41 路地裏の攻防
ワラビーは、怖いもの知らずで道路を横断していた。
信号機なんてものは当然ない。驚いた馬車が次々止まり、周囲がパニックになっている。反対側の道に出たワラビーは、建物と建物の間の薄暗い隙間に入って行った。野良猫が好きそうな、暗がりの道である。
わたしは目を細めた。
こっちの塀から向こうの街路樹までは、結構距離がある。
「跳躍2で、一気に渡るのは無理か……」
<跳躍3>は解放されているが、まだ未習得だ。経験値を消費すれば使えるようになるけど、どの魔法を増やすかはシュルツと相談して決めているので、やりたくなかった。
わたしは塀から飛び降りた。
渋滞している馬車の上を飛び移って行き、反対側にあるお店の庇の上に着地した。歩道にいた人が、口をあんぐり開けてこっちを見ている。魔法を使っていると知らなければ、サス○並の運動神経を披露したことになるし、まあ何じゃあれってなるよね。跳躍は曲芸っぽいし、風球と水球はジャグリングっぽいし、魔法っぽい魔法が早く使えるようになりたいものである。
庇から飛び降りて、薄暗い隙間を覗きこんだ。
「シノブー? 出ておいでー!」
暗がりに向かって呼びかけた。
飼い主がいるなら名前があるだろうが、とりあえずの仮称を「シノブ」と決めた。兵隊さんたちの捜索をかいくぐり、基地から脱出した手腕が忍者のようで見事だったからである。シノブが、オスかメスかはわからない。
シノブの返事はない。出口の方に、まるっこい背中が遠ざかって行くのが見えた。
体を横にすれば通れそうだったので、カニ歩きで侵入した。隙間を抜けると、裏路地に出た。狭い通路の左右に、家の扉やら窓やらが並んでおり、ちらほら人もいる。わたしは、シノブを探してきょろきょろした。
「――いた」
正面の道の先に、シノブの姿を見つけた。
裏路地は、人が三人並べるくらいの広さしかない。走るには十分だけど、それは道に誰もいなければの話で、人がいる今は、全力疾走はとても無理。シノブはといえば、小さな体で人間の足元をひょいひょいすり抜けている。びっくりした通行人が立ち止まるので、それも邪魔だった。これ、追いつけるかな。
「無理っぽいな……」
どう見ても、通行人が邪魔すぎる。
曲芸披露するとガン見されるが、背に腹はかえられない。
跳躍はかけっぱだったので、近くの庇の上に跳び乗り、そこから右、左と壁を蹴って宙を進んだ。下で通行人がざわざわしているが、そっちは見ないようにした。
とんぼを切って、わたしは地面に着地した。シノブの目の前である。
「シノブ、怖がらせてごめんね。お家に帰ろうね」
捕獲しようと手を伸ばす。しかし。
威嚇の声を上げ、シノブが毛を逆立てた。くりくりだった目が三角になり、口を開いて歯を剥き出す。さっきの可愛い子ちゃんとは、別ワラビーのようだ。
「――ひっ」
フリーズしたわたしの横を、シノブがダッシュで逃げて行った。
わたしは胸を押さえた。心臓がばくばくしている。
さっきまで、さっきまで、あんなに可愛かったのに……。
「――つらい」
心を折られている場合ではない。
わたしは涙を拭いた。
発着場からだいぶ離れてしまったし、ここで見失ったら、シノブは野良ワラビーになってしまう。可愛いシノブに、土管暮らしをさせるわけにはいかない。わたしは、シノブの追跡を再開した。
どうにかシノブを捕まえた時には、わたしもシノブもヘトヘトになっていた。
捕まえたというか、走り疲れて動けなくなったシノブを、まだ体力の残っていたわたしが抱き上げただけだ。ぐったりしたシノブは、うるっとした目でわたしを見上げたあと、長い睫毛を伏せて眠ってしまった。ちっこいが意外に重い。毛皮はふかふかだ。
「――疲れた」
わたしも、誰かにお姫様抱っこで運んで欲しい。できればイケメンがいい。
くたくたで、なおかつ、魔素もすっからかんという状態だ。
魔素を補充しようにも、その力が沸いてこない。
魔法を使うにも、魔素を補充して溜めるにも、精神力だけでなく体力も必要であることを初めて知った。今の体は偽物だけど、鍛えたら腹筋割れるだろうか。
「で、ここはどこだ?」
小高い丘の上のような場所だった。
道の片側は普通の住宅、もう片側は段々畑みたいな斜面に建物がびっしり建っている。段々畑の下にも街が広がり、街が切れた向こうは、穀倉地帯らしき畑が水平線まで続いている。街の端から穀倉地帯までは、結構な距離があるように見えた。ということは、この街が崖の上みたいな所にあるか、あるいは浮島であるかだ。
あれから、一、二時間は経っただろうか。
シノブまかせで移動したから、発着場の方角さえ見当もつかない。
わたしは、通りがかったおばちゃんに声をかけた。
「すみません。飛行船の発着場って、どっちですか?」
「まあ、可愛いウサちゃん」
「シノブって言うんです」
「可愛いわねえ」
「あの……」
「あら、ごめんなさい。発着場なら北の方よ」
「ここから、どれくらいかかりますか?」
「さあ……あんなところまで歩いたことがないから、わからないわ」
おばちゃんに方角を聞き、北を目指して歩き出した。
日が、だいぶ西に傾いている。午後四時くらいだろうか。
シノブを抱えてとぼとぼ歩いていると、向こうからやってくる人影に気づいた。ばっちり目が合ったので、わたしはあわてて下を向いた。ちらっと見ただけだが、ヤンキーだった。何を言っているのかわからないだろうが、とにかくヤンキーだった。
歳は、同い年くらい。毛先をハネさせたオレンジ色の髪に、耳には黒のピアス。口をもぐもぐさせながら、こっちを睨んでいた。これがヤンキーでなくて何であろうやという姿である。
「お前、ちょっと待て」
路地は狭い。進路を塞ぐように立たれると、逃げ場はなかった。
わたしは、怖々顔を上げた。
「お金なら持っていません! 本当に一円も持っていないんです!」
「……まだ何も言ってねえよ」
ヤンキーは困惑している。
黒ピアスのヤンキーは、よく見ると可愛い顔をしていた。男性アイドルグループに混ざっていても、違和感ない感じだ。ビジュアル系ロックバンドのボーカルになったら、女子高生がわんさかやってくることだろう。どうして不良になってしまったんだ。
「その茶色いの、こっちによこせ」
異世界のヤンキーが言った。
お金がないなら、現物をもらおうということのようだ。
「いっ、嫌です」
シノブを抱えて、わたしは後ずさった。
「痛い目に遭いたくなければ、よこせ」
身をかがめたヤンキーが、前髪が触れそうなくらい顔を近づけてくる。
ケンカの前哨戦でよくやるあれである。
どんな状況であれ、イケメンに迫られると喜んでしまうわたしだが、今は違った。めちゃめちゃミント臭い。
何を噛んでいるのか知らないが、辛い系のミント臭で、間近で嗅ぐとメンソールのような刺激臭がした。わたしは、シノブの鼻を手で覆った。動物の嗅覚は、人間の何倍もあると聞く。そんな超敏感な鼻に、人間ですらしんどいような刺激臭を嗅がせるわけにはいかない。シノブの鼻が、バカになったらどうしてくれる!
「嫌だっつってんだろ。どっか行かないと、大声出すからな!」
若干チビ竜要素が入っているとはいえ、今のわたしは父親似の殺し屋顔だ。
睨み合いなら、ヤンキーにだって負けない。
「あ? やれるもんならやってみろ」
本気でガンを飛ばしたが、ヤンキーはひるまない。
それどころか、軽く嘲笑されていた。
最初に下手に出たのが失敗だったようだ。それに大声を出すっていうのも、対抗手段が助けを呼ぶしかないって認めてるようなもんだし、舐められて当然だった。
わたしは体を反らせると、ヤンキーの額めがけて頭突きをした。
「ぐあっ」
「うおっ」
最初のはわたしである。やり慣れないことは、するものではない。
おでこをさすりながらヤンキーを押しのけ、わたしは強引に先へ進んだ。
「おい! 待てって!」
わたしは走った。ヤンキーの声が、背後に迫る。
跳躍を使えれば振り切れるが、走りながらでは魔素の補充ができない。がんばればできそうに思えるけど、要は慣れと集中力の問題なんだろう。その上、辺りに魔素自体があまりない。大きな街だし、人が大勢いるなら、魔素もたっぷりありそうなものなのに、いったいどういうことだろう。
ずっと走っていくと、広場のようなところに出た。
よかった。人がたくさんいる。
「待てって」
追いついてきたヤンキーが、後ろからわたしの肩をつかんだ。
こんなに人目があるのに、まだ恐喝行為をする気なのか。今度こそ大声を出してやると思ったが、ヤンキーの様子がおかしい。わたしの肩をつかんだまま、何かを探すようにきょろきょろしていた。
「お、いた」
ヤンキーは、誰かを見つけたようだ。
視線の先を追う。意外にも、それはわたしの知っている人でもあった。
「そいつ、離すんじゃねえぞ」
「えっ」
手首をつかまれ、引っ張られた。
大声を出さなかったのは、ヤンキーがその人を目指していたからだ。
「ああ、よかった。見つけてくれていたか」
わたしの姿を見るなり、赤髪のヒョロガリ軍人さんが言った。発着場でシノブの追跡を頼んできた、あの軍人さんである。手に持ってるタモ網は、シノブ捕獲用と考えていいのだろうか。あれからずっと探していたようだ。
わたしは、傍らにいるヤンキーを見た。
シノブを奪おうとしたのは、軍人さんに渡すためだったのだろう。見た目ヤンキーだし、兵隊には見えないけど、いったいどういう関係なんだろう。
「ほら、返してやれよ。お前んじゃないんだろ」
ぼさっとしていると、ヤンキーがうながした。
名残惜しいが、持ち主がいる以上、返さなくてはいけない。
わたしは、涙を飲んでヒョロガリ軍人さんにシノブを渡した。
「ありがとう。本当にありがとう。わたしはゼインだ。ぜひまた発着場に立ち寄って欲しい。この礼を必ずさせてもらう」
「この子、食べたりしないよね?」
「え? いや、あるお方への大事な貢ぎ物だ。食べたりしない」
「名前ってあるの?」
「いや、まだないはずだ」
「わたし、シノブってつけたんだ」
「そうか。では引き渡しが終わるまで、わたしもシノブと呼ぶことにしよう」
「もう逃がさないようにしてね」
「もちろんだ。本当にありがとう」
ゼインさんは、笑顔で去って行った。
ふと横を見ると、ヤンキーが銀色のケースを出すところだった。スライド式のやつで、小さな青い実を手のひらに出すと、口に放り込んでもぐもぐする。きついミント臭が漂ってきた。異世界版フリ○ク的なものだろうか。
「よし。行くぞ」
ケースを仕舞ったヤンキーが、わたしの腕をつかんだ。
わたしの頭上に「?」マークが浮かぶ。シノブはゼインさんに渡したし、一文なしのわたしにいったい何の用だろう。疑問に思い、ふと、シュルツから言われたことを思い出した。弱い魔術師が誘拐され、脅迫or拷問を受けて魔導書を奪われる事件が稀にあるというあれだ。
わたしは、血の気が引くのを感じた。
誘拐だ! 誘拐されてしまう!




