18 初級魔女
呪文を唱え終わると同時に、地面に近かった視界がぐんと上に伸びた。
「おお――」
<転化>の魔法の発現を確認したわたしは、感動の声を上げた。
自分の体を見下ろし、わなわなと震える。
背が高い! 腕が長い! 腹が出てない!
居ても立ってもいられず、叫び声を上げながら川に走った。
ハイテンションで浅瀬を走り回り、両手で水をすくうと頭上にぶちまける。チビ竜なら確実に溺れている行為だが、今のわたしならまったく問題ない。
「人間最高!」
チビ竜に生まれ変わって一ヶ月ちょっと。
家具や扉に行く手をはばまれ、食器や筆記具にもてあそばれる屈辱の日々。その、何と長かったことか。でも、そんなミニマム生活とも、これでようやくおさらばだ。
ありがとう父。ありがとう魔法。ありがとう人類。
興奮が収まると、わたしは岸に戻った。
ちょっとはしゃぎすぎた気もするが、何せ一ヶ月ぶりの人類だ。ストレス社会を生き抜くためには、ハメを外すことも必要なのである。
父鍋を拾うと、ピカピカの底に自分の姿を映した。
予想はしていたが、転生前の自分とはまるで違う顔がそこにあった。
でも、どことなく見覚えがあるのはなぜだろう。
「どこで見たんだっけ?」
鍋に映ったわたしが、眉間にシワを寄せる。
ロングの髪は桃色で、目は赤がかった薄紫色。紫陽花好きだし、このことは別にいい。城の魔術師のなかにはグリーンやオレンジの髪や目をした人もいたから、こっちでは一般的カラーのはずだ。
「女の子……だよね?」
アイチャンの返事はない。
色味は女の子だし、顔立ちも悪くはない。
だが、どことなくやさぐれているというか、視線に圧があるというか。
昼間は普通の女子高生だけど、夜は殺し屋とか、そういう顔だ。
「そうか、パパに似てるんだ」
見覚えがあるはずである。
チビ竜の可愛さと、父の凶悪顔を足して二で割ったらこんな顔になるだろう。
グラナティスの擬人化100%だったら、とんでもない美少女が爆誕していたはずだが、父要素が入ったおかげで一般人レベルに落ち着いている。美少女になってもどう振る舞っていいのかわからないので、この顔面レベルはありがたい。
年齢は十四、五歳くらい。ひょろっとしていて、乳がまったくない。生前Aはあったはずだが、それすらない。……どこへ行ってしまったのだろう。
まさか。
青ざめながら、わたしは下半身に手をのばした。
「よかった! ついてない!」
ひと安心である。
上に兄、下に弟がいる環境で見慣れてはいるが、自分についているのは論外だ。
性別が変わるなら、前世の記憶がないときにして欲しい。
わたしは地面に鍋を置いた。
顔立ちに父要素があるということは、父がわたしの容姿をデザインをしたということだ。美少女でないのも、胸がぺったんこなのも、人間社会で目立たぬようにという父の配慮だとすれば納得が行く。正体がバレたらえらいことだ。
だが、それにしても。
この体型では、自己申告しないかぎり女子だか男子だかわからないだろう。
「アイチャン。この見た目って変更できないの?」
『できません』
「体の一部をちょっと盛るだけでも?」
『できません』
まあいいか。面白いから男の娘のフリでもしようかな。
わたしは、自分の体を見下ろした。
丈の長い上着に、下はくるぶしまでのズボンに平たい靴という格好だ。生地が柔らかく、体を締め付けないので動きやすい。
この服がどこからきたかは謎だが、魔法相手にそれを言い出したらキリがないので深く考えないようにする。前世で使ってた電化製品だって、勝手に米が炊けたり、掃除機が床を這い回ったり、色々不思議だった。それとくらべれば、裸のドラゴンが服を着た女子に変身するくらい、たいしたことではない。
「この魔法って時間制限とかあるの?」
『転化は解除指示が出されるまで、永続的に有効な魔法となります』
「魔素が切れても?」
『転化の維持にはイチカの生体魔素が使用されています』
「んじゃ、死なないかぎり大丈夫ってことだね」
人前で変身解除の心配がないのはありがたい。ミリーとレイルは、わたしがどんな姿でも見つけると言っていたし、お迎えがくるまでこの姿でいることにしよう。
「とりま、水球の魔法をやってみましょう」
気を取り直して、わたしは<水球1>の画面を開いた。
おっと、魔素が足りない。
「ん?」
魔素を引き寄せたわたしは、違和感に首をかしげた。
引き寄せたというか、引き寄せようとしたが正しい。
いつものように、適度な魔素を引き寄せようとしたが、どういうわけか魔素がちっとも集まってこない。そういえば、アイチャンが転化の魔法を使用中は、能力に制限がかけられると言ってたっけ。
「どれどれ」
わたしは、引き寄せる力を上げて行った。
五割、八割、九割……最後は全力を出したが、それでも寄ってきた魔素は少しだけだ。
「マジか……」
あまりの非力さに、わたしは絶望した。
体感でしかないが、チビ竜の時の百万分の一くらいの力しかない気がする。
一般人弱すぎだろう。
というか、見習いレベルだからこんなもんなのか。
「アイチャン。わたしのステータスってどんなんなの?」
『現在のステータスを表示します』
水球のウィンドウの隣に、もうひとつウィンドウが開いた。
画面の中央には、ごつごつした丸印。その下に「LEVEL5」と書いてある。
そうか……5か。
魔術師の等級は、レベルに応じて上がるとミリーが言ってた。レベル5だとすれば見習いの「石」のはずだから、この男爵イモみたいな印がそうなのだろう。
「んー? あ、そうだ」
わたしは転化の魔法を解除すると、チビ竜の姿に戻った。
「アイチャン。今のわたしのステータスは?」
『魔術師レベル5、等級は「石」です』
戻り損だった。
もういいや。
アイチャンがそうだっていうなら、それを受け入れよう。
わたしはまた五分かけて<転化>の呪文を唱え、人間に姿を変えた。
「あ。戻る前に魔素ためておけばよかった……」
己の計画性のなさにうなだれる。
いや、これから人間形態で過ごすのだから、非力な状態で訓練しないと意味がない。わたしは立ち上がると、両腕を空にさし向けた。
「みんな! オラに魔素をわけてくれ!」
うおおおと叫びつつ、魔素を引き寄せる。
いらん小芝居をしたせいか、魔素はあまり集まってこなかった。
<水球1>の文字をフレームに移動させた。
呪文を唱えようとしたところ、アイチャンから待ったがかかった。
『水球の魔法には、三メートル以内に水の存在が必要です』
「ええ……」
あわてて説明文に目を通す。アイチャンの言う通り、何もないとこに水球を出現させる魔法ではなく、すでにある水を球状に変化させる魔法のようだ。
服は出るのに、水ごときが出ないとか。
腑に落ちないなあと思いながら、鍋に水を汲んできて、その上に手をかざした。
<水球1>の呪文は、ほんの二言しかない。
呪文を唱え終わると、鍋から水が飛び出してきた。
「おいしそう……」
宙に浮いた水塊は、ぷるんとして水信玄餅のようだ。
黒蜜ときな粉をかけて、かぶりつきたい。
「しかし地味だなあ……」
水くみに使えそうだが、それ以外の使い道が思い浮かばない。
水球を浮かせたまま、スキルツリーを表示させた。
さっきは危ないからとやめた<火球1>を開き、説明文を読む。火球をつくるにも、近くに火が必要とのことだ。水球より火球の方が使い道がありそうである。
「アイチャン。着火の魔法ってないの?」
『検索。該当する魔法はありません』
「それって今のレベルではってことだよね?」
『検索範囲は、現在のイチカに使用可能な魔法に限定されています』
「レベルってどうすれば上がるの?」
『魔術師レベルは経験値によって上昇します』
「経験値って何をすれば増えるの?」
『経験値の加算条件は開示されておりません』
「秘密ってこと?」
『経験値の加算条件は開示されておりません』
「うーん」
わたしは、水球をくるくる回した。
ゲームの世界だと、モンスターを退治すれば経験値が増える。滝の上で見たお兄さんも、それっぽいのに追いかけられてたし、森に入れば出会えそうではある。でも、水球の魔法しか使えない初級魔女レベルでは一撃で沈められるだろう。まだ死にたくない。
とりあえず、作れるだけ水球を作ってみるか。
水球の呪文は短いので、フレームに入れなくても呪文を唱えて発動できた。
川の水から水塊をぽこぽこ発生させながら、ふと、普通の魔導書は書籍の形をしているんだよなと思い出す。ドラック&ドロップに当たる作業を、他の魔法使いたちはどうやっているんだろう。
百個ほど水球を作って浮かせると、草間○生のアートのようになった。
景色が水玉に滲んで、とてもきれいである。
ちょっとはレベルが上がっただろうか。
ステータスを開けたが、レベルは5のままだ。
そのかわり、<水球1>に繋がる枝の魔法が、いくつかオープンになっていた。オープンになっているというのは、魔法のタイトルが表示されて説明文が見える状態ということだ。この状態だと、フレーム内に移動させて魔法を発動させることができる。
使用したことのある魔法は白い背景に黒文字。未使用のものは白い背景に青文字。それより先はクローズの魔法で、背景真っ黒でタイトルが見えない。レベル5のわたしのツリーは、ほぼ真っ黒だった。
「地道にやるしかないよね」
魔素が尽きてきたので、水球を川に放り投げた。
「ちょっと探検してこようかな」
広げていたウィンドウを閉じると、菱形のアイコンになったので、それを手の甲の上に浮かせた。シャットダウンはしていないので、補助機能である魔素の視覚化は生きている。
「アイコンって人から見えてないよね?」
『魔導書は秘匿状態にあります』
「なら安心だね」
大事な父鍋をなくさないよう頭にかぶると、下流に向かって歩き始めた。
流された蓋が、どこかでひっかかっているといいんだけど。
しばらく歩いて行くと、人の気配を感じた。
川辺でキャンプをしているらしく、人の声と一緒に焚き火の匂いが漂ってくる。
「第一村人発見!」
アイチャンとしか会話しておらず、ちょっと人恋しくなっていたわたしは、深く考えもせずにそちらに向かって歩き出した。
ほんのり父似の顔は、真顔でいると不機嫌に見える。
わたしは「にっこり」の擬音が発生するような、いい笑顔を顔面に貼り付けた。
よし、準備OK。




