21 国境警邏隊
「うちの副長を殺す気かな?」
若干怒った様子でアーベルが言った。
気絶した副長さんは、苔の絨毯の上でのびている。
「そっちが遅れてきたんでしょうが」
「レベル5が無茶するとは思わなかったから」
「レベル5だからやるんだよ!」
「その心意気は見上げたものだけどね」
「あざっす」
「少しは成長したんじゃないか?」
「確かに!……いや、レベル5のままだ」
ステータスを確認したわたしは、ため息をついた。
何やれば経験値が増えるんだろう。
アーベルが、地面に膝をついた。小瓶を取り出し、蓋をとると半開きになっている副長さんの口に青い液体を垂らす。液体が消えると、副長さんの体の傷が逆再生したみたいにふさがり始めた。
わたしは、アーベルの背中にしがみついた。
「それポーション? 絶対そうだ! ポーションでしょう?」
「そうだけど、何で興奮してるの?」
「だってポーションだよ?」
「だから何?」
「ひと口、ひと口だけ」
「ケガしてないだろ。騒ぐな、離れろ。貧乏人か」
「ひーとーくーちー」
「わかった。わかったから」
根負けしたアーベルが、ポーションの小瓶をくれた。
――これが、憧れのポーション。
それっぽい瓶に入ったジュースではない。本物だ。
わたしは嬉々として蓋を開ける。口に運ぼうとして、漂ってきた異臭に手を止めた。えっ、臭い。茄子と白菜の漬け物に、煮詰めたキャラメルをかけたような匂いがする……。
「……やっぱいいです」
わたしは真顔になると、小瓶をアーベルに返した。
ポーションが効いたのか、副長さんが目を覚ました。
こうして近くで見ると、思ったより大柄なことがわかる。モデル体型のアーベルとくらべて、身長もあるし体つきもがっちりしている。見るからにプロ軍人といった感じだ。
「――おはようございます」
「他に何か言うことはないのかな?」
「口のなかがまずい……」
「贅沢言わない」
「すみません」
副長さんは身を起こし、自分が半裸であることに気づいてぎょっとした顔をする。裂けたマントをかき合わせると、顔を赤らめた。乙女か。中に乙女が入っているのか。
「何があった?」
「……尾行に気づかれて。手を出すつもりはなかったのですが、でもやらないとやられるし……とにかく……その……すみません」
「気をつけろって、言ったよね?」
「すみません」
「あいつらこれ以上刺激するなって、言ったよね?」
「聞きました。すみません」
「ポーション代と、俺の出張費で今月の給料はなしね」
「そっ、それは困ります」
わあ、パワハラだ。
給料なしが言いたくて、自分で出てきたんだろうな。性格悪いな。
「あ、木の精さんから伝言」
思い出して、わたしは言った。
「これは警告だ。次は捻り潰してやるからな小僧ども。かっこ意訳かっこ閉じる」
アーベルがため息をついた。
副長さんは、戸惑った様子でわたしを凝視している。
「どこかで、お会いしましたか?」
「完全完璧に、初対面だと思います」
「そう……そうですね」
怪訝な顔をしたものの、わたしの主張を受け入れてうなずいた。
副長さんは、チビ竜の時のわたしを見ている。
人間形態の顔は、チビ竜五割父五割だから面影がないことはないが、ドラゴンと人間とでは印象が全然違うはずだ。それなのに、よくも気づいたものである。
副長さんは眉間のあたりを手で押さえ、頭を横に振っている。
まだ本調子ではないようだ。
ドラゴンの子供を見たとか広められるとやっかいだし、あんまり記憶に残ってないといいんだけど。
わたしは立ち上がると、背伸びをした。
副長さんも助けたことだし、さっき落とした父鍋を拾ってこよう。高級品らしいし、今のわたしの唯一の財産だ。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったな」
わたしを見上げて、アーベルが言った。
「俺はアーベル。こっちはシュルツ」
簡単に名乗ってから、返事を待つ様子でわたしを見る。
そっちの番ということらしい。
素直に名乗っていいものだろうか。罠のなかに誘導されたり、モンスターの追跡やらされたり、散々だからもう関わりたくないんだけど。
「イチカ・オリベ」
「オリベ……聞いたことのない家名だな」
「田舎者なんで」
「国外からきたの? ひとりで?」
「そうだよ。家の事情? みたいな」
「歳いくつ?」
「花の十六歳でっす」
アーベルは、ふうんと言ってわたしをジロジロ見た。
「もっと年下に見えるけど……まあいいか」
「何が?」
「仕事を探しているんだろう? うちで働く気はない?」
「隊長、それは……」
シュルツさんが言いかけ、それから気まずそうにわたしを見た。
わたしは、シュルツさんの心の声を代弁した。
「でもさ、素性の知れない者は雇わないんでしょ?」
「規則ではそうなってる」
「ならダメじゃん」
「でも、隊長は俺だし」
「……」
「シュルツの遠縁ってことにするから、話合わせてね」
「えっ、俺ですか?」
「そうだよ。あと、イチカ君のレベル上げ手伝ってやって」
「――魔術師なんですか?」
わたしが魔術師と知った途端、シュルツさんの表情が困惑から納得に変わる。しかし、次の瞬間には眉間にシワを寄せていた。
「ですが、規則は規則です。きちんと正規の手続きを……あだっ」
話の途中でデコピンされ、シュルツさんは額を押さえてうずくまった。
「返事は、はいだろ」
「……はい。すみません」
「それから、今回の失敗でお前を副長から平隊員に降格する」
「はい。えっ」
「じゃあイチカ君。帰り道で契約の話をしようか」
「はーい」
「冗談ですよね、隊長? 隊長! 待ってください」
本気で焦っているシュルツさんを置き去りにし、アーベルはわたしの肩を抱くと歩き始めた。
「あのさ。聞きたいことがあるんだけど」
「何かな?」
「兵隊さんたちは、何の任務でここにいるの?」
「俺たちは国境警邏隊だ」
「警邏ってことは、国境の見回り?」
「そういうこと」
「戦争中とかではないんだ?」
「まあ、今のところはね」
答えながら、アーベルは視線を逸らした。
木の精に次はぶっ殺す的なことを言われてるし、戦争中でなくとも、何らかのトラブルは抱えているようだ。はっきり言って、うさんくさい。
アーベルは人でなしだ。それは間違いない。
しかし、今のわたしに衣食住の保証プラス、魔法修行の提案は魅力的すぎた。早く魔法を上達させたいし、新しい魔法も覚えたい。新兵なら雑用からだろうし、そうそう命がけな目には遭わされないだろう。
わたしたちが戻ってくると、休んでいた隊員さんたちが立ち上がった。
シュルツさんは皆に慕われているものと思っていたが、どうも様子がおかしい。
無事で良かったとか、その姿はどうしたとか、言われてもよさそうなものだが、立ち上がりはしたものの、誰ひとり口を開かない。何というか、待ち合わせに一時間遅刻してきた奴を迎えるような、冷ややかな空気が漂っていた。
「聞いてくれ。紹介したい者がいる」
皆を見回して、アーベルが言った。
わたしは鍋を小脇に抱え、右肘を曲げて敬礼した。挙手の敬礼は、着帽状態で行わなければならないが、異世界なんだしゆるふわルールでOKにする。
隊員さんたちの、何やってんだこいつという視線がグサグサ突き刺さる。
「シュルツの代わりに、新しく副隊長になったイチカ君です」
「よろしくね!」
キースさんのアゴが綺麗に落ちた。
他の隊員さんも、ほぼドン引きしている。
まあ、そうなるよね。
動揺が広がる中、ひとりの女の人が手を上げた。緑色の髪を三つ編みにし、体格は普通で、すべてを諦めたような半目をしている。
「彼が抜擢された理由を教えてください」
「シュルツより役に立ちそうだから」
「魔術師ですか?」
「そこを譲る気はないよ」
「ずいぶんお若いようですが、優秀な魔術師なのでしょうか?」
「未知数とだけ言っておこう」
「……なるほど。可能性に賭けたということですね」
「待て! 待て、待て!」
我に返ったキースさんが、額を押さえながら声を上げた。
他の隊員さんが、ほっとしたような、すがるような表情でキースさんを見た。
わかるよ。その気持ち。
この世界のポーションは高価なので、貧乏人は飲めません。




