は、片方の眉を上げた。
「何?」
「発着場のなかに、桃色の髪に薄紫の目をした、一応女ではあるが女には見えない女がいる。探し出して屋敷まで連れてこい」
「桃色の、何だって?」
「桃色の髪をした小僧みたいな間抜け面の女だ」
「さっきと特徴と違くね?」
「歳はお前と同じだが、バカだから二つ、三つ下に見える」
「ルーミエの代わりの魔女?」
「話にならないほど等級は低いがな。いないよりマシという程度だ」
「探して連れてけばいいんだな?」
「そうだ」
発着場は自由に出入りできないが、幸い、荷物がまだなかにある。事前に許可を得ていた荷運び人に混ざって、少年は発着場のなかへ入って行った。
「誰ですか?」
「俺の従兄弟殿だ」
「従兄弟……ジルムンド様のご子息ですか?」
「そうだ。父親に反発して、ワーリャのところに入り浸っている」
風体からして、アーベルの使い走りかと思った。ジルムンドの子息なら、ダーファス育ちだろう。発着場にイチカくらいの歳の少女がいるのは珍しいはずだし、たやすく見つけることができるはずだ。
シュルツは安心した。
その後、待てど暮らせどふたりが戻ってこないとは夢にも思わなかった。
イチカと別れて部屋に戻ると、アーベルが居間にいた。
共同の居間、浴室、手洗いのほか、寝室が三つあり、ゲオルグ、アーベル、シュルツの三人で使っている。ゲオルグとアーベルは独立した客室でいいはずだが、家主であるジルムンドが許可しなかった。文句があるなら、屋敷から出ていけということだ。
ゲオルグもアーベルも、不便を感じている様子はない。
寝室は広いし、使用人もそれぞれについている。
シュルツは、別の部屋に移りたかった。狭い部屋でも、使用人と相部屋でもいい。雇い主ふたりと四六時中一緒では、気の休まる時がなかった。
シュルツは、アーベルの向かいに腰を下ろした。
「イチカの必殺技を見ました」
「そうか」
「的からは外れていましたが」
「技というより芸だからな」
「解放された魔法も増えていますし、魔術師として順調に育っています」
「武術の方は?」
「自分の身を守るだけなら充分でしょう。ただ、職務としての戦闘、他者の警護となると……剛腕のレベルをあと2つほど上げたいところです」
「今、イチカが使える魔法はいくつある?」
シュルツはちょっと考えた。
「水球1、風球3、風の帯1、跳躍2、剛腕1、ですね」
アーベルは眉間にしわをよせた。
「曲芸師だな」
「レベル10なら上々でしょう」
「残りの日数で剛腕を2まで上げろ」
「わかりました」
「それから、シュルツお前もだ」
「は?」
「今のレベルで充分だとは、俺は一言も言っていない」
「ですが……」
シュルツは口ごもった。
シュルツの魔導書には、体の一部を霧化するという特殊な魔法が備わっている。これは、魔導書の前の持ち主が魔族であったことに由来するもので、戦闘を有利に運べる一方、やっかいな副作用があった。使用時間が長引くほど意識が混濁し、自我が薄れて正気を保てなくなる。また、生死にかかわるような非常時では、シュルツの意思に関係なく発動してしまうため、使わないという選択肢もなかった。
経験値が増えないよう、普段から魔法の使用をひかえている。
魔術師としてのレベルが上がれば、霧化の魔法が強化されるかもしれない。良い方に転べばいいが、逆であれば取り返しがつかなくなる。
「お前の意思がどうであれ、魔術師を続けている限りいつかは上がる」
「……はい」
「続ける意思があるのなら、経験値を上げろ。そうでないなら、さっさと魔導書を手放してしまえ」
「……手放すことはできません」
「なら、答えはひとつだ」
突き放すようにアーベルが言った。
いとまを告げて、シュルツは席を立った。
眠れそうにないので、廊下に出る。考えをまとめるため、屋敷内を散歩することにした。
歩いていると、またイチカと行き会った。
「シュルツ? 怖い顔してどうしたの?」
眉をひそめながら、イチカが言う。
シュルツは顔に手を当てた。そんなに怖い顔をしていただろうか。
「イチカの方こそ、こんな時間にどうしました?」
服も着替えておらず、銀色のポットと、陶器の器を抱えている。半球型の器のなかには、ハーブや薔薇の花などが入っていた。夜食には見えないが、何をする気だろう。
「これ? お湯入れて部屋に置いとくの。いい匂いがするんだよ」
「そうですか。よく眠れそうですね」
「レモンぽい匂いのやつあげる。名称はわからんけど」
ポットと器を片腕に抱えると、ハーブの枝をさしだしてきた。緑の茎に、小さな葉が沢山ついている。シュルツが受け取ると、イチカは心配そうに首をかしげた。
「疲れてるなら、早く寝た方がいいよ」
「ええ。そうします」
イチカが階段を登って行く。軽い足取りとともに長い髪が揺れていた。
朝だろうと夜だろうと、イチカはいつでも元気だ。
シュルツは微笑んだ。
もらった枝に顔に近づけると、柑橘類の爽やかな匂いがした。




