14 真夜中の出来事
「グラナ様!」
「グラナ様、逃げて!」
ミリーとレイルが叫ぶのが聞こえた。
そうしたいのは山々だが、まったく身動きが取れない。
メリーダは空中に浮かんだまま、右手でわたしの体をつかんでいた。メリーダを拘束していた魔法の蔦は、千切れた残像となって周囲に漂っている。ウニ状光球にやられたようだ。
「握りつぶされたくなければ、大人しくしなさい」
わたしを締め上げつつ、メリーダが脅す。握力がゴリラ並に強い。
どこまで本気かわからないが、今の状態ですでに息が苦しい。大人しくするつもりはなかったが、ギリギリ締め上げられて、そうせざるを得ない状況だ。
「あんたたちも。目の前で、可愛いペットを殺されたくないでしょう?」
ミリーとレイルに向かって言う。
ふたりは、青ざめた顔でこっちを見上げている。
呪文を唱える様子がないのは、わたしが人質にとられているからだ。
わたしは泣きたくなった。ミリーとレイルが負けたからでも、見知らぬ女に殺されかかっているからでもない。――可愛い部下ふたりと愛娘が大ピンチだというのに、父が姿を現さないからだ。最強の魔術師ではなかったのか。それとも、わたしたちのことなど、どうでも良くなってしまったのか。
「パパの馬鹿! ヤク○! 殺し屋!」
わたしは声を大にすると、父を罵倒した。
「テロリ○ト! 顔面凶器! 娘が傷物にされてもいいのか!」
レイルがはっと顔を上げ、ミリーが棚の影から身を乗り出す。
メリーダが、面白がるように唇の端を上げた。
「品のない子。わたしが、きちんとしつけ直してあげる」
「うるせえ金魚女!」
わたしが叫んだ時だ。
部屋の窓ガラスが、突然砕け散った。
知らん間に超音波でも出せるようになったのかと思ったが、そうではない。
割れたガラスとともに、黒い人影が部屋の中に飛び込んで来た。
窓の下は断崖絶壁のはずだが、空を飛ぶか、上からバンジージャンプするかしたようだ。ぼろぼろの黒いローブを身につけ、額から血を流し、右腕にぐったりした人間を、左腕に新品の鍋を抱えている。人間と鍋を床の上に置くと、ゆっくり身を起こした。
「――待たせたね。グラナ」
背筋も凍るような凶悪顔で、父が微笑んだ。
破壊された部屋を見回してから、父がメリーダを睨んだ。
「お前のしわざか」
「どうしてここに……」
メリーダが、震えた声で呟いた。
その様子から、父がこの場に来ることが、メリーダの予定に含まれていなかったことがわかった。それはそうだろう。父は太陽の魔術師で、そんじょそこらの魔術師よりはるかにすごいらしいのだ。
「うちの娘に気安く触るんじゃない!」
「――ひっ」
怒り全開の父が、さっと右腕を振った。
呪文を唱えた様子がなかったが、バキッという音がしてメリーダが悲鳴を上げた。父が何をしたのか知らないが、捕まえていた指から力が抜けたので、わたしは一回転して床に降りた。テーブルの残骸を駆け上がると、ジャンプして父の胸に飛び込んだ。
「パパー!」
「おおグラナ、怖い思いをさせてすまなかったね」
父が、涙ぐみながら謝ってくる。
わたしも父にしがみつくと泣いた。本当にもう駄目かと思った。
殺し屋はともかく、顔面凶器はちょっと言い過ぎだったと反省した。
わたしは顔を上げると、父の頬に触れた。額に傷があり、流れた血が顔の真ん中を通って顎まで垂れている。頭突き合いの喧嘩でもして来たんだろうか。魔術師なのに。
「ケガしたの? 痛い?」
「グラナは何てやさしい子なんだろう。大丈夫だよ。こんなものはすぐ治せる。お前のことが心配で急いで来たんだ」
ははっと笑い、呪文を唱えると傷と血が一瞬で消えた。
便利だなーと感心していると、ミリーとレイルがやってきた。こっちが申し訳なくなるくらい、非常に申し訳なさそうな顔をしている。
「アントラ様、ごめんなさい」
「グラナ様をお守りできず、申し訳ありませんでした」
「ふたりとも、そんな顔をするな。お前達で無理なら、他の者でも無理だった。わたしが来るまでよく耐えてくれた。なあグラナ」
「そうだよ。ふたりとも強かったよ! 輝いてたよ!」
「いいえ、まだまだです」
「グラナさまぁー」
レイルは悔しそうに唇を噛み、ミリーは感激して泣いている。
父は、ふたりの顔を交互に見た。
「お前達に頼みがある。今すぐ、グラナを連れて城を離れてくれ」
「アントラ様と、ご一緒の方が安全では?」
「いや。相手側に、わたしでしか手に負えないような魔術師がいる」
「そんな……」
「倒す隙がなくもないが、グラナが城内にいると、わたしは全力が出せない。いや、他の者がどうでもいいってことではないんだが、本当にどうでもいいわけではないんだが、鎮圧するまでの間、グラナを安全な場所まで逃がして欲しい」
「でも……」
「わたしたちの力で、グラナ様を守りきれるかどうか……」
「そうか。では、他の者に頼むとしよう」
切り替えの早い父がサクッと引き下がると、ふたりの顔つきが変わった。
「いえ、それには及びません!」
「グラナ様は、わたしたちが絶対にお守りします!」
ものすごい形相で父に詰め寄る。
頼もしいんだが、頼もしくないんだかよくわからない。
メリーダを見ると、口から泡を吹いて気を失っていた。
両腕が逆向きに折れているのは、父の魔法のしわざだろう。我が父ながら、敵相手に容赦がなくて惚れ惚れする。可哀想な気もするが、起きたら自分で治すだろう。
気絶したメリーダと、同じく気絶している父が運んできた見知らぬ人をクローゼットに押し込みがてら、ミリーとレイルが手早く着替えをした。短パンの上からレギンスとブーツを履き、膝下まであるフード付きの黒いマントを羽織る。いつものローブより運動に適した服装だ。
父は、床から鍋を取り上げるとレイルに渡した。
蓋付きの鉄鍋で、ピカピカに磨き上げられている。
大きさは、家庭のカレー鍋くらい。
汁物は入ってないようで、レイルが不審そうな顔で鍋を振っている。その横で、ミリーも首をかしげていた。
「これは?」
「グラナに必要なものだ」
「まあ、グラナ様のためにお夜食を?」
「食べ物ではない。くれぐれも捨てないように」
「……はあ」
「それをグラナと一緒に守ってくれ。いいか、必ず一緒に守ってくれ」
怪訝な顔をしていたふたりが、何かに気づいたように息をのんだ。互いの顔を見ると、うなずき合う。どうした?
「グラナ。ミリーとレイルの言うことをよく聞いて、いい子にしているんだよ。わたしがすぐに敵を殲滅して、グラナを迎えに行くからね」
「一緒に行ったらだめ?」
「今回ばかりはだめだ」
「……ちゃんと隠れてるからさ」
「もしも、連中にお前の姿を見られたら、そのこと自体が、お前の命を脅かすことになってしまう。お前はわたしの愛しい娘であり、皆の希望だ。奪われたり、傷つけられるようなことがあってはならないんだよ」
「でもさ」
「でも、はないんだよ。グラナ」
父の意志は固いようだ。
父でしか手に負えないという敵魔術師の存在が気がかりだったが、今のわたしでは何もできない。できないどころが、父の足手まといになってしまうだろう。
「……わかった……気をつけてね」
わたしたちは部屋の窓から城を脱出した。
いつの間にか雪が降り出しており、雪混じりの強風が横殴りに吹いてくる。
下は急斜面だったが、ミリーとレイルはスケート靴でも履いているようにすいすい降りていく。麓の森につくと、木立のなかに飛び込んだ。
見上げると、城のあちこちで火の手が上がっているのが見えた。
皆、無事だといいんだけど。
真夜中の森を、ふたりは風のように駆け抜けた。
魔法障壁を張ったようで、雪も風も、ものともしない。
わたしは、ミリーのフードのなかに入っている。ミリーは髪が短いので、首元に丁度良いスペースが空いているのだ。昼間ならともかく、暗がりならフードに潜んだ小動物は気づかれにくい。
メリーダの発言からして、炎竜が復活したことを、敵はまだ疑っている状態らしい。
だが、父の部下が竜の赤ん坊を連れていれば「ははーん」となってしまう。
わたしは、絶対に姿を見られてはいけなかった。
雲は厚く、辺りは真っ暗のはずだが、わたしの目には通り過ぎる風景がモノクロフィルムのように見えていた。竜の目さまさまである。ミリーとレイルは魔法で何とかしているようだ。
「どこまで行くの?」
三十分くらい経ったころ。我慢ができなくなってわたしは聞いた。
ふたりの足は速く、どんどん城から離れている。
父が敵を倒す間身を隠すだけなら、その辺で待っていればいいはずだ。それなのに、ふたりは何かに追われるように、先を急いでいた。
レイルが足を止め、ミリーもつんのめりながら止まった。
移動に魔法を使っていたようだが、それでも息が弾んでいる。
「えっと、言いにくいんですけど」
「うん?」
「森のなか敵の伏兵がいるようです」
「えっ」
「見つかって、取り囲まれつつある? みたいな?」
そう言うと、ミリーはレイルに視線を向けた。
ミリーは体力があるが、レイルはそれほどでもない。息を切らしながら、膝に両手を突いている。鉄鍋は布に包んで背中にしょっていた。
「魔術の糸に引っかかった感触がありました。すぐに離れたから、位置を特定されるには時間がかかると思いますが……」
レイルが言うのに、ミリーがうなずく。
「このままだと、すぐに追いつかれる」
「二手に分かれましょう」
「ひとりだと危なくない?」
「合流場所を決めておけば問題ないわ」
そう言うと、レイルはマントの下からこよりを取り出した。
「勝った方がグラナ様をお守りする。それでいいわね?」
ミリーはうなずき、自分のこよりを出すとレイルに近づいた。
こよりをクロスさせると、「せーの」のかけ声で引っ張り合う。
「残念。わたしの負けだわ」
レイルが、千切れたこよりを掲げた。
あっさりした表情を見て、わたしはレイルがわざと負けたことに気がついた。必勝法を知っているんだから、負け方を知っていても不思議じゃない。でもいったいどうして?
「ミリーに任せるわ。それから、この鍋も一緒に持って行って」
わたしが何か言う前に、ミリーが口を開いた。
「――ちょっと待って」
そう言うと、困惑した顔でレイルを見た。
「どうやったかはわからないけど、今、わざと負けたでしょ」
「いいがかりはよして」
「絶対そうだよ。いつもの気迫がなかったもん。勝とうとする気が全然なかった」
「そんなことはないわ」
「じゃあ、こよりを取り替えてもう一度やろうよ」
「なぜ? 嫌よ」
「ほら、やっぱりわざとだ。勝てるチャンスがあるのに、勝負しないなんておかしいよ」
ミリーが気づいてくれたことに、わたしはほっとした。
さすがは、レイルの相棒である。
レイルがわざと負けたとすれば、それはわたしのために違いない。わたしをミリーに託し、自分ひとりになることをレイルが望んでいるとすれば、レイルが何を考えているのか、わたしは理解できたように思えた。
わたしは、ミリーにそっと耳打ちした。
「ええっ、自分が囮になって、わたしたちを逃がそうとしてる?」
わたしはうなずいた。
ミリーはレイルを見た。
「だめだよ、そんなの!」
「……命に代えてもグラナ様をお守りすることが、わたしたちの使命だわ」
「それはいいよ。でも、囮ならわたしだってやれるよ。ズルはズルいよ」
「小細工なんてしていない。勝負に負けたのはわたしよ。勝ったくせに、後からガタガタ言わないで」
「負けた方が、勝った方の言うことを聞くのが世界の常識でしょ」
「世界の常識は、わたしの常識じゃない」
「わたしだってレイルの言いなりになんかならない」
「何ですって!」
「まあまあまあ」
白熱するふたりの間に、わたしは割り入った。
「誰かを犠牲にするとか、そういうのはやめようよ。ね?」
「そういうわけにはいきません!」
「グラナ様は黙ってて!」
息を合わせてふたりが言った。どうしよう。




