29 号泣と暴走
わたしの姿を見ると、シュルツがほっとした顔で駆け寄ってきた。
「イチカ、無事でよかっ――」
言いかけるが、ワサオを目にするなり顔色を変えて後ずさる。シュルツを襲ったやつよりずっと小さいのだが、トラウマが蘇ったようだ。
「お友達のワサオです!」
「ギー!」
「あの……大丈夫なんですか?」
「ワサオは噛んだりしないよ? シュルツはワサオの仲間をいじめたから、服剥かれて吊されたんでしょ。一緒にしないでよ」
「あれは、いじめたとか、そういうことではなく……」
「みんなの足切り刻んだじゃん。人畜無害みたいな顔して、とんだ悪党だ」
「……何か、俺に対して厳しくないですか?」
シュルツは戸惑った顔をしている。
アーベルはわたしを二度も敵の罠に放りこんだ極悪人で、極悪人の手下はもれなく極悪人である。たとえシュルツの中身が乙女だとしても、油断はできない。
「シュルツさん。イチカを砦まで連れ帰ってください」
「え? 俺ですか?」
「あなたです」
「それはかまいませんが、皆さんは?」
「引き続き、アーベル様の捜索をします。襲撃を受けた際、散り散りに逃げたそうなので、どこかで迷っている可能性があります」
「いや、あの人ならひとりで砦に戻っていると思います」
「――自分の隊を置き去りにして、ですか?」
「……すみません」
「いえ、シュルツさんがあやまることではないので」
「……すみません」
「取り越し苦労であれば、それで構いません。砦にアーベル様がいたら、知らせをよこしてください。そうすれば、我々も引き上げられます」
「わかりました。できるだけ早く知らせるようにします」
シュルツが承諾すると、キースさんはわたしに目を向けた。
「イチカ、君は疲れている。あまり無理はしないように」
「はーい」
「じゃあ行きましょうか。……それも連れていくんですか?」
「うん。砦のなか見せてあげるんだ」
「飼うのはだめですからね」
「友達だって言ってるじゃん」
などとやっていると、数人の隊員がおずおずした様子でやってきた。ひとりが抜き身の剣を持っている。トレント父に襲われた時、落としたわたしの剣だ。
「拾ってくれたんだ。ありがとう」
「さきほどは、逃げ出してすみませんでした」
「隊長が真っ先に逃げてたし、あれでよかったんだよ」
「……あの男が隊長を続けるなら、職を辞そうと皆で話していたところです」
ひとりが言うと、みんながてんでにうなずいた。
どの顔からも生気が失われている。
傍で聞いていたキースさんが、目頭を押さえながら口を開いた。
「わたしがふがいないばかりに、すまない……すまない……」
みんなが口々に「副隊長ー!」と叫んで、泣き始める。
副隊長とは、もちろん元々副隊長のキースさんのことだ。
アオハルだなあ。
わたしはおろおろしているシュルツの袖を引くと、その場を離れた。
わたしとシュルツは、連れ立って砦へ向かった。
シュルツは、地図とコンパスを見ながら進んでいる、
砦は丘の上にあるが、あんまり離れていると木々が邪魔をして、丘がどこにあるかわからない。その上、シュルツは地図を見るのが苦手なようだ。少し進んでは立ち止まり、首をかしげて地図に見入っている。ルーミエが捕まるまで、シュルツを遠ざけておく必要があるので、こちらとしては好都合だ。
「アーベル、ちゃんと砦に戻れてるかな?」
「さあ、あの人の行動は、俺にはわかりません」
「でもシュルツはアーベルの手下でしょ」
「イチカだってそうじゃないですか」
「そういうんじゃなくて……何て言うか、派閥? キースさんとか表面上はアーベルに従ってるけど、心の上司はバフェルさんじゃない? でもシュルツは表も裏も上司はアーベルなわけでしょ?」
「イチカ、あなたは……」
「うん?」
「まさか、アーベル側という理由で、嫌がらせをされているんですか?」
「……いや、嫌がらせをしてるのがアーベルでしょ」
わたしが訂正すると、シュルツははっとしてから表情を曇らせた。アーベルにされた嫌がらせの数々を思い出したのだろう。かわいそうに。
「シュルツは、何でアーベルの言いなりになってるの?」
「仕事をしているだけです。言いなりにはなっていません」
「弱みでも握られてるの?」
「そっ、そんなことはないです」
「本当に?」
「本当です。人聞きの悪いことを言わないでください」
シュルツは怯えた顔をしている。これは、何か弱みを握られてる顔だ。
視線を逸らすようにして、シュルツは地図に目を落とす。
首をかしげると、地図の上下を変えた。
「迷った?」
「いえ、まだ大丈夫です」
「まだって……」
大丈夫の使い方がおかしい。
迷ったあげく、元の場所に戻られても困る。時間はかせげたし、そろそろワサオに案内を頼んだ方がいいだろうか。考えていると、ワサオがわたしの腕からひょいと飛び降りた。
「ワサオ? どうしたの?」
着地したワサオの体の下から、緑の蔦がわっさーと出てきた。蔦は目にも止まらぬ速さで動くと、わたしとシュルツの体に幾重にも巻き付いた。
「シュルツ、だめ!」
シュルツが剣を抜くのを見て、あわてて止めた。
蔦はウエストにだけ巻き付いており、両手は自由に動かせる。
ワサオを見ると、根っこの足を振り上げては、せっせと地面に突き刺していた。わたしを見上げると、切羽詰まった感じで「ギー」と鳴く。
「ワサオが伏せろって」
「えっ」
木々の奥の方で、うなり声のような音がした。
わたしはそちらを見た。
何かが、ものすごい勢いで近づいてきている。ような気がする。
伏せようとしたところで、それが来た。
鉄板も吹っ飛ばそうかというような、ものすごい突風である。
わたしは腰に巻き付いた蔦をつかみ、身を低くくして風に耐えた。
耳元で轟音がし、風の勢いに体が持っていかれそうになる。伏せようとするが、体の自由が効かない。ワサオが助けてくれなかったら、とっくに吹っ飛ばされていただろう。シュルツは地面に剣を突き立て、それで体を縫い止めている。
突風は数秒で収まった。
わたしは耳を澄ませた。どこか遠くで風がゴウゴウ言ってる気がするが、再度近づいてくる気配はない。さっきみたいな突風が、他の場所でも起きているのだろうか?
「ワサオ、ありがと」
「助かりました」
お礼を言うと、ワサオは照れたように根っこの足で頭を掻く。突風がくるだいぶ前から、ワサオは危険に気づいていた。森のなかで起こることなら、遠くでも感知できるのかもしれない。
「今のって魔法だよね?」
「そのようです」
「キースさんたちかな?」
「いえ、おそらく……」
言いかけて、シュルツは口を閉じる。
地面に突き刺していた剣を抜くと、土を払って鞘に収めた。
「おそらく、何?」
「いえ……何でもありません」
「シュルツは、ルーミエって人のことどれくらい知ってるの?」
「どういう素性の者かくらいで、あまり詳しいことは知りません。交渉はアーベルの役目でしたし」
「ふーん」
「――ちょっと待ってください。どうしてイチカが知っているんですか?」
「木の精さんが教えてくれたからだよ」
「……それを誰かに話しましたか?」
「話したから、今シュルツはここにいるんでしょ」
シュルツはきょとんとする。しばらく固まっていたが、自分が嵌められたことに気づくと額に手を当てた。
「ああ、そういう……」
「さっきの突風は、ルーミエって人がやったんだと思う?」
「確かなことは言えません。でも、おそらく」
「あの人って、レベル何くらいなの?」
「さあ……かなりの使い手だという話ですが」
「キースさんたち、大丈夫かなあ」
「それは、彼女がどれくらい理性を保っているかによります」
「……ええ」
「イチカは砦に行って、アーベルにこのことを伝えてください」
「シュルツはどうするの?」
「俺は戻ります」
「そうはいくか。――ワサオ、やっておしまい!」
ワサオの蔦が鞭のようにしなり、油断していたシュルツの体を拘束した。
腕と胴体をぐるぐる巻きにされたシュルツは、バランスをくずしてその場に倒れる。これなら剣を抜けないし、ワサオが根を張っているので、身動きもとれない。
「ちょ……イチカ。何をするんですか!」
わたしは両手を腰に当てた。
蓑虫にされたシュルツは、怯えた顔でわたしを見上げている。ちょっと可哀想な気もするが、アーベルの手下に情けは無用だ。
「ルーミエ捕まえるまで、シュルツ足止めしてって頼まれてるんだよね。キースさんたちの仕事がすむまで、ここでおとなしくしてもらうよ!」
「イチカ! ほどいてください!」
「木の精さんも困ってたし、こうするしかないんだよ。てか、あの人っていったい何をやってるの? どうしてアーベルはあの人を放置してるの?」
「あとで説明します。今は行かせてください」
「それは無理かなー」
「彼女は危険なんです! アーベルは手に負えないと判断して、彼女の気がすむまで待つことにしました。彼女が本気を出したら、甚大な被害が出ます」
わたしは、ちょっと考えた。
シュルツの言うことが本当なら、ルーミエはそうとうヤバい魔術師らしい。キースさんたちとの戦力差は不明だが、被害が出るという言葉は聞き捨てならない。森がめちゃめちゃになったら、シーラたちも困るだろう。シュルツを解放はできないが、様子は見てきた方がいいかもしれない。
「ワサオ。シュルツが逃げないようにその辺に吊るしておいて」
「ギー!」
「えっ、ちょ……ちょっと待ってください!」
シュルツは身を起こそうとしたが、ワサオに引っぱられて地面に転がった。
頭だけ持ち上げると、必死の顔でわたしを見る。
「どこへ行く気ですか?」
「キースさんたちの様子を見に行ってくる」
「あなたの手に負える相手じゃない。行ってはだめだ!」
「でも平隊員の人たちは、魔法使えないし。わたしでもいないよりマシでしょ」
「あなたは、まだ子供じゃないですか」
「でも、一応副長さんだし。副長には副長の責任があるんだよ」
「それは……」
シュルツは言いよどみ、それから目を逸らした。
わたしをお飾りだと言えば、じゃあ本当の副長は誰かという話になる。役目を果たしてないどころか裏切ってるシュルツに、がみがみ言う資格はない。
あきらめたかと思ったが、シュルツは蓑虫のまま腹筋を使って上体を起こした。
「これだけはやりたくなかったのですが……」
どんよりした目で言うと、下を向く。
「時間がない。しかたありません……」
わたしは身構えた。何かしかけてくる気のようだ。
俯いたシュルツが、ぶつぶつと呪文を唱える。わりと長い詠唱だったが、唱え終わっても特に何も起こらない。ただの脅しかと思いかけた時、シュルツの体から黒い霧のようなものが立ち上ってきた。
26話の警報は、イチカがいないことに気づいた隊員たちが、近くの石柱を蹴っ飛ばして鳴らしたものです。




