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26 不思議な来訪者

※シュルツ視点の話です。

 イチカが現れたのを見て、シュルツは窓を拭く手を止めた。


 砦の前には、整列した第一小隊。

 そこへ、やってきたイチカが合流する。

 アーベルとイチカは、さっそく何か揉めているようだ。アーベルに頭をつかまれ、イチカがもがいている。怒られている様子だが、声が聞こえないので詳細はわからない。


 雑巾をにぎりしめ、シュルツは窓に額を押しつけた。

 

「――すみません、イチカ。この埋め合わせは必ず」


 こうなったのも、イチカのレベルを上げられなかった俺の責任だとシュルツは思う。密かに追跡することも考えたが、アーベルは必ず気づくだろう。命令違反がわかれば、今度こそ解雇されるかもしれない。


 巡回を代われとアーベルが言い出したのは、今朝早くのことだ。


 熟睡していたのを叩き起こされ、掃除道具一式とともに執務室に押し込められた。何事かと驚いていると、一片の塵もなく掃除を終えるまで絶対に部屋から出てくるなと命令された。続けて、巡回は俺が行くと言い出したことで、ついてくるなという意味だと理解する。正気の沙汰ではない。


 いくらアーベルでも、イチカを死なせることはないだろうが、荒療治に出る可能性はあった。せめて昨日の内に知っていれば、イチカに警告するなり、バフェルに相談するなりできたのだが、この不意打ちは本当に予想外だった。

 

 シュルツは、ため息をついた。

 窓辺に腰を下ろすと、ぼんやり部屋を見渡した。


 以前の職場に、アーベルが現れたのは数ヶ月前のことだ。


 俺の下で働く気はないかと、誘いを受けた。突然の話だった。

 仕事内容もそうだが、提示された報酬の額に驚いた。

 正直なところ、新手の詐欺だろうかと疑った。

 しかし、アーベルは気前よく前金を支払い、その後の給金も滞ることはなかったため、雇い主に不審感を抱きながらも、ここまでついてきてしまった。


 もし、俺が“普通の魔術師”であったなら、とシュルツは考える。

 

 こんな怪しげな仕事から、とっくに逃げ出していただろう。しかし、もしもなどということは考えるだけ時間の無駄だ。前金はすでに実家に送ってしまい、次の仕事のあてもない。貧乏貴族に明日を選ぶ自由などなかった。


「――来月の仕送り、どうしたらいいんだろう」


 先日の失敗のせいで、今月の給料はないと言われている。

 その上、副長職を外され、今は平隊員の身だ。


 あの日は、本当に散々な一日だった。


 事の起こりは、国境沿いの石柱から異常を知らせる警報が砦に届いたことだ。

 バフェルに留守を任せ、二個小隊で確認にでかけた。破損した石柱を発見したものの、それを行った犯人の姿はどこにもなかった。犯人を捜索している途中で、こちらの様子を観察している気配に気づいた。トレント。森の守護者であるドライアドの僕だ。


 アーベルに報告すると、いずれ主の元に戻るだろうから後をつけろと命じられた。ただし

「絶対に手は出すな」

「可能であれば、森の守護者との“平和的な”接触を図れ」との注文付きで。


 注意していたつもりだが、気配を消しきれていなかったらしい。

 ふいを突かれて足をとられ、反射的に斬り払ってしまった。

 アーベルに注意された通り、手を出さなければ、あそこまで徹底的に追われることはなかっただろう。しかし、考える前に体が動いていた。腕が未熟なせいだ。反省するしかない。


 複数のトレントに追われながら、森を逃げ回った。


 あまりにしつこいため始末することも考えたが、手を出すなという命令を破った上、さらなる命令違反を犯すことはできなかった。そもそも、彼らは森の守護者だ。意思の疎通こそできないものの、国境警邏隊とは持ちつ持たれつの共存関係にある。トレントを殺してドライアドの怒りを買えば、警邏隊の今後の活動のさまたげになりかねない。


 とはいえ、素直にやられるわけにもいかない。


 身を守りつつ、蔦から逃げていた時だ。

 川を渡る途中で、不思議なものを見た。

 銀色の盥のようなものに乗った、赤毛の子猫のようなものだ。


 記憶があやふやなのは、色々あせっていたせいだろう。背後からは複数の敵が迫り、川上から流れてきた小さな生き物は、この先で滝に落ちる運命にあった。


 金色の目を見開き、盥に乗った子猫が流されて行く。

 子猫の頭に三角の耳はなく、額には角のようなものが生えていた。ドラゴンの子供――のように見えたが、たぶん川面の光で見間違えたのだろう。こんな所でドラゴンの子供が一匹でさ迷っているなど、絶対にあり得ない。


 盥をつかもうと腕をのばしたが、水草に足をとられ、ふくらはぎに激痛が走った。つんのめった身体が水のなかに沈んだ。

 軽く溺れたあと、どうにか片足で立ち上がったが、その時には子猫は手の届かないところまで流されていた。とっさに危ないと叫んだが、助けてくれる者は誰もいない。子猫を乗せた盥は、崖の向こうに消えて行った。あの高さでは、まず助からなかっただろう。


 もう少しで助けられたのに。


 川の真ん中で、シュルツは呆然と立ちすくんだ。

 猫一匹救えなかっただけで、めそめそするほど子供ではない。

 ただ、あの愛らしい生き物が、この世から消えてしまったのが残念でならなかった。


 川を渡ってからのことは、あまり覚えていない。

 反対側の岸についたものの、そこで、新手のトレントに襲われたらしい。

 次に目を覚ました時には、森のなかに倒れていて、アーベルと、不思議な雰囲気をまとった少年に見下ろされていた。


 どこかで会った気がしたが、少年に否定された。

 確かに初対面だ。

 しかし、どこかで見た気がする。

 知り合いに似ているか、大きな街や街道などで、すれ違ったことがあるのかもしれない。


 少年はイチカと名乗った。

 十六歳だと言っていたが、それより二、三歳は幼く見える。

 表情豊かで愛嬌のある顔をしているが、考えごとをしていたり、何かに真剣に取り組んでいたりすると、獲物を前にした猫のような目をしていることがある。真顔が怖いことは当人も自覚しているようで、誰かと話す時など、怖がらせないよう意識して笑顔を浮かべているようだ。それに気づいたとき、いじらしさのあまり涙が出そうになった。

 東方の島国からきたというが、ニホンという国名を聞いたことはない。

 よほどの辺境で、こちらでは知られていない島なのだろう。


 魔法を使う以上、イチカが貴族なのは間違いない。


 魔導書を作り出せるのは、太陽の魔術師だけだ。

 しかし、彼らは特別な理由がない限り、新たな魔導書を作ることはない。

 それ以外で魔導書を手に入れるには、誰かから譲り受けるしかないが、魔導書はそれを所有する一族のなかで受け継がれ、外に出ることは滅多にない。

 まれに、旅先で行き倒れたり、貧窮のあまり魔導書を手放す気の毒な者もいるが、そうした魔導書が目の眩むような高値で取り引きされることからしても、魔術師は貴族でしかなれない。それはハリファールだけでなく、諸外国でも事情は同じだ。


 バフェルから聞いた話では、イチカは早く一人前になりたいがため、過保護の父親から逃げ出してきたとのことだ。貴族の箱入り息子であったのであれば、世間知らずなのも、魔術師として基本的な知識が欠けているのも納得できる。

 力になってやりたいが、親元に帰すのが一番だともわかっている。

 イチカの父親は、今どこで、どんな思いでいるのだろう。





 掃除を終えたシュルツは、やれやれと額の汗をぬぐった。

 執務室の掃除は平隊員の仕事だが、アーベルが他人を部屋に入れるのを嫌うので、かなり汚れていた。アーベルが帰ってきたら、埃が積もる前に掃除させてくれと頼んでみようとシュルツは思った。


 一階に降りると、通りかかったバフェルが、シュルツを見て驚いた顔をした。

 イチカと一緒に、巡回に出たものと思っていたようだ。

 

「まあ、取って食われることはないだろうが……」


 複雑な顔をしてバフェルが言う。考えることは同じである。


「そうですね。いくら何でも……」


 沈黙が落ちる。ふたりは一階の広間に早足で向かった。

 

 吹き抜けになった広間の中央には、警報の受信器が設置されていた。

 一見すると、鉄製の木のように見える。

 中央に一本の柱。その天辺から下に向かい、帯状の金属が螺旋状に広がり、1から200まで番号の振られた鐘が等間隔で吊り下げられている。石柱に埋め込まれた発信器が異常を知らせると、対になった鐘が鳴る仕組みだ。先日破損が見つかった石柱の鐘は取り外され、修理中の札が下げられている。それ以外には、何も異常もない。森に異変は起きていないということだ。


 ふたりは笑顔になった。


「そういえば、イチカが食事を作るとはりきっていたぞ」

「イチカが料理を? その……大丈夫なんでしょうか?」

「実家でも作っていたと言っていたし、まあ大丈夫だろう」

「何を作る気でしょう?」

「小麦粉と砂糖と牛乳、それに製菓用の香料がいると言っていた」

「……菓子パンですかね。子供のころ、祭りで食べたことがあります」

「うむ、懐かしい。揚げパンの砂糖がけなど、夢中で食べていたものだ」

「いつからか、興味がなくなりましたね」

「われらが大人になった証拠だな。はっはっはっ」


 ふたりで和やかに話していた時だ。


 鐘のひとつがキンと鳴り、次の瞬間、逼迫した様子でカンカンと鳴り始めた。

 音は高い天井に反響し、砦中に鐘の音を響き渡らせる。

 シュルツは、目を見開いて受信器を見上げた。 

 鐘には対になる石柱の番号が振られているが、地図と照らし合わせなければ異常のあった場所がわからない。ここにきて日の浅いシュルツには、鳴っている鐘がどの位置を示しているのかわからなかった。


「いかんな。第一隊の巡回途中だ」


 顔をしかめてバフェルが言う。

 シュルツは、血の気が引くのを感じた。飛び出そうとしたところ、バフェルに腕をつかまれた。


「落ち着け。場所がどこかもわかっとらんだろう」

「そうですが、でも……」

「ひとりで行ったところで、何にもならん」


 警報を聞きつけて、キースとティエリが駆けつけてきた。ティエリは非番であったようで、寝巻姿だ。


「どこですか?」 


 バフェルは手を上げると、魔法を使って鐘を止めた。キースに顔を向ける。


「第一隊の巡回途中だ。何かあったらしい」

「この間と同じ犯人でしょうか。――ちょっと待ってください。第一隊が出ているのに、どうしてシュルツさんがここにいるんですか?」

「アーベルだ。イチカも同行している」

「それは……」

「そうだ。急いで駆けつけねばならん。第二、第四隊は出動準備を調えて砦の前に、留守はティエリに任せる」

「承知しました」


 ティエリはうなずき、顔を上げるとシュルツを見た。


「シュルツさん。ふたりの援護を頼みます」


「はい。がんばります」


 シュルツは部屋に戻ると、急いで制服に着替えた。

 窓の外を見ると、皆はすでに整列している。剣をつかむと部屋を飛び出した。

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