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35 小麦粉の宴

 早朝、砦の入口で待っていると、遠くからガタゴトという音が響いてきた。

 道の向こうから、幌馬車がゆっくりやってくる。

 馬はずんぐりした黒い馬で、御者台にはおっさんがひとり乗っている。

 手を振って出迎えると、おっさんが陽気に手を振り返してきた。





 朝食の片付けが終わるのを見計らって、わたしは調理場に入った。

 貯蔵庫から、今朝届いたばかりの材料を調理台へと運ぶ。

 小麦粉、卵、バター、牛乳、砂糖、膨らし粉、香料である。


 製菓などに使うベーキングパウダーは、ドイツ人が発明した科学薬品のため、ドイツ人の存在しないこの世界には存在しない。しかし、実家のお城でふわふわのケーキを食べたことがあり、何かあるだろうと調べてみたら、こちらの世界には膨らし粉というものがあると知った。膨らし粉の原材料は不明である。


 わたしは、大量のじゃがいもを茹ではじめた。

 ボケているのではない。

 じゃがいもは、いつでも調理場に山積みされているのだ。

 叙述トリックというやつである。


 茹で上がったじゃがいもの皮を剥いていると、食堂に残っていた隊員さんたちが覗きに来た。手招きして呼び寄せ、じゃがいもの皮を剥いて、すり潰してもらうようお願いする。隊員さんたちは、快く引き受けてくれた。


 じゃがいもの処理は助手にまかせ、わたしは生地作りにとりかかった。


 単位の違いは実家で学習済みなので、ちゃっちゃっと分量を量って行く。でかいボールのなかで小麦粉、卵、バター等を混ぜ合わせ、そこにマッシュポテトをくわえてこねていく。およそ五十人分なので、結構な量である。できあがった生地を涼しい貯蔵庫に運んで、一時間ほど休ませる。休ませた生地を調理場に運び、麺棒で平らにのばしていると、ティエリさんがやってきて手伝いを申し出てくれた。ありがてえ。


「これはイチカ君の故郷の料理なのですか?」

「そうだよ」

「どうして真ん中を空けるんですか?」

「この方が短時間で火が通るからだよ」

「揚げパンは知っていますが、こんな形は初めて見ます」


 そう言いながら、ティエリさんはわたしの作った見本通りに生地を成形していく。広口のコップを押しつけたあと、真ん中をショットグラスで抜いて輪っかにする。上官クラスは料理をしないので不安だったが、どうやら大丈夫そうだ。


 生地をティエリさんに任せ、再びお手伝いをしてくれる助手を探しに行く。最初から助っ人を確保しておけばよかったとこの辺で気づいたが、あとの祭りだ。


 つかまえてきた隊員さんに、武器庫で見つけた例のフライパンをコンロの上に乗せてもらい、そこに植物油をなみなみ注いで、薪に火をつける。余った生地で何度か試し揚げをし、丁度良い温度になると、作った生地をじゃんじゃん揚げて行った。


 油を切って冷ませば、ポテトドーナツの完成である。


「……あ、おいしい」


 フォークで切り分けたドーナツを食べて、ティエリさんがぽつりと言った。感情を表に出さないのでわかりにくいが、ジト目でなくなっているので、これが美味しいの顔なのだろう。


 火の様子を見ながら、わたしも一個味見する。

 外はサクサク、なかはモチモチ。男が多いから砂糖を少なめにしたのだが、じゃがいもの自然な甘さが引き立っていい感じに仕上がっている。見事なおやつドーナツである。


 昼ご飯のサイドメニューにと思ったが、匂いにつられて隊員さんたちが集まってきたので、ひとり二個までと厳命してポテトドーナツを振る舞った。


 昼飯班がやってきて片付けを引き受けてくれたので、わたしは皿にドーナツをのせると食堂を出た。向かったのは、アーベルが軟禁されている執務室だ。


 執務室の前には、まだ見張りが立っていた。

 係長と話はついたものの、ルーミエを逃がす可能性がゼロではないので、監視が継続されているのだ。ルーミエとシュルツは、まだ地下牢である。


 ドーナツを一口食べると、アーベルは眉をひそめた。


「貧乏くさい」

「白砂糖使ってるのに、貧乏とは何だ」

「支払いは誰がするんだ?」

「バフェルさんの許可とってるから、経費? どっちにしろアーベルには関係ないじゃん」

「その関係ない俺に何の用だ?」


 ドーナツを千切りながらアーベルが言う。

 文句を言いながら、もくもく食っている。可愛いもんだ。


「わたし、砦を出ようと思って」

「……そうか。出て、どこへ行く?」

「とりま川を下ってみようかなって」

「目的地はあるのか?」

「地ではないけど、目的はあるよ。鍋の蓋を探すの。川下ってけば、どっかで引っかかってるの見つけられるかもしれない」

「蓋と鍋がそろったら、相場の倍値で買い取ってやる」

「売らないっつってんじゃん」

「それで? わざわざ別れを言いにきたのか?」

「それもあるけど」

「何だ?」

「働いた分のお給料が欲しい。約束したよね?」


 アーベルが顔を上げた。

 ポーションで治したようで、キースさんに殴られた跡はきれいに消えている。

 

「……この何日間かで、お前が俺の役に立ったことがあったか?」

「二度も生け贄に捧げられたじゃん」

「あからさまな罠に気づかない方が悪い」

「盗っ人猛々しいという言葉をご存じですか?」

「知らないな」

「犯罪者のくせに態度がでかいっていう――」

「説明しなくていい」

「……」

「俺でなく、バフェルに請求すればいいだろう」

「それも考えたんだけど、わたし不法隊員だし、経費で落とせないからたぶん無理かなって。アーベルなら、自由にできるお金たくさん持ってるでしょ。持ってるよね?」

「頭からっぽのくせに賢いな」

「えへへ」


 照れるわたしを、アーベルは冷めた目つきで見ている。デスクの上に肘をつくと、両手の指を組み合わせた。碇ゲンド○リスペクトだろうか。


「少しはレベルは上がったのか?」

「ん?」

「レベルは上がったのかと、聞いている」

「あ――」


 忘れていた。

 アーベルが、カッと両目を見開いた。手の届く所にいたら、またアイアンクローを食らっていただろう。離れていてよかった!


「前言撤回だ。お前の頭はからっぽだ!」


 くそ。言い返せない。


 わたしはアーベルに背を向けると、アイチャンを呼び出した。


『アイチャン。今のわたしのレベルは?』

『 魔術師レベル10。等級は「星の8」です』

『マジで? すごいじゃん!』


 わたしは、ドヤ顔で振り向いた。


「イチカ・オリベ、レベル10になりました!」


「……よかったな」


 まるっきり興味がなさそうに言う。デスクの引き出しを開けると、既視感のある口を縛った革の小袋を取り出し、デスクの上に置いた。

 

「昇級祝いだ。もう行け」


 わたしは小袋をとると、アーベルの気が変わる前に部屋を出た。





 昼食を済ませてから、一階の広間に向かった。


 二階まで吹き抜けになった広間には、モダンアートのような鉄の木が立っている。木の幹を模した鉄の柱から、新体操のリボンをくるくるしたみたいに、鉄の帯が螺旋状に広がり、沢山の吊り鐘が下がっている。森にあるオベリスクと連動し、異常が起きたら知らせる仕組みだ。こっちに用はない。


 わたしは、広間の壁に目を向けた。


 そこには、ニルグの森周辺のざっくりした地図が貼ってある。


 詳細な地図もどっかにあるらしいが、エセ副隊長のわたしでは閲覧許可が下りなかった。今やエセですらなくなったのだから、なおさらだ。人工衛星などないこの世界では、詳細な地図は軍事情報に当たる。らしい。超機密情報なので、部外者は閲覧禁止とのことだ。

 

 わたしが流されて来たとおぼしき川は、地図の上から下へ、ほぼ国境に沿う形で伸びている。おぼしきというのは、血管みたいに枝分かれして、どこからどこへ流されたのかわからないからだ。遡るのは無理っぽい。――上は山がちな土地、下には大きな湖がある。湖まで辿れば、父鍋の蓋を見つけられるだろうか。


 レベルが上がったと言っても、たかだか10。ダメ元で実家を探しに行くにしても、もっとレベルを上げてからにしたい。そのために、父鍋の蓋を探しがてら武者修行をしようという計画である。せっかくのオープンワールドだ。一箇所に留まっているのはもったいない。


 地図を前に、これからのことを考えていると、ふいに室内が暗くなった。


 わたしは顔を上げた。


 広間は二階までの吹き抜けになっている。

 一階に窓はないが、二階の壁には小さな窓が並んでいた。

 そこから射している光が、端から順に消えていく。

 大きな雲が、砦の上を通りすぎているんだろう。

 そう思ったが、何やら外の方が騒がしい。

 

 わたしは階段を上がり、二階の窓から外を見た。

 下には何もない。

 大きな影が落ちていて、隊員さんが集まって空を見上げている。

 わたしは、小さい窓に体をねじこむようにして、砦の上空を見上げた。


「――わあ」


 思わず声が漏れた。

 見上げた空には、砦がすっぽり入るような大きな船が浮かんでいた。

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