128 放浪するドラゴン
<力の糸1>を唱えてから、わたしは棚の端に立った。
「とおっ!」
かけ声とともに、近くの壁に飛び移る。練習に練習を重ね、今や目をつぶってもできるようになった壁走りで扉に向かうと、ジャンプしてドアノブに取りつく。<緑の蔦>を出してドアノブを回し、カチッと音がしてから体を振って扉を開ける。飛び下りると、廊下の様子を確認した。
「よし、レイルもミリーもいない」
何人か部下の人が歩いているが、あの二人ほど目ざとくないから、隅っこにいれば大丈夫だろう。わたしは廊下の隅に沿って走り出した。
何人かに見つかったが「わたしを見たことは、どうか内密に」とお願いして、先に進んだ。父の書斎に辿りつくと、さっきと同じ方法で扉を開ける。部屋に入ると<跳躍><剛腕>を唱えて巨大な扉を押し込んだ。
はあはあ言いながら、わたしは書斎を見回す。よし、父とヤスだけだ。
「イチカ、そんな姿でどうした?」
立ち上がって父が言った。ずっと人間バージョンで過ごしているので、何かあったのかと驚いているようだ。やってくると、わたしを両手で拾いあげた。
「少し見ない内に、背が伸びたんじゃないか?」
「いいえ。完全に気のせいです」
何も伸びてないし、何も増えていない。わたしが言うんだから間違いない。これも悩みのひとつだけど、やっと一歳になったばかりなので、まだ焦る段階じゃない。そんなことより。
「レイルが探しにこなかった?」
「ああ、さっき来たばかりだ」
ここにはいないと答えたけど、疑わしそうな目をして去って行ったそうだ。危ない所だった。でも、一度探しに来たんなら、しばらくは来ないだろう。
「イチカ、お菓子を食べるかい?」
「食べるー」
わたしが言うと、テーブルにいたヤスが腰を上げた。
「じゃあ、わたしはこれで……」
親子のうざい会話を聞きたくないばかりに、逃げようとする。父が返事をする前に、わたしはヤスを引き留めた。
「ヤスも、そこにいて。ちょっと二人に話がある」
わたしをテーブルに載せてから、父がメレンゲクッキーをひとつくれた。でっかいクッキーにかぶりつくと、口のなかでしゅわっと溶ける。コックさんは、また腕を上げたようだ。父がスプーンに紅茶を汲んでさし出してきたので、杯みたいに両手で持って飲んだ。運動して喉渇いてたんで、ありがたい。
「――いや、のんきにお茶をしている場合ではない!」
わたしは叫んだ。苦労してお目付役を撒いたのに、ここに来た目的を忘れるところだった。
お代わりの紅茶を汲もうとしていた父が、残念そうな顔で手を止めた。
「レイルがきたら追い返してあげるから、ゆっくりして行きなさい」
「それはレイルが傷つくから駄目」
「イチカ、こんな優しい子に育って……」
「パパ、泣くのはあとにして」
わたしはまったく増えない経験値のこと、経験値を増やすために修行の旅に出たいけど、ミリーとレイルがいると修行にならないこと。ふたりに気付かれずに家を出たいが、同じ部屋で寝起きして、どっちかひとりどころか、ふたりともが二十四時間付きっきりの状況では、その隙がないことを訴えた。
ヤスが、あきれた顔で口を開いた。
「小細工をせず、ふたりと話し合ってはいかがです?」
「じゃあヤスが説得してみてよ」
「わたしの言うことに耳を貸す連中ではありません」
「そこを何とか」
「わたしより、アントラ様の方が可能性がありそうですが……」
ヤスが父の方を見る。父はソファーの背にすがって泣き崩れていた。
「……イ、イチカが……家出したら……さびっ、寂しい……」
わたしとヤスは無言になった。
前にわたしの反抗期を喜んでいたし、魔術修行にも積極的だったから、賛成してくれるものと思っていたのに、いつの間にこんな弱い父になってしまったのだろう。まずは、この父を何とかしなくてはいけない。わたしは、ちょっと考えてから口を開いた。
「パパは、わたしを探して世界中を旅してたんだよね?」
「そうだな。あのころは無茶もしたものだ……」
「わたしもパパみたいになりたいなって」
「イチカ……」
「旅に出て、レベル上げて、パパみたいな魔術師になりたい」
「わたしみたいに?」
「そうだよ。パパはわたしの憧れだから!」
泣いていた父が、ぱああっと顔を輝かせた。ヤスがこれに騙されるか? みたいな目で父を見ているが、父が気付いている様子はない。服の袖で顔をぬぐうと、にこにこしながらわたしの顔を指先で撫でた。
「そうか、イチカはわたしみたいになりたいのか」
最終目標はレベル100になることなので、まったくの嘘ではない。わたしは、にっこりすると父を見上げた。
「そうだよ。だから、わたしが家出するの手伝って?」
夜になり、コックさんたちが退勤したあとで、厨房へ忍び込んだ。昼間に収穫した小豆をこっそり煮て、こっそり食うためである。わたしがひとりなのを見ると、ココネアが片方の眉を上げた。
「いつものうるさいのはどうしたの?」
「パパに大事な話があるって呼び出された」
今頃は、家を出るわたしを大人しく見送るよう説得されているはずだ。ふたりが「うん」と言わなかったら、強硬手段を取るしかないので父にはがんばってもらいたい。
わたしは、髪を縛ると持参したエプロンをつけた。
「よし、じゃあ小豆を炊こう!」
莢から出して洗った小豆を小さい鍋で炊き、できた餡子を冷ましている間に、コックさんに教えてもらった硬質小麦の粉を使ってクレープ生地を作る。これを焼くと、生地がもちもちになるのだ。食料庫からくすねてきたイチゴを薄切りにし、餡子と一緒にクレープ生地の上に載せる。春巻きみたいに折りたためば「イチゴ大福風クレープ」の完成である。
クレープにかぶりつくと、ココネアが笑顔になった。
「前に食べたアンパンよりおいしい! わたしの小豆がおいしいからだわ!」
生産者に喜んでもらえて何よりである。ココネアは、次は大鍋がいっぱいになるくらい育てるわ、と早くもやる気になっている。みんなに餡子を振る舞ったら、さらに小豆の生産者が増えるだろう。夢は膨らむばかりである。
「ジャハリから、イチカは修行の旅に出るんだって聞いたんだけど」
どう切り出そうか迷っていたら、ココネアから言い出した。いきなり知らせてショックを受けるといけないから、ヤスが話しておいてくれたらしい。
「うん。今話そうと思ってたんだ」
「一年も魔術師やってて、レベル25にしかならないなんて不器用な子ね」
「不器用って問題か……?」
「恥ずかしくて、旅に出たくなる気持ちもわかるわ」
「いやあ」
「わたしは、イチカのレベルがいくつだろうと気にしないけど」
「……せっかく仲良くなったのに、ごめんね」
お城のみんなもいるけど、同い年女子はわたししかいない。ミリーとレイルは、何かココネアに対して腰が引けてるし、ココネアがヤンデレ少女に戻ってしまわないか心配だった。
ココネアがクレープの残りを口に入れる。もぐもぐして食べ終えるとこっちを見た。
「謝らないで。ジャハリが、イチカが考えて決めたことだから、気持ちよく送り出してあげなさいって言ったわ。だから、そうさせて頂戴」
「ありがとう」
「でも、わたしが恋しくなったら、すぐに帰ってきてもいいのよ?」
「すぐには無理だけど、たまには帰ってくるし、手紙も書くよ」
「じゃあ、出てったら、すぐに手紙を書きなさい」
「うん。すぐに書く」
約束すると、ココネアは満足そうにうなずいた。
一緒に紅茶を飲みながら、ふと、ガロリア王家のことを思い出した。ガロリア王家は、初代の王様から続く由緒正しい家柄だそうだ。ということは、ココネアのご先祖様が先代グラナティスのお父さんなのかも知れず、そう考えると、ここでココネアとお菓子を食べている自分の存在を不思議に感じた。
お茶会を終えてから、わたしは父の書斎へ足を運んだ。部屋に入ると父が立っており、ソファーの上でミリーとレイルが寝こけていた。わたしがひとりで家を出るのを許可するよう説得されていたはずだが、いったい何があったんだろう?
「……どういう状況?」
おそるおそる聞くと、父が残念そうな顔で首を振った。
「イチカを一人で旅に出すなど、到底受け入れられないそうだ」
「……そっか」
「顔を見ると止めたくなるから、知らない間に出かけて欲しいと」
わたしは顔を上げた。それは、ひとりで行ってもいいってことか?
「いいの? 本当に?」
「わたしがふたりに魔法をかけた。明日の夜まで眠らせておくから、その間に出発して、追いつかれないくらい遠くに逃げなさい」
いい話から一転、地獄みたいなことを言い出した。一日あるとはいえ、わたしのレベルでは、ミリーとレイルから逃げ切るのは厳しいんじゃないだろうか。いや、こんなとこでつまずいていてはダメだ。最初の試練だと思ってがんばろう。
ちょっと青くなっていると、そわそわしながら父が口を開いた。
「まさかとは思うが、あの男に会いに行くつもりではないだろうね……」
あの男というのは、シュルツのことだろう。わたしのことで大喧嘩して以来、ずっと仲悪いままだ。父はともかく、シュルツの方もだから、よっぽど相性が悪いらしい。ヤスに相談したら、何年後かにもっと大喧嘩をすることになるのだから放っておきなさい、と謎の助言をされた。ヤスには、どんな未来が見えているのだろう。
わたしは父の顔を見上げた。
「ダーファスにも行くよ。でもその前にニルグの森に行って、ハリファとケレースにも行って、それからシャムルドに行こうと思ってる」
シャムルドは、ハリファールの北西にある国だ。仲良しではないけど、戦争するほどギスギスもしてないと聞いた。ハリファール南部にも行ってみたかったけど、色々考えた末に、ハリファールの外の国を訪ねてみようと決めた。色んな国をまわって、この世界のことをもっと知りたい。
眠っているミリーとレイルを、父が魔法を使って部屋まで運んでくれた。明日の夜まで目覚めないらしいが、一応、物音に気をつけながら荷造りをし、それが終わるとふたりの真ん中に横になる。夜明けに起きると、寝ている二人にお別れの挨拶をした。
「行ってくるね。許してくれてありがとう」
用意した荷物を肩にかつぎ、部屋を出る。足音を忍ばせて城内を移動し、城門のとこに着くと、父が立っていた。わたしを見ると笑顔を浮かべたが、一晩中泣いていたようで、目は充血し、どす暗い隈ができている。熟睡してすっきり顔のわたしは、何だか申し訳ない気持ちになった。
「これをアーベルに届けて欲しい」
そう言うと、布の包みを渡してきた。
大人たちがよく言う「つまらない物」だろうか? 布をずらして見ると、見覚えのある装丁が目に入って驚いた。魔導書だ。しかも二冊ある。
「アーベルに魔導書あげるの?」
「彼らには、みんながお世話になったからね」
「ゲオさんの別荘にずっといたしね」
「それに、シャムルドに行くのに旅券が必要だろう。それをちらつかせて、アーベルと交渉しなさい」
「さすがパパ。ありがとう!」
父が両腕を広げたので、ジャンプして抱きついた。こういうことができるのも、父とヤスが<転化>の魔法を作ってくれたおかげだ。長々とやると決心が鈍るので、ぎゅっとしてから離れた。
「じゃあ、行ってくる!」
「ああ。気をつけて行っておいで」
「パパも、体に気をつけて、無理しないでね」
手を振る父に見送られ、わたしは実家の城をあとにした。
とはいえ、ここはベル山脈の中央だ。
険しい山々が連なり、谷間にはハイレベルの魔物がひそむ暗い森が広がっている。いくらわたしの中身がドラゴンでも、魔法を駆使して逃げないと、命がいくつあっても足りないだろう。それに、過保護なお目付役が追ってくる可能性もある。のんびりしている暇はなかった。
深呼吸をする。魔素の量を確認してから「よし」と気合いを入れた。
「行こうか、アイチャン」
『魔法を使用しますか?』
アイチャンの声に、わたしは元気よく返事をした。
「イエス!」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
作品について評価をいただけると幸いです。