30 作戦会議
黒い霧は、シュルツの全身から湧き出しているようだった。立ち上ったそばから霧散していくので、コ○ンの犯人みたいな真っ黒にはならない。全身が薄暗く、体の輪郭がぼやけて見えるだけだ。
わたしは、思わず飛びのいた。
見るからにヤバそうだし、吸い込んだらアウトな奴かもしれない。
シュルツが頭を上げる。その顔は別人みたいになっていた。
肌が青白く、黒い髪はより黒く、緑色の目は、どきつい赤に変化している。表情は暗い。それでいて怒っているように見えた。どう見ても悪魔か吸血鬼だ。顔は同じでも、シュルツと同一人物には見えない。
シュルツが立ち上がると、輪になった蔦がくたっと地面に倒れた。
わたしは目を瞬いた。
ワサオは蔦をほどいていない。
黒い霧がふわっとしたかと思うと、蔦が下に落ちていた。シュルツの体を通り抜けたように見えたが、星クラスの魔術師がそんな高度な魔法を使えるものだろうか。星クラスの魔法の定義が何なのかが不明だけど、ともかく普通じゃない。魔法というより、ホラー寄りの何かに見えた。
シュルツは、わたしを一瞥してから背を向けて駆け出した。黒い霧が残像みたいに残ったが、すぐにかき消えた。
わたしはワサオを見た。ワサオも戸惑った顔をしている。
トリックではないし、普通の魔法でもない。
シュルツさん実は人外生物だった説を挙げたいところだけど、人間が仮の姿だとすれば、解除するのに詠唱は必要ない。そもそも、シュルツは国家公務員で、わたしと違って素性はしっかりしているはずだ。ということは、普通の魔法じゃない特殊な魔法説が有力か。わたしの<転化>みたいな、オリジナルの登録魔法なのかもしれない。それにしたってなあ……。
CG処理されたような姿を思い出して、わたしは身震いした。
あれと戦うとか、絶対に無理だ。バトルにならなくて本当に良かった。
わたしはワサオを抱き上げた。ちょっと落ち着こう。
「さて、シュルツが思ったよりヤバい奴だということが判明したわけですが」
「それは横に置いておくとして、今わたしは、キースさんのとこに戻るか、砦に行ってティエリさんに助けを求めるかの二択を迫られているわけです」
「ワサオ、どうしたらいいと思う?」
ワサオは、訴えかけるような目でわたしを見ている。
「ぼくたちの森を荒らす悪い魔術師をやっつけて!」
と、ワサオの目が言っていた。
わたしがドラゴンであるせいで、シーラと同格と思われているようだ。
しかしながら、チビ竜に戻ったところで、レベル5はレベル5で変わらない。
シュルツがヤバいという女魔術師と、お前の方こそヤバいだろうというシュルツがタッグを組んでるかもしれない戦場におもむいたところで、何ができるとか言う前に、無事に生還できるかの心配しなくてはいけないのが、今のわたしだ。その点、砦に戻ればティエリさんと第三小隊の人たちがいる。初級魔女ひとりより、よっぽど心強い。
「……でも、砦に戻るはなしかな」
悩んだ末に、わたしは決めた。
非常時と言えど、砦を空っぽにするわけにはいかないだろう。よその砦から応援を呼ぶにしても、今からでは遅すぎる。それに、砦にはアーベルがいる可能性もある。
「キースさんと、係長のとこへ行こう」
わたしでも、できることがあるかもしれない。それに、シュルツに逃げられたことを急いで報告しないと。
ワサオを地面に置いて、わたしは転化の魔法を解除した。チビ竜に戻ると、ワサオの上に跳び乗った。
「急いでキースさんのとこへ行って」
ワサオが蔦をのばして、わたしの胴体に巻きつける。安全運転をお願いしている場合ではないので、覚悟を決めて蔦をつかんだ。出発しようとして、魔素がすっからかんなのに気づいた。対巨木戦なんかで色々使ったからだろう。
わたしは、必要な分だけ魔素を引き寄せた。これで準備OK。
「ワサオ、全速前進!」
根っこと蔦を駆使して、ワサオは飛ぶように森のなかを進んだ。
急いでいるので、ばりばり危険運転である。
地を走り、窪地を飛び越え、一直線に騒動の元へ走っていく。
見覚えのある場所までくると、わたしはワサオに止まってくれるようお願いした。ルーミエの近くには、警邏隊のみんながいるはずだ。チビ竜の方が隠密行動に向いているが、うっかり出くわすのは避けたい。
転化の呪文を唱えて人間の姿になった。
乗り物酔いのせいで、若干世界が揺れている。
二回目で慣れてきたが、やっぱり気持ち悪いものは気持ち悪い。高い金を出して絶叫マシーンに乗りたおす陽キャの気が知れなかった。
ふらつきながら、わたしは歩き出した。
さっきの強風のせいか、青い葉っぱが散りまくって地面を覆っている。
警邏隊のみんなは、どこにいるんだろう。
集団でいるから目立ちそうなものだが、それらしき姿はどこにもない。
ただ、風がびゅうびゅう唸っているだけだ。
探しながら歩いていると、上の方で人の声が聞こえたような気がした。
頭上を見たわたしは、ひっと声を上げた。
人間の両足が、木の上からぶら下がっている。
モザイク処理が必要なやつかとあわてたが、よく見ると枝に引っかかったキースさんだった。洗濯物みたいに二つ折りになり、ぐったりしている。
わたしは跳躍を使って、枝の上に跳び乗った。
そこで気づいたが、周辺の魔素がごっそりなくなっている。風の魔法は上級っぽいし、魔素を大量に消費するのだろう。出発前に溜めておいてよかった。
「キースさん。キースさん。大丈夫?」
ワサオに手伝ってもらい、ぐったりしたキースさんを木の上から降ろした。
外傷は擦り傷程度だが、骨や内臓系のダメージは見ただけではわからない。
何度も呼びかけていると、キースさんがうめきながら目を開いた。
「……イチカ……か……」
「大丈夫?」
「……鞄に……魔法薬が……」
「わかった。ちょっと待ってて」
見ると、腰のベルトに小型の鞄がついていた。開けてみると、前にアーベルがシュルツに飲ませていたのと同じ小瓶が入っている。ほろ甘さの奥から、酸味のある発酵臭が突き上げてくる激臭ポーションである。
わたしはポーションの蓋をとると、キースさんの口に液体を垂らした。
ちなみにこのポーション、隊の支給品かと思いきや個人の購買品である。一本ウン十万円もするそうで、支給すると飲んだふりして横流しされまくるらしい。飲み物と思うと高いが、簡易病院と思えば良心的な値段ではある。外科的な傷は治してくれるが、風邪などの病気までは治せない。それから、殺人的な不味さという拷問がついてくるので、それを我慢できるかどうかである。
キースさんが液体を飲み込むと、顔の擦り傷がたちまち治った。
わたしは小瓶の蓋を締めた。
目にくるような匂いはともかく、すごい効果だ。
キースさんは大きく息をついた。
起き上がると、顔をしかめながら口元をぬぐう。
「来てくれて、助かった」
「何があったの? 他のみんなは?」
「――わからない。投降するよう呼びかけていたのだが、気づいたら吹っ飛ばされていた」
「じゃあ、みんなバラバラなんだ」
「集合地点は決めてある。だだ、自力で動ければの話だが」
「うーん」
「わざわざ、引き返してきたのか?」
「ていうか、シュルツに逃げられた。ごめんね」
「いや、時間をつくってくれて助かった。無理を頼んですまなかったな」
吹っ飛ばされて頭が冷えたのか、しおらしい様子でそう言う。
わたしは、キースさんのやさしさに感激した。
どこかの暗黒王子とはえらい違いだ。
「シュルツは、危ないから手を出すなって言ってた。捕まえさせないために、大げさに言っただけかもしれないけど」
「いや、シュルツさんの言うことは正しい。あれはかなり手強い」
「このまま撤退するしかない?」
「……撤退はしない。簡単には行かないだろうが、あの危険人物を放置しておくことは絶対にできない。ともかく、バフェル隊長と合流しなくては」
「そっか」
「イチカ、君は砦に戻れ。あとは我々で何とかする」
「いや、手伝うよ。ワサオもいるし、一応魔術師だし」
キースさんは眉間にしわを寄せる。悩んでいたようだが、息をつくと口を開いた。
「正直に言って、いてくれると助かる。悪いがもう少しつきあってくれるか?」
わたしとキースさんは、みんなとの合流地点に急いだ。
ルーミエのいる地点から離れることになるので、風は徐々に凪いでいく。
さほど歩くこともなく、中央に石柱の立つ空き地に着いた。
空き地では複数の隊員とともに、係長が待っていた。
「キース、イチカ。無事だったか!」
「隊長もご無事で何よりです」
「うむ。しかし、見事にやられてしまったなあ」
「これから、どうしますか?」
「自力で戻ってこれない者たちを救出せねばならん。それが第一だ」
「……そうですね」
集まってきた隊員たちの数を確認し、キースさんは表情を曇らせる。
三十名近くいたはずが、ここにいるのは十名だけだ。元気そうに見えるのは、係長のポーションを使ったからだろう。
「要救助者を探すとして、簡単には近づかせてくれないでしょう」
「あの風をどうにかできればな」
「イチカ、あの魔術師について何か思い出したことはないか?」
「……何か?」
「どんなことでもいい。攻略の手がかかりが欲しい」
わたしは首をかしげた。
ルーミエについて知っていることと言えば、泣きわめきながら風の魔法を使うこと、どうやら男に逃げられたらしいこと、アーベルの知り合いということぐらいだ。いや、待てよ……。
「そういや、木の精さんがルーミエは森の東側に入ったことがないって言ってた」
「それは本当か?」
「あの人って東側に向かってわめいてるんだよね。理由はわかんないけど、あそこから東へ行くことができないんじゃないのかな」
「――いや、それなら理由はわかる」
「そうなの?」
「女魔術師がいるのは、ガロリアとの国境あたりだ。国境を越えられないのかもしれない」
「国境? それらしい線とかなかったけど?」
国境の街に線が引いてあるのはテレビで見たことがあるが、森のなかにそんなものはない。GPSもないから緯度経度もわからないし、どうやって国境線を判別しているんだろう。
係長が口を開いた。
「ニルグの森の中央に、太い水脈が通っている。それを国境と定めているのだ」
「じゃ、目には見えないんだ」
「そういうことだ」
キースさんもうなずいた。
「……仮にあの女が魔導書を借り受けている立場の魔術師で、魔導書に国外に出ないという制約が付けられているのだとすれば、国境を越えられないのも、あそこで暴れているのも説明がつく」
「それってどれくらい効力があるの?」
「内容にもよるが、国から出ないという制約なら、魔導書を返却しないかぎり国境は越えられないと考えていいだろう」
「つまり恋人だか愛人だかを追ってきたけど、国境で足止めされて暴れてると?」
「理解に苦しむが、そのようだ」
「アーベルは何で隠してたんだろう?」
「さあな……」
「それは、当人に聞いてみないことには、わからんだろう」
係長は、そう言うと肩をすくめる。興味がないようにも見えるが、みんなの前で言えないだけで思い当たることがあるのかもしれない。
「よし。女魔術師が国境を越えられないと仮定し、作戦をたてるとしよう」
係長とキースさんが話し合う。立てた計画はこうだ。
わたし、係長、キースさんでルーミエの東側から攻撃を行う。ルーミエの気が逸れている隙に、無事な隊員さんたちが動けない人たちを回収。完了次第、撤退する。訓練を受けている兵隊さんなので、救助自体は難しくない。それより、キースさんがそうだったように、木の上なんかで動けなくなっている人を見つけるのが難しいとのことだ。
トントンされたので足元を見ると、ワサオが何か言いたそうな目でわたしを見上げていた。わたしはワサオを抱き上げた。
「ワサオが、探すの手伝ってくれるって」
係長をのぞく、全員の顔が一斉に引きつった。
「……嫌なら別にいいんだけど」
「そっ、そんなことはない。ぜひ手伝ってもらいたい」
キースさんが言うと、他の隊員さんたちも首を縦に振った。
ワサオと仲良しになってくれればいいんだけど。




