03 炎竜と魔法使い
ああ、よかった。わりと可愛い
自分の顔を見て、最初の感想がそれだった。
爬虫類は苦手だから、自分の顔が受け付けなかったらどうしようかと思った。
瞳孔が細長い金色の目は猫みたいで可愛く、しかも長いまつげがついている。
目をぱちぱちする姿は、まさに蜥蜴界の美少女といった感じだ。
肌はみっしりした赤い毛で覆われ、額の真ん中に鷹の爪の先っぽみたいな角がある。角はガラスのような半透明の素材でできており、見た感じ武器として使えそうだ。背中を向けると、折りたたんでおけるコウモリに似た翼が生えている。そして今気がついたのだが、前足にも後ろ足にも指が五本あった。お箸でご飯が食べられるということだ。やったぜ。
それにしても可愛いなあ。
脳内補正がかかってるにしても可愛いなあ。
ご当地キャラでデビューしたら、グランプリが狙えるんじゃないだろうか。
鏡の前であれこれポーズをとるわたしを、父は黙って見つめている。
ちょっと息が荒くなっているのは、なぜだろう。
わたしは父を見上げた。
「パパ、聞きたいことがあるんだけど」
「何だい? 何でも言ってごらん」
「わたしがこの世で一頭きりの炎竜というのは、本当なの?」
「そうだよ」
「なら、ママはもうこの世にいないってこと?」
わたしはこの世で唯一無二の炎竜であるらしい。
でも、わたしは卵から生まれてきた。
わたしという卵を産んだ炎竜はどこにいるのか。という疑問である。
「わたしの可愛いグラナ。お前に母親という存在はない」
死んだでも、行方不明でもなく、存在しないときたか。
わたしは戸惑ったが、父の方でも戸惑っているように見えた。
そんなことを聞かれるとは、夢にも思っていなかったというように。
父を失望させるのは怖い。
でも、聞かずにはいられなかった。
「じゃあ、わたしの卵を産んだのは誰?」
父は困った顔をする。それから、はっとしたように口を開いた。
「そうか。お前は前世の記憶を持っていないのだね?」
前世は日本の女子高生、織部市夏。
だが、父が聞いているのはそういうことではないだろう。
そうじゃなく、前に死んだグラナティスの記憶がないのかと聞いているのだ。
炎竜がどういうものであるか、わたしは何となく察しがついたように思った。
「前の炎竜が死んで、卵になって、それでわたしが生まれたと?」
「そう、その通りだ」
「パパは、前の炎竜を知っているの?」
「いいや。炎竜が姿を消したのは、何百年も前のことだからね」
「へえー」
「わたしは炎竜に関するあらゆる文献に目を通し、炎竜の卵がこの世のどこかに眠っていることを知った。卵を探すため、わたしは探索の旅に出た。山をこえ、砂漠をわたり、草の根をかきわけ、長い長い旅の末に、氷山の奥底で眠っていたお前を見つけたのだ」
その時の感動を思い出したらしく、父は目頭を押さえて嗚咽をもらす。
わたしは台座から父の肩に飛び移ると、悪人面で男泣きしている父の頭をよしよしと撫でた。魔法使いは文系というイメージがあったが、父はそれに当てはまらないらしい。トレジャーハンター時代の話を、ぜひとも聞いてみたいものである。
炎竜グラナティスは不死のドラゴン。
生まれて、死んで、また蘇える。
不死鳥のような存在であるらしい。
それじゃあ、わたしが織部家におぎゃーと生まれてくる前、この世界で炎竜をやっていたなんて過去があったんだろうか。
記憶はないし、想像もつかない。
炎竜の肉体は蘇っても、魂はそのつど別人がやってるとかなんじゃないのかな。
いやでもまさか、クマ○ンじゃあるまいに。
などと、自分で自分に突っ込みを入れてみる。
でも何も覚えていないものは、覚えていない。
炎竜、蘇るたびに中身別人説は、なさそうであるのかもしれない。
「わたしは、氷山のなかにいたの?」
「どういうわけかね」
そりゃ、炎の竜が氷漬けになっているとは思わないだろう。
父が見つけてくれなかったら、世界の終わりまで眠り続けていたんじゃないだろうか。
「パパやみんなが唱えていたのは? それにこの魔方陣は?」
疑問に思っていたことを聞く。
あやしげな魔方陣に、あやしげな魔法使い集団。髑髏で飾られた台座。
見た感じ悪魔召喚的な儀式に見えるが、やっていたのは竜の卵を孵化させることだったはずだ。いったい、何の魔法をかけていたのだろう。
「氷漬けの卵を調べた結果、炎竜が誕生するにはあと数十年かかることがわかった。だが、わたしはどうしても待ちきれなかったんだ」
「時間を早める魔法を使ったとか?」
「そんな危険なことができるものか」
「なら、あっためる魔法?」
「おしいが、ちがうよ」
なぜか、クイズ形式にされている。
わたしは首をひねった。
ふと自分の身体を見下ろし、幼児体型のぽっこりお腹に目をとめた。
「栄養を与える魔法?」
「うーん。おしいなあ」
「わかんない。教えてよ」
降参すると、父は「しかたないなあ」とか言いながら答えを教えてくれた。
「精神への攻撃魔法をありったけ撃ち込んだ」
それは危険なことでは?
いや、あれか。
危険な魔法というのは、わたしではなく、それをかける父の身が危ないという意味だったのか。わたしの命が危険なのは問題ないということか。
「声をガラガラにしてまで、わたしに攻撃魔法を――」
なんということをしてくれたんだ。
恐怖で白目になるが、父は気づいていない。
むしろ、己のナイスアイディアを披露してごきげんな様子だ。
「竜の精神は、人のそれより頑強だ。だが、眠りながらも身の危険を感じたお前は、早く目覚めようとしたんだろう」
「まあ、寝てる場合ではなくなるよね」
「わたしの予想は完璧だった。こうしてお前は目覚めたのだから」
わたしの身体に指で触れ、うっとりした様子で父が言う。
悪いことをしたという自覚はないようだ。
それとも、わたしが気にしすぎなのだろうか。
何といったって、伝説級のドラゴンらしいし。
人間の使う攻撃魔法なんて、針でつつかれた程度にしか感じないのかもしれない。と、思いたい。
父の言うことが事実なら、孵化するまで数十年かかるところを、卵への精神攻撃を行うことで、誕生の時期を早めたらしい。もしかして、わたしが十代の若さで早死にしたのは、この父のせいだろうか。
「グラナ。お前に炎竜の姿を見せてあげよう」
上機嫌で父が言った。
父の言う炎竜とは、当たり前だがわたしのことではない。
先代だか、先々代だかの炎竜のことだろう。ややこしいな。
わたしを肩に乗せ、後ろに部下を引き連れて、父は薄暗い廊下を歩いて行く。
窓には厚いカーテンがかかり、外の様子は見えない。
天井には蜘蛛の巣。
廊下のすみを痩せたネズミが走っていく。
薄汚れた壁には、人間の全身骨格が等間隔で飾られていた。
趣味の良し悪しというか、もうバチ当たりな感じだ。
「お前の復活にかかりきりで、掃除が行き届いてなくてね」
「汚れてるって自覚はあるんだ……」
「不便はないし、別にこのままでかまわないんだが」
「せめて骸骨は埋めてあげようよ」
悪趣味なインテリアを眺めつつ言う。
このままでは、夜中お手洗いに行くこともできない。
脳裏に「汚城」というワードが浮かんだが、伝わるかどうか疑問だったので黙っておいた。ちなみに父の話す言葉も、自分の言葉も全部日本語に聞こえた
「ここだよ」
いくつか階段を下りたあと、父が言った。
薄暗いのでよくわからないが、地下か半地下のような場所である。
石壁に囲まれた通路の突き当たりに、石でできた扉があった。
ついてきていた部下ふたりが、進み出て扉を開けてくれる。
扉の下に溝があるらしく、見た目のわりにすんなり開いた。
父が扉をくぐる。部下が燭台に火を灯していくにつれ、色違いの石をはめ込んだモザイク柄の床や、カマボコ型にカーブを描いた天井が見えてきた。両側に側廊があり、装飾をほどこした柱が並んでいる。天井は高く、横幅も広い。総面積で言えば、さっきいた広間より広いのではないだろうか。
墓所のような雰囲気だが、棺らしきものは見当たらない。
もっと明るければ聖堂に見えただろう。
墓所だか聖堂だかの中心を、父はゆっくり歩いて行く。
突き当たりの壁の、だいぶ手前で足を止めた。
父が目線を上げるのを見て、わたしも壁を見上げた。
正確に言えば、見上げたのは壁そのものではない。
まだらに黒い、厚手の布が、壁一面を覆っている。
テニスコートを横にしたぐらいのサイズはあるだろうか。
黒い布は、燃えたにしては欠けたところがなく、そういう柄というには薄汚い。
焙煎コーヒーに半年漬け込み、仕上げに墨汁をふりまいたような色合いである。
布には一面刺繍がしてあり、絵のようなものがうっすら浮かび上がっている。だが、何しろ汚なすぎるので、何が描いてあるかはわからない。洗えばいいのに。
「古い時代に、魔力を込めて織られた布だ」
「へえー」
そう言われると、薄汚いなかに歴史の重みを感じるようなそうでないような。
「真っ黒で、何の絵かよく見えない」
見ればわかることだが、一応言ってみる。
聖堂の床は、巨大な布を広げられるくらいの面積がある。
下ろしてゴシゴシ洗えば、少しはマシになるんじゃないだろうか。
「この絵は、誰の目にもあきらかになるものではない」
「というと?」
「その価値がわかる者にしか見られないようできている」
父が両手を上げた。
魔法を使ったようだ。
というのも、ぴりりと、何かのエネルギーが肌に触れるのを感じたからだ。
「わあ――」
父の魔法を受けて、黒い布の下から、色鮮やかな絵が浮き上がってきた。
躍動感があり、圧倒されるほど大きい。美しい。
中央にいる一本角の赤い竜が、先代のグラナティスだろう。
空がふたつに割れ、稲妻が乱れ落ちるなかを、ドラゴンの群れを引き連れたグラナティスが飛んでいる。地上は火の海と化し、兵士の姿はあるものの、剣は折れ、矢も届かず、やられ放題なのが見てとれる。壊れた建物の前で民衆は泣き叫び、それを嘲笑うように、ガイコツが踊り狂っていた。
絢爛豪華。しかし、描かれているのは地獄絵図という残念さ。
わたしの歓声は尻すぼみになり、やがて沈黙に変わった。
「これ、滅ぼしてやしませんか?」
「滅ぼしてるねえ」
誰がとも、何をとも、言わなかったが、話は通じた。
そうか、滅ぼすか……。