23 ニルグの森
裏庭の端には、丘の下に続く階段があった。
丘の上にも下にも、防護壁みたいなものはない。
シュルツの背中を追いながら、わたしは砦を見上げた。
石積みの三階建てで、見た目はゴツいが内部はまあまあ快適だ。
十名前後の小隊が四個、プラス隊長と、指南役数名が駐在しているものの、狭苦しくは感じない。平隊員は数名の相部屋だが、一応士官のわたしは個室をひとつもらっていた。
食事の用意は、訓練の一環として隊員たちが持ち回りでしている。
昨日、夕食をごちそうになったが、THE炊き出しといった感じの、質より量の代物だった。カチカチのパンや、皮付き野菜をぶちこんだ塩味のスープなど、とても食べられないと思ったが、ハラペコだったので気づいたら完食していた。今日の食事も昨日と同じ内容なら、腹を減らしておかないと耐えられそうにない。料理上手のおさげの女の子が、空から降ってこないだろうか。
全員が働いている時間というのは、基本的にはないという。
誰かが働いている時間、誰かが休んでいる。今も、第一、第四小隊は訓練、第三は巡回任務、第二は夜番明けで就寝中だ。
丘の下に着くと、シュルツが槍の先で森の奥を示した。
まばらに生えた木々の向こうに、オベリスクみたいな石柱が建っている。
「あそこに、石柱が建っているのが見えますね」
「うん」
「柱から向こうへは、ひとりで行かないようにしてください」
「結界が張ってあるから?」
「そんな高度な魔法があつかえる者は、この砦にはいません。あれは警報の発信器です。近くで魔法を使ったり、大勢の人間が通ると砦にある受信器が警報を鳴らします」
「ふーん。そうだ。この森って名前あるの?」
「……あなたは、本当にどこから来たんですか?」
あきれ顔でシュルツが言った。
富士の樹海で山梨県民に同じ質問をしたら、おそらくこんな顔をされるだろう。とても有名な森であるらしい。
「ここはニルグの森です。中央をつらぬく形で国境が敷かれていて、西がハリファール、東がガロリアの領土です。そのため、西ニルグ、東ニルグとも呼ばれます」
説明するシュルツの身振りで、こっちが西ニルグ側だと理解する。てことは、わたしはハリファールの国境警邏隊に入ったということか。初めて知った。
シュルツが森に入って行く。わたしも後に続いた。
「砦があるので、大物は近づいてきませんが、そのせいで小物が結構うろうろしています。倒したところで魔石も採れないので放置していますが、イチカのレベルなら練習相手にちょうどいいでしょう」
「大物倒したら魔石が採れるの?」
「そうですよ。この穂先も、加工した魔石で作られたものです」
槍の先をちょっと持ち上げて見せる。
ただの鉄に見えるが、普通の槍と何か違うんだろうか。
「あ、あれなんかいいんじゃないですか」
立ち止まったシュルツが、明るい声を出した。
視線の先を目で追って、わたしは悲鳴を押し殺した。虫みっつと書いて蟲と書くような、くそでかいムカデが木の幹に貼り付いている。虫は得意でも不得意でもないが、蟲はだめだ。特に刺したり、噛んできそうな奴は好きじゃない。
「いやいやいや」
「何が嫌なんですか?」
「カブトムシはいないの? ヘラクレスは? アトラスは?」
「聞いたことないですね」
「最悪アオムシでもいいからさ……」
「アオムシなら探せばいるかもしれませんね。ともかく、やってみるので、よく見ていてください」
シュルツは槍を構えた。なぜ槍が必要なのか不思議だったが、木に貼り付いたモンスターを倒すには、剣より槍の方がよさそうだ。
槍を構えたまま、シュルツが風球の呪文を唱える。
ひと抱えはありそうな大ムカデのまわりに風が起こり、ムカデの胴体を巻き込むようにして風球が出現した。ひっぺがすほどのパワーはなく、浮き上がった胴体以外は木に貼り付いたままだ。風球からのがれようと、ムカデが足をうごうごさせている。きもい。
シュルツは慣れた動作で槍を繰り出すと、ムカデの体をつらぬいた。
グロを予感して顔を背けようとしたが、刺した傷口が光り出すのを見てわたしはおやっと思う。絶命したムカデの動きが止まると、全身が光り出し、ふわっとなってから、数粒の魔素を残してムカデの体が消え失せた。グロくない、だと……。
「おお――」
「もしかして、魔石の武器を見るのも初めてですか?」
わたしは、きょとん顔でシュルツを見た。
「魔石で作った武器で生物を絶命させると、その体は魔素に還ります。逆に言えば、食料調達が目的の場合は、普通の武器を使用しなくてはいけません。食べられませんから」
「魔石の武器かそうじゃないかって、どうやって見分けるの?」
「魔術師なら触れればわかります」
わたしは、シュルツの槍に触れてみた。
……さっぱりわからん。
目を閉じて意識を集中してみる。すると、静電気みたいのが指先に触れるのが感じられた。でも、気のせいと言われれば、気のせいかと思うような微々たる感覚だ。
「ちょっとビリっとするような……そうでないような……」
「感じられるなら上等ですよ」
「魔術師じゃなくても、魔石の武器って使えるの?」
「ものによります。術式が組み込まれた魔具だと、魔術師でしかあつかえないものもありますが、この槍のように術式のないものであれば誰にでもあつかえます」
そういえば、父鍋は魔具だとアーベルが言っていたっけ。
武器だけじゃなく、魔石でできた道具類全般を指して魔具と呼ぶらしい。
魔法がかかってるのと、そうでないのがあって、そうでないやつなら魔術師以外でも使えるということか。
「一般人はどうやって見分けてるの?」
「商人などは、鑑定器を使います。あと、刻印を入れているものも多いですね。この穂先も、柄の中なので見えないですが、根元に魔石の印が入っています。一度、武器庫を見学してみるといいでしょう」
そう言うと、シュルツは「はい」と言ってわたしに槍の柄をさし向けた。
「しばらく、ここで害虫退治をお願いします」
「え? シュルツ行っちゃうの?」
「俺は巡回に出なくてはいけないので」
「わたしも行きたい」
「だめです」
「わたしが副隊長で小隊長なのに」
「危ないのでだめです。今はレベルを上げることに専念してください。その内、嫌でも連れて行かれることになるんですから」
そう言われると、受け入れるしかない。
わたしは、唇をとがらせながら槍を受け取った。槍はわたしの身長くらいあり、重たいは重たいが、振り回せないほどではない。
「槍を使ったことは?」
「夏祭りの大旗振らせてもらったことがあるから大丈夫」
槍とは違うが、長いし似たようなもんだろう。
シュルツは「ん?」みたいな顔をしたものの、わたしの自身満々な様子に安心したのか、砦に戻って行った。
「……アオムシ的なの探すか」
念のため、フレーム1に<跳躍1>、フレーム2に<風球1>をセットしておく。呪文は暗記しているが、こうしておけば、万が一の時アイチャンが助けてくれる。そうだ。アイチャンに聞きたいことがあったんだった。
「アーイーチャーン」
『魔法を使用しますか?』
「わたし火球の魔法は使ったことないんだけど、さっき火球の呪文は聞いたんよ」
『……』
「これ、唱えたらどうなるの?」
『火球は発動できません』
「唱えても無駄ってこと?」
『魔導書の手順を無視して、魔法を発動することはできません』
「初めて使う魔法は、必ずフレームに通せと?」
『イエス』
おそらく、フレームに入れて経験値を消費することで登録状態になるのだろう。
いったん登録済になれば、フレームに入れなくても呪文だけで発動できるが、未登録の魔法は呪文だけ知っていても発動できない。ズルはだめなようだ。
「そういや、経験値不足だと新しい魔法は使えないって聞いたんだけど?」
『新規魔法の使用には経験値を消費します』
「わたしが転化やら水球やらを使えたのは……?」
『術式の取り込みにともない、魔導書の持つ経験値がイチカに移行されました』
「それって、あとどのくらい残ってるの?」
『経験値の現在数をお知らせすることはできません』
「えっ、マジで?」
『イエス』
「ちょっとも? チラ見せもなし?」」
『イエス』
「ゲームだと普通に確認できるのになあ……」
誰得なんだろう。
しかたない。地道に経験値を稼ぐとするか。
わたしは、その後の一時間でハチっぽいの一匹と、ケムシっぽいのを三匹倒した。ケムシが動かないし楽だったが、獲物自体があまりいない。大ムカデは数匹見つけたが、きもいのでスルーした。でもこれ以上ケムシ的なのが見つからなければ、大ムカデにチャレンジすることも考えなくてはいけない。ハチは飛んでくるので危ないし、それなら目をつぶってムカデを突いた方がまだマシだ。
未練たらしくケムシ的なのを探していると、砦の方から誰かがやってくるのが見えた。まっすぐこちらに向かってくるところを見ると、丘の上からわたしの位置を確認してきたようだ。シュルツは巡回に出たはずだし、誰だろう。
軽く警戒しながら待っていると、キースさんが姿を現した。
「少し、話ができないだろうか?」
キースさんは深刻そうな顔をしている。
キースさんの希望で、石柱の近くまで移動した。
警報の柱はオベリスクみたいな独特な形をしており、まわりは空き地になっていた。石柱に手をかざしてみるが、特に何も感じない。警報器だと言うからには魔法の何かではあるようだが、装置自体は石の中か地面に埋まっているのだろう。
「調子はどうだ?」
「まあまあ。動くやつが難しい」
「虫退治は、武器の扱いの訓練にもなる。がんばれ」
そう言うと、マンゴーみたいな丸っこい果物をくれた。
かぶりつくと、甘くてシャキシャキしておいしい。
わたしが食べ終わるのを待って、キースさんが切り出した。
「昨日、君が見聞きしたことを教えてほしい」
「シュルツ探しに行ったときのこと?」
「そうだ」
「副長にしてもらうのに、賄賂とか袖の下とか払ってないよ?」
「わかっている。ただの嫌がらせだろう」
「……嫌がらせに、通りすがりを副長にする隊長ってどうよ?」
「巻き込んですまないな」
シュルツといい、キースさんといい、部下はまともなのになあ。
わたしは、昨日警邏隊と離れてからのことを話した。
トレントの罠に放り込まれたこと、木の精の警告を受けたことなどを話しているうちに、アーベルに対する怒りがよみがえってきた。
「みんな、何であの人の言いなりになってるの?」
「あれでも上官だ。しかたがない」
「世知辛いなあ……」
「ドライアドは、次はないと言ったんだな?」
「激怒りだったよ。あ、でも」
「何だ?」
「怒らせたのはシュルツじゃないってアーベルが言ってた」
「それは本当か?」
「うん。わたしが密猟でもしたのかって聞いたら、怒らせたのはシュルツじゃないだろうって言った」
キースさんは考え込む。
しばらくして、決意したような表情でわたしを見た。
嫌な予感がする。差し入れ食べなきゃよかった。
「君が、シュルツさんの遠縁というのは本当か?」
「えと、ノーコメントで」
「そうか。君に、折り入って頼みたいことがある」
「うーん……とりあえず言ってみて」
「アーベル・エッベン。彼が何者であるのか、何の目的でここに来たのか、どんな些細なことでもいい。探ってくれないか」
「ん? 自分とこの隊長でしょ?」
「そうだ。だが、不審な点が多すぎる」
「いやでも、警邏隊本部? みたいなとこが人事を決めてるんだよね? 不審者は不審者で不審者なんだから、不審者が不審者の隊長に任命されるはずないでしょう?」
キースさんの頼み事が予想外すぎて、わたしは動揺してしまう。
ちょっと落ち着こう。
「ええと……そもそもアーベルを隊長にした人事自体が怪しいって話?」
「それもある。本部に勤務する知人に調べてもらったが、彼らが警邏隊に入隊したのは、ここへ配属される三日前だそうだ。その上、アーベル・エッベンという人物は……エッベンという貴族さえ、彼らが入隊する前には存在していない」
そりゃ怪しいわ。
うなずきながら聞いていたが、「あれ?」と思う。聞き間違いかな。
「彼ら? 彼はアーベルで、らの方は誰?」
「シュルツさんだ」
魔石=魔力の宿った鉱石です。




