47 大貴族の事情
ミハイ君がいたので、帰りは正面玄関から入った。
立派な門の向こうに立派な並木道があり、ずっと歩いた奥の方にシェローレン屋敷がででんとそびえている。人ん家というより、博物館か美術館のようだ。
玄関ホールに入ると、そこには異様な光景が広がっていた。
寄せ木細工でできたピカピカの床の上で、ふたりのおっさんが顔を突き合わせ、両手をがっちり組んで押し合っている。どっちも四十代くらいで、ひとりはキリッとしてキチンとした服装のおっさん。もうひとりはヘラっとしてオシャレな服装のおっさんだ。
扉や柱の影から、使用人達が息をひそめて見守っている。
闘士がいて観客がいて、お屋敷の玄関だというのに試合会場みたいな空気がただよっている。どっからかゴングの音が聞こえてきそうだ。
「――どういうつもりだ。ゲオルグ」
「自分の家に帰るのに、許可が必要なのかい? ジル兄さん」
「ずっと呼び出しを無視しておいて、今さら」
「こっちも色々とやることがあってね」
「お前がすべきことは、父上とわたしの命令に従うことだ」
「お父様からは何も言われていない」
「沈黙こそが答えだ」
「黙っているなら黙認だろ」
「違う! 当代であるわたしに従えということだ!」
「お父様が、自分の意見も口にできない男だと?」
「わたしを信頼してくれているのだ!」
キチンとした方が、長男のジルムンドさん。
オシャレな方が、次男のゲオルグさんのようだ。
力は互角のようで、組み合った手がぶるぶるしている。
わたしはミハイ君を見た。ミハイ君は、あきれた顔でミントを噛んでいる。
「お父さん、大人げないけど大丈夫?」
「外ではちゃんとしてるし、うちの使用人口固いから」
「いつものことなんだ?」
「いつもっていうか、昔っからだな」
「ミハイ君も、お兄さんとケンカするの?」
「しねえ。つか、相手にならねえ」
自慢げに言う。ヤンキーだから普通にケンカ強いんだろう。
「あの子らは、いつまでたっても変わらんの」
どこからか声がした。
声の出所を探すと、ワーリャばあちゃんが横に立っていた。
こうして並ぶと本当に小学生だ。
というか、いつの間に出現したんだ。
「ワーリャさん。こんにちわ!」
「出かけてきたのか?」
「南区と西区で買い物してきました。これは買ったばかりの新しい剣」
「かっこいい剣じゃのう」
「でしょう」
「イチカ、ここで抜いてはいけません」
「振り回したりしないよ?」
「だめです。いけません」
「ガキかよ」
「ほっほっ。あとで見せておくれ」
わたしは、柄にかけた手を離した。新品の刃がきれいなんだけどなあ。
「お母様!」
「ママ!」
ジルムンドさんとゲオルグさんが同時に声を上げ、組んでいた手を離すとこっちにやってきた。
「お母様。どうしてここに?」
焦った様子で、ジルムンドさんが言った。
ジルムンドさんは“お母様”で、ゲオルグさんは“ママ”と呼んでいた。わたしの異世界語翻訳がバグっているのでなければ、ママというのは幼児言葉に近いんだろう。英語がどうという話でなく、わたしのイメージの話である。
ジルムンドさんは、白っぽい金髪に青い目。神経質そうな顔をして、眉間にはシワが寄っている。ミハイ君のお父さんだけど、ミハイ君とはあんまり似ていない。
「しばらくやっかいになろうと思うての」
「えっ」
「自分の家に帰るのにやっかいだなんで、ママはおかしなことを言うなあ」
ゲオルグさんが、ジルムンドさんを肘で押しのけつつ言った。赤っぽい金髪に青い目。スカーフや指輪なんかのアイテムを駆使しており、遊び人かファッションデザイナーのような風貌だ。ジルムンドさんを若くして、脳天気にしたような顔をしていた。
「部屋に案内するよ。一番上等の客室を用意したんだ」
「普通の部屋でええのに」
「ゲオルグ! わたしの家で勝手な振る舞いをするな!」
「ジル。お前ちょっと痩せたんじゃないのか?」
「お母様……」
「こいつは昔っから、こんなだよ」
「お前は、いちいち口をはさんでくるな!」
「うるさい奴はほっといて行こうよ」
小柄なばあちゃんを間にはさみ、ケンカをしつつ三人が去っていく。
わたしはシュルツを見上げた。
「ばあちゃんも、ここに住むの?」
「召喚状が届くまでの間だけです。その方が安全なので」
「そのあとは?」
「王都に住むことになるでしょうね」
「ふうん。あ、わたしってどこで寝ればいいの?」
「イチカの部屋は、ワーリャ様の隣ですよ」
「そうなんだ」
「屋敷内ですが、ワーリャ様の身辺に気を配っておいてください」
「えと、シュルツとミハイ君もいるんだよね?」
「近くにはいますが、女性の部屋ですので」
自由に出入りはできないということか。ミハイ君は平気で入ってきそうだ。
ふと見ると、玄関ホールの端っこにセラさんがぽつんと立っていた。いつものエプロン姿で、わたしの視線に気づくとぴょこんと頭を下げる。ばあちゃん家の玄関に、旅行鞄が山積みになっていたのを思い出す。夜逃げだと思ったが、引っ越しの荷物だったようだ。
ワーリャばあちゃんが来たことで、シェローレン屋敷はにわかに慌ただしくなった。田舎風ミニマムばあちゃんだが、ジルムンドさんの母親であり、先代の奥様であるため、勝手に住んでどうぞ、というわけにはいかないらしい。
セラさんと一緒に荷物を片付けていると、アーベルとゲオルグさんがやってきた。時刻は午後六時である。
「イチカ、ワーリャ様はいらっしゃるかな?」
よそ行きの態度で、アーベルが言った。義父の前では、こんな感じで行くようだ。話聞いてると、アーベルを便利に使うために養子にしたようだし、父というより上司みたいな感じなんだろう。
「食事に呼ばれて行ったよ」
「ジルムンド様に?」
「そう。呼びにきたの奥さんだけど」
セシリアさんというミハイ君似の美人で、ミハイ君の妹さんだというこれまた激カワの女の子を連れていた。思い出してほっこりしていると、ゲオルグさんがこっちを見た。
「これは、これは。かわいらしい魔術師だな」
お世辞でなく皮肉であるようで、ゲオルグさんは顔をしかめている。
わたしは、意識して笑顔を浮かべた。アーベルの上司は、わたしの上司であり、お給料の発生源である。印象良くしておいた方がいいだろう。
「イチカ・オリベです! よろしくお願いします!」
「はい、はい、よろしく」
新人ぽく元気に挨拶したが、ゲオルグさんは片手を上げただけですぐに視線を逸らした。アーベルもあれだが、こっちはこっちでブラック上司の臭いがする。お金くれるなら、性格悪くても何でもいいんだけど。
部屋を見回したゲオルグさんは、何かを見つけたようにはっと目を見張った。
ちなみに高級ホテルのスイートみたいな部屋である。寝室、書斎、浴室、リビングがあって、ここはリビング部分だ。北棟の端にあり、大きな窓からは屋敷の庭が見渡せた。
部屋を横切ったゲオルグさんは、ソファーの背にかかっていた膝かけを手にとった。ばあちゃんのもので、お気に入りらしく、ちょっとくたびれている。
「ママの膝かけだ。なつかしいなあ……」
そう言うと、ゲオルグさんは手に持った膝かけに顔をうずめた。
顔をうずめただけでなく、スーハー深呼吸をし始める。
ぞわっと鳥肌が立った。セラさんが、悲鳴を押し殺したようなか細い声を上げている。――耐えろ、耐えるんだセラさん!
「義父上、明日また出直してはいかがですか?」
平然としてアーベルが言った。
義父の性癖には慣れているようだ。慣れている……?
膝かけから顔を上げたゲオルグさんは、キラキラした目でアーベルを見た。
「ここで待つよ!」
「接待を受けているなら、二時間はかかりますよ」
「ママに、おやすみの挨拶をするんだ!」
「しばらくは、いつでも会えますが?」
「だめだ。今日という日は今日しかないんだ」
キリっとした顔で、ゲオルグさんが言う。
ちょっと意味がわからない。
ゲオルグさんは膝かけを丁寧にたたむと、元のようにソファーの背にかけた。えらいもので、少しも動かしたようには見えない。ストーカーの手口である。
「この匂い……これは、百合の花の匂いだね。二年前に、お父様がママの誕生日にプレゼントした香油のものだ。まだなくなってないってことは、大事に使っているんだね。香油が切れたころに、同じ店のを取り寄せてあげよう。ママはきっと喜ぶだろうなあ……」
くっちゃべりながら、ゲオルグさんはソファーに腰を下ろす。足を組むと、くつろいだ様子でソファーの背にもたれた。
ちょっと待って。この人、二時間ここにいるの?
邪魔なんてものじゃない。
お願いだから、今すぐ帰って!
アーベルの方を見たわたしは、いつの間にか暗黒王子が姿を消しているのに気がついた。嫌な予感がした。ふたりが入ってきたとき、開きっぱなしにしていた扉が、今はきっちり閉じている。
「――ママの一番のお気に入りは、リンゴの匂いだね。ジャスミンもかな。白い花の匂いが、ママは大好きなんだ。知っているかな、リンゴの花も白いんだよ。その辺、セシリアもアレイラも、わかっていなくてね。ママの好みを一番理解しているのは、この僕だということだね」
ゲオルグさんはしゃべり続けている。
わたしはこっそり扉に近づき、ドアノブを掴んだ。ノブを回そうとするが、びくともしない。外から鍵がかけられているようだ。――あのやろう!
「君、イチカ君だっけ? こっちにおいでよ。とっておきの話があるんだ」
「あっ……はい……」
上司の上司には逆らえない。というか、鍵締められて逃げられない。
わたしは、震えながらドアノブから手を離した。セラさんを見ると、めっちゃ青い顔をして震えている。生きて、この部屋から出られるだろうか。
ゲオルグさんは、二時間半しゃべり続けた。
ばあちゃんが帰ってきた時、わたしは口から魂が出ており、セラさんは目を開けたまま気絶していた。
ゲオルグはワーリャの前では礼儀正しくしているので、このような人であることをセラは知りませんでした。




