43 ダーファスの夜
セラさんが呼びにきたので、みんなで食堂へ移動した。
ミハイ君がきたことは予定外のはずだが、食卓には肉々しいメニューが並んでいる。羊肉の焼いたの、鶏肉の茹でたの、肉団子の揚げたの、名称不明の野菜料理二種。外は固いが中はやわいパン。各自大皿からとっていくスタイルで、セラさんも食卓についたので安心した。ひとりで冷や飯とかだったら気の毒だ。
昼飯抜きで走り回って、お腹が減っていた。
満腹になったら眠ってしまいそうだけど、ミハイ君は、ちゃんと送ってくれるだろうか。知らない人ん家だし、ここに泊まるとかになったら困るんだけど。
「ニルグはどうじゃった?」
食事をしながら、ワーリャばあちゃんが聞いてきた。
セラさんといい、何をどこまで知っているんだろう。
「アーベルが引っかき回して、警邏隊の人たちが迷惑してました」
「そいつは気の毒になあ」
「お前、よくアーベルについてきたな」
「ほかに行くあてもないし、お金くれて、修行も手伝ってくれるって言うから」
「金に困ってんのか? 魔術師なのにだっせえな」
「ミハイ。言い過ぎじゃ」
「そうだよ。言い過ぎだよ。あ、ミハイ君は魔術師なの?」
「たりめーだろ」
もぐもぐやりながら答える。
レベルを聞きたいが、失礼らしいので我慢する。わたしのレベルを話にならないと言ったからには、それ以上ではあるんだろう。真面目に修行してるとも思えないし、そんな上でもなさそうだ。
「オリベと言ったか。聞いたことのない家名じゃが?」
「ニホンって国からきました。東の果てにある地味な国です」
「ほお」
「アーベルに、田舎者って言われます」
「兄弟はおるのか?」
「いいえ。一人っ子です」
「ほお。親御様はよく許したもんじゃの」
「あ、わたし家出人でーす」
「おやおや」
「父が超過保護で、逃げてきちゃいました」
野菜を口にいれ、一生懸命噛んで、これ以上聞いてくれるなのアピールをする。親とか、出身地とか、突っ込まれても答えられないし、話を広げられたくない。
ワーリャばあちゃんは、意味深に微笑んでいる。
疑われてるくさいが、それ以上聞いてこなかったので安心した。
わたしは野菜を呑み込んだ。話題を変えよう。
「この街って、シェローレン家? の領地なんですよね?」
「お前、それマジで言ってんのか?」
ミハイ君が、あきれたように言った。
「ダーファスは、シェローレン領の中心地だ。代々、当代が治めてる」
「当代って?」
「一族の代表。取りまとめ役」
それなら“当主”呼びでいい気がするが、“当代”と翻訳がされてるってことは、主というより、代表という役割が強いのだろう。町内会長のすごい版みたいな感じか。
「ミハイ君は、どこに住んでるの?」
「俺は生まれも育ちもダーファスだ」
「シェローレンのお屋敷?」
「そう」
「分家なのに?」
「分家分家言うな。分家じゃねえよ」
「でも名字ちがうじゃん。何だっけ、シュークリーム?」
「シュテーレンだ。シュテーレン」
ミハイ君が訂正する。
ワーリャばあちゃんが口を開いた。
「シェローレンを名乗れるのは、当代とその男性兄弟およびその嫡男までじゃ。嫡流であっても、それ以外はシュテーレンになる。配偶者以外の女性もそうじゃ」
「てことは、ミハイ君は?」
「ばあちゃんの長男の次男」
「……ああ、うん。なるほど」
「お前、わかってねえだろ」
わざわざフォークの先をこっちに向けて言う。めっちゃ見下されているが、その通りなので反論できない。
わたしは皿の豆を動かして、ばあちゃんが言ったことを考えてみた。つまり、シェローレンを名乗れるのは、当代と当代候補の男性と、その男性たちの長男までということなんだろう。ばあちゃん視点だと、ばあちゃんの息子たちと、息子たちの長男までで、次男であるミハイ君はシェローレンは名乗れないということだ。
「ん? ばあちゃんの長男ってことは、ミハイ君のお父さんが今の当代さん?」
「そう。兄貴が当代継いだら、俺もシェローレンになる」
「下にスライドしてくんだ?」
「一度もらえば、よほどのことがない限りそのままなんだぜ」
「じゃあ、アーベルは?」
「あー」
「アーベルはアレイラの息子で、アレイラはジルムンドの姉じゃ」
「そうだった。親父の姉貴の息子を、親父の弟が養子にした」
「……つまり?」
「ばあちゃんの長女の長男が、ばあちゃんの次男の長男になった」
「なるほど。わからん」
とりあえず、ミハイ君がアーベルより直系に近いのはわかった。
どうしてグレてしまったのだろう。お兄さんとくらべられてとか、親の期待が重くてとか、そんな感じだろうか。大貴族って憧れるけど、家柄とかめんどくさそうだ。
「ミハイ様。イチカ様のお部屋は、お隣にご用意してよろしいですか?」
食後のお茶を出しながら、セラさんが聞いた。
何も聞かれていないのに、泊まることになっている。
ミハイ君はくつろいでるし、窓の外は真っ暗だし、そうなるだろうなとは思っていたが、あらためて言われると緊張した。ニルグ砦や飛行船は合宿所みたいなものだったけど、ここはがっつり知らない人の家である。ちゃんと寝れるかな。
ミハイ君が、セラさんに顔を向けた。
「どこだっていいんじゃね。寝るだけだし」
「ではそのように」
「お世話になります。あ、食器洗うの手伝います」
「大丈夫ですよ」
「わしはもうちっと起きとるから、先に風呂を使うとええ」
「えっ、お風呂があるんですか?」
「ああ。ゆっくり入るとええ」
「俺は寝る」
あくびをしながらミハイ君が言う。すでにだいぶ眠そうだ。
よそん家の風呂で長湯するほど、強いハートは持っていない。でも、それでも嬉しい。飛行船に風呂などなく、この三日間は体を拭くだけだった。チビに戻れば、どんぶり一杯のお湯で風呂に浸かれるけど、船室に鍵がついてなかったのでやれなかった。もう二度と、正体がバレて脅されるとかいう目には遭いたくない。
セラさんに案内してもらい、わたしは手早く入浴を済ませた。
三日ぶりのお風呂は快適だった。長風呂できたら最高だっただろう。シェローレンのお屋敷でどんな部屋をもらえるかは不明だが、鍵のかかる一人部屋だったら、思う存分どんぶり風呂に入ろう。ハーブとか花びらとか山盛り入れて、豪華ドラゴンスープになってやろう。そう心に決めた。
「……肩がゆるい」
わたしは、借りた寝間着の襟ぐりを上げた。
無印○品で売ってそうな、シンプルなワンピースタイプである。
ミハイ君用らしく、サイズはガバガバだ。
わたしが着ると色気ゼロだが、不良のミハイ君が着ているところを想像するとほっこりした。絶対かわいいやつだ。隣の部屋と言ってたし、あとでのぞきに行こう。
廊下に出ると、玄関の方から話し声が聞こえてきた。
セラさんともうひとり、聞き覚えのある声がしている。
わたしは玄関へ急いだ。
「イチカ!」
セラさんと話していたシュルツが、わたしに気づいて顔を上げた。
誰かが、わたしの居場所を知らせてくれたらしい。ほっとしたのもつかの間、シュルツの表情が険しいのを見てぎくっとした。ちょっとお怒りのようだ。まずいな。
気をきかせてセラさんが去って行くと、シュルツが口を開いた。
「イチカ。どれだけ心配したと思っているんですか」
「ごめんなさい」
「動いてはいけないと言ったのに」
「すみません」
「その上、ひとりで街に出るなんて」
「おっしゃるとおりです」
ここから動いてはいけない、ひとりで外に出てはいけないと注意を受けたにもかかわらず、どっちの言いつけもわたしは破ってしまった。外に出たのはゼインさんに頼まれたからだけど、それでも悪いのは完全にこっちである。ひたすら謝罪に徹するしかない。
反省の態度が効いたのか、シュルツが肩の力を抜いた。
「……ともかく、無事でよかったです」
怒りが収まったようだ。ちょろいなー。もっと説教されるかと思った。
「ゼインさんが知らせてくれたの?」
「いえ。探しに出たミハイ様まで戻らないので、心当たりを聞いたらたぶんここだろうと」
「アーベルに?」
「いえ、ミハイ様のお母様です」
「ミハイ君なら上で寝てるよ」
「……あんまり失礼な口をきいてはいけませんよ」
「向こうが失礼なこと言ってくるのに?」
「何を言われたんですか?」
「だっせえとか、うるっせえとか。あと、分家って言うと怒る」
「……複雑なお家なので配慮してあげてください」
「わかった」
少なくとも、分家って言うのはやめてあげよう。
「――新しい服を買わなくてはいけませんね」
サイズの合わない寝間着姿のわたしを見て、シュルツが言った。
ニルグでは支給された制服を着ていたが、フリーになった今、手持ちの服といえば、転化の魔法に付属するのを一着だけだ。飛行船ではずっとそれだった。魔法の服だから汚くはないけど、シュルツは、こいつ毎日同じ服着てるなと思っていたのだろう。誤解されるのもあれだし、確かに着替えは欲しい。
「買いに行く暇あるかな?」
「しばらくは忙しくないはずですし、大丈夫でしょう」
「わたし懐中時計が欲しいんだけど、もらったお給料で買える?」
「そうですね。ネジ巻きのもので、中古品なら何とか」
「ネジ巻かなくていいやつがあるの?」
「高価ですが魔石で動く時計もありますよ」
「それってポーション何本分くらい?」
「物にもよりますが……二十本分くらいですかね」
ポーション一本が二、三十万だから、ざっと数百万か。キツイなあ。
「無事が確認できたので、俺はこれで帰ります」
「えっ、帰っちゃうの?」
「明日の朝、また迎えにきます。今日はゆっくり休んでください」
「そうだ。アーベルは何て言ってた?」
シュルツの表情が微妙になる。沈黙が怖い。
「のたれ死ぬなら魔導書は残して行けと」
「――ああ」
わたしの価値は、魔導書持ってるってだけなのか。まあ、その通りだけど。
シュルツを見送ってから、わたしは二階に上がった。
自分の客室に入る前に、忘れずにミハイ君の部屋をのぞきに行く。
昼間と同じ格好で爆睡しているのを見ると、そっと扉を閉じた。




